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藝大楽理科&声楽科卒のコンビ、LioLanによる「次世代の日本語ポップス」の開封の儀。その成果を語る

2023年09月05日 12:10  CINRA.NET

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Text by 山元翔一
Text by つやちゃん
Text by 金本凜太朗

TK from 凛として時雨、ずっと真夜中でいいのに。などの鍵盤奏者/アレンジャーとして活動する和久井沙良と、『トイストーリー3』や『毎日かあさん』といった作品で子役声優を務めた経歴を持つシンガー、キャサリンが組んだユニットLioLan。彼女たちはともに東京藝術大学音楽学部の出身で、大学では学内のヒップホップバンドでも活動し、幅広い音楽的素養を身につけていった。

これまで鍵盤で曲制作を進めてきた和久井沙良がDAW(※)を駆使した曲づくりに着手し、稀有な歌唱力を持つキャサリンと出会ったことで、これまでの和久井のキャリアでは見られなかったような予測不可能なおもしろさを放った1st EP『UNBOX』が完成した。

まるで玉手箱のような、どんな音楽が出てくるかわからないワクワク感。この歪な音楽は、一体どこから来たのだろう? 二人の大学生活について、音楽における「日本らしさ」に関する解釈について、そして歌詞についてもさまざまな角度から迫ることでLioLanという存在を紐解いていこう。

LioLan(りおらん)
2022年5月より活動開始した和久井沙良とキャサリンによる2人組ユニット。普段はキーボードを弾く和久井沙良が本ユニットでは作曲、トラックメイクを、ライブではボーカル&サンプラーを担当する。和久井とは大学の後輩でもあるキャサリンがメインボーカルと作詞を担当。2023年7月19日、1st EP『UNBOX』をリリース。9月27日より『LioLan「UNBOX」リリースツアー2023秋流浪編』を開催する。

―和久井さんは東京藝大音楽部の楽理科、キャサリンさんは声楽科のご出身ということで、まずはお二人がどういったことについて学ばれていたのか教えてください。

和久井(Sampler,Vo):東京藝大の音楽学部は狭くて、全体で200人くらいしかいないんです。私の楽理科は約20人、キャサリンの声楽科は約50人で、みんななんとなく顔を知っているような規模感。

楽理科は1、2年生のあいだに音楽学の基礎を学ぶんです。東洋音楽、西洋音楽、音楽理論、音楽美学などを勉強して、そのあと3年生で研究したい分野を決めてゼミに入って卒論を書く。私の専門は音楽民族学で、トリニダード・トバゴのスティールパンという打楽器を研究していました。

あえて自分があまり触れてこなかった音楽を研究したいなと思って選択したんですけど、2か月ほど現地に行って、フィールドワークでスティールパンのコンクールに出たりもしました。

左から:和久井沙良、キャサリン / 関連記事:和久井沙良のピアノが求められる理由。違和感を抱えた藝大時代を経て、自らの音楽を手にするまで(記事を開く)

和久井:現地の人たちが100人くらいでスティールパンを叩くんですけど、その裏でアイアンという金属を16分音符のリズムでかち鳴らすので、タイム感がめちゃくちゃ鍛えられるんですよ。それは確実にピアノにも活きていると思います。

―学問として知識を吸収して学んでいくことも、現地に行って実践することもどちらもされていたんですね。

和久井:そうですね。私は小泉文夫(※)記念資料室長を務めた植村幸生先生のゼミ生だったんです。植村先生は韓国の伝統音楽について研究されている方で、いろいろなことを学びました。一方で、結局のところ「音楽って何なんだろう?」と定義づけることの難しさも感じて。

音楽って生活の一部であったり、消費されるような聴かれ方をされたりもする。そう考えると、音楽は相当幅が広く、研究するには難しくて、4年間では到底習得できないくらいの広い海のように感じました。たまに、落ち着いたらもう一度大学院に行って研究したいなとも思います。

―キャサリンさんがいらっしゃった声楽科になると、もう少し実践が占める割合が高いんですか?

キャサリン(Vo):声楽科の場合も1、2年生はむしろ座学が多いいんですよ。なぜなら、教職免許を取る人が多いから。声楽科は外国語も2か国語取る必要があり、だいたいがイタリア語とドイツ語を選びます。本格的なオペラやバレエの授業がはじまるのは3年生からですね。

和久井:楽理科はドイツ語を取る人が多いんですけど、自分はなぜかイタリア語を取ったんですよ。そしたら授業で声楽科の人が多くて、すごく賑やかで(笑)。

キャサリン:声楽だけに、みんなめちゃくちゃ声が大きいんですよね(笑)。

―キャサリンさんは、声楽を学びたいと思うようになったのはいつ頃からなんですか?

キャサリン:私は中学で吹奏楽部に入って、サックスを吹いていたんです。でも音大に進みたいと考えたときに「楽器はお金がかかるし、小さい頃から歌だけは続けてきたんだから歌で受験したら?」と母に言われて。

それでしぶしぶ音高のワンポイントレッスンを歌で受講したら、先生にめちゃくちゃ褒められて調子に乗って「私、歌だわ」と思ったんですね。そしてどうせなら日本でトップと言われている藝大を目指そうという気になった。そんなふうにずっと単純な動機できました。

和久井:私も親に「音楽で食べていきたいなら、一番難しいところに入れるくらいじゃないとそのあと成功しない」って言われた。必ずしもそんなことないんですけどね。

キャサリン:そうそう、そんなことないよね。

―その後、お二人は学内のヒップホップバンドに入って出会うんですよね。

キャサリン:私は『藝祭』のステージを見て、「カッコいい!」と思って加入しました。自分が感じたことを舞台の上で好きに表現していいというのが衝撃的だった。

リーダーは自分のアイデンティティの葛藤や社会に対する想いを歌っていて、「そういうのってありなんだ?!」って思ったんです。話してみたら「コーラス探してるんだよね」って誘われて、そのまま入ることになりました。沙良ちゃんはそのあとに入ってきて、曲もつくってた。

―キャサリンさんが「自由にやっていいんだ」と感じたのは、それまでクラシックの世界しか知らなかったからということですか?

キャサリン:そう。それに、いわゆるポップスも、自分はそれまで母の影響で昭和歌謡しか聴いていなかったんですよ。ダウン・タウン・ブギウギ・バンド(※)とかフィンガー5、ユーミンが大好きで。

だからこそ、不満に思っていたことやおかしいと感じることを歌に乗せて吐き出していいんだっていう、ヒップホップバンドで知ったことはすごく発見だった。

―今作の1曲目“nanikasa”の、不満を綴った歌詞にも通じるところですね。

キャサリン:そう、“nanikasa”はそのときの意思が一番受け継がれている曲です。

―ちなみに、そのヒップホップバンドにいるとき、すでに和久井さんはキャサリンさんの歌唱の才能には気づいていた?

和久井:そうですね。ただ、そのときキャサリンはまだ韻を踏んでいる部分に合いの手を入れたり、コーラスをしたりという関わり方で、そこまでガッツリと歌ってなかったんですよ。

キャサリン:バンドのメンバーが7人もいたからね。じつは自分の専門じゃない楽器をプレイしている人のほうが多かった。というか、私は、先生にバレないようにするのにすごくスリルがあって大変だったんです。

―というと?

キャサリン:声楽科の生徒は身体が「楽器」なのもあって「身体が完成する前にクラシックに必要ない発声をし過ぎてしまうとよくない」って指導されるんです。先生は生徒を守らないといけないから、喉を酷使させないように徹底してる。

そういういろいろな理由があって、ヒップホップをやっていることを隠していたところもありました。でもバレそうになってしまったときに慌てて「社会に対する想いを詩にして、リズムに乗せて表現する団体に入っています」って説明してた(笑)。

―(笑)。

キャサリン:「『歌ってる」んじゃなくて『表現』です!」って(笑)。

―お二人とも、大学で学問として学んだこともヒップホップバンドでプレイしていた経験も、いまされている音楽につながっていると思いますか?

和久井:私は高校までピアノのレッスンで作曲の勉強もしていたんですけど、大学では楽理科で「音楽を学問的に見る」ということをしたんですね。

プレイだけに偏っていた自分にとって、大学では音楽はいろんな文化や学問とつながっているという視点を学んだんです。人間の生活といかに密接につながっているか、という観点はそれまではなかったから。だから、いまやっている音楽への影響はかなりあると思う。あとは、やっぱり人との出会いが大きい。

キャサリン:藝大の人は、みんなが思ってるよね。同志との出会いの大切さ。

和久井:みんな2、3人は絶対に自分の音楽活動においてキーとなる人と大学で出会うんですよ。うちらもまさにそう。

関連記事:1996年生まれ、Khamai Leonが藝大・音大で抱いた違和感。先行世代への憧れと葛藤も明かす(記事を開く)

キャサリン:私は、いろんなジャンルを経験することでいろんな声が出せるようになった。オペラだと、時代背景や立場、性格など、その登場人物によって役づくりをするので、勝手に「自分」を出してはいけないんです。貴族の女か町娘かでも所作が違って、役になりきる必要がある。ヒップホップバンドではそれとは違ったスタンスで。

―“nanikasa”や“anouta”では一部ラップも披露されていて、いわゆるヒップホップのラッパーがやるラップとは全然違う魅力があるように思います。このあたりはヒップホップバンドで培われたものが活きていると思いますか?

キャサリン:活きていますね。でも、私が本当にLioLanでラップをやろうと思ったのはK-POPを聴くようになってからなんです。

―具体的にはどのあたりですか?

キャサリン:イ・ヨンジさんと、JESSIさんは大好き。グループだと、Stray Kidsの3RACHAのラップがカッコいい。

―ストロングなラップが好みなんですね!

キャサリン:そう! アメリカだとEveが好き。強いラップっていいですよね。でも、私の場合はラッパーのような声の出し方をすると喉がつぶれちゃうと思うんですよ。だから、喉を傷めないけど迫力のあるラップ、というのを目指しています。

―和久井さんは、曲制作の際はあらかじめキャサリンさんの歌が入ることを想定したうえでつくっているんですか?

和久井:そうですね。メロのラインを決めて仮歌も自分で入れてからキャサリンに送ることが多いですけど、キャサリンなりのフレーズが欲しいなというときは空白をつくったうえで送ることもあります。

最初は、自分はメロディーセンスがないし歌うのも無理だって思っていたからキャサリンにお願いしていたことが多かったんですけど、だんだんとメロディーラインもやりたいことが出てきて、自分でつくっちゃうことも増えてきました。

―メロディーラインはかなり独特ですよね。

和久井:私たち二人とも独特だと思います。ちなみにどの歌についてそう感じますか?

―どれもそうですけど、特に“anouta”の起伏はすごすぎる(笑)。

キャサリン:“anouta”のメロディーは私だ(笑)。

和久井:けっこう言葉も多いしね。

キャサリン:私は、沙良ちゃんがどういう想いをもってつくった曲なのかがなんとなくわかるんだよね。だから、それに合わせて言葉が浮かんでくることが多いです。私たち、前世は同じ人だったのかもしれない。

和久井:同じ人?! でも、そうかもね(笑)。そのくらい信頼し合ってる。

―和久井さんはDAWを使った曲制作も増えてきているかと思います。今作ではどの曲がそれに該当するのでしょうか。

和久井:“anouta”と“uragaeshi”“hangover”です。サンプルのループで曲をつくりたいと思って、そこに歌を乗せてみたのが“hangover”。で、そこからDTMを勉強して“uragaeshi”のような曲がつくれるようになってきた。“anouta”も同じようなシチュエーションでつくったんですけど、その当時はまだDTMに不慣れ部分が多く、トラックを市川豪人さんにお願いしました。

―打ち込みの一音一音の強度や説得力を高めるために、どのような工夫をされましたか?

和久井:とにかくシンセの音選びですね。でも好きなビートを打ち込んでもなかなか出したい音にならなくて、kento watariさんや市川豪人くんにお願いしました。あとは曲によっては生ドラムを叩いてもらったりして。

―音を探していくときは、一音一音をひたすら探していく感じなんですか?

和久井:探すというよりは、ひとつの音を加工していくほうが自分は多いかも。ドラムの音はサンプルでやることもありますけど、シンセは(ソフトウェアシンセサイザーの)Omnisphereを使って自分でつくることも多いです。

―今回、リファレンスまではいかなくとも、理想のビートとして具体的に挙がったものはあったのでしょうか。

和久井:SkrillexやVirtual Riotです。でも、めちゃくちゃ難しいですよね! 一音一音の説得力を大事にしたいし、そういう次元にいけたらもっと楽しいのになと思って勉強中です。

―そういった強度高いバキっとした音に、キャサリンさんのような声が乗るタイプの曲って世間にはあまりないと思いますね。

和久井:そうなんですね。自分はピアノをやってきたけど、LioLanではプレイだけではなく、音そのものの説得力を追求していきたいです。

―和久井さんはいままで鍵盤で曲制作をされてきて、以前に曲は無限につくれるともおっしゃっていました。ただ、その無限のなかには和久井さんに染みついたある種の癖や傾向があるかもしれない。DTMは、じつはそういった癖から自分を解放してくれるものであるともとらえられるんじゃないでしょうか。

和久井:それはすごく思いますね。鍵盤でつくると、ネオソウルっぽかったり、ジャジーな感じになりがちなんですよ。でもあえてその手癖にいかないようにビートからつくってみたり。2小節だけ自分に許可を出してピアノを弾くとか、制限を設けながら曲つくってます。

キャサリン:受け取る側としては、毎回違うテイストの曲が送られてくるのでおもしろいですよ。

―DAWにしろキャサリンさんのボーカルにしろ、新しい「楽器」を手にした和久井さんがワクワクしながら遊んでいる印象で。それがLioLanのおもしろさだと思います。だから私は、この作品については完成度とかよりも、まずは和久井さんの可能性がどんどん開いていくようなところがすごくいいなと感じたんです。

和久井:まだ定まっていない感じがあって、それは今作の見どころですよね。

―Spotifyがリリースした公式プレイリスト「Gacha Pop」が海外でヒットしていますよね。自分は、LioLanって、すごく「Gacha Pop」らしいと思うんですよ。メロディーの起伏が激しくて、ジャンルミクスチャー的で、クセのあるアレンジがされていて。というか、今回の作品自体が「Gacha Pop」のプレイリストのようだと感じました。

和久井:たしかに。

―だから、いますぐ「Gacha Pop」のプレイリストにLioLanの曲は入るべきでしょうって話なんですけど(笑)、そうやって「海外から見た日本のポップミュージック」の再定義がなされているなかで、お二人は「日本のポップミュージック」をやっているという点についてどの程度意識的・自覚的なのかを伺いたいです。


和久井:今回、“nanikasa”と“anouta”でまったく同じリフを使っていて、それは日本的な音階だと思うんです。LioLanでは「J」の匂いのあるリフを入れている。

―いわゆるヨナ抜き音階(※)になっていますね。

和久井:そもそも、J-POPは何をもって「J-POP」なんだろうというのはずっと考えてきたことではあるんです。

和久井:AメロがあってBメロがあってサビがあること、音数が多いこと、いろいろな要素を詰め込むこと……対して、最近の音楽ってトラック数が少ないものが多いと思うんです。たとえば英語圏の音楽だったりすると子音が多いからこそ聴き取りやすくて、ミックスしたときに声が浮かびやすいのでコンプやディストーションをかけたときにいい感じのサウンドになる。

日本語は母音主体だから同じことをやると潰れすぎちゃって何を言ってるかわかんなくなる。そう考えると、自分が音楽をつくるうえでやっぱり「日本語」というものが壁になることは多い。

―キャサリンさんはオペラ歌唱についても学ばれてきたなかで、そのあたりの日本らしさという点についてはどう考えていますか?

キャサリン:私は日本の昭和歌謡が持つ、想像する余地を残すような曲や詞のつくり方に影響を受けているんです。

たとえば、ユーミンは「私は彼と別れて一人でバスに乗って去っていきました。それを彼は見ていました」という状況を、<あのひとに見えるように / 混んだバスの くもった窓に書く / 大きくGood luck and good bye>と描写する。それだけでもう余韻とともに情景が浮かぶじゃないですか。

キャサリン:クラシック音楽の場合だとまた違って。イタリア歌曲の場合、ただの失恋なのに、死に別れたかのような情熱的ですごく直接的な歌詞だったりするんです。

たとえばオペラだと、「想像できる余地を残す」といった生ぬるい優しい感じではなく、物語に沿って内容が決まっている。有名なプッチーニの“O mio babbino caro”は、「彼と結婚させてくれなかったらヴェッキオ橋に身を投げる」ってお父さんを脅している曲なんです。

だからさまざまな恋愛の曲を歌えるようになるようになるために、大学に入るまでは「恋愛しなさい」とよく言われていました。最近はそういったことは言われなくなってきているし、私自身も恋愛を強要するのは違うのかな、といまは思ったりします。

―対して、余白を残すのが日本的な美意識なんじゃないか、と。

和久井:体感として最近は詳しく感情を描写する歌詞や、それによる共感を求める曲が多い気がしていて、それはLioLanにはあまり強調されていない部分かもしれないです。なのでLioLanの楽曲がどういった層に刺さるのかは興味深いところでもあります。

たとえば、キリンジ/KIRINJIの楽曲はコード感や世界観が個人的に好きで何度も聴いているうちに急に歌詞の内容が景色と一致してグッときたりもする。私はそういう感覚を大事にしたいんです。

―トラックと歌詞、ボーカルがいかに相互に影響を与え合ってひとつの景色をつくっていくか、ということですね。今後、ますますLioLanの展開が楽しみになってきました。

和久井:今後は、もう少し打ち込みの方向性に絞っていくかもしれません。自分たちも楽しみです。