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宮﨑駿監督『君たちはどう生きるか』を民俗学から読む。鳥と異界、「産屋」のタブー、ワラワラについて

2023年08月25日 18:10  CINRA.NET

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Text by 山元翔一
Text by 畑中章宏

「宮さんはシナリオは二の次で絵が先の人です」。

映画『君たちはどう生きるか』の雑誌インタビュー(※1)において、スタジオジブリ・プロデューサーの鈴木敏夫は宮﨑駿についてこう語った。

その「絵」を支えているのは宮﨑駿のずば抜けた視覚的な記憶能力で、日常のやりとりや旅先の風景、幼少期の記憶、そして毎月4~5冊読んでいるという児童文学をはじめとした読書などが、その作品づくりの糧となっているという。鈴木敏夫はそんな宮﨑監督について「誤解を恐れずに言うと、宮﨑駿という人は、空想で描かない。全部見たものです。それのコラージュというのか、組み合わせが実に鮮やか」とも語っている。

その宮﨑駿が繰り返し読んでいた作品のひとつが、民俗学者・宮本常一(1907年–1981年)の『忘れられた日本人』(1960年、初版は未來社)だった。これまで宮﨑駿作品には民俗学的なモチーフと思われるものが表出することもあったが、鈴木が「宮﨑駿は抽象的な概念のない人です」(※2)と言っていることからも、作品にとけこんだ民俗学的な要素に対して、監督自身どこまでの意図があったのかは実際のところはわからない。

前置きが長くなったが、本稿は『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』(2023年、講談社)の著者で、民俗学者の畑中章宏による映画『君たちはどう生きるか』評である。「鳥」というモチーフと「異界」、「産屋」のタブー、「ワラワラ」などについて考えをめぐらせながら、「『死の島』は、『生の島』に至るのか」というテーマで執筆してもらった。

宮﨑駿監督の『君たちはどう生きるか』はこれまでの宮﨑作品のなかでもとくに、観る人によって見方が異なる作品だと思う。それは宮﨑監督が(鵜呑みにするかどうかはともかく)、この作品が「最後の長編映画だ」と宣言したことから、「集大成」を期待されたことも原因のひとつだろう。

ただし宮﨑自体、主題も対象も多彩であるため、「集大成」を期待するといっても、その期待が観衆一人ひとりによって、違ってこざるをえない。

あらすじ:少年眞人は、母を追って、生と死の世界へとむかった——。そこは、死が終わり、生が始まる場所だった。眞人を導いたのは、嘘と真を使い分けるサギ男。少年は友と出会い、母と再会し、創造主・大伯父と向き合う。あなたがいてくれて、本当に良かった。宮﨑駿が友情をこめて描く、生と死と創造の自伝的ファンタジー。 - 『君たちはどう生きるか』劇場パンフレットより引用私の場合、どうしても『となりのトトロ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』といった、なにかしらのかたちで、「日本列島の民俗や信仰」にふれた作品を期待していたが、タイトルが発表された時点で、そういう作品ではないだろうと想像していた。そして、たぶん宮﨑の人生、あるいは現在の心境を反映した作品になるのでないかと予想していたのだが、それ自体はあたっていた。

「日本列島の民俗や信仰」にふれた作品だったかというと、そうした要素がまったくないわけではないものの、それほど前景に現われてはこなかったように思う。

この映画は吉野源三郎(1899年–1981年)が戦前に執筆・刊行した教養小説(※)、『君たちはどう生きるか』(1937年)を原作にする。

しかし、吉野の児童向け教養小説は今回の映画の直接的な原作ではなく、あくまでも動機(モチーフ)にすぎないと知り、さらに鳥のイメージがポスターその他の宣材に描かれているのを見て、なにかと想像を膨らませていた。

『君たちはどう生きるか』ポスタービジュアル ©2023 Studio Ghibli

2017年に羽賀翔一により漫画化されるまで、もっとも普及していただろう岩波文庫版の解説は政治学者の丸山眞男(1914年–1996年)によるもので、洋画家・脇田和(1908年–2005年)が描いた挿絵が収められている。

丸山眞男は、敗戦からまだ日が浅い1946年に吉野が初代編集長を務めた雑誌『世界』5月号に、「超国家主義の論理と心理」(1946年)を発表し、日本の戦前の日本を政治史、政治思想史の立場から根底的に批判し、戦後日本に民主主義を定着させることに腐心した人物だ。

宮﨑駿は前作『風立ちぬ』(2013年)の主人公を飛行機設計者の堀越二郎をモデル(※)にし、関東大震災(1923年)から敗戦までを描いていたので、戦中から戦後を舞台にしていることが想像された。

宮﨑駿監督『風立ちぬ』の主人公のモデルとなった堀越二郎 [CC BY-SA 4.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)], via Wikimedia Commons

その際に、吉野や丸山の戦後民主主義的な思想が、神話化・寓話化されたかたちでも取り込まれていると予想したのだが、私の想像ははずれた。しかし、まったくはずれていたかというとそうでもなく、戦中・戦後の文化と思想が影を落としていることは疑いえない。

そのことについて私論を述べていくつもりだが、その前にひとつ。宣材の鳥のイメージとタイトルの「君たちはどう生きるのか」を重ね合わせてみたとき、私のうがった想像は、意外に脇田和の画業を反映しているかもしれないと思った。脇田は「鳥」の絵を数多く描いているからだ。しかし、アオサギやインコやペリカンなど何種類かの鳥が登場するものの、脇田の影響は感じられなかった(※)。

ただし、主人公の牧眞人(まき まひと)という名前は、丸山眞男を意識した命名なのかもしれない。

眞人とサギ男 『君たちはどう生きるか』より ©2023 Studio Ghibli

本作にはなぜ多くの鳥が登場するのかについては「宮﨑監督が描きたかったから」というしかない。

「空を飛翔するもの」に対する偏愛は、これまでの宮﨑作品でもしばしば描かれ、そうした飛翔体は、風を利用したものだったり(『風の谷のナウシカ』)、魔術によるものだったり(『魔女の宅急便』)、戦闘機だったり(『紅の豚』『風立ちぬ』)、竜(『千と千尋の神隠し』)だったりしてきた。

しかし、生物学上の鳥そのもの(といっても擬人化されているが)をこれほど数多く登場させてはこなかったと思う。なぜアオサギなのか、なぜインコなのか、ペリカンなのかについては、おそらく深い意味はないだろう(※)。

ただ、このうちアオサギについては、古代エジプトでは、聖鳥「ベヌウ」として神格化されていた。一方日本では、怪異としての「青鷺火」というのがあるが、これはゴイサギらしい。

しかしサギは日本の民間で、夜に飛ぶ鳥の一種として怖れられており、柳田國男(1875年–1962年)も以下のように記している。

鵺(ぬえ)は単に未明の空を飛んで鳴くために、その声を聴いた者は呪言を唱え、鷺も梟も魔の鳥として、その異常な挙動を見た者は祭をした。(中略)鳥が突如として天空の一角から、我々の眼の前に現れて啼くのを見て、神の使のように思うのは自然である。 - 柳田國男『野鳥雑記』より鳥山石燕による「青鷺火」、『今昔画図続百鬼』より [CC BY-SA 4.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)], via Wikimedia Commons

つまり、サギはかつて「魔の鳥」とみなされ、それが飛ぶ姿を見たものは「祭」をおこなったという。民俗学者・折口信夫(1887年–1953年)も『「とこよ」と「まれびと」と』(1924年)という文章で次のように書いている。

我々の祖先は、時を期して来る渡り鳥に一種の神秘を感得した。其が大きな鳥であり、色彩に異なる所があると、更に信を増した。 - 折口信夫『「とこよ」と「まれびと」と』より柳田も折口も、空を渡る鳥には亡くなった人の魂が宿っていると、人々はかつて信じていたと指摘しているのである。

今回の映画を観て、筆者が象徴性の高さをもっとも強く感じたのは、「異界」の入り口にある島のイメージだった。暗く高いイトスギが茂るこの島は、スイス出身の象徴主義の画家アルノルト・ベックリン(1827年–1901年)の作品『死の島』そのものである。

ベックリンは『死の島』というタイトルの絵画を5作(1880年–1886年)描いているが、すべてに共通するのは、暗い水辺に浮かぶ岩の島に、小さな船が接岸しようとするところが描かれている点だ。船には2人の男が乗り、船の上に棺桶のようなものが乗っている。岩の島はイトスギに覆われ、祭壇のような建物がある。

アルノルト・ベックリン 『死の島』(1880年) スイス・バーゼル市立美術館 所蔵 [CC BY-SA 4.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)], via Wikimedia Commons

『死の島』はヨーロッパではかなりよく知られた絵画で、ウラジーミル・ナボコフの小説『絶望』には「ベルリンの家庭という家庭でみることができた」と記され、心理学者のフロイト、革命家のレーニン、作家のヘッセらが愛し、セルゲイ・ラフマニノフは交響詩『死の島』を作曲した(筆者がこの絵を初めて知ったのはこの曲を収めたLPのジャケットによってだった)。

1883年に画商のために描かれた3作目はその後、アドルフ・ヒトラーが入手し、その絵は最初別荘に置かれ、のちにはベルリンの総統官邸に掛けられるようになったという。

アルノルト・ベックリン 『死の島』(1883年) ドイツ・旧国立美術館 所蔵 [CC BY-SA 4.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)], via Wikimedia Commons

ベックリンの『死の島』はじつは、宮﨑監督の前作『風立ちぬ』にも登場していた。堀越二郎が滞在していたドイツのホテルの部屋に『死の島』(おそらく1880年に描かれた第1作)が掛かっていたのである。

宮﨑監督が、『死の島』を繰り返し作品に登場させているのは、その図柄の通俗的な美しさとともに、「死」に憧れることの危うさを表現しようとしているのかもしれない。

『君たちはどう生きるか』で宮﨑がなぜベックリンの『死の島』のイメージを借用したのかは、実際のところよくわからない。また、無数のペリカンが上空を乱舞する、この島の位置づけ自体も明確ではない。

ただし宮﨑は、ベックリン作品の表象とともに『死の島』という「観念」そのものに魅かれているのかもしれない。先にも引用した折口信夫の『「とこよ」と「まれびと」と』には次のような一節がある。

海のあなたの「死の島」の観念が、段々抽象的になつて幽界(カクリヨ)と言つた神と精霊の国と考へられる。其が一段の変化を経ると、最初の印象は全然失はないまでも、古代人としての理想を極度に負うた国土と考へる様になつたのである。 - 折口信夫『「とこよ」と「まれびと」と』より本作では「異界」は塔の内部に想定されているのか、あるいは地下に思い描かれているのか。また海の上、海に浮かぶ島はどのような意味を持つ場所なのだろう。

眞人は、妊娠したまま「神隠し」のように姿を消した継母のナツコを探しため、塔のなかに入る。その後に展開するこの作品の舞台である「異界」は、地底なのか、天空に向かってそびえる塔の内部なのか。つまり、天井にある「常世(とこよ)」なのか、それとも地下・地底にある「根の国・底の国」、あるいは「冥府(黄泉/よみ)の国」なのか。

折口によると、「常世」に対して「根の国・底の国」を想定するようになったのは、水葬から土葬へという、葬法の変化から来ているという。

常世は富み・齢・恋の国であると共に、魂の国であつた。人々の祖々(オヤオヤ)の魂は常世の国に充ちてゐるものとした。其故に其魂が鳥に化し、時としては鳥に持ち搬ばれて、此土(しど)に来るものと考へられた。 - 折口信夫『「とこよ」と「まれびと」と』より鳥はやはり、現世と常世を渡るものなのだろうか。

老ペリカン 『君たちはどう生きるか』より ©2023 Studio Ghibli

現実世界とも、またそのほかの世界とも扉でつながる塔の構造から連想したのは、戦後文学者・福永武彦(※1)の初期作品『塔』(1946年)である。

主人公である「僕」は、蝶を追いかけるうちに、塔のなかに閉じ込められる。7つの鍵を手にして螺旋階段を昇り、「権威・未知の風物・富・知識・愛・老・死」という人生の7つの局面を象徴する7つの部屋を遍歴する――。

映画『君たちはどう生きるか』の「死の島」にある墓の門には、「我ヲ學ブ者ハ死ス」と刻まれているが、蔦かずらの生い茂った塔の壁に「MEVM EST(メウム・エスト。我ガモノナリ)」と記されているのも示唆的だ。

福永武彦はフランス文学者でもあり、小説『風立ちぬ』を書いた堀辰雄の強い影響下で創作活動をはじめた。代表作にはまさに、広島の原爆をモチーフにした『死の島』(1971年)という長編小説がある。

また、宮﨑監督の『風の谷のナウシカ』の「玉蟲(オーム)」を、怪獣モスラの幼虫になぞらえる説もあるが、モスラの原作は福永が中村真一郎(1918年–1997年)、堀田善衞(※)と共作した『発光妖精とモスラ』(1961年)だった。映画『君たちはどう生きるのか』を『風立ちぬ』の続編としてみたとき、堀辰雄の文学的継承者である福永武彦の「影」を見てしまうのである。

異界の部屋にある「産屋(うぶや)」で、生みの苦しみにもだえるナツコの姿は、神話的な印象を与える。紙垂(しで)が何枚も垂れ下がっているが、民俗学的にはケガレに対処するためのもの、と読めるかもしれない。

産屋の形象は日本の古代神話『古事記』でも、入ってはいけない場所、見てはいけない禁忌(タブー)とともに物語られる。

(木花咲耶姫[コノハナサクヤヒメ]は)出入り口のない、広さ八尋(やひろ)もある御殿を作り、その中にはいって、内側から土を塗って塞いでしまった。いよいよお産する時になると、この御殿に内から火をつけて、子供を生んだ。 - 福永武彦訳『現代語訳 古事記』(2003年、河出文庫)よりこのときに生れた3柱の神のうち、最後に生れた火遠理命(ホヲリノミコト)は海神の娘である豊玉姫(トヨタマヒメ)を娶(めと)る。

ホオリノ命との子を身ごもったトヨタマ姫は、海辺の波の打ち寄せる渚のあたりに、鵜の羽で葺(ふ)いた産屋をつくろうとしたが、屋根が葺き終らないうちにこらえ切れなくなり、急いで産屋に入り、いよいよお産をするときに、夫に向かい産屋のなかを見ないように頼んだ。

しかし、ホヲリノ命は、妻がお産をしている最中を覗き見た。すると妻の身体は八尋(やひろ)もある、恐ろしい「わに」に姿を変じて、腹這いのたくっていた――。こうした「生みの苦しみ」、何が産み出されるかといった主題は、宮﨑駿という作家を通じて本作にも通底しているようにも思える。

大伯父 『君たちはどう生きるか』より ©2023 Studio Ghibli

死と生のイメージが交差する本作で、作品の中盤あたりに登場する「ワラワラ」は、宮﨑監督が、どうしても描いておきたかったキャラクターだったように思える。

「ワラワラ」は生まれる前の魂たちだとされ、飛ぶため(生まれるため)には魚の内臓が必要だとされるが、ペリカンに食べられることで、すべての「ワラワラ」が生を得られるわけではない。宮﨑監督はこれまでも、こうした数えきれないほど多く、小さく、愛らしさと不気味さを兼ね備えた存在を作品中に「好んで」登場させてきた。

『となりのトトロ』と『千と千尋の神隠し』に登場する「ススワタリ」(マックロクロスケ、クロスケ)や、『もののけ姫』でシシ神の森に棲む「コダマ」(こだま、木霊)も、なぜあのような姿形をしているのか、作品全体のなかでどのような意味を持つのかは説明しがたい。

しかし、私などが民俗学的な意味を見出そうとするより、宮﨑作品の本来の鑑賞者である子どもたちは、「ワラワラ」も、「ススワタリ」も、「コダマ」も意味を求める必要のない、自明の存在なのではないか。

ワラワラ 『君たちはどう生きるか』より ©2023 Studio Ghibli

そういえば柳田國男も『野鳥雑記』で、鳥の声を聴き分け、そこから物語を紡ぎ出したのは、大人より子どもたちだったとのべていた。

彼等(編注:稚児のこと)の不思議の国は茫漠たるものではあったが、(中略)自ら夕方の窓に凭(よ)って、進んで「かくり世」の消息を問わんとしたのも彼等であった。 - 柳田國男『野鳥雑記』よりなにかと解釈したがる大人たちより、子どもたちは『君たちはどう生きるか』の鳥のメッセージをはっきりと聴いているように思えてならない。

アルノルト・ベックリンにはじつは、『死の島』の5つの連作のほかに、『生の島』(1888年)という作品もある。『生の島』は陰鬱な『死の島』とは対照的に、海には白鳥が遊び、水浴する人々や、島の上の明るい広場では、神々の宴が催されているように見える。

映画『君たちはどう生きるか』の主人公・牧眞人はその後「どう生きたのか」、生まれることができた「ワラワラ」たちに『生の島』のような明朗な「戦後」が訪れたかのか。宮﨑監督は本作を最後にするのではなく、『死の島』を逃れたものたちの未来を描いてもらいたいと切に願う。

アルノルト・ベックリン 『生の島』 スイス・バーゼル市立美術館所蔵 [CC BY-SA 4.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)], via Wikimedia Commons

左から:ヒミ、眞人 『君たちはどう生きるか』より ©2023 Studio Ghibli