2023年08月22日 10:01 弁護士ドットコム
弁護士でありながら、世界一の将棋AIソフト「水匠」の開発者として活躍する杉村達也弁護士(本八幡朝陽法律事務所)。弁護士登録後の2017年に開発を始め、わずか3年で世界制覇を果たした。
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将棋AIソフトの進化でプロ棋士がより強くなり、AIを使った将棋の解説動画や配信でファンが増えている。
杉村弁護士もYouTubeなどでの発信に取り組み、将棋界を盛り上げようとしている。「将棋界とAIはうまく共存している。AI活用の事例のひとつとして他の分野にも役に立つ」と語る杉村弁護士に、詳しく聞いた。(魚住あずさ)
ーー将棋AIソフト開発に至るまでを簡単に教えてください。
ボードゲームとしての将棋は幼稚園の頃に祖父からルールを教わって指すようになり、プログラミングは父がシステムエンジニアで、家にパソコンやプログラミングに関する本があったので小学校の高学年の頃から遊んでいました。
実際に将棋AIソフトを開発するようになったのは弁護士になってからです。2017年に将棋AIソフト「Ponanza」が、佐藤天彦名人(当時)に勝利した頃に、たまたま将棋AIソフトに関するブログを読み、面白そうだなと開発を始めました。
ーー将棋AIソフトを開発して、実際に大会に出るまではかなり短期間ですよね。
そうですね、2017年に将棋AIソフトの開発を始めて、大会に出たのが2019年の5月なので、おおよそ1年くらいです。将棋AIのコードやプログラムにふれていくうちに、自分なりに工夫してAIが強くなり、大会に参加するようになりました。おかげさまで、2020年の世界コンピュータ将棋オンライン大会と、2022年の第3回世界将棋AI電竜戦本戦で優勝できました。
ーー現在、将棋AIと人間にはどのくらいの力の差があるのでしょうか。
人間が将棋AIに勝つことはもう無理です。2017年に将棋AIソフト「Ponanza」が将棋の名人に勝ちましたが、その時点で、100回対戦して名人がやっと1回勝てるかどうかという程度の実力差がありました。それが今の将棋AIは、「Ponanza」に100回のうち99回勝ちますので、いかに強い人間が現れても、将棋AIはもう人間には負けません。
ーー将棋AIと人間とはどんな関係になるのでしょうか。
将棋AIと人間の対決の時代は終わり、将棋AIを教師として使い、人間が強くなる共存の時代になりつつあります。名人の藤井聡太さんも将棋AIを活用されていますし、前名人の渡辺明さんには、私が開発した将棋AI「水匠」をご自宅まで設定に伺いました。いま学習に将棋AIを活用していないプロ棋士は、恐らく1割を切るのではないでしょうか。
ただ、将棋AIを使った学習方法が一番いいかと言われると、意見が分かれるところです。将棋AIは喋るわけではありませんし、どうすれば勝てるかといったことや、戦略の立て方などは教えてくれません。将棋をはじめたばかりの方は、人間の先生に教えてもらう方が良いでしょう。
ーー将棋AIソフト開発はビジネスとして成立するのでしょうか。
現時点では全員が趣味と言っていいでしょう。将棋AIソフトのコードは無料公開されており、誰かの工夫でAIが強くなったら、そのコードに他の誰かが新たな工夫をして、強くなるという状況です。
私が将棋AIソフトの開発に参入できたのも、無料でコードを読んで開発できる環境が整っていたおかげですし、切磋琢磨して業界全体が盛り上がればと考えている開発者が多い。
また、将棋はAIで解決できる分野としては前時代的で、もっと難しいことに挑戦する今のAIのブームから外れています。ビジネス面では相当、難しいです。
ーー弁護士業務と開発をどう両立しているのでしょうか。
開発するのに一番必要なのは時間です。私がコードを書く時間よりも、将棋AIソフトが学習する時間の方が長いので、待っている時間に弁護士の仕事をしています。新しい工夫を思いつかなければ、2、3か月間、全く将棋のコードを書きません。将棋AIソフトを放っておく時間は本当に長くて、誰かが言っていましたが、盆栽に近いのです。成長させたい方向はありますが、AIが成長するまでは見守らなければいけません。
ーー将棋AIソフト開発と弁護士業務に相乗効果はありますか。
ないに等しいです。将棋AIソフト開発は趣味で、仕事は弁護士とはっきりと分けています。稀に「先生の開発している将棋AIソフトが強いので相談に来ました」という依頼者もいますが、多くはありません。また、AIやプログラムについて多少は内部事情を理解しているので、システム関係企業のトラブル解決の依頼をいただくことはありますが、あくまでも弁護士としての仕事です。
弁護士業務へのAI活用というところでも、AIに判例を学習させ、AIが契約書をチェックできるなど、進歩していく分野だとは思いますが、開発者として参画することはないと思います。私はゲームとAIを組み合わせることに興味があるので、いま話題のChatGPTもプロンプトを工夫して遊びの範囲で触っている程度です。
弁護士という職業は自分には向いていると思ってるので、向いていることを仕事にして、好きなことは趣味でやるのがいいのかなと考えています。好きなことを仕事にしてしまうとつらいと思います。
ーー将棋の対局を記録する「棋譜」の利用をめぐる法的問題が以前話題になりましたが、どういうことですか。
将棋はとても難しい競技で、よほど詳しくないと勝負の形勢が分かりにくいのが特徴です。そこで将棋AIソフトに棋戦の棋譜を取り込んで、SNSなどで対局の状況を分かりやすく解説することでファンを増やし、盛り上がってきました。
ところが、2019年に日本将棋連盟が、棋戦の棋譜には権利があるので、許可を取ってから使ってほしいとお願いを出しました。その時に、棋譜の権利とは一体何なのかということで話題になりました。
そもそも棋譜は、野球のスコアボードに近くて試合の経過や結果を示しているだけで、思想や感情を創作的に表現していませんので、著作権は生じないと考える法律家が多いと思います。
ーーでは、問題ないのでしょうか。
何の権利もないかというと難しいところで、例えば有料会員サイトだけで公開されている棋譜があった場合、公開されている棋譜に著作権がないからといって勝手に無料公開すると、不正競争防止法上、問題になります。
無料公開されている棋譜は自由に使えると考えられそうですが、日本将棋連盟の主張では、棋戦の棋譜や結果は、日本将棋連盟と棋戦を主催している企業が独占的に使える権利で、それを勝手に使うのは、第三者による債権侵害で不法行為にあたり、賠償請求権が発生し得ると考えているようです。
私は法律家の立場で日本将棋連盟に対して棋譜利用のガイドラインを作るようにお願いし、現在ではほとんどの棋戦で、ガイドラインができ、ルールは整いつつあります。
ーー仕事も含めて、今後の目標はありますか。
仕事としては弁護士を、趣味では将棋AIソフト開発を今後も続けていきたいですね。今後は将棋の難易度を出せるようになればいいなと考えています。例えば野球ではピッチャーがどれくらい強くて、バッターの成績では、ヒットを打つ難易度はどれくらいなのかを出せます。将棋でも同じことができれば面白い。
ほかにも将棋AIに人間っぽさを出すことにも興味があります。将棋AIに人間の指し手を学習させることにより、人間っぽく将棋を指すことが可能になりつつあります。実際に私のYouTube配信で人間と、人間の棋譜を学習したAIを対決させて、視聴者にどちらが人間かと尋ねたところ、7割近くの方がAIを人間だと判断しました。つまり今や人間とAIは相当見分けがつかないところまできています。
あとは、人間に寄り添うAI開発というところで、言語的な部分も頑張ろうと思っています。将棋AIがもう少し人間の先生として上手に将棋を教えられるようになれば面白い。もちろんこれまで通り、将棋AI自体を強くしたいとも思っています。
ーー他の分野でのAI開発については考えていませんか。
興味があるのは麻雀です。麻雀は相手の手牌が見えず、次に引く牌もわからない、不確定不完全情報ゲームで、将棋以上にAIの強化が難しい分野です。麻雀AIを開発したら将棋番組の勝率みたいな形で、誰が有利なのかという期待値をAIで出せたら面白いですね。
ーー弁護士業務にAIが導入されると、仕事はなくなってしまうのでしょうか。
ひろくAIが使われるようになれば人間の仕事がなくなるのではと言う人もいますが、そうは思いません。AIと親密な分野ということだと将棋は相当、先んじています。将棋AIが人間に勝ち、それでも将棋AIを活用して人間がこんなに強くなり、それが競技として今も継続しているのは、ひとつの事例として他の分野にも役に立つのかなと思います。
弁護士の仕事も、簡単にはなくならないでしょう。なぜなら将棋AIを一番うまく活用しているのは棋士なのです。同じように弁護士は法律関係のAIを一番うまく使えるでしょうね。