2023年08月14日 10:00 弁護士ドットコム
バス・タクシー運転手の氏名を載せた、運転者証の掲示義務が8月1日に廃止された。プライバシーに配慮し、従業員が安心して働ける職場環境の整備が狙いだ。
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氏名の掲示義務廃止は、客からの暴言や暴行、不当要求などで働く人の就業環境を害するカスタマーハラスメント(カスハラ)対策にもつながる。乗務員の名前や顔写真を撮影しSNSやネットにさらす誹謗中傷の抑止になるからだ。ドライバーのストレス軽減も期待できる。タクシー乗務員らでつくる労働組合にカスハラの実態について聞いた。(ライター・国分瑠衣子)
バスやタクシーは道路運送法に基づく省令で、運転者の氏名を客に見やすいように掲示することが義務付けられてきた。運転者に責任感を持たせ、乗客が乗った車両を分かりやすくするためだ。タクシーの運転者証は、顔写真や名前、運転免許証の有効期限が記載されている。
運転者証は、以前から顔写真や氏名がSNSやネットでさらされ、誹謗中傷されるなどの問題になっていた。
鉄道や航空、トラック、バス、タクシーなどの労働組合でつくる全日本交通運輸産業労働組合協議会(交運労協)が2021年に構成労組に行った調査では、「直近2年間で利用者などから迷惑行為の被害にあったことがある」と回答したタクシードライバーは58%、バスのドライバーは54.4%と過半数を超えた。
回答者からは「名札など名前が分かるものを身に付けていると、 SNSに投稿される恐れがあります。ネット上などで誹謗中傷を受ける可能性があり、イニシャル表記などにすることでリスク回避するマニュアルを整備すべきだと思います」など、名札表示の見直しを求める声が上がっていた。こうした現場の声を受け、国土交通省は道路運送法の規則を改正した。
「乗務員の写真や実名を見られるというストレスが軽減すると思います。人手不足や高齢化が深刻な業界の職場環境の改善につながると期待します」
タクシー運転手らでつくる全国自動車交通労働組合連合会(全自交労連)の松永次央書記長は今回の変更についてこう評価する。タクシーはコロナ禍で利用客が減り離職者が増えたが、最近は需要が急回復していて、人手不足対策が急務だ。
タクシーはドライバーと乗客だけの密室のため、カスハラ被害にあっても逃げ場のない空間だ。乗務中は1人で仕事をしているので暴言をはかれた後も、同僚に感情を吐露することも難しい。夜は酔客も多く、暴言もエスカレートしがちだ。
10年超タクシー乗務員の経験がある本田有・書記次長は「知らないお客様を乗せ、背中を向けて運転すること自体かなりのストレスがかかる」と話した上で、「急いでいる時に信号に引っ掛かってしまうなどお客様が求める要求に応えられなかった時に、名前を呼ばれ『会社に電話してやる』などと脅された経験が何度もあります。多くの乗務員が同じ経験をしていると思います」と話す。暴言と比べると件数は少ないが、運転者証の顔写真を撮られてSNSで拡散される被害報告もある。
乗客からカスハラ行為を受けたとしても、乗務員が我慢して会社に報告しなかったり、会社側が「もめごとを起こしたくない」「客の特定が難しい」という理由から、乗務員をなだめて終わりといった「泣き寝入り」が多いという。
都内のタクシー乗務員の男性(55)は、運転者証に絡むカスハラ被害はないが、客から暴力を受けたことがある。乗車した時に道を確認したものの、『この野郎、この道じゃねえ、謝れ』などと言われ、後部座席から客に髪の毛をつかまれた状態で運転したという。「『お客さん、危ないからやめてください!』と何度も言って車を停車しました。一歩間違えば事故を起こすところでした」と振り返る。以来、運転するエリアを選ぶようになった。
氏名掲示義務は廃止されたが、まだ課題はある。深刻なのが女性ドライバーへのハラスメントだ。「女性ドライバーと分かっただけで行先を変えてラブホテル名を告げられたり、酔った客から抱きつかれたりといった被害があります」(本田書記次長)。 2023年3月末時点で、全国のタクシーの女性乗務員数は9673人で、全ドライバーに占める割合は4.2%と前年比で0.3ポイント増えている。女性乗務員が働きやすいように、運転席と後部座席の間の仕切り板の改良などを行う事業者もいる。
タクシーの新しい運転者証は、運転免許証更新のタイミングで切り替えることが多く、新しい運転者証は段階的に広がりそうだ。
働く人の氏名掲示をめぐっては、一部の自治体で職員の名札をフルネームから名字だけに変える動きがあるほか、イニシャルだけに変更した喫茶チェーンもある。インターネットで簡単に拡散されるリスクがある時代だからこそ、企業側は従業員がトラブルに巻き込まれないようにする工夫が必要だ。