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鈴木亮平主演『下剋上球児』の原案作品は、弱小校が甲子園をめざすノンフィクション 描くのは”高校生”の無限の可能性

2023年08月10日 07:01  リアルサウンド

リアルサウンド

菊地高弘 『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)
“荒れた高校”、”雑草だらけのグラウンド”……初戦負け”常連校”が甲子園をめざす物語

  夏の甲子園がやってきた。


  ようやく、声を出しての応援も可能になった。酷暑という大きな問題に向き合いながらも、グラウンドで躍動し、応援席で声をからす高校生らの精一杯の夏が現在進行形で動いていく。


  そんな折、秋以降が少し楽しみになるニュースがやってきた。TBS系の日曜劇場で『下剋上球児』という高校野球ドラマが鈴木亮平氏に主演で放映されるそうだ。


  NHK大河ドラマの西郷隆盛役などで知られる鈴木氏だが、私としては映画『俺物語!!』で豪傑としか形容しようがない高校生を演じた姿が強く印象に残っている。周囲に頼られる好漢というのがピッタリなので、野球部の若き監督という役柄はドンピシャに思う。


  ドラマの方はその野球部監督が、生徒である選手らと多くの問題を乗り越えて甲子園をめざす、という流れになるようだが、実はこのドラマには原案というか、インスピレーションのもととなる作品がある。それが『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(菊地高弘著/カンゼン)というノンフィクション。


 実際に夏の地方大会で初戦負けを繰り返していた三重県の白山高校が、新任監督就任とともに年々強くなり、ついには甲子園出場を果たす物語となっている。著者は野球関連誌で長く「菊地選手」として編集、ライターをしてきた人物で野球界では知られた存在だ。地方の中学、高校野球を知り抜いた人なので、「野球部あるある」を随所にちりばめながら、田舎のヤンキーばかりの公立校が、困難を乗り越え、変わっていくさまが描かれている。


  だけど、人間ってそんなに変われるものだろうか?


  そんな疑問を感じる人もいるかもしれない。


「野球をやめる」と一度は言いだす

 たとえば、地方の公立校には入学時から起こりがちな問題がある。


  本書の舞台である三重県の隣には大都市圏の愛知県があって、ここには私立の野球校がひしめきあっているが、どこも狭き門だ。中学野球でがんばっても、届かないことが多く、公立や三重のような隣県へと志望をずらし、それが不本意の理由になる。


  その三重県のような、大都市圏を擁さない地方は伝統的に公立が強い傾向がある。伝統ある公立校が地域の英俊を集わせ、学業もスポーツもがんばるイメージ。野球をがんばろうとする子も、そういうところをめざすのだが、学業などが壁になって果たせない。こうして、それ以外の学校には二次募集などを経て、不本意な気分でやってくる生徒が多くなる。


  不本意なので一生懸命になれず、だんだん嫌になって「野球をやめる」と言いだす。実際、たいていの高校球児は「やめたい」と一度は言いだすものだが、その頻度も多くなる。


  でも、都会っぽい悩める物語みたいに、ふさぎ込んだり、急にオシャレになったり、勉強はじめたりしない。だいたい、ヤンキーみたいになる。田舎で有り余るエネルギーを野球に費やしていたのに嫌になったのだ。何したらいいかわからんから、そうなる。


 筆者は地方から何度も甲子園出場を果たした名監督を取材したときを思い出す。



 「田舎の子にはね、都会的な高校生になれ、と口酸っぱく言うんですよ」



  その監督は選手たちにシュッとしろと言いたかったわけではない。都会的なインテリジェンス(都会の人が持っているという意味ではない)を求めていたのだと思う。その知性が自分で判断し、行動できる人間性を生む。野球はそれが強さになるスポーツだ。


  野球をやめたい子に言うならば、やめたきゃやめればいいが、次にチンタラとヤンキーやるんじゃ田舎くさいぞ。自分で率先して動き、何か別のものめざすくらいになれ、という感じだろうか。


  高校生とは思春期で、未熟で、どうしていいかわからないことばかりの時期。だから、どんな子もみんな悩む。次から次へと出てくる、そんな問題と向き合うのが高校野球の世界といえる。これは私立の強豪野球校でも同じだ。プロで成功した選手さえ、「やめたい」問題を起こした例が多い。グラウンド上では立派に見えても、実際は10代後半の悩める存在でしかないのが、球児らの素顔だ。


  本書でも、同じような問題がたくさん出てくる。そして、野球の本だから、問題の多くは野球が解決する。それでも前を向き直し、野球に向き合う選手が出てくる。そんな選手は驚くほどに伸びる。


埋める端から伸びる「伸びしろ」

  高校野球の指導者たちに、ある質問を繰り返したことがある。


 「どうして、去年と今年で、選手はあんなに変われるんですか?」


  そんなことを口にする。大人になると、人はなかなか変われないように思う。ダイエットや生活改善さえ、普通に大変なのが大人の世界だ。


  すると、ほとんど同じ言葉が返ってくる。


 「高校生なんかね、3カ月もすれば別人だよ」


  そう笑われる。


  こちらが若さの可能性を忘れてしまっていることに気づく。


  ボールが打てない、思ったところに投げられない、英語の構文も、数学の公式もサッパリ理解できない。どうにもならなくなって、止まってしまう。そんな停滞期は高校時代に多くの人が経験したものだろう。


  でも、そんなとき、誰かの言葉や自分の気づきなど、何かがきっかけになって、昨日と違うことをしてみることがある。


  どうせ上手にできないから座学する。腕をケガしたから下半身を鍛える。構文も公式もわからないから、ただ単語を記憶し、計算を繰り返す。


  そんな時間を数週間過ごした後に、もう一度、停滞の理由に向き合う。そんなイメージだろう。


  でも、それがすべてを変えるときがある。


  ピッチングなら、手先のコントロールに四苦八苦して自分が不器用に思っていたけど、座学での理解や下半身強化で、足をステップしてもグラグラしなくなる。腕を振ってみると、ボールがビッと切れた。糸を引くようにストライクゾーンに強く速いボールが行く。


  バッティングなら、手先でアジャストしようとしてできなかったのに、同じような理由で、振り遅れてもミートできる。勉強なら、構文や公式がわからなくたって、ほかのことが全部わかるのでなんとかなる。


 「こんなことだったんだ!」


  こうして、小さな成功を感じ、一生懸命のやり方に気づいた人は強い。次の問題にぶち当たるまで前を向いて駆ける。3カ月もあれば、別人になっている。急に球速が10㎞/hも伸びたり、レギュラークラスに台頭したり、平気でやってのける。とんでもない勢いで、伸びしろを埋めていく。若いから、伸びしろなんて埋める端から、また伸びる。


  そんな、成長力という言葉をめいっぱい具現化する光が高校生には降り注いでいるもの。


  だから、高校野球に心が動いてしまう。勝利という形に届かなくたって、伸びまくっている人の姿は、ただただ、まぶしい。


春から夏でも変われるのが高校生

  そういえば、鈴木亮平氏は甲子園のある西宮市出身らしく、高校時代に甲子園の売り子のアルバイトも経験しているそうだ。


  実は、筆者も西宮市は近かったので、小遣い稼ぎにチャリンコで甲子園へ走ったものだ。当時はひとつ売れて20~30円になる歩合制だったが、日払いで給料をもらえるので高校生には便利なバイトだった。


  ただ、何を売る担当になるかは運だった。春に冷たいアイスクリーム担当になったときは大損だった。春の甲子園はやたら寒い。アイスなんて、誰も食うわけない。だけど、夏に冷たいビールやジュースの担当になるとよく売れ、夏休みの糧になった。


  春夏甲子園の間は4カ月だけ。それでも、冷たい商品の価値だけでなく何もかも違った。負けたら野球が終わる儚さも、売り子の高校生が聞く打球音も、湧き上がる入道雲の下での、その感じ方も。


  春から夏で大きく変われる。急に球速が10㎞/hも伸びたり、レギュラークラスに台頭したり、平気でやってのける。それが高校生だ。


  だから、どんどん熱くなって変わっていけばいい。その過程こそがあなたの糧になる。だけど、今は暑いから本当に気をつけて。あなたはその糧と一緒にずっと生きていくのだから。