Text by CINRA編集部
8月11日公開の映画『アウシュヴィッツの生還者』の本編映像と著名人コメントが到着した。
同作は、ナチスの強制収容所を生き延び、アメリカでボクサーとしても活躍したハリー・ハフトの息子が父の半生について書き上げた実話の映画化作品。監督は『レインマン』のバリー・レヴィンソン、主人公ハリー役は『インフェルノ』や『最後の追跡』に出演したベン・フォスターが務める。
本編映像は、ハリーがナチス将校の命令で同胞のユダヤ人とボクシングで戦わされ、勝利すると、敗れた相手が将校によって撃ち殺されるシーン。
バリー監督は、「これはホロコーストやボクシングの話である以上に、自分を徐々に蝕んでゆく診断のつかない病から自分自身を解き放とうと懸命にもがく人の物語だ」とコメント。続けて、「この映画には、特徴的な時代が3種類ある。それらの時代を行ったり来たりしながら物語を伝えることで、ハリーのフラッシュバックを観客と一緒に体験できるようにしているんだ」と説明している。
【細谷佳正のコメント】
歴史の中には、公には語られない実話が沢山存在していますが、それを映画として人々に届けるという行為自体が、一つの問題提起だと思います。
視点も思想も真実も、人の数だけ存在しますが、この物語は、私に平和を考える時間を与えてくれました。
【澤田賢澄のコメント】
まるで別人が演じていると思ってしまうほどの役作り。
『ひとつの作品』で、ここまでの減量と増量をおこなった主演のベン・フォスターさんに脱帽です。
減量といっても、ただボクサーの体型まで痩せるだけでなく『やつれる』まで減量している事に本当に驚きました。
私は『増量の辛さ』の経験はありますが、『やつれるまでの減量の辛さ』は計り知れません。
彼のその努力があったからこそ、129分という上映時間があっという間に過ぎてしまうほど、のめり込んで観てしまったのだと思います。
【武正晴のコメント】
僕はバリー・レビンソン監督の映画が大好きです。
49勝無敗のロッキー・マルシアノに挑んだ、ハリー・ハフトを映画の主人公に選ぶところが流石レビンソン監督だ。
ユダヤの野獣、同胞殺しと罵しられたボクサーの壮絶な生き様を眼を背けず観てほしい。
殴りたくもない相手を殴らなくてはいけないボクシングという非常なスポーツはアウシュビッツのリングの上ではもはやスポーツとは呼べない。
老将バリー・レビンソン監督渾身の一作に胸が熱くなった。
【大島育宙のコメント】
戦争映画とスポーツ映画の融合なんて生やさしいものじゃない。
ユダヤ人収容者同士のデスマッチボクシングという絶望的に邪悪な見世物の追体験を通じて我々の加害性を自覚させる鋭利な映画だ。
生還した彼につきまとう苦悩も、ナチス将校や家族との鬼気迫る議論でときほぐす。
暴力と言葉。映画に必要なのはこれだけだ。
【金原瑞人のコメント】
収容所という暴力的で非人間的な世界を、暴力的に非人間的に生きていくしかなかった男が、戦後も、愛のためにその生き方を引きずっていく。そんな物語を冷徹に、しかし愛をこめて撮った作品。
【鴻上尚史のコメント】
衝撃。ただ、ただ衝撃。これが実話の映画化ということに深く衝撃を受けます。
『グッドモーニング、ベトナム』のバリー・レヴィンソン監督は、再び「戦争に翻弄される人間達」の傑作映画を撮りました。
ラストシーン、僕は泣きました。
【ピーター・バラカンのコメント】
戦争で一人が生き残るために別の誰かが犠牲を払っていることが多く、それにまつわる罪悪感は一生拭えない。
そのトラウマをベン・フォスターのリアルな演技が痛烈に伝えています。
【舛添要一のコメント】
ナチスは、反ユダヤ主義に凝り固まって、600万人のユダヤ人を虐殺した。
強制収容所で多くの命が失われる中で、生き残った人たち。そこには想像を絶する苦難の物語がある。
それを二度と繰り返さないために、皆に本作品を観てほしい。
【安田菜津紀のコメント】
極限状態を生き抜く道のりは、「きれいごと」や「美しい物語」ばかりでは語れない。
今を生きる私たちの誰が、ハリー・ハフトに後ろ指を指し、断罪できるだろう。
ただ、同じ歴史を繰り返さないための未来を考えることは、私たちにもできる。この映画から、きっと。
【柳原伸洋のコメント】
暴力が暴力を生む世界では、かならず誰かが犠牲者となり、誰かが加害者となる。
本作のように、犠牲者が「加害」の苦しみを背負うこともしばしばだ。
この暴力は染みわたり拡散していく。暴力の負のスパイラルを止める知恵が、2023年の今、まさに試されているのだ。