2023年07月30日 10:10 弁護士ドットコム
「抱きたい」とSNSで書き込み、無理やり画廊に侵入——。
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銀座の画廊で働く女性は、危険なギャラリーストーカーを目撃してきたという。
ギャラリーストーカーとは、画廊や展覧会で若い作家や美大生に、執拗につきまとう人たちのことだ。彼らは画廊に居座り、無料のキャバクラのような接客を作家たちに求める。
中には一線を越え、「結婚してほしい」「愛人になれ」と迫ったりもする。しつこいストーキングやハラスメントにより作家は追い詰められ、創作活動が止まったり、身に危険が迫ったりするケースもある。
しかし、彼らは画廊の客であり、コレクターであることから、若い作家はもちろん、画廊ですら強く拒否することが難しい。
美術業界でも、ギャラリーストーカーの被害は深刻なものと受け止められなかった。取材を進めると、その背景には美術業界の特殊な伝統や構造があることが浮かび上がってきた。
弁護士ドットコムニュースでは、1年以上かけて美術業界における被害を取材。その集大成として今年1月、書籍『ギャラリーストーカー 美術業界を蝕む女性差別と性被害』(猪谷千香著/中央公論新社)を発刊した。
ギャラリーストーカーや美術業界で起きているハラスメントの実態について、本書の一部を抜粋して4回にわたってお届けする。(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)
最初は普通の客だったはずが、いつの間にかギャラリーストーカーになってしまう。それは、どのような客なのだろうか。
銀座のギャラリーで働く20代女性、中井若菜さん(仮名)に尋ねてみた。ギャラリストという職業柄、数々のギャラリーストーカーを目撃してきた。中井さんによると、ストーカーになる客には、特徴があるのだという。
中井さんはコレクターにも階層があり、ピラミッドのようになっていると考えている。一番上の層が、たとえばアマゾン創業者のジェフ・ベゾス氏のような世界的な富豪。それから次に大企業やベンチャー企業の社長や役員。それから一番下の層が一般企業のサラリーマンなど、普通の人たちだ。
このいわゆる「普通の人」たちがギャラリーストーカーになってしまうケースを中井さんは多く見てきた。彼らは若手作家の比較的安い作品を購入し、部屋の壁に飾ってSNSに写真をアップする。そうすると、作家やギャラリー、同じような美術ファンたちから「いいね!」を押されて、ちやほやしてもらえる。自分の居場所をそうしたところに見出し、ギャラリーに通う。その中で、若手作家と親しくなり、つきまといをするようになる人もいるのだという。
銀座にある中井さんの勤めるギャラリーは高級感のある店構えで、一般の客には入りづらそうに見える。それでも、例に漏れずギャラリーストーカーが出現する。
「女性作家をつかまえて長時間話す男性客はいます。また、高齢の男性でしたが、自分の作品と称して松ぼっくりにシールを貼った謎のものを、女性作家にしつこく手渡そうとしてきたことがありました。その方にはお声がけして、帰っていただきました」
ほかにも、中年の女性が、若手男性作家に「食べてね」といって、手作りの料理が入ったお弁当箱のようなタッパーを差し出してきたこともあった。中には、タケノコやれんこん、ニンジンなどの煮物が入っていた。
男性作家と女性は顔見知りではなく、違和感を感じた中井さんはタッパーを預かって、廃棄した。何が混入しているか、わからないからだ。
実際、作家の身に危険が及びそうになったこともある。
ある時、美人で知られる30代の女性作家が展覧会を開くことになった。普段は高嶺の花で手が届かない存在だが、ギャラリーに行けば在廊中の女性作家と確実に会える。女性作家のファンを自称する男性は、展覧会前からSNSで女性作家に対して「会いに行く」と予告したり、「セックスしたい」「抱きたい」といったセクハラ発言を繰り返していた。
女性作家のSNSだけでなく、ギャラリーにも女性作家がいつ在廊するのか確認するメッセージが届いた。危険であると判断したギャラリーでは男性を出入り禁止にしたが、男性が無理やりギャラリーに入ってこようとしたので、入口に侵入禁止のポールを置くなどして対応した。
それでも男性は入口で待ち伏せしていて、ギャラリーから出てきた女性作家と鉢合わせしそうになった。女性作家はとっさに柱の陰に隠れ、そのまま逃げて無事だった。女性作家にとっては、SNSという公開の場で、自分に性的な言葉を投げかけてくる見ず知らずの男性が待ち伏せしていたら、恐怖しか感じないだろう。
それ以後、中井さんはトイレや帰り道も、周囲の安全を確認しながら作家に付き添うようにしている。
「出待ちされたケースは初めてでしたが、それからは作家さんとお客さんを一対一にしないようにしています。危ないと思ったら間に割って入ったりします。作家さんの安全も大事ですが、『あのギャラリーにはギャラリーストーカーが出る』と、SNSで悪評が広まることが怖いです。ギャラリーからストーカーを生み出さないように気をつけています」
高校生の時から作家活動を始めたという30代の女性作家、佐藤悠梨さん(仮名)。美大卒業後は、関東を拠点に活躍、さまざまな美術展でも入賞するなど注目を集めている一人だ。
「私は業界でよく言われる『ギャラリーストーカー』からはターゲットにされにくいタイプの人間だと思います」という佐藤さん。確かに、大きめのピアスをしていたり、強気な印象を与えるファッションやメイクをしている。
「彼らが狙うのは、多くが学生や卒業したての若い女性で、いわゆる優しそうな、抵抗しないような人間です」と話す。
都内のあるギャラリーには、作家の間でギャラリーストーカーとして有名な男性客がいた。年齢は60代くらいで、いつもトートバッグに展覧会のチラシを詰めてギャラリーに通っていたという。佐藤さんの作家仲間という20代の女性につきまとい、ギャラリー側や作家たちからは要注意人物としてブラックリストに載っていた。
そのギャラリーで佐藤さんがグループ展に参加していた時、くだんの男性客が訪れた。作品を一通り見てから、男性は佐藤さんに向かって、「あなたが作家さん?」と聞いてきた。あらかじめ要注意人物であることを知らされていたため、佐藤さんが用心しながら「そうです」と答えると、頭のてっぺんからつま先まで、ジロジロと値踏みするように見られた後、「じゃあ」とだけ言って去っていった。男性は直後、隣のスペースに移り、そこで展示していた美大を卒業したての若い女性たちのグループに熱心に話しかけ始めた。
「あっちにターゲットを移したんだなと思いました。とてもわかりやすいなと……」
そんな佐藤さんもギャラリーストーカーに狙われた経験がある。佐藤さんが20代のころ、初めて個展を開いた時のことだ。50代くらいの男性客が訪れ、作品について佐藤さんに聞いてきた。
「最初は丁寧に作品をみてくれたのかと思い、嬉しくて説明をしようと思いましたが、途中からその男性の個人的な話、思想や生活の話になり、止まらなくなってしまいました。 明らかに私の作品には関係のない話なのですが、まだ若かったため男性を拒否することが難しく、困っていました」
そばにいた別の若い男性がその様子をみかねて、「作品のことを聞いていいですか?」と佐藤さんに話しかけてくれた。それでも、男性客はしつこく佐藤さんにつきまとい、話し続けようとした。結局、佐藤さんが別の男性の方ばかりに話しかけ続けたため、男性客は諦めて立ち去った。
「別の男性が、その男性客との間に入って、私を離そうとしてくれたことは、とても嬉しかったです。この経験から、私もギャラリーなどで話しかけられて困っているような女性作家さんをみると、タイミングを見て話しかけ、割り込んだりすることにしています。ギャラリーストーカーに共通しているのは、作家を作家としてではなく、自分の話を聞いてくれるモノとして扱うことです。それは、無料で接待を強要するのとなんら変わらないものです」
しかし、佐藤さんによると、多くの若い作家はこうしたギャラリーストーカーを拒否することが難しいという。
「そういう人物は、自分が絵を買ったことがあることをアピールして、その作家の絵も買うようなそぶりをみせたり、自分が作家にとって利益のある人間であるというように振る舞ったりもします。多分、悪意はないのだろうと思います。ただ、自分の行動を客観視できてないのではないかなと。あなたと私の関係性は対等ではないということを知って、自分の行動を自覚してほしいです」
美術業界の作家と客の関係は、若い作家ほど立場が弱い。それを自覚しているのか、無自覚のままなのか、いずれにしても作家の弱みにつけ込んでくるのが、ギャラリーストーカーなのだ。なぜ彼らは、ギャラリーに出没するのか。佐藤さんの言葉から、そのアウトラインが浮かんでくる。
「美術がお好きではあるのでしょうけれど、孤独感もあるのかもしれません。ギャラリーに行けば、若い女の子が自分の話を聞いてくれる。でも、それはすごく贅沢なことなんですよね。
普通は、友情や家族間の愛情などを築いた関係性の上で、話を聞いてもらいます。あるいは、キャバクラとかでお金を払って対価として聞いてもらう。でも、そういう人はきっと身近な人と関係性を結べず、お金も出したくない。そこで、ギャラリーの作家がターゲットにされてしまっているのかなと思います」
(『ギャラリーストーカー 美術業界を蝕む女性差別と性被害』より抜粋)