Text by CINRA編集部
映画『ソウルに帰る』の公開を記念するトークイベントが開催決定。また著名人からの推薦コメントも到着した。
8月11日からBunkamura ル・シネマ 渋谷宮下ほか全国で順次公開される同作は、韓国で生まれ、フランスで養子として育てられた25歳のフレディが初めて母国に戻り、友人の力を借りて実の両親を探し始めるというあらすじ。昨年『カンヌ国際映画祭』ある視点部門に出品され、今年の『ボストン映画批評家協会賞』で作品賞を受賞した。
トークイベントは8月10日に特別先行上映とあわせて開催。監督・脚本のダヴィ・シュー、主演を務めたパク・ジミンが出演する。さらに8月11日の午後の回に上映後舞台挨拶、同日の夜の回に上映前舞台挨拶を行なう。会場はいずれもBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下。
同作に推薦コメントを寄せたのは、映画『ハイ・ライフ』などのクレール・ドゥニ監督、映画『フェアウェル』のルル・ワン監督、児玉美月、宮代大嗣、西森路代、竹田ダニエル、年森瑛、清原惟、小川あん、原正人。
【クレール・ドゥニのコメント】
パク・ジミンはカメラに抵抗していた。映画や人物や事件に身を捧げず、絶えず抜け出そうとする俳優を見た。
【ルル・ワンのコメント】
この映画のことが頭から離れない。時代を超えた作品。パク・ジミンの素晴らしさには度肝を抜かれた。
【児玉美月のコメント】
『ソウルに帰る』は今までどこにもなかったような、見たことのなかったような映画だったと深く爪痕を残してくる。それは映画の語りのみならず、フレディの人物造形がどこまでもユニークだったからだろう。「帰る場所」と思える場所がどこであったとしても、その場での、誰かとの一瞬の触れ合いの残響で人生は続く。
【宮代大嗣のコメント】
夜の街を突き進んでいく感覚がある。思いつきの旅をヒロインと共に歩んでいく特別な感覚がある。すべてを知りたいけど、なにも知りたくない。変わりたいけど、変わりたくない。優しくしたいのに、冷たくしてしまう。自分の中にある小さな、しかし譲れないプライドが矛盾を生む。陽気さの中に怒りを。傲慢さの中に抵抗を。ヒロインの矛盾する「旅」に感情の歩調が重なるとき、この映画は特別なものとなる。新たな時代の傑作!
【西森路代のコメント】
主人公のフレディが初見で楽譜を見て演奏することのスリリングさについて語る場面がある。そのことが、人を求めてはみては突き放してみたりを繰り返す彼女と重なって、頭から離れない。
【竹田ダニエルのコメント】
韓国とフランス、どっちが「本当の自分」なのか。「本当の愛」は、どこにあるのか。「強さ」を鎧のように纏い、韓国の歴史、欧米での養子システムを辿る。自分のルーツを知るまでは本心を見抜かれないよう、誰にも自分の人生を決めさせない。音楽の意味の持たされ方、カラーリングの変化、全てが人生という旅を彩る。
【年森瑛のコメント】
異邦人であるフレディと現地の人々の会話から土地の風土を描きつつ、その地に骨を埋めるであろう人が言外に”匂わさない”ことで、空気の生ぬるさを感じさせる。
【清原惟のコメント】
ファートスシーンから惹き込まれ、フレディの旅についていこうと決めた。「わたし」はどこからやってきたのか。生まれた国を異邦人として旅する彼女の、力強さとチャーミングさ、そしてその弱さに、気がつくとわたしの目はずっと釘づけにされていた。
【小川あんのコメント】
「あんたなんか一瞬で消える 私の人生から一瞬で消せる」鋭利なまなざしとこの強烈な一言が、全てのルーツを脅かし、その言葉の意味すらも覆い被せる。フレディとユニ。2つの名を持つ彼女は、「雑踏」「地位」「自然」「静寂」を巡りながら自身を開拓し、いつの日か居心地の良い場所に根を張るのだ。
【原正人のコメント】
韓国を去り、母語の韓国語を手放して、外国語であるフランス語で書くことを選んだ『砂漠が街に入りこんだ日』の小説家グカ・ハンが、俳優として演技する姿を目にする日が来ようとは。韓国で生まれたにもかかわらず、国際養子に出されフランスで生まれ育ったために、韓国語を一切解さない主人公を手助けする通訳として、彼女はその心もとなげな、今にも消え入りそうな声で、独特の存在感を発揮している。通訳や翻訳が本質的に優しさや思いやりに基づいていること、だからこそ時に小さな嘘も辞さない、不誠実な行為になりえることをほのめかす前半部分は、通訳・翻訳論としても秀逸。言葉や文化、さらにはそれらに縛られざるをえない人間について鋭い洞察が散見されるだけに、後半、物語が思ってもみなかった方向に転がり出してあっけにとられた。見ているものの安易な予想を軽々と飛び越えていく快作。
『ソウルに帰る』©AURORA FILMS/VANDERTASTIC/FRAKAS PRODUCTIONS/2022