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英クリエイター、エイリーズ・モロスがクィアな若者たちのロールモデルであろうとする理由

2023年07月25日 18:10  CINRA.NET

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Text by 後藤美波
Text by ヨシノハナ

DisclosureやONE DIRECTION、サム・スミス、H.E.R.といった数々のミュージシャンから、ナイキ、ユニクロ、ニューバランスといった企業まで、いまコラボレーションしたいクリエイターとして多方面から引っ張りだこのエイリーズ・モロス。来日インタビュー後編は、イラストレーター / デザイナー / アートディレクターとしての仕事だけでなく、スタジオ経営者、そして起業家としての顔に迫る。

モロスは、フリーランスを経て、2012年に自身のスタジオ「STUDIO MOROSS」をサウスロンドンに設立した。現在は、自身の職場でインクルーシブな環境づくりを実践するだけでなく、職場のインクルーシビティについての講演活動や情報発信も積極的に行なっているほか、デザイン業界で働くノンバイナリー / トランスジェンダーの当事者としての経験を伝えている。

モロスにとって「自分のキャリアがうまくいくことだけでなく、ほかの人に良い影響を与える社会起業家であることも大事」なのだという。「インクルーシブな職場」の在り方についての考えや、自身のカミングアウト後の経験、次世代の若者たちへの想いを語ってくれた。

前編はこちら:世界的ポップスターが求めるエイリーズ・モロスとは何者か? ロンドン在住デザイナーの仕事哲学

エイリーズ・モロス

エイリーズ・モロスは、ロンドン在住のイラストレーター、アートディレクター、デザイナー。2008年より、カラフルでエネルギッシュな作品の数々が注目を集め、最もコラボレーションしたい作家として多くの人達から引っ張りだことなった。以降、ミュージックビデオ、テキスタイル、アイデンティティ、ミューラル、ファッション、雑誌のカバーなど幅広いジャンルで活躍。また、イギリスのポップミュージシャンであるONE DIRECTIONのツアービジュアルや数々のミュージシャンのビジュアルやアイデンティティーなどを手がけるSTUDIO MOROSSも立ち上げた。コマーシャルワークを行なっていない時は、インスピレーションをテーマに世界各国でトークショーなども行っている。

─ここからはエイリーズさんのスタジオ経営者としてのお仕事についても伺えればと思います。人を雇ってスタジオを経営していくことは、クリエイターのお仕事とはまた別ものですよね。

モロス:本当にまったく違う仕事だと思います。私が運が良かったのは、スタジオの経営が安定するまで、イラストで稼いだお金をスタジオの資金に使えたことでした。ローンなどに頼らず、自分の稼ぎで賄えたのはよかったです。

スタジオを経営するには、良いビジネスマンでいる必要もあります。何にどれくらいのお金がかかって、人にどれくらいのお金を請求すべきで、どうやって交渉するか。本当にたくさんのことを学ばなくてはいけなかったですし、いまも学んでいるところです。でも最初の1年は2人だけの会社でしたが、いまはより規模が大きくなって、この10年でスタッフは13人になりました。

STUDIO MOROSSのウェブサイトより

─多様なセクシュアリティや国籍、年齢の人たちが働いていると思いますが、スタッフみんなが心地よく働けるように心がけていることはありますか? 職場がセーフスペースであるためのルールなどもあるのでしょうか。

モロス:よりインクルーシブな経営者であるために、毎年いろんなことを導入しています。スタッフのここでの経験がより良いものになるようにたくさんのポリシーをつくっていますし、チームのなかで問題があったときに相談先となる外部のサポート機関も導入しています。スタッフの多くはイギリス国外出身なので、何人かにはビザのスポンサーにもなっています。

STUDIO MOROSSの機会均等・多様性・包括性に関するポリシーはサイト上で公開されている(詳しく見る)

モロス:スタッフは一人ひとり学び方も違えば、仕事へのアプローチも、求めるフィードバックやコミュニケーションの仕方も人それぞれです。もちろん多様なバックグラウンドの人がいる方が良いと思っているのですが、大変な環境であることも事実です。

でも一度、一人ひとり求めていることが違うと気づければ、その人の思いを想像することもできますし、その人もまた別の人たちと同じように関係を築いていける。そうやってサポートの網ができていくものだと思っています。

─そのようなご自身の職場での実践だけでなく、インクルーシブな職場環境づくりについて外に発信する活動も積極的に行なっていますね。

モロス: 私にとっては、自分のキャリアがうまくいくことだけでなく、ほかの人に良い影響を与える社会起業家(social entrepreneur)であることも大事なんです。私たちは資本主義の外で活動することが難しいですよね。お金を稼がなきゃいけないし、コマーシャルワークもやらなきゃいけない。理想主義社会に生きているわけじゃない。

でも同時に人の生活を良くしたり、働いているときにほかの人を傷つけないようにすることはできると思うんです。新しくこの世界に入ってこようとしている人たちのために業界を変えることや、さまざまなマイノリティの人々が活躍できるような、より良い場所にしていくことは私にとってとても大きな意味を持っています。

─そもそもエイリーズさんにとって、「インクルーシブな職場」「職場がインクルーシブである」というのは、どういう状態だと思いますか?

モロス:すべての言葉は大きなコンセプトを入れる器のようなものだと思っています。私にとって重要なのは、できるだけたくさんの多様な人たちが業界に入ってこられるような道筋や場所をつくること。それから、すべての職場は「何かしらの害がある(harmful)」と理解するということ。これは強い言葉かもしれないけど、本当にそうだと思っていて。

職場はかならずしも人が成長したり、活躍できたりする場所とは限らない。だから私にとっての「インクルーシビティ」は、そういう場所を可能な限り「無害(unharmful)」にして、可能な限り多様な人々に対応できる場にすることですね。

つまり、どんな人種、年齢、バックグラウンド、障がい、ジェンダー、セクシュアリティ、階級の人でもいることができて、ほかの人と同じようにいろんなものを手にしたり、持ち分が得られる場所ということです。そういう環境にするには、さまざまなコミュニケーション方法や、物理的な空間、言語などに対応できなければいけないので、その場所のあり方やすべての要素が固定されずいつでも変えられる状態であることが必要です。エンパシーや思いやり、柔軟な考え方を持ち、どんな人にも思い込みなく接することも大切ですね。

─日本でも「ダイバーシティ」「インクルージョン」を掲げる企業が増えていますが、どこか言葉だけが広まって、実態が伴っていないこともしばしばあるように感じます。

モロス:「ダイバーシティ」や「インクルージョン」っていうとどこかビジネス用語みたいな感じがしますよね。デザインの仕事においてもたった一つのやり方というのはなくて、いろんな人がいて、いろんな仕事の仕方があります。そこでの違いって、「ジェンダー」とか「セクシュアリティ」とか「アビリティ」といった、企業がチームの多様性を定義しようときに用いるキーワードのような言葉みたいにシンプルではなくて、だいぶ複雑なもの。すごく些細なことが大きな摩擦を生んだりするんです。

私たちはみな一人ひとり、社会でする経験や受ける影響が違っていて、その違いがいろんなものにアクセスする際にどう関わってくるのかということを認識することが大切だと思います。すべてのことをインターセクショナルな視点で見つめないといけません。

モロス:でも業界のインクルーシビティという意味では、本当はもっと若い世代への教育レベルでも取り組まなくてはいけないことなんですよね。いまのデザイン業界のマジョリティは白人男性や裕福なバックグラウンドを持つ人なので、業界にアクセスがない若者にキャリアパスをつくることも重要です。

私自身はとても恵まれた環境で育ったと思っています。教育を受けることができて、学習障害もなく、家族からのサポートもあった。その意味で大きな障壁にぶつかったことはないんです。自分はそういった特権や機会に恵まれたからこそ、この業界へのアクセスが限られてしまっている人たちに対してもっと扉が開かれるようにしていきたいし、いろんな慣習を変えたり大切な情報や知識を広めたりしていきたいです。

─具体的にいまはどんなことを行なっていますか?

モロス:たとえば自分の会社で有償のインターンを受け入れることや、ほかの会社にもインターンは有償であるべきだと伝えたこともそのひとつです。私が学生の頃はインターンといえば基本無償で、無償で働く余裕のある裕福な子たちや実家暮らしの子たちだけができるものでした。だから同じようなバックグラウンドを持つ人たちしか業界に入っていけなかった。

─イギリスでは労働者階級からクリエイティブ産業の仕事に就く人の割合が減っている、という記事を最近読みました。それは労働者階級自体の割合が以前よりは縮小していることとも関係しているそうですが、エイリーズさんがやられているような活動の重要性をあらためて感じます。

モロス:そうなんですよね。大学に入るのにもかつてないほどお金がかかるようになっています。加えて、クリエイティブ業界は給料が安いという誤解もあるんですよね。だからもし恵まれたバックグラウンドがあり、成功への志がある若者がいても、安定した十分な給料をより早く、確実に得られる道を求めて、別の業界に行くことを選びがちです。

だから私はよく大学生への講演などで、「ここは働くのに良い業界だよ」ということを伝えているんです。実際にアニメーターやイラストレーター、デザイナー、編集者になったら1日にこれだけの十分な額が稼げる、と実際の例を話すと学生たちはいつもとても驚きます。もっと低い給与水準だと思っているからです。学生たちはそういう情報を知りようがないんですよね。だからそういった業界の情報をシェアしていくことは、業界全体のためにもなるんじゃないかなと思っています。

─エイリーズさんは、ノンバイナリー / トランスジェンダーとしてのご自身の経験についても積極的に発信されています。それもご自身の持つプラットフォームを社会や業界の変化のために使いたいという思いからでしょうか。『It’s Nice That』に寄せられた記事(※)では、代名詞や名前を変えた際のプロセスや、そのときのご自身の想いが綴られていました。

モロス:そうですね。それとロールモデルを持つというのはとても大事なことだと思うんです。

たとえばゲイやトランスの若者は、自分は一生仕事に就けないかもしれない、パートナーをつくれないかもしれない、家族をつくれないかもしれない、成功できないかもしれないというふうに思ってしまうことが多いと思います。この社会は「人と違うとみんなと同じものを得られない」というメッセージを伝え続けていますから。だから同じような境遇の、年上の成功している先輩が自分のことを語り、経験をシェアすることは、そういう若い人たちの夢や志を支えることにつながると思うんです。

─エイリーズさんご自身にはロールモデルとなるような人はいましたか?

モロス:私自身、若い頃はロールモデルがいませんでした。自分の仕事のようなことをやっている人で、自分みたいな人はいなかった。男性ばかりでしたからね(笑)。

でも私はいまキャリアにおいても人生においても安全な場所にいるので、自分の弱い部分も見せることができる。それは怖くて大変なことでもありますが、誰かが私の活動や言葉を通してノンバイナリーやクィアについて理解してくれたら、その人たちがより配慮を持って他人と接することができるようになると思いますし、そういったアイデンティティの人たちのストレスを軽減することにもなります。そうやって一人ひとりが生きやすい世の中をつくるためなら、喜んでこのハードワークをやりたいと思っています。

─日本ではカミングアウトしているノンバイナリーやトランスジェンダーの著名人はまだ少なく、ノンバイナリーという言葉自体が知られるようになったのも最近だとだと思います。それはカミングアウトしづらい社会状況の反映という側面もあると思うのですが、ロールモデルの存在はとくに若い人にとっては重要ですね。

モロス:トランスパーソンであることは、とても美しいことです。でも社会や歴史はどこかおかしいとか、壊れているかのように言ってきます。ジェンダーの考え方は時代の変化とともに構築されていくものです。たとえば私がいましている格好は100年前だったら「男性が着るもの」でした。でもいまは誰でもこういう服装をしますよね。そうやってジェンダーを構成するものは変わってきている。

私たちを取り巻くいろんなものが「男性がすること」「女性がすること」という区別に基づいてつくられていますが、私はそうしたルールに飽き飽きしていました。サバイブして、自分を開花させるという私たちが本当にやるべきことに対して、表面的だし的外れです。

私も最初は自分の気持ちに自信を持つのがとても困難でした。生まれたその日からずっとバイナリーなルールがあって、それに対して「私はこれはいらない」って言うのはとてもラディカルなことですから。でも一度やってしまうとそのプレッシャーはなくなった。自分の名前を変えたことについてはそう感じました。

『It's Nice That』に寄稿したのは、名前を変えるということは私にとってとてもエモーショナルなことで、それを自分で覚えておくために書き記す方法が必要だったから。いまとなってはなんでもないんです。「そうだよ、これが私の名前」って感じで。でもそのときは本当に大きなことでした。

─『It's Nice That』では、すでに業界や一般に名前が知られている立場の人が名前を変えることの困難さについても綴られていましたが、そういった体験談が当事者の言葉で語られるのはとても貴重なことだと感じました。

モロス:公に知られている人が名前を変えるってあまりないことですよね。結婚して名前を変える人もいるけど、セレブでもだいだいそのままの名前で活動していると思います。だからこそ、名前を変えるってどういうことなのかを話したかったし、私がどんなふうに感じているのか伝えたかった。それも一度に。そうしたら何度も何度も話さなくてよくなりますから。すごく不安だったけど、おおむねうまくいったと思っています。

モロス:代名詞については、難しいと感じている人もいるように思います。とくに英語圏以外の人にとっては、ジェンダーニュートラルな代名詞や新しい代名詞を使うことに慣れない部分があるのかもしれません。でも、私がこうやって積極的に発言する理由ともつながりますが、今後その人がほかの人に対してthey / themを使うときがくるかもしれないから私で慣れてくれればいいと思っています。

やっぱりこの世の中で、自分が見られたいように見られることは本当に難しいですよね。私の美容師もトランスなのですが、「ほかの人にどう見られるかはコントロールできない。だから自分自身を見つめることにフォーカスして、他人の目をあまり気にしすぎないこと」と言ったりもしていました。

でも、正しい名前で呼ぶこと、正しい代名詞を使うことって、相手に対するとても美しい尊敬の証だと思います。仮に間違ったとしても、そうしようとしてくれることは私にとってはとても大きくてポジティブな経験です。私は私の名前を呼ばれるのが好きだし、友達が私の名前を正しく呼んでくれるのを聞くと嬉しくなります。

─もしいま職場などで名前や代名詞を変えることを考えている人がいた場合、なにかアドバイスはありますか? 

モロス:私のやり方をシェアすると、誰かが名前や代名詞を間違えたとき、訂正できそうだったらしますが、たとえば自分が安全だと感じない場所では無理にする必要はないし、自分の気持ちに従うのが良いと思います。そうする自信を得るのにも時間がかかりますし。とくにトランスの人で、自分が望むジェンダー表現をしていれば周囲を誘導していくことがやりやすい部分があるかもしれないですが、そうでない場合もありますよね。

そういう人が自分が見られたいように自分を表現する勇気が得られたらいいなと思いますし、同時に自分を愛して気にしてくれる人のもとで、安全を感じられるようになってほしい。そういう安全っていつでもあるわけじゃないから、自分らしくいられる場所を選ぶ必要があったりもします。それでもいつか、世界に向けてもっと自分を表現できるようになったら良いですね。

ノンバイナリーのアイデンティティは古くから存在するもので、べつに新しくもないし、トレンドでも一時的な流行でもないんです。でも残念ながら社会は「男はこういうもので、女はこういうもの」ってとても固定的になってしまった。「男とは、女とは」みたいなことに対して社会がもっとオープンで流動的であれば、ノンバイナリーアイデンティティがそんなに反抗的なもののように思われることもないはずです。

それに、言葉はつねに進化していくものです。TikTokなんかでは毎日のように新しい言葉が生まれているけど、なにも問題ないですよね(笑)。だからなんで新しい言葉を辞書に加えることに「懸念」があるのかがわからない。どっちにしたって言葉は変わっていくものなんだから。