Text by 植本一子
Text by 生駒奨
Text by 白鳥菜都
「職務として写真撮影や写真展示を行なう人=写真家」。金川晋吾は、間違いなく「写真家」だが、決してそれだけでは語れない「把握できなさ」がある。ときに日記のワークショップをファシリテートし、ときにメディアでコラムを書く。私生活ではいわゆる「1対1の関係」ではない3人暮らしをしていて、ときに性や愛についての自身の考えや思いを驚くほど率直に言葉にし、発信する。
4月25日、金川が初めて著した文芸書『いなくなっていない父』(晶文社)が出版された。そこに記されているのは、金川が実の父親や親族と向き合いながら過ごす生活の記録だ。
金川の身の回りで起こる「些細」で「衝撃的」な出来事が、淡々とした文体で綴られる本作。できるだけ奇をてらうことなく、率直に正直に自分のことが語られるその記述は、読み手に対して既成概念にとらわれない生き方を強く静かに提起する。「熱くないのに胸を打つ、甘くないのにとても優しい」、一読の価値をもつ作品だ。
デビュー写真集『father』(青幻舎)の被写体でもある父のことや写真のことを金川はなぜ、文章で語り直そうと考えたのか? そこに、「金川晋吾」というアーティストの本質をつかむヒントがあると考え、直接話を聞くことにした。
金川晋吾著『いなくなっていない父』書影。出版元である晶文社公式サイトには、「気鋭の写真家が綴る、親子という他人」「親子の姿をファインダーとテキストを通して描く、ドキュメンタリーノベル」という説明が掲載されている
ー初めて自分でカメラを買ったのは高校生のときだったそうですね。そのときから写真家を目指していたのでしょうか?
金川:いや、そうでもないですね。中学生くらいから、映画や音楽などいろいろな表現に関心があって。大学では映画部で映画をつくったりもしたんですが、結局1番手っ取り早くて自分に合っていたのが写真だったんだと思います。写真を撮って、写真屋さんにフィルムを持っていくとL判の写真になって返ってくる、その手軽さが合っていました。また、それをさらに拡大コピーするのも面白かったですね。
金川晋吾(かながわ しんご)
写真家。1981年京都府生まれ。神戸大学発達科学部人間発達科学科卒業。東京藝術大学大学院美術研究科博士後 期課程修了。2016年『father』(青幻舎)、2023年『集合、解散!犬たちの状態』(植本一子、滝口悠生との共著)刊行。近年の主な展覧会、2018年「長い間」横浜市民ギャラリーあざみ野、2022年「六本木クロッシング2022展:往来 オーライ!」森美術館など。三木淳賞、さがみはら写真新人奨励賞、受賞。
ー著書『いなくなっていない父』のなかでは、「写真というものはわからなくするもの」で、そこに魅力を感じていたとも書かれていましたね。これはどういうことなのでしょうか?
金川:写真って目の前にある「いまここ」だけを切り取って見せるメディアであり、逆に「いまここ」以外は見せないので、何が写っているかはっきり見えたとしても、なぜそれが撮られたのかとか、前後に何があったのかといった文脈から切り離されたものになってしまう。そういう意味で写真には「わからなさ」がついてまわるのかなと思っています。
ー『farther』ではお父さんを、4月に刊行した写真集『長い間』(ナナルイ)では伯母さんを撮られていますが、それ以前から人を撮ることが多かったのでしょうか?
金川:いえ、最初はいわゆる「ポートレート」は全然撮っていなくて、ずっとスナップを撮っていました。最初はいかに「妙な写真」「なんだかよくわからない写真」が撮れるかに関心があって、なんでもかんでも写真に撮っていました。
けれど、だんだん自分の癖みたいなものが見えてきて、自分がつくりだそうとする「よくわからなさ」もパターン化してきてしまい、行き詰まりを感じるようになったんです。
取材は金川の自宅で実施。友人でもある植本一子にカメラを向けられると、金川ははにかみながらも自然体に、その胸の内を語り始めた
金川:そんななかで、たまたま父が失踪して、戻ってきても仕事をせず、借金を抱えたまま過ごすという状況が目の前にあらわれました。そこで、「いままでまったくやってこなかった身近な人を撮るということやったらどうなるんだろう」と思って、父を撮ってみることにしたんです。
いざ撮り始めると、人って何回撮っても同じようには写らないんですよね。人はずっと同じではなくてじっとしていなくて、とらえ難いところがある。だから、撮影の対象として面白いというか……。
自分が面白く撮ろうとしなくても、人っていうもの自体が「妙」なので、できるだけそのまま撮るということをやったほうがいいなと考えるようになりました。
ー金川さんは『いなくなっていない父』以前から、文章も作品として発表されていますね。文章をよく書くようになったのはいつからですか。
金川:もともとは、日記をつけるのも、文章を書くことも苦手でした。意識的に書くようになったのは、『father』の写真を撮っていたころです。
金川の写真家としてのデビュー作『father』。金川の父は2008年と2009年に一度ずつ失踪し行方知れずに。その前後や最中に、金川と父はどんなふうに過ごし、交流し、生きたのか。写真と金川自身の日記で当時の様子が記録されている
金川:父と関わっているときに感じたことや起こった出来事を残しておきたくなって、日記をつけていました。それまでは自分が書いたものを面白いと思ったことはあまりなかったのですが、父について書いた日記は自分でも面白い文章だと思えました。
それから、日記という形式であれば自分も文章が書けるんじゃないかと思うようになり、何かを書くということがぐっと面白くなりました。
ー文章は、写真の「わからなさ」を説明できるとも言えるし、説明してしまうとも言えますよね。『father』の文章は「日記」の文体で主観的に書かれ、読み手の想像に委ねられていた部分があった。『いなくなっていない父』ではそれをあらためて、いまの金川さんの視点で丁寧に記述されている印象です。そういった面で、写真の面白さを損ねてしまう、などの不安はなかったのでしょうか?
金川:まずそもそも、最初は日記という形式であっても、写真を言葉と一緒に見せることに抵抗はありました。だから写真集を出版する前、展覧会で『father』の写真を展示するときには、短いキャプションだけを添えて見せるかたちにしていました。
当時の自分は、言葉で説明を加えないで写真そのものを体験してもらいたいと思っていたというか、「写真の純粋な経験」のようなものにこだわっていたんだと思います。だけど、だんだんとその純粋性ってなんだか怪しいというか、固執してもあまり面白くないんじゃないかと思うようになってきたというか。
ー「純粋性の怪しさ」とは、どういうことでしょう?
金川:言葉を遠ざければ、写真が言葉から自由でいられるかというと必ずしもそうではないということでしょうか。
写真というものは、それが「無言」であるからなのか、静止したイメージであるからなのか、理由はいろいろとあると思うのですが、何か意味深な雰囲気、謎めいた雰囲気というものをまといやすい、まとわせやすいものだと思います。つい何かそこに特別な意味を見いだしたり、神秘化したくなる。
金川:でも、僕にとっては写真を撮ることって何かもっとあっけないものなんですよね。あっけないにもかかわらず、何かイメージが出来上がってしまう、そしてそのイメージには何かいろんなものが写ってしまう、そこが面白いなと。
先日、東京都写真美術館で「土門拳の古寺巡礼」っていう展覧会があって、その会場の入口で土門拳(※1)やその関係者にあたるような人が土門拳の撮影について語っているインタビュー動画が流されていたんですが――記憶で喋っているので内容がちがっていたらごめんなさい――、そこで語られていることって、土門拳の撮影の「すごさ」なんですよね。ほかの人にはできない「すごい」ことが行なわれていて、だからこの写真は「すごい」んだと、そういうことを言っているように思いました。
実際、土門拳の撮影はものすごいエネルギーが注がれたものすごいものだったんだと思うし、だからああいう写真が撮れたというのも本当なんだと思うんですが、僕にとっての撮影の実感はそういうものではないんです。そういうふうに語りたくないというのもあります。
僕の場合、日記のような事実の羅列と一緒に見せることで、自分が写真を撮っているときのことを知ってもらおうとしているのかもしれません。
ーあらためていま、お父さんのことについて文章にされたのも、そういった写真では見えない裏側の出来事を金川さんの言葉で見せるという試みだったのですね。でも、10年以上前の出来事を思い出しながらまとめるのは大変そうです。
金川:これはいま感じていることなのか? あのとき感じていたことなのか? と考えて、よくわからなくなることはありました。でも、だんだんともう厳密に分けなくてもいいし、よく覚えていないことはよく覚えていないと書いちゃえばいいなと開き直るようになりました(笑)。
金川:全然はっきりと覚えていないことでも、書いてしまったら「そういうこと」になってしまう。それが気になって文章が書けない時期もありました。でもいまは、それがある意味、書くということの面白さだとも思うんです。
ー写真や文章を組み合わせてさまざまな表現をされていますが、ものづくりにおいて何か共通して意識しているテーマはありますか?
金川:「『自分のテーマは〇〇です』と提示することがうまくできないんです。テーマがまずあって作品をつくるということはうまくできないんですよね。
でも、『こうでなくてはいけない』という圧力が緩んでほしいというのはずっと思っているかもしれません。
ー『いなくなっていない父』のなかで書かれていた「父は父、私は私であり、父には失踪する自由がある」とか「これは自分の問題ではなくてあの人の問題だ」という文も、家族に関する「こうでなくてはいけない」を緩めてくれるなと感じました。
金川:そう思えているのはたぶん、子どものころから両親が僕のことをいい意味で自分たちとは切り離して、一個人として扱ってくれたからかなと思っています。とくに母親は親馬鹿で、僕のことをすごく褒めてくれるんですけども、僕の素晴らしさを自分とは完全に切り離して考えているんですよね。
僕がまだ小学生のころの話なんですが、授業参観のあとの親同士の懇親会的な場で、ある親御さんから「なんで晋吾くんはあんなにいい子なの、どういう育て方をしているの」みたいなことを聞かれたときに、母は謙遜するのではなく、「いや、ほんとに、自分でもよくわからなくて、宇宙から来た子どもじゃないかと思ってるんです」と答えたそうなんですよね。
僕はこれはすごくいい話だと思っていて。親馬鹿の極地というか極北というか。まあこんな話をよろこんでする僕も母のことは笑えないと思いますが。
ー『いなくなっていない父』の最終章では、ともに暮らしている斎藤玲児さん・百瀬文さんについても書かれています。百瀬さんが斎藤さんとも金川さんともパートナーであるという、2組のカップルが一緒に暮らしているのに近い状態だったところから、いまでは性愛ではない別の親密な関係の3人に変化していったんですよね。恋愛やパートナーシップの観点でも、「こうでなくてはいけない」にとらわれない考え方に繋がっていそうですね。
金川:そうかもしれないですね。僕は「一般的」とされる恋愛関係において前提とされていることに違和感があるというか、例えば、相手には自分以外の人とも仲良くしてもらいたいし、自分もそうしたいと思っていたりします。
また、誰かのことを「好き」になることがもうほかの人のことを「好き」にはならないことを意味するということにしっくり来なかったりするのですが、そもそも一般的な好意と、そういう好意とは一線を画した恋愛的な意味での特別な「好き」というものの境界線が曖昧だったりします。
ずっと続く関係を目指すことよりも、むしろ変化を許容するような関係のほうが自分にとっては居心地がいいような気がしています。最近、そういう自分の気持ちというかありようがだいぶわかってきました。自分みたいな人はほかにもけっこういて、そういう人たちとお話することで、自分のことがわかってきたというのもあります。
金川とともに暮らす映像作家・斎藤玲児(左)との一枚。編集者の目には、2人の関係は「仲間」とも「親友」とも言えるようで違う、2人独自のものと感じられた
金川:ただ、そうは言いつつも、そういう自分を心から受け入れられているかというとそうでもなくて。「一人の人に執着しない」「変わることを許容したい、許容されたい」自分の生き方に対して、自信がもてなかったり、「自分は愛が希薄な人間なのかもしれない」と思ってしまったりすることもあるんです。やっぱり性愛や恋愛に関する「こうでなくてはならない」という規範の影響は大きいんですよね。
どういうかたちであれば自分の気持ちをオープンにしつつ、ほかの人と良い関係をもてるのか、いろいろ試したり考えたりしたいなと思っています。少し前に「DIVERSITY IN THE ARTS TODAY」というサイトにコラムを寄稿したんですが、そこで自分のことをけっこう掘り下げて書きました。(*2)
ーそういった自分の性のあり方にはっきりと自覚的になったのは最近のことだったとのことですが、何か深く自分と向き合うようなきっかけがあったのでしょうか?
金川:何か特別なきっかけがあったわけではないですね。僕はもともと「自分」というものへの関心が強いんだと思います。でも、自分と向き合っているかというと、なんかちょっと違うような気がしますね。
「向き合う」というと、向き合うべき自分というものがすでにそこにしっかりあるような感じがするのですが、そうではなくて、自分というものは他人との関わりのなかでその都度その都度あらわれてくるものであり、変わっていくもの、自分でもよくわからないもの、そういう感じです。自分のことを知るのがおもしろいからやってるんだと思います。
金川:性的なものへの関心というのは、ずっと前からあったんだと思いますが、自分の望むやり方(望んでいるのかもしれないやり方)を実践していったり、性について考えるための言葉を少しずつ獲得していったりするなかで、自分のことについても少しずつわかってきたのだと思います。
ーそういった性愛への関心は、今後の作品作りにも関係してきそうですか?
金川:そうですね。いまの3人での暮らしというのは、必ずしも性愛的なことが関係の真ん中にあったわけではなかったし、一緒に生活していくなかで関係は変化していっています。いまでは性愛的なものではない別のものになっているのですが、だからこそこの3人での暮らしのことを通して性というものについて、その境界線の曖昧さや揺らぎについて語りたいと思っています。
最近、百瀬さんに新しいパートナーができて、僕たちの関係にも変化があって、なんとなくどういうふうにこの関係のことを語ればいいのか、作品にすればいいのかが見えてきたような気がしています。写真や文章をどういうものとして扱うかという点においても、父や伯母を撮ったいままでの作品とはだいぶ違ったものになるかなと思います。
ーそれは楽しみです! 最後に、今後の活動について教えてください。
金川:8月13日まで台北で開催されているグループ展「Memory Palace in Ruins」に参加しています。それと、8月26日と27日に三鷹のSCOOLで『いなくなっていない父』の刊行記念イベントとして、これまでつくってきた父について映像作品の上映会をやります。15年間撮ってきた父の写真を全体的に振り返るような新作のスライドショー作品もそこで見せる予定です。
それから、彫刻家の小田原のどかさんが代表を務める出版社「書肆九十九」から、長崎のカトリック文化や平和祈念像、そして僕自身の信仰などをテーマにした本を来春出版する予定です。「長崎」と「祈り」、そして僕個人の信仰のことが並記されるような作品で、いままでつくった本とはまた違ったものになると思います。