Text by 山元翔一
Text by 稲垣貴俊
Text by 濱田英明
上田誠(ヨーロッパ企画)と岸田繁(くるり)の対談は、初対面にもかかわらず心地よく響きあい、大いに盛り上がった。両者ともに京都で生まれ育った同世代とはいえ、作家としての共通点も不思議と多かった二人。本稿では両者を結んだ映画『リバー、流れないでよ』にちなんで、「創作と時間」をテーマに展開した対話をお届けする(※)。
左から:岸田繁(くるり)、上田誠(ヨーロッパ企画)
―ヨーロッパ企画による初の長編映画『ドロステのはてで僕ら』(2020年)と『リバー、流れないでよ』の共通点は、かたや「2分間のズレ」、かたや「2分間の繰り返し」というかたちで、どちらも2分という時間を扱っていることです。なぜ「2分」なのでしょうか?
上田:2分って、ワンカットでギリギリつくり込める尺なんです。3分や5分だと精度が落ちるし、短すぎるとどこまでもこだわれてしまうんですが、2分はコントロールしきれるかどうかという尺。今回はタイムループだし、2分なら箱庭感を保てるだろうと思いました。
5分あると登場人物が箱庭の外に出られてしまうけど、2分だとそうはいかないので。僕は映画でも空間がある程度限られているものが好きで、たとえば尾道映画(※)でも、やっぱり尾道から出ないのがよさだと思うんです。だからこの映画も貴船から出たくなかったし、2分なら出られまいと(笑)。
岸田:車に乗るシーンがありますけど、すごく象徴的ですよね。時間の縛りから出られるかもしれないって。
上田:一番好きなシーンかもしれないです。2分だけ車で移動するのって、時間を距離に換算するような感覚で、その時間を一番長く感じる方法じゃないかなと。たとえば1時間あれば遠くまで歩けるけど、部屋のなかで過ごす1時間は短いから。
岸田:現代人は新幹線や飛行機に乗るし、すごく移動距離が伸びたって言うじゃないですか。時間の使い方って時代によって変わると思うんですけど、この映画を観た人がどんな負荷を感じるのかに興味があります。もし2分を繰り返す話って知らずに観たら、どれくらいの長さに感じるんだろうって。きっと年齢でも変わるだろうし、すごいシステムだと思うから。
上田:岸田さんがおっしゃるのは「時間を感じる映画」ってことですよね。音楽の場合、1曲あたりの最適な尺ってあるんですか?
岸田:ポップソングならラジオで流しやすい長さ、シングルだと3分くらいって言われて育ちましたけど、アニメのテーマソングは90秒縛りなんです。
だけど、90秒でアニメの説明をするって大変なんですよ。テンポを上げて、情報量を集約して、起承転結を90秒でつくらないといけない。だから、よくできたアニメソングってめっちゃ優れてると思うんです。
岸田:逆にクラシックだと、ベートーヴェンの“交響曲第9番”はおよそ70分台だと言われていて。指揮者によって変わるんで、もっと短いのも長いのもあるんですけど、やっぱり70分聴いて理解できる、感動できるものなんですよね。
バート・バカラックが生前、「クラシックが70分かけてたことをポップソングは3分でやらなあかんから大変やねんで」みたいなことを言ってて、「そしたら僕は長いほうがいいわ」って思ったんですけど(笑)。音楽で短いのはすごくテクニカルというか、余地を残さないこと、デフォルメすることなんですよ。
上田:『M-1グランプリ』みたいな感じというか。
岸田:そうそう。でも、短くて説明しないからこそのよさもあるし。それこそ、お笑いライブで見る長いコントと、『有吉の壁』(日本テレビ系)で見る20秒のコントのどっちがおもしろいかって言われたら、そりゃ内容次第では短いものでもおもしろいですよね。
―上田さんの「2分間」のように、岸田さんが構築しやすい長さはどれくらいですか?
岸田:僕の場合はタイムよりも小節数なんです。たとえばメロディのモチーフがひとつあったら、自分は8小節が一番つくりやすいんですよ。4小節になると、モチーフ自体が子どもも歌えるシンプルさというか、替え歌しやすいくらいの音にする必要がある。
だからメロディで言えば8小節なので、タイムで言うと、テンポによりますけど30~40秒。それらを組み合わせて曲にするので、歌ものを綺麗につくると4分は超えちゃいますね。
―曲自体の長さはあとからついてくるところがあるんですね。
岸田:はい。ただ、一応の縛りがあるときは終わりだけ決めておきますね。
岸田繁(きしだ しげる)
作曲家 / くるりのボーカル&ギター。1976年生まれ。1996年9月頃、立命館大学(京都市北区)の音楽サークル「ロック・コミューン」にてくるりを結成。2023年3月1日、EP『愛の太陽 EP』をリリース。10月4日にはアルバム『感覚は道標』を発売。ソロ名義では劇伴音楽のほか、管弦楽作品や電子音楽作品なども手がける。
―上田さんの場合も、ドラマにせよ舞台にせよ具体的な制約があることは多いと思います。たとえば1時間や2時間に収めなければいけないとき、長すぎたらカットしなければいけない。ひとつの時間を構築するのに対し、時間を縮める作業は苦しくはないですか?
上田:それはそれで縮める喜びがあるというか(笑)。縮める作業も職人的で好きだし。
岸田:(笑)。
上田:たとえば、「それおかしいんじゃないですか」「どこがおかしいんですか?」ってやりとりを、「それおかしいんじゃ」「どこが」にするだけで尺が半分になります。台詞をなくしたことで生まれた行間をお客さんに埋めてもらったりとか、そういうことの積み重ねで、時間をぎゅうぎゅう縮めていくんです。
もちろん僕も、作家として長大なものをつくりたいという思いはありますけど、それは作品群の流れや作家人生の単位で見てもらえたらいいので。だから作品としては2時間に収めたい、なんなら1時間半くらいにしたいと最近は思います。僕自身も観客として、3時間の舞台を観るときは「長いな」と思っちゃうんで(笑)。
―『ドロステのはてで僕ら』が70分、『リバー、流れないでよ』が86分という長さなのも、そういう考えがあってのことですか?
上田:というよりは、この手の作品は実験的なので、逆に尺を伸ばすのが難しいんですよ。短編としてはつくれるけど、1時間以上の長編にするには、さらにいくつかのアイデアや突破口が必要なので。もともと長距離向きじゃないシステムで、なんとか長距離を走っている感じです。
上田誠(うえだ まこと)
ヨーロッパ企画の代表であり、すべての本公演の脚本・演出を担当。2010年、構成と脚本で参加したテレビアニメ『四畳半神話大系』が『第14回文化庁メディア芸術祭』アニメーション部門で大賞受賞。2017年、『来てけつかるべき新世界』で『第61回岸田國士戯曲賞』を受賞。2023年6月23日、原案・脚本を手がけたヨーロッパ企画の長編映画第2弾『リバー、流れないでよ』を公開。
―おふたりの共通点は、上田さんは舞台、岸田さんはライブという「上演」の作品にもあると思います。岸田さんの場合は、楽曲というピースを集めて、ライブというひとつの時間をつくりあげるわけですよね。たとえば2時間なり、フェスならもっと短い時間で、ご自身の楽曲による世界を構成されていく。そういう時間はどうやってつくられているんですか?
岸田:フェスとワンマン……というか、準備ができる公演とそうでないものは分けて考えていますね。フェスだと時間がシビアなんですが、かといって時間内に収めすぎてももったいないので、しっかりタイムを出しながらパズルのように組み立てます。
ただ、リハーサルがないぶん出たとこ勝負の部分があるんで、準備面でリスクのある楽曲は省かないといけないし、「これはみんな聴きたいやろうから」みたいな曲もあるから迷いますね。だけど基本は、どこで自分たちのアドレナリンが出るか、どこで力が入るか。持ち時間が30分なら、6曲中の4曲目ぐらいで力が入るようにします。
それから曲のテンポとキーも大事で、僕らはMCをあんまりしないんで、たとえ人気のある曲でも、前の曲から半音キーが下がると暗い印象を与えてしまう。あとはワンマンだと2時間超えることもあるので、自分たちの体力も考えながらつくっていますね。
―映画や音源とは違って、上演には決まったかたちがなく、毎回の反復のなかでズレや偶然が生じるものです。その点はどのように受け入れていらっしゃいますか?
上田:僕はプレイヤーじゃないので、岸田さんとは感覚が違うと思うんですが、舞台だと日々同じことをやりつつも、お客さんとかそのほかの環境とかのようなその日限りの要因も取り込みながら、トータルとして素敵な空間を毎回つくりたいと思っています。
だけど、演出家として客席から観ていても、自分の体調ひとつで見方が変わるし、自分がピリピリしているだけのときもある(笑)。だから明らかな間違いは正すし、方向づけはしますけど、究極的には突き詰めてもわからないところがありますね。経験は重ねても、「これで完璧」と思えた舞台はあんまりなくて。
岸田:ちょっと似てますね。作家として、僕はやっぱりスコアをきちんと書きたいんです。偶然生まれたものでもおもしろければ取り入れますが、自分がつくるものはコントロールしたい。ただ、バンドでやるとか、ライブをするとかってことになると、そんなん目指したらしんどいんですよ。
岸田:だからプレイヤーとしては、自由度が高いほど理想的というか、「曲なんかなくてもいいんじゃないか」ぐらいの気持ち。もちろんそうはいかないですけど、その日の体調とか、舞台やお客さんの具合を見ながら、一番よさそうなことをやるのが理想です。真逆のものを抱えている葛藤はありますけど、ぐっと集中してつくるときと、うわーって解放するときが両方あるから続けられるのかなと思います。
上田:たしかにそうかもしれないです。僕、高校生のときにプログラムをやってたんですよ。MSXでゲームをつくってたんですけど、しんどすぎて日々泣いてて。
岸田:わかります。あれ泣きますよね。
上田:一人っ子なんで、家に友達に来てほしくてじゃんけんが複雑になったゲームとか、すごいスピードで参勤交代するゲームとかつくってて。
岸田:(笑)。
上田:それが本当に苦しかったんです。そんななか、クラス劇の脚本を書いたら、友達が揺らぎを生んでくれたというか。脚本にエラーがあってもなんとなく演じてくれるし、それがめちゃくちゃ楽しかったんです。
上田:だからいまでも演劇や集団創作を続けてるところがあるし、自分ひとりの文筆業をあんまりやらないのもそういうことで。ひとりで突き詰めてしんどくなるのは嫌だし、一方で怠け者でもあるから、演劇がちょうどいいんです。
岸田:やっぱり似てますね。ファミコン買ってもらえなかった家だったので、じつは僕もMSXやってて。昨日のレコーディングでもたまたまその話をしました。
上田:あっ、そうでしたか。
岸田:でも僕はアホだったんで、プログラムの大文字と小文字を間違えたりして、簡単なやつでも何も起こらなかったりして(笑)。オカンには「あんたもう1時間やで、止めなさい!」とか言われるし、ちゃんと完成させたことはないですね。
上田:(笑)。僕はゲーム制作がルーツで、理系なのもあって劇っぽさや叙情みたいなことは劇作家になってから頑張ってインストールしました。
岸田:僕は逆に、文系というより遊び人だったんですけど、音楽を真面目にやりはじめてから、算数の勉強をはじめましたね。
上田:それがいまでは調律の分野にまで踏み込まれてますよね。そこはほとんど数学の世界というか。
岸田:突き詰めるほどそういう世界になるんですよね。若い頃、何もわからないまま「これ、耳で聞いて気持ちいいな」とか言ってましたけど、年齢を重ねて、これから耳も悪くなっていくなか、ちゃんと聴けるうちにメソッドを残したい、全部数値化したいと思っていて。いずれ耳ではドとレの違いもわからなくなるかもしれないけど、それでも頭のなかでは鳴らせるから。
上田:なるほど、聞こえなくなっても脳内では再生できる。
岸田:そう。でもドレミファソラシドも、鍵盤のレを押したからレの音が鳴るとは限らなくて、厳密に言えばズレてるんで(※)。そういうふうに、人の歌って、もともと生物的に持ってる音感で気持ちいい部分があるので、それを数値化したいなと。
―しっかりかたちとして記録して残していくということですよね。
岸田:そうです。レシピだけ書いて、そのとおりにつくればできあがるようなものをつくっておくと、おじいちゃんになってもみんな喜んでくれるかなって(笑)。
上田:なるほど、それって次の世代のこともあったりするんですか?
岸田:課金してもらえれば(笑)。
一同:(笑)。
―ドキュメンタリー映画『くるりのえいが』が10月に公開されますが、自分たちの活動を映像で残しておくこともそういう記録活動の一環なんでしょうか?
岸田:そこを強く意識したわけじゃなかったんですけどね。ミュージシャンって、ツアーをやってフェスに出て、レコーディングして、なんか派手なイメージがあると思うんです。ただ、もちろんそうじゃない部分もある。
それって自分たちにとっては普通のことですけど、あとで振り返ったときに派手な思い出しかないのはちょっとなと思って、派手じゃない思い出を残したくなって。
ドキュメンタリー映画『くるりのえいが』ティザー画像。写真中央が2002年に脱退した、くるりのオリナルドラマー森信行。2023年10月4日にはオリジナルメンバーで制作した14枚目のアルバム『感覚は道標』をリリース予定
上田:自分たちのログを取っておきたい、ってことですよね。
岸田:そうです。ちょっとしたアイデアとか、一緒にやっている人たちとのコミュニケーションとか、些細なことはすぐに忘れてしまうし、それはライブのDVDやYouTube、雑誌のインタビューを見返してもわからない。だから商売にするというよりも、自分たちのために残しておきたくて。
―ヨーロッパ企画さんも、公演や作品のドキュメンタリーをはじめ、さまざまな記録を残されていますよね。
上田:もともと僕は作品原理主義というか、作品だけ残せばいいって考え方だったんですが、「そういうことでもないな」と思い直したんです。作品以外を残さないことで損をすることもあるし、こういう意図があったんだって言葉も残したほうがいい、つくる過程まで見せたほうが伝わることも多いかもしれないって。
それに、作品を見るのって意外としんどいことでもあるじゃないですか。おもしろいことを消化するのには体力が要るから。でも、そんなときでもドキュメンタリーなら見てもらえるんじゃないかと。僕自身も、たとえば宮崎駿さんの作品を観るときは気合いを入れますけど、ドキュメンタリーならもう少し気軽に触れられるので。
―おふたりのお話を伺っていると、やはり創作と活動の蓄積があり、つねにそれらを発展してこられたことがわかります。『リバー、流れないでよ』も、上田さんお得意の「時間もの」でありつつ、配信劇『京都妖気保安協会』(※)からの流れがありますよね?
上田:そうですね。『京都妖気保安協会』が10点満点中7、8点だったとしたら、「次は12点出せるかも」というタイミングで今回の映画をつくれたというか。だから、もし前回満点が出ていたら全然違うものになったと思うんです。
上田:僕としては、もちろんいろんな道具を上手に使えたほうがいいけど、それは必ずしも最初からできることではなくて。同じ役者さんとやるのでも1回目より2回目のほうがうまくいくし、撮影の方法も繰り返すたび上手になるし、ロケーションも同じで、1回目はうまい使い方がわからなくても、必ず「次はもっとうまく使えるぞ」って発見があるんです。
なので、ある程度の蓄積がありつつ、まだ慣れすぎてもいないという時期に、一番いいかたちで使えるような実感がありますね。繰り返すことで慣れること、馴染んでいくことを信じているというか。
岸田:僕もほとんど同じですね。時代が変わってテクノロジーが進化したので、昔はいちいちテープを巻き戻していたところを、いまではコンピュータでやったりはしますけど、僕らがやること自体は変わらないし、自分たちのスペックも変わらないから。やっぱり何回も練習する、繰り返しながら考えることでゾーンに入るみたいなことは、反復しないとできないんです。
ただ、感覚や勘で掴んだものには、そういうものを凌駕する強さがあって。だから、飽きるまで反復するとか、そういうストイックさじゃなくて、感覚で何かを掴める余地を残しながら、「よし、いける」ってタイミングでうまく乗れるといいなと。ただ結局、僕はものの整理とかもへたくそなんで、つい何回も反復したりするんですが。
―結果的に反復・発展が起きたような創作もありましたか? 最初はそういう意識でなくとも、遠い過去につくったものが蘇ってきたような。
上田:やっぱり同じモチーフは何度も登場しますね。お客さんが期待してくれることと、自分たちのやりたいことが重なる部分はどうしても限られてくるので、そこは繰り返しやることになります。
それこそ、時間ものをこんなに何度もやるとは思ってなかったですけど、これは自分の好きなモチーフだし、お客さんにも喜んでもらえるものだから。台詞のなかのちょっとした言葉でも、そういうところはあると思います。
岸田:僕もオリジナルのドラマーと20年ぶりぐらいにレコーディングしたら、やっぱり当時に戻れる部分もあるけど、お互いに更新されているので、型があわないところがあるんですよね。なので、そこは新しくつくらないといけなくて。
だけど僕らの場合、人を喜ばせたいとか、おもろいことやりたいなってときに出てくるモチーフはのんびりしたものが多いんで。あんまり繊細じゃないというか、お餅みたいに柔らかいものだと思っているので、そこは器が変わっても扱えるかなと思ってますね。
上田:そういう意味では、ヨーロッパ企画はエンターテイメントに寄っているというか。昔、『8時だョ!全員集合』やドリフの番組を見ていて、毎週シチュエーションが違うことにワクワクしたので、やっぱり表層の趣向や装いを毎回変えたいと思っているところはあります。
ただ、それでも結局のところ底に流れてるものは同じというか。ホラーやミステリーをつくろうが、時間ものをつくろうが、最後にたどり着く源流は同じだと思いますね。
―それで言うと、上田さんは近年、時間ものをコンスタントにつくられている印象ですが、少し前はあまりやられていなかったと思うんです。『サマータイムマシン・ブルース』(※)という代表作があるので、しばらく時間ものを封印する意識もあったのでしょうか?
上田:それはあんまりないですね。だけど映像をつくるようになってから、映像作品と時間ものはすこぶる相性がいいことがわかってきました。
その秘密をまだ解明しきれてはいないんですけど、あけすけなことで言えば、ロボットものは予算の問題でつくれなくても、時間を遡るものだったら映像で撮れる。それに、あえて演劇で時間を繰り返すおもしろさもありますけど、映像はやっぱり時間をつぎはぎするのが得意な表現ですから。映像をやるようになったことで、おのずと時間ものをつくるようになったところはあるかもしれません。
―上田さんやヨーロッパ企画にとって、いまや時間ものは一種の看板になっていると思うんですけど、そういうことにプレッシャーはありますか?
上田:それは全然ないです。時間ものってすごく狭いジャンルだと思われがちですけど、全然そんなことなくて。「時間」という普遍的なテーマで、どんなことでも書けるというか、逆に時間を意識しない表現のほうが難しいので。
むしろ、「時間ものをやってます」って言い方でキャッチーになればいいなと思ってます。ただ、たとえばタイムリープとか、物語の専門用語みたいなものがもう少し周知されたら、もっとやりやすくなるのかなって。1回タイムリープして、その先でまたタイムリープすることを「2段リープ」って言うとして、その概念が広まれば、じゃあ「2回半ひねりリープ」は可能なのかという話になって。
岸田:そういう言葉が流行語大賞になるとかね(笑)。
上田:そうです(笑)。
上田:だけど20年前に比べると、アニメの影響もあるのか、時間ものがずいぶん人口に膾炙してきた気がします。ただ、もしかしたらマシンは人気ないのかなって。
岸田:そうなんですね。
上田:『時をかける少女』とか『君の名は。』とか、タイトルにマシンや機械っぽさが入ってないですよね。前回の『ドロステのはてで僕ら』はタイムテレビみたいな装置で時間を越えたんですけど、もしかしたら装置は敬遠されるのかもと思いました(笑)。
岸田:装置より概念のほうがいいのかも?
上田:そう、思念とか愛で時間を越えるほうがいいのかなって。
岸田:上田さんは『キン肉マン』世代ですか?
上田:そうです。
岸田:いまもウェブコミックで続いてるんだけど、ついに時間超人が出てきて「あ、時間ものだ!」って思った。
上田:いい傾向ですね(笑)。「時間○○」ってすごくいい言葉。
岸田:ですよね(笑)。