Text by 山元翔一
Text by 稲垣貴俊
Text by 濱田英明
上田誠(ヨーロッパ企画)と岸田繁(くるり)の対談が実現した。ヨーロッパ企画の長編映画第2弾作品『リバー、流れないでよ』に、くるりが主題歌として“Smile”を提供したことでつながった両者は、ともに京都で生まれ育った同世代にもかかわらず、一度も対面したことはなかったという。
CINRAでは、これまで接点がありそうなかった二人の対話を「創作と京都」編、「創作と時間」編のふたつに分けて掲載する。対談の撮影を手がけた写真家・濱田英明からのテキストを序文にかえて、まずは両氏の活動と京都の関係についてから。
いまがすでに懐かしい。写真を撮るときはつねにそんなことを考えています。なぜなら写真には必ず「もうそこには存在しない」ものが写っているからです。それは、地球に届くまで何年もかかるという、はるか遠くの星の光を見るのにも似ています。つまり、写真とは、未来から過去という現在を見るように、「終わりゆくいま」をおさめようとする衝動的な行為なのだと思います。ゆえに写真と時間は切っても切れない関係にあるんですね。いや、むしろ時間そのものともいえます。
さて、前置きが長くなりました。記念すべき『リバー、流れないでよ』が劇場公開された日、しかも京都にて、あらかじめ出会うことが宿命づけられた(?)二人の作家が初めて顔を合わせることになりました。およそ思いつく条件はすべてそろったと思われるこの撮影、すなわち、宇宙のビッグバンよろしく、互いを見つけた瞬間に対消滅さえ起こると危惧していました。しかし、そんな不安と期待をよそに、窓際の柔らかい陽光に照らされた二人のあいだには終始和やかな空気が漂っており、妄想は無駄に終わったのでした。
左から:岸田繁(くるり)、上田誠(ヨーロッパ企画)
ところで、私がこの撮影を任されたのには理由があったのです。ヨーロッパ企画の作品のスチールを担当しているからとか、くるりのミュージックビデオを監督していたからとか、すでに両氏の領域の中間にいたからというのは、そうたしかに。ただ個人的には、70年代後半生まれで、東京ではなくあえて関西を拠点に活動を続けているというその共通点を、同じく自分もまた分かちあえる一人であるから、と思い込んでもいるのです。それがとても嬉しい。
そういえば、前述のMV“八月は僕の名前”は、奇しくも、大部分が1カット長回しという時間を描く映像でした。ああ、不思議な共通点を思わずにいられません。というより、上田さんと岸田さんが放つ強力な磁場に引きつけられた自然な結果だったのかもしれません。
<ここに生きている事が 懐かしい>とは、本映画主題歌“Smile”の最後に歌われる美しい一節。そうです、そうなんです! 本当にどこまでもつながっていくのだなあ、そんな気持ちを胸に二人を写真という時間のなかに閉じ込めました。ビッグバンな対談とともにぜひご覧ください。
―まずは今回、『リバー、流れないでよ』で初めてのコラボレーションが実現した経緯からお聞かせください。
上田:ヨーロッパ企画は2020年の『ドロステのはてで僕ら』から映画をつくりはじめて、今回が2作目なんですが、京都の劇団が映画をつくる以上、京都の風景のなかで映画を撮りたい、2作目は貴船(※)を舞台にしようという話になったんです。「時間もの」の作品にすることは決めていたので、貴船の川が逆流するような物語にしたいなと。
脚本を書きはじめたときから、京都を舞台に、貴船の川でこういう映画をつくるなら、くるりさんとご一緒できたらいいなと思っていました。主題歌としてご提供いただいた“Smile”はイントロを聴いた瞬間からゾワゾワして、映画とリンクするところもいろいろあって、運命的な出会いだと感じましたね。
上田誠(うえだ まこと)
ヨーロッパ企画の代表であり、すべての本公演の脚本・演出を担当。2010年、構成と脚本で参加したテレビアニメ『四畳半神話大系』が『第14回文化庁メディア芸術祭』アニメーション部門で大賞受賞。2017年、『来てけつかるべき新世界』で『第61回岸田國士戯曲賞』を受賞。2023年6月23日、原案・脚本を手がけたヨーロッパ企画の長編映画第2弾『リバー、流れないでよ』を公開。
―岸田さんとしては、今回のお話があったときの印象はいかがでしたか?
岸田:僕はヨーロッパ企画さんを詳しく知ってたわけじゃないんですが、共通の知り合いが多かったり、ゴーレムの舞台を観た方から「めっちゃおもろいで」って話を聞いたりして、ずっと気になっていたんです。あの舞台、もう10年以上前ですよね?
上田:そうですね。
岸田:いつか観てみたいな、会いたいなと思っていて。役者の方々のご活躍も遠巻きに見ていたので、お話をいただいたときは「ついに来たか」って(笑)。
岸田:映画は楽曲を提供してから観たんですが、上田さんがおっしゃるように予知夢を見て曲をつくったようなハマり方をしていて、「ああ、よかったな」と思いました。
上田:時間軸がおかしくなったのかと思うほどのハマり具合でした。
岸田:「貴船マジックってすごいな」としか言いようがないというか(笑)。映画のお仕事をするときは、編集中の作品を見せてもらってから曲をつくりはじめることが多いんですが、今回はそういうパターンではなかったので。
上田:コラボレーションさせていただいたというには奇妙な関係というか……。
岸田:なんとなく、お互いのなかにあるバグのようなものが瞬間的に合致したというか。
岸田繁(きしだ しげる)
作曲家 / くるりのボーカル&ギター。1976年生まれ。1996年9月頃、立命館大学(京都市北区)の音楽サークル「ロック・コミューン」にてくるりを結成。2023年3月1日、EP『愛の太陽 EP』をリリース。10月4日にはアルバム『感覚は道標』を発売。ソロ名義では劇伴音楽のほか、管弦楽作品や電子音楽作品なども手がける。
―ということは、岸田さんがお話を受けられた時点では、まだこの映画がどんなお話なのかはご存知ではなかったということですか?
岸田:そうなんです。ヨーロッパ企画さんが映画をつくられる、という話をスタッフから聞いたのが最初だったと思うんですが、ちょうど僕らがEPをつくっていたタイミングで。
そのなかに、僕がすごく気に入って、いろんな人に聴いてほしい曲があったので、これを使ってもらえたら嬉しいなと。その曲が「職業作家としてこの曲を書いたんならすごいな」と思うほどハマってくれて。
上田:(笑)。
岸田:そういう曲って、自分で狙うと逆につくれないですけどね。だから、本当に「拾っていただいてありがとうございます」って気持ちでした。
―逆に、これまで上田さんは岸田さんの活動にどう触れられていたんですか?
上田:ヨーロッパ企画を旗揚げした頃から、くるりさんの活動は一方的に見聞きしていましたし、京都で活動を続けてきたので、ひとりのリスナーとしても、知人を通じても、つねに何かしらの接点がありました。大学生の頃から、THE SUGAR FIELDSさん(※)とコラボしてコントとライブの公演をしたこともあって。
岸田:あっ、そうでしたか。
上田:はい。その頃から、まひろさんとかも聴いていて。“東京”が誕生したのは「カフェ・オ・レーベル」でしたよね?
岸田:そうですね、原さんのスタジオで。
上田:当時から大ファンだったんです。この映画も、最初は「さよならのそばのリバー」という仮タイトルで、それはくるりさんの“リバー”のイメージでした。
「さよなら」というワードも曲のタイトルや歌詞によく出てくるので、完全にこちらから寄せていった感じ(笑)。今回はまっすぐご依頼したいと思って、ほかのルートを探ることもせず、公式サイトから直接オファーを出させていただいたんです。
岸田:ありがとうございます。
上田:これまでもいろんなところでニアミスしていて、『リラックマと遊園地』(2022年)というNetflix作品でも、くるりさんが主題歌で、うち(ヨーロッパ企画)の角田貴志と僕が脚本を担当したことがありました。初めて聴いてから20年以上経ったいま、この作品でようやく出会えて嬉しいです。
―岸田さんは『リバー、流れないでよ』をどうご覧になりましたか?
岸田:普段、映画を観ているときになかなか感じないものを、何度も繰り返し感じました。おもしろさと同時に、いけずなフランス映画のようなエスプリがあるというか(笑)。時間の使い方や間合い、映像の色味もすごいと思いましたし、見終えてみると、いわゆる起承転結のある映画じゃないのに、印象がドンと強く残って。
上田:ありがとうございます。
岸田:僕はポール・トーマス・アンダーソンの映画が好きなんですけど、去年の『リコリス・ピザ』(※)がだいぶ変な作品だと思ったんですよ。昔と現在がテーマのひとつではあるけど、結局何も起きない感じというか、ぼんやり見てたら青春群像劇にしか見えない、わざわざ質の低い暴力的なシーンをちょっと入れるような映画で(笑)。でも、その作品を観たときに「この感じがいまっぽいんやな」と思ったんです。
岸田:この『リバー、流れないでよ』を観たときも、そういう感覚につながるものを感じました。SNSやコロナ禍に蔓延する空気感というか、どこにも行けないような感じがあって、もちろんコロナ禍を直接描いているわけじゃないけど、どこか模写しているというか。いったい何が起きているのかわからないような話なのに、すごくいまっぽい何かを象徴していると思いました。
上田:もしかすると、それは僕が物語を「起」から「結」に向けて進めるより、むしろ「結」からはじめるとか、どん詰まりの状況からはじめるほうがしっくり来るからかもしれません。
たぶん、僕自身が京都にずっといるのも大きくて、京都という街はどこか青春が終わったような、終わっていないような雰囲気がありますよね。それが僕には心地いいし、それでいて「ここでゼロからはじめようぜ」みたいな気分になれるのもよくて。
上田:今回も青春映画になったと思ってるんですけど、「やるぞ!」みたいな勢いのある作品じゃないのはそういう影響もあると思います。
―京都という土地が、創作に直接的な影響を与えた部分が大きいのでしょうか?
上田:やっぱり京都にチームがあるので、京都で映画を撮りたいんです。演劇は耳で台詞を聴くメディアというか表現なので、言葉からつくることが多いと思うんですが、映画は画ありきなので、「貴船を撮る」というところからスタートするのがいいんじゃないかと。
貴船神社と、その麓にある「ふじや」さん(※)でロケできることが決まったとき、この場所をどう見せていくかを考えて、最後に貴船神社に向かうイメージが思い浮かんだんです。だから逆算して、貴船神社から映画をはじめ、川に降りて、最後はまた貴船神社に登るという画の流れ、時間の流れができました。先に土地や地形があって、あとから「2分がループする話にしよう」というアイデアが出て、そこにどんな人たちがいるのか、彼らにどんな物語があるのかを考えていった感じです。
―岸田さんは本作に「誰がこんなとこ気にすんねん、という極端なこだわりとアイデアの構築を感じている」というコメントを寄せられていますが、その「極端なこだわりやアイデア」はどんなところに感じられましたか?
岸田:えっと……僕らミュージシャンにとっては楽曲やライブ、ヨーロッパ企画さんにとっては演劇や映画ですけど、何かがはじまって、過ぎていく時間が繰り返されることは普通ないですよね。
でも我々は、その時間を何度も繰り返しながら、ものをつくっているわけで。僕たちも「じゃあテイク1」とかって録ったあと、また巻き戻して録りなおす作業を延々と繰り返していますから。だから楽曲をひとつつくるときって、その過程で一生ぶん以上繰り返し聴くので、完成した曲はもう聴かないんですよ。
上田:たしかに、自分のつくったものはあとから見返さないです。
岸田:ですよね。この映画を観ているとき、そのことを思い出したんです。何回も同じことを繰り返すなかで、別のことに気づいたり、自分の気分が変わったから違うように感じたりするのが切り取られているのがおもしろいなって。「繰り返し」という手法自体が映画になっているのも気持ちよくて、僕も手法にこだわるところがあるので、どこか共感したというか。
上田:僕は最近「和音」と呼んでるんですが、いろんな要素を、作品のなかでミルフィーユのように重ねていきたいんです。物語やキャラクター、風景、さらに僕たち自身の日常も重ねるとか、そういうふうに層を重ねていくと作品の密度が高まるというか、見るたびに違う表情が見えたり、違うものが聞こえたりする。
初めての体験でも心地いい、だけど何回目でも薄まらないものをつくりたくて、僕は脚本にいろんなものを埋めているつもりです。たまたまこの作品は時間を繰り返すので、そのミルフィーユがバラバラに提示されるんですけど、いつも僕は、そういう層がさまざまに折り畳まれているものが好きで。岸田さんの音楽を聴いていても、やっぱりそういうものをつくられている感覚があるんです。
岸田:いまのお話で全部納得しました。僕も同じようなことを考えているので。
上田:ご自身の方法にすごく自覚的ですよね? いまの自分が研究しているもの、作品に埋め込みたい要素、融合させたいもの、そういったことをしっかり自覚しながら曲をつくられているイメージが岸田さんにはあって。
岸田:それしかできないっていうのもあるんですけど、やっぱり好きなこと、自分の興味があることをやりたいですからね。だけど時間の使い方って、作品にすごく関係すると思うんです。
上田さんは「和音」と言われましたけど、作品のなかに重ねた層がどんな分厚さで、どれくらいズレるかってことに僕は興味があって。バッハもひとつの旋律、モチーフからはじまって、その繰り返しみたいなものが途中から入ることでいい感じになるというか。
岸田:僕は電車の走る音がめっちゃ好きなんですけど、ブイーンっていう基音からちょっとズレた音があとから入ってくるのが気持ちいいし、目に見えるものでも、光が入ってきたことで何かがズレて見えるような感じも好きで。
上田:重なったもののなかに、ちょっと揺らぎがあるような?
岸田:そうです。だけどいまって、テクノロジーの力でどれだけでも綺麗にできる。それでリズムをぴったり合わせると、たしかにちゃんとしてますけど、なんか全然おもしろくないこともあって。だからいま、人工的な揺らぎをつくるための試行錯誤に時間をかけているんです。
上田:なるほど。
岸田:『リバー、流れないでよ』を観たときも、役者さんや上田さん自身が思ってることが、無意識のうちに入っているように見えたのがおもしろくて。
岸田:普段どういうことを考えてるか、どういうメッセージがあるかって、強く出さなくてもにじみ出てくるじゃないですか。今回は多層的な構造のなかで、ちょっとズレたところからそれが漏れているような気がしました。
上田:僕もつねづねコントロールしきれないところにおもしろさがあると思っています。映画って自分ひとりでコントロールできなくて、脚本をある程度精密に書いたとしても、撮影するロケーションは映画のためにつくられたわけではないし、役者さんもその映画のためにいる存在じゃない。
しかも今回は雪が降ったり降らなかったり、天候さえ取り込みながらつくらなくちゃいけなかったなかに、今回は2分間の繰り返しという精密なシステムがあったので、その関係がいいバランスだったのかもしれないです。
岸田:やっぱり上田さんは同世代の京都の方だから……京都にもいろんなところがあるし、世代差もあると思いますけど、世代が近いので、似ているところも多いと思うんです。この世代ならではの、「京都のおっさん」らしいはぐらかし方も(笑)。
上田:(笑)。
岸田:たぶん、偶然起きたことの作品への受け入れ方とか、排除の仕方にも共通点があるんじゃないかと思うんですよ。京都に住んでいると、きっちり東京で仕事をするときの時間の使い方や、仕事の価値づけ方みたいなものとの境目が曖昧になるじゃないですか。それが上田さんの作品にも出ている気がして。
上田:わかります。
岸田:こういうことを言うと、「京都人は物事をハッキリ言わない」って嫌がられそうですけど(笑)。ぶぶ漬け出てきたら帰れ、みたいな話だなって。
上田:(笑)。だけど京都にいると、コミュニケーションのなかで、倍音というか、裏の音を聞き取らなきゃいけない感じがしますよね。それがコミュニケーションのおもしろさ、芳醇さというか。
ビジネス的な言葉遣いで話がどんどん進むのも好きですけど、やっぱり僕は、含みを持たせた表現にある芳醇さも好きで。だから作品にしても、コンセプトこそわかりやすくて奇妙でも、そのなかに含まれるムードはぼやかしたいというか、どこか含みを持たせたい気持ちはあるかもしれませんね。
―今年でヨーロッパ企画は25周年、くるりは27周年ですが、京都で長年活動されてきた実感はいかがですか? すぐに30年が見えてくるのかなとも思うんですが。
上田:僕としては全然短かったというか、やっといろいろわかってきた感じです(笑)。年を重ねただけ衰えが出るのかもとか、それはまだわからないですが、ここからやっと、いろんなことが結びついてくるのかなと。
もともと試行錯誤の時期が長かったし、やっぱり奥が深いので、何かやりきったことがあるとは思っていなくて。それどころか、ここ5年くらいでようやく自分が狙ったものを作れるようになった実感があるんです。だから、まだいまが第1章の終わりだったらいいですね。
岸田:僕もだいたい同じです(笑)。
上田:いやいや(笑)。
岸田:ほんまに。早くからこの仕事をはじめたので、あんまりよくわからないまま人前に出てた時期もありましたけど、やっと自分のやりたいことを整理して、時間をかけるべきものにちゃんと時間をかけられるようになってきたかなって。もうちょっとうまく整理して、もっといい感じでやれたらいいのに(笑)。
上田:つくり手によっては、活動初期の数年で一種のピークを迎える方もいらっしゃるじゃないですか。でも自分はそうじゃないと思いますし、岸田さんもそうじゃない、むしろどんどん充実されてきている気がします。
岸田:そうですね。言い方はあれですけど、若い頃にちょっと売れたとき、「売れなくなったらどうしよう」って恐怖心みたいなものがやっぱりあったんです。同業者も同じ恐怖心を抱えていて、だから売れなくなったときに辞めた人もたくさんいて。
僕がそうならなかったのは、決して芸能の方面を目指してはいなかったし、ものをつくっているときが一番楽しかったから。もちろん人気はあったほうがいいけど、そういうものをあまり意識せずにこられた気がして、いまから考えるとありがたいですね。
上田:僕が東京に行かない理由もよく似たところがあって。もちろん京都が好きなんですけど、東京の市場原理というか、エネルギーの強さは魅力的なぶん、それにさらわれるのが怖い(笑)。
わりとフラフラしやすい性格だと思っているので、地に足をつけたくて、いまでもターミナル駅から離れた場所にいるイメージなんです。それはくるりさんにも共通するのかもしれないんですが。
岸田:そうですね。僕は東京に10年ちょっと住みましたけど、やっぱり魅力的な街ですし、いまでも仕事で行ったら楽しい(笑)。それでも、「よし、やりますか」ってときに起き上がらなきゃいけない角度が、東京と京都では全然違う。東京にいると、やっぱり追いつかないなと思うんですよ。すごく頑張らなきゃいけない。ビルも高いし(笑)。
上田:(笑)。
岸田:京都にいて、仕事場でMacを起動して、ふっと浮かんだアイデアに向き合える感じはやっぱりいいですよね。僕は京都でも都会だと思ってますけど、まだ許容範囲というか。
上田:めっちゃわかります。どこまで人里を離れるかが大事というか……。
岸田:あ、それ今後のテーマです。
上田:そうでしたか! どこまでも人里を離れたほうがいい気もしますもんね。
岸田:します。ものをつくるときはそうしたほうがいいんかなって。
上田:そういうこともありますし、京都という古い街にいるので、活動25周年を迎えたものの、僕はタイムスケールをもっと大きく、人生より少し長い尺度でとらえたいんです。少なくとも、「がむしゃらに走り切って、いまはもう何も見えません」ってことはまったくないですね(笑)。