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【後編】ヤマシタトモコ×岩川ありさが語る「物語の力」:『さんかく窓』で肯定しようとした負の感情

2023年07月12日 13:11  CINRA.NET

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Text by 羽佐田瑶子
Text by 後藤美波

『違国日記』や『HER』(ともに祥伝社)、『さんかく窓の外側は夜』(リブレ)など数々の物語を世に送り出しているヤマシタトモコさんと、現代日本文学を中心に、クィア批評やトラウマ研究を専門とし、2022年に『物語とトラウマ: クィア・フェミニズム批評の可能性』(青土社)を上梓した岩川ありささん。

「物語が持つ力」をテーマにした対談の後編では、社会の状況にエンターテインメントで抗うこと、ヤマシタさんが『さんかく窓の外側は夜』をBLであると明言する理由や、「物語に傷つけられる」感覚に覚える恐れや気持ちよさ、そしてふたりが最近心を掴まれた物語についても語ってもらった。

前編はこちら:【前編】ヤマシタトモコ×岩川ありさが語る「物語の力」:『違国日記』のフェアさ、社会と物語の関わり

─岩川さんは著書『物語とトラウマ: クィア・フェミニズム批評の可能性』で「周縁化された女性たちの声が聴かれる機会が少ない」と書かれていましたが、近年は韓国文学など「音のないこだま」のようなものを掬い取る物語に触れられる機会が増えてきたようにも感じています。岩川さんご自身の体感もしくはご研究から、社会の変化によって生み出される物語もアップデートされていると感じられますか?

岩川:アップデートされている部分とされていない部分が明らかにあると思いますし、いまはバックラッシュが起こっているとも感じます。

たとえば「女性解放が過ぎるのではないか」、「LGBTQ+の権利を認めすぎているのではないか」という揺り戻しが起きています。しかしこれは、これまで権利を持っていなかった人たちが、当然のように同じ権利を持っているという「前提を確認している」だけ。過剰に権利を付与する、という話ではまったくないと思います。

─それこそ、『MO'SOME STING』に出てくる憲法第14条にも関わる話ですよね(※前編参照)。

岩川:物語についても同様で、これまでも、周縁化されてきた人々はあまり登場せず、描かれたとしても、ある特定の役割を与えられてしか登場できなかったわけです。

ですが、先ほどヤマシタさんがおっしゃったように「いろんな人が当然いて、いろんな人生を歩んでいる」という前提で描かれる小説や漫画は近年増えてきているとも感じます。ちょうど過渡期ではありますが、だからこそ『違国日記』のような物語が増えれば増えるほど、こんな物語も描いてもいいんだと気づく創作者が増え、こんな物語を読みたかったんだという読者も増えていく。そうした循環がちょうど起こっているところだと思います。

─ヤマシタさんはどんなふうに感じられていますか?

ヤマシタトモコ『違国日記』10巻(FEEL COMICS swing、祥伝社)表紙

ヤマシタ:バックラッシュは危機として感じています。もはや、暴力的な段階にまで進んでいるのではないかと。私の作品にはさまざまなセクシュアリティの人が登場しますが、何年か前に「あなたの活動は有害です」と非難するような連名の手紙を受け取ったことがあります。そのときは、ほぼ脅迫のような恐怖を感じました。

だからといって創作のスタンスを変えることはしないですし、むしろエンタメを届けている身として、「いろんな人が当たり前にいるよ」という話を楽しく提供していくほかないのではないか、という気持ちがより強くなりました。さまざまなバックラッシュに対して、どうエンターテインメントが抵抗し、対抗していけるのか、みたいなことは最近よく考えます。

岩川:漫画も小説も映画もドラマも、あらゆるエンターテインメントが人々の生活の一部になっているなかで、エンタメだからこそレジスタンス(権力に対する抵抗)できることがあり、その部分はものすごく大事ですよね。描き方によってステレオタイプを広めてしまったり、傷つけてしまったりする可能性もありますが、物語が少しずつ多様性やバリエーションを持つようになり、「あらゆる人が当然いるよね」というスタンスの作品が増えてくると状況が変わっていくんだろうなと思います。

岩川ありさ著『物語とトラウマ: クィア・フェミニズム批評の可能性』(青土社、2022年)(サイトを見る)

ヤマシタ:そうですね。その人の属性によって物語のなかで役割を与えられるのではなく、ただの人間として描かれることが増えると、読者の前提も変わってくるんじゃないかなと思います。

岩川:カロリン・エムケという、作家、ジャーナリストが、「特定の役割やイメージにある人たちを押し込めてしまうと、その人たちは個性を持った個人として表象されなくなってしまう」ということを書いています。たしかに、一個人としての個性や人生が度外視されて、ステレオタイプなイメージでのみ捉えられてしまうと、本当は悩みの方向も人それぞれで、生活もさまざまなのに、個人を見てもらえないんです。個性を持った人が生きているという前提に立ち返るような物語がこれからも生まれ続けてほしいです。

─『違国日記』では、属性に限らず意見が食い違う者同士もひとつの物語に存在していたのが嬉しかったです。たとえば物語を信じて、居場所を見いだしている槙生と、一方で「物語を必要としない」という弁護士の塔野もいる。属性も価値観も人それぞれ異なる、という当たり前を描く物語は必要ですね。

岩川:そうした意味で、ヤマシタさんの作品は性別役割や社会の風潮といった「思い込みの呪縛」を解いてくれるものばかりだと感じます。

「このマンガがすごい!2011」オンナ編の1位にも選ばれたオムニバス『HER』(FEEL COMICS、祥伝社)の第3話で、年配の写真家・武山佳子が高校生の西鶴こずえが抱く「社会の常識」をどんどん壊していきます。たとえば「年寄りは恋をしない」「恋愛は男女で行う」といった思い込みです。そうした、呪縛を解いていくという問題意識が『HER』から『違国日記』に至るまで、ずっとつながっている気がするのですがいかがでしょうか?

ヤマシタ:つながっているのですが意識的かというと……どちらかといえば、掲載する媒体による影響が大きいです。メイン読者が20~30代女性の『FEEL YOUNG』で描かせてもらうようになってから、自分や周りの友だちもターゲットに含まれるので、自然と見聞きしてきた問題が物語に入り、「女性の人生をメインに描く」ということが大きなテーマになっていきました。身近な話題から想像したり自分の経験を入れたり、物語の細部までかなり正直に、ときに露悪的に描くことで、意識せずとも呪縛を解くような方向になっていったのかもしれません。

ヤマシタトモコ『HER』表紙(FEEL COMICS、祥伝社)表紙

岩川:ヤマシタさんはこれまでいろいろな媒体で描かれていますが、違いは感じますか?

ヤマシタ:媒体ごとというより、私自身のなかでは毎回全然違う物語を描こうと思っています。ただ、おっしゃるとおり雑誌や編集部のカラーはどうしてもあると思います。

以前、男性誌の『月刊アフタヌーン』(講談社)で『BUTTER!!!』という高校生を主人公にした作品をやっていたのですが、好きな女の子に照れ隠しで悪口を言っていた男の子が、その子にこっぴどく振られるシーンを描いたんです。そうしたら、私の周りの友だちからは「スッキリした」と好評でした。照れ隠しだから悪口言われても大目に見てやりなさいという風潮が私はすごく嫌で、周囲も同意してくれて。ですが、男性読者のアンケート結果がひどかったんですね。

─男性は「照れ隠し」のほうに共感している、ということでしょうか。

ヤマシタ:そうなんだと思います。私や作品にも原因があるとはいえ、やっぱりがっかりして。いまはそうしたフラストレーションはあまり感じずに描けていると思います。

ただ、そのときは最大限描ききったと思っても、読み返すと「何を言っているんだろう」と反省することも多いので、いま現在の自分が描きたいことを新しくやっていくしかないと毎回思っています。

岩川:ヤマシタさんご自身は、媒体に関わらず、毎回別の物語として描いているということですね。

ヤマシタ:そうですね。だからもう『違国日記』みたいな物語はしばらく描かないと思います。

岩川:ヤマシタさんはBL作品も描かれていますが、一般レーベルから刊行された『さんかく窓の外側は夜』(クロフネコミックス、以下『さんかく窓』)についてはっきりと「BLです」と言い切っていますよね。私はそれが嬉しかったです。クィアな愛や欲望は、ときに不可視化されてしまったり、解釈の可能性からはじき出されてしまうので。

「近い関係の2人だけど、そこに同性間の愛や欲望はない」という読み方が「あたりまえ」にされてしまうこともありますが、当然、その二人の関係ははじめから決まっているわけではないし、読者のほうはさまざまにその関係性を捉えるものだと思うんです。

ヤマシタ:読者の方がどう読んでくださっても構わないのですが、私がカップリングに対して固執する方なので(笑)、作者のスタンスとしては「ひやみか(※メインキャラクターの冷川と三角)固定」と言っています。

岩川:本作について「BLです」とあえて明言された意図について、ヤマシタさんのなかで何かあれば教えていただきたいです。

ヤマシタ:私は恋愛にまだ至っていない、なんやかんやとしている人たちの物語が好きなので、『さんかく窓』では、恋愛で「ある」「ない」に至る過程でやきもきする状態を描きたかった。そうしたら、単行本化はBLレーベルではなく一般レーベルでやることになったんです。

ヤマシタトモコ『さんかく窓の外側は夜』1巻(クロフネコミックス、リブレ)表紙。霊が視える書店員の三角が、除霊を生業とする冷川に見出されて助手となり、警察では解決不能な事件の謎を追うミステリー

─連載はBL誌でしたよね。

ヤマシタ:はい。でも、恋愛未満の話だって恋愛の話じゃないですか。私はBLとしてロマンスに至るふたりを描いているけれど、一般レーベルから出ている作品だということもあって、ギリギリBLではないと言われるのがとても悔しかった。同性愛嫌悪的なまなざしで、「私はそういうのを楽しんでいるわけではない」というような読み方をされるのも嫌だなと思っていたので、しつこく何度も「BLとして描いています」と言っていました。もちろんどう読んでいただくかは自由ですが、私はそういうつもりで描いていますと。

岩川:私は、ヤマシタさんのその発言があったおかげで、同性のロマンスが排除されない物語として『さんかく窓』を読むことができた気がします。このふたりの関係性は、いまはまだ名前がつけられないし、どうなるのかもわからないけれど、このなかに流れているふたりの親しさやここからはじまる物語の可能性を確かに感じながら読むことができたのはすごくよかったです。

岩川:私は基本的に箱推しの人間なので、作品を読んでいても登場人物を全員好きになるのですが、『さんかく窓』では、なかでも迎系多(※)がとても好きで。

ヤマシタ:人気がありますよね、彼。

岩川:やっぱりそうですよね! ちょっといま浮足立ってしまったのですが(笑)、彼は「話をしよう」と何度も言うじゃないですか。冷川さんや非浦英莉可といったキャラクターと同じく特殊能力を持ちながら、話をすることで心のなかに残っているわだかまりや怨念を浄化するという、ふたりとは別の論理で動いているところが好きなんです。半澤さんという霊を信じない刑事もまた違う論理を持っているし、そのバラバラさが物語の魅力だと思いました。

『違国日記』にも通じますが、ヤマシタさんの作品はいつも論理と論理がぶつかりあって、価値観がすれ違ったり交わったりしながら、多様な声がものすごく溢れてくる。それは先ほどもおっしゃっていた「人と人は絶対にわかりあえない、それでも……」という思いも影響していると思うのですが、そのような意識は『さんかく窓』のときもありましたか?

『さんかく窓の外側は夜』7巻より

ヤマシタ:そういう意識はありました。そのなかでも、『さんかく窓』はマイナスの感情を肯定することをやろうとした作品です。怒りや悲しみ、憎しみ、苦しみはすごく大事な感情なので、そうしたものを排除せず、受容したまま生きていくことができるのではないか、という物語を描きたかったんです。

もちろん負の感情を理解できない人もいると思いますし、憎しみとか持たない方が楽なんだけど、わかりあえなさの真ん中をどうにか見つけて、一緒に生きていくことができるんじゃないか──その可能性を伝えるために『さんかく窓』では徹底的にふたりをやりあわせました。相手を全然理解できなかったのに、そこからロマンスが生まれたらとってもときめかないですか? という気持ちもあって。

─いま「理解できない人もいると思う」というお話がありましたが、『違国日記』の槙生が「自分の言葉で傷つけてしまうのが怖い」と言うように、おふたりは物語が人を傷つけるという感覚に覚えがありますか?

岩川:梶川さん(『FEEL YOUNG』担当編集)が『ダ・ヴィンチ』(2018年2月号)のインタビューで「もともとヤマシタさんは『物語に傷つけられる感覚』が一読者として好きなんです。そのスイッチが一番大きく入ったのが『ひばりの朝』(と『花井沢町公民館便り』)だったんじゃないかと感じます。それらを全力で描いたからこそ、現在の非ダークな人間ドラマを練り上げるターンに来たのかな」とお話されていたのが印象的でした。私もヤマシタさんの「物語に傷つけられる」という感覚について伺ってみたいです。

『FEEL YOUNG』編集・梶川:先に私から補足させていただくと、言語化するのがなかなか難しいのですが、本来的にヤマシタさんは物語に愕然としたり突き落とされたり、激しく感情が揺さぶられるものがお好きだと感じています。私もそれが相当強い人間なので、物語に触れて傷つくことが若干の快感でもあるんです。

ヤマシタトモコ『ひばりの朝』(FEELコミックス、祥伝社)1巻表紙

ヤマシタ:物語を読んでいるときに、自分でも自覚していなかった古傷やコンプレックスや弱みにさっと触れられてビクッとする感覚って、ありませんか? 「なんで知っているの?」っていうような感覚です。その瞬間が恐ろしくもあり、ものすごく気持ちいい。たとえ物語から指をさされて糾弾されるようなことであったり、トラウマを掘り起こされたりしても、その強さはつくり手が読み手を懸命に見つめていないと生まれないものです。その、見つめられる感じが物語から傷つけられるって感覚なのかもしれない。

岩川:心の奥深くに触れられると気持ちいい感覚は、私もわかります。ものすごく落ち込んだときは、テンションが上がるような作品よりも、どん底まで精神をえぐってくるようなものを観てしまう。

ヤマシタ:わかります。疲れているときこそホラーを観たりとか。

岩川:それこそ、トラウマに触れてしまわれたら怖いのですが、「あれってこういうことだったのか」と教わることもあって、そういうものを投げかけてくるような物語を受け止めると、私のなかで何かが起こるような感覚があります。それは物語の持っている特質の一つなのかもしれないですね。

ヤマシタ:ただ傷つく怖さも知っているので、つくり手としては加害性に自覚的でありたいと思います。私の基準に合わせてしまうと、相当相手が痛みを感じるかもしれないので、鈍感さを捨てて気をつけながらつくらなければいけないとも思っています。

─最後におふたりから、最近「自分を生かしてくれた」「心を掴まれた」と感じる作品を教えていただけますか?

ヤマシタ:わりと最近なんですよね、そういう「救われる」という視点で作品をみるようになったのが。それこそ、「怒りや憎しみの衝動がこの世にはある」というテンションで描いているものに勇気をもらうことがあって、『ミッドサマー』はすごく感銘を受けました。

岩川:私はホラー的な怖さというより、その場にいる自分を想像したときにものすごく恐怖を感じました。

ヤマシタ:人によってはフラッシュバックを起こしてしまうので万人に勧められる映画ではないけれど、主人公のように悲しみが一気に押し寄せて、なにもできなくなる瞬間があることを、ものすごくリアルに描いてくれたと思います。

同じ監督の前作『ヘレディタリー / 継承』でも、誰からも理解されない苦しみがこの世にあることを、ホラーというジャンルで描いたことが手の差し伸べ方として本当にうまいと思うし、心の拠り所になる作品だと感じます。優しく、甘い言葉をかけてもらうよりも、ある種暴力的な作品こそ魂レベルの寄り添いを感じるかもしれません。『マッド・マックス 怒りのデスロード』に熱狂していたときも、同じような感覚だった気がします。

岩川:私も『マッド・マックス』の公開当初、「フェミニズム映画だ」と昂って観たのですが、昨年観返したとき一番に思ったことが「物を大事に」だったんですよ。自分が丸くなったのかもしれませんが、そっちが気になってしまって。闘うことの大事さを忘れたわけではないんですが。

ヤマシタ:わかります。アクションものでも、「コラー! 物は壊すなー!」って思いますよね(笑)。

─岩川さんは最近心を掴まれた作品などはありますか?

岩川:冒頭で『若草物語』の話がありましたが、その現代版として韓国ドラマ『シスターズ』(※)が大好きでした。一時期、家に帰れば『シスターズ』を観られるから生きられる、くらいの時期もあったほどで。観終えるのが惜しくて、15分くらいずつ毎日観ていました。

ヤマシタ:『シスターズ』もおもしろい作品でしたね。

岩川:人間の欲望の奥底まで描くドロドロの展開がある話でしたけど、自分が置かれている状況と重なるところもありました。それが『若草物語』やそれに影響を受けた作品の不思議さで、彼女たちの物語が立ち上がりながらも自分とも重なる。これまでは、彼らの物語──つまり、男性に焦点化された物語が圧倒的に多くて、そのなかに居場所を感じなかったですし、女の子が一方的に愛されるだけだったり、ひたすら受け身にされてしまうことへの違和感がありました。そうではなく、闘いもするし裏切り合いもするし、互いを応援したり、支え合いもする、そういう物語にすごく救われます。

ヤマシタ:私はパク・チャヌク監督が大好きで、『シスターズ』は彼と長く仕事をしている脚本家さんの作品だったので期待して配信を待っていました。パク・チャヌク監督の『お嬢さん』もエンパワーされる作品だと思います。あれも暴力的ですけど。

岩川:原作もおもしろかったです。

ヤマシタ:積読したままで、まだ読めていないんです。いま読んでいる本が終わったら次に読みます。積読が100冊以上あって……(笑)。

岩川:どんどん増えていきますよね。でも、積読は大事だと思います。

ヤマシタ:買わなかったら忘れてしまうから、死ぬまでに読みきれるかわからないけれどとりあえず買っておこうという気持ちで、手元にどんどん増えていきます。でも、積読も財産です。