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極小のアート作品「1mmタトゥー」を体験。藝大院生の佐藤はなえとの対話で見えたタトゥーの価値

2023年07月12日 13:10  CINRA.NET

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写真
Text by 中島晴矢
Text by 川谷恭平
Text by 垂水佳菜

近年、タトゥーを入れたり、入った人を見る機会が日本でも増えてきた。タトゥーに関する情報や知識も広がり、タトゥーカルチャーがポピュラーになりつつある。一方、いまだタトゥーに対するネガティブなイメージが根強くあることも否定できない。

そんななか「1mmタトゥー」なるアートワークを展開しているのが、東京藝術大学の大学院生でもあるアーティスト・佐藤はなえ。1mmタトゥーとは、1mm大のドットのタトゥーを施術するアート作品だ。これまで1000人を超える老若男女、多国籍の希望者に1mmタトゥーを施してきたという。

写真提供:佐藤はなえ

なぜ佐藤はタトゥーを1mmというサイズで施術するのか。それはアートとどのような関係を持つのか。はたまた1mmタトゥーをつうじて、芸術と社会の両面に対してどんな影響を与えようというのだろうか。実際に施術を体験しながら、そのコンセプトやタトゥーに対する価値観についてうかがった。

佐藤はなえ(さとう はなえ)
1997年、東京都新宿区生まれ。東京藝術大学大学院美術解剖学研究室在籍。同大学美術学部絵画科油絵専攻在籍中に、石橋財団国際交流油画奨学プログラムに選抜され、イタリアに留学。タトゥーアーティストとしての技術を学ぶ。現在は「1mmタトゥー」を皮切りに修士論文を書きながら、作品を発表するアーティストとして活動している。2023年、若手作家を対象にした公募展形式のアートフェスティバル『SICF24(第24 回スパイラル・インディペンデント・クリエイターズ・フェスティバル)』で準グランプリを受賞。来年、1mmタトゥーをテーマにした個展を都内ギャラリーにて開催予定だ。

―今日はよろしくお願いします。僕は子どものころ、目覚まし時計を止めようとしたら、隣のペンや鉛筆の刺さった筆立てを思いっきり叩いてしまったことがありまして。たしかに目は覚めたんですが(笑)。

そのときに左手の中指にできたインクのシミがまだ残っています。それがまるで「タトゥー」みたいだな、と。そこで今回は、そのシミと対応するように、右手の中指に1mmタトゥーを入れてほしいんです。

佐藤:わかりました(笑)。そういうシミを見せてくれる人はけっこういますよ。皮膚にインクが刺さって残るのって、仕組みはタトゥーと同じですね。

では、まず1mmタトゥーを入れたいところにペンで点を打ってください。人間の身体はシンメトリーではないので、人によってしっくりくる場所は違いますから、ご自分でどうぞ。

―1mmとはいえ、ずっと残るものなのでやっぱり少し悩みますね……。よし、ここにします!

手や腕など自分で目視できるところに入れる体験者が多いという

佐藤:次は入れる色ですね。タトゥーインクは皮膚のメラニン色素の下に入るので、ご自身の肌の色がうっすらかかりますし、経年によって変化します。左手のシミに近づけるなら、緑色ですかね。緑にも何種類かありますから、4色くらい出してみます。

―インクにもずいぶんたくさんの種類があるんですね。

佐藤:そうなんです。ちなみにこれらは植物性のヴィーガンインクです。私は菜食主義とかではないんですけど、最近はタトゥー用品もオーガニックになってきていて。体に直接入れるものなので、ナチュラルであることに越したことはないのかなと。彫るときに使うタトゥークリームも植物が原料。ココナッツやマンゴーのアレルギーはないですか?

―ありません! 色はこの緑でお願いします。

佐藤:彫るのはこのタトゥーマシンを使います。5年くらい前からワイヤレスのものが登場しました。マシンの先っぽにつけている針は使い捨てで、私が使っているのは3本の針が一束になったものです。

1本の針が0.25mmで、これで少しずつ1mmを彫っていきます。マシンでインクを吸って、針で皮膚に傷つけて、その傷にインクを流し込むという手順です。それでは彫っていきますね。

―あ、ちょっとチクッとしますね。でも、注射より痛くないくらい。1mmといっても一回だけではなく、何度も針を刺すんですね。

佐藤:手のひらは色が抜けやすいんで、しっかり彫ったほうが色持ちがいいんです。タトゥーを彫るとかさぶたができますが、いってしまえばそれは怪我と同じなので、擦り傷や日焼けなどを重ねれば治って見えなくなっちゃう。残る人は長く残るし、消えてしまう人は消える。それは人によるので、いつまで色が残るかは保証できません。

彫った当日は血が混ざり黒っぽいが、一週間くらい経過すると自然に治癒し、皮膚になじんだ色になっていく

筆者がもらった作品証明書

―ありがとうございました! 佐藤さんの作品を右手中指に「所有」できてうれしいです。ここからアートワークとタトゥーに関する質問をしていきたいと思います。あらためて、1mmタトゥーを始めたきっかけはなんだったのでしょう?

佐藤:最初は、大学の卒業制作のために始めました。それが2020年のころです。その前年からタトゥーを学ぼうとイタリアに留学して、1mmタトゥーに近いアイデアを見つけています。1mmというのはインクが皮膚に定着する最小サイズで、2mm以上になるといろんな図柄になるというのを、実験をとおして認識していましたから。

―イタリアに留学する前からタトゥーに興味があったわけですよね。

佐藤:はい。ただ、タトゥーを自分に入れたいという気持ちではなく、「身体」という支持体(※)に描くことに興味がありました。小さいころから身体の展示を博物館や美術館でよく見ていたので関心があって。人は皆、身体を所有していますが、それには変化や個体差があるので観察するのが面白いと思っていたんです。

18歳で大学に進学してからは現代アートに触れていたのですが、19歳のとき、西安の古代壁画を見に行って、身体への関心が再熱するようになりました。壁画表面や大地などの自然物は、身体と同じように新陳代謝を繰り返しているので、私はそこから皮膚を連想するようになったんです。

佐藤:あと同時期に、メキシコ中部地震(※)で被災したことがあるんですが、それも体や皮膚の重要性に注目したのも要因の一つです。

地震が起きたとき、私はメキシコシティの美術館にいたのですが、周りの建物とか道路が割れ、地下鉄も血肉のように露出していく光景を見て、生と死を肌身で感じたんです。「ヤバい!」と思いながらも、倒れていく建物と自分の身体がリンクする感覚がありました。

―周囲の環境が崩落するなかで、自己の身体が浮き彫りになったわけだ。しかしメキシコで被災というのは稀な経験ですね。

佐藤:帰国後は身体や皮膚を素材・モチーフに作品制作をすることが増えました。油絵や壁画も時間が経てば表情が変化しますが、タトゥーの場合は支持体が人。脳を持つので、皮膚の表情の変化だけではなく、彫る行為は精神にどう影響するかなど探究するのも興味深いです。

―小さいころから一貫して身体性への執心はあったんですね。ちなみに出身は新宿で、東京を代表する繁華街ですが、タトゥーは小さいころから見てきましたか?

佐藤:たぶん。新宿はほかのエリアより多国籍な街じゃないですか。私の周りにも日本国外にルーツがある友人がいたり、よく海外に行ったりしていて、タトゥーは見慣れていたのでネガティブな印象が薄いです。

日本では「タトゥー=悪」と思う人がいますが、私が生まれ育った環境では皆が同じじゃないのがあたり前だったから、「人と違う」ということに対して「怖い」という感情をあまり抱かないんですよ。

―他者性に対するある種の耐性を身につけられる環境だったと。そういった個人的な体験を経て見出したのが、1mmタトゥーというスタイルだったわけですね。

佐藤:あくまで私がアートワークとしている1mmタトゥーは、誰かに見せたり見られたりするためじゃなく、インディビジュアルな身体をとらえたり、他者との共生を意識したりするもの。

大きくて装飾的なタトゥーにすると、所有者個人のアイデンティティに基づく特定の解釈がされる。もし「私が好きに絵を彫ります」ということであれば、もともと絵画をやっているので、「それならキャンバスに描けばいいじゃん」ということになってしまう。

施術後に行なったアートワーク用の撮影

―描く支持体がキャンバスから身体に変わっただけになってしまう、と。

佐藤:身体である必然性がなくなってしまうんですよ。私はユニバーサルなアートが好きで、さまざまなバックグラウンドの鑑賞者にアートを届けるためには、私・体験者個人・鑑賞者をつなげるかたちをつくりたいなと。そのかたちをつくる過程で、要素を必要最低限に削ぎ落したり、圧縮することになります。

―その圧縮した先が、タトゥーの原理をミニマルに突き詰めた「1mm」だったんですね。

佐藤:そうです。でも、1mmだからといって、大きいものと比べ内容的に欠けているというわけではなく、極小の絵として自立しますし、1mmには体験者個人の彫る動機や解釈といったストーリーが必要十分に圧縮されていると考えています。

もっというと、さっき彫ったものも含めて、正確に「1mm」かというとそうじゃなくて、だいたい、約1mmなんですね。私が重視しているのは実際の数値ではなく、「1mm」という言葉を極小とか最低限という意味で使っているところがあります。

「毛ほども〇〇ない」とか「毫(ごう)も〇〇ない」と同じ(笑)。私は中田ヤスタカがすごく好きなんですが、それこそPerfumeの“1mm”という曲に<覚悟がまだまだ1ミリも足りないね>という歌詞があって、自分でも違和感なく使っていましたね。

―たしかに「1mmも〇〇ない」は、いまは日常会話であたり前に使いますから。要するに「1mm」というのは、ミニマルなアートであることを表すコンセプトだということですよね。

佐藤:そうなんです。アーティストでいうと、李禹煥、内藤礼、ロニ・ホーンといった自然の現象や人の身体が動くことを利用した体感型のミニマリズムを実践している作家が好きです。あとはレン・ハンやイヴ・クラインみたいに抽象的に身体を使っている作品も好きです。身体を何かのメタファーとしたり、素材として美を見出したり。時間軸は違えど、身体と同じように建物や大地も新陳代謝を繰り返していて、美しいと思います。

―人間の身体を、大地や建物のメタファーとして考えているわけですね。

佐藤:素材としても似ていると思います。皮膚を接写するとひび割れた大地に見えるし、1mmタトゥー自体も、まるで空の星のように、観察する距離や時間によって表情が変わりるんです。

―1mmタトゥーにはアートプロジェクトとしての側面もありますよね。プロジェクトを公開してから、なんと1000人近くの希望者に彫ってきたと。それほど多くの人に受け入れられたのは、やはり1mmタトゥーの持つカジュアルさが要因の一つとしてあると思います。

ホクロと見間違うようなワンポイントタトゥーだからこそ、社会生活にもほとんど影響が出ないという。

佐藤:1mmタトゥーを入れる動機は人それぞれですが、一ついえるのは、タトゥーは身体加工の一種だということ。いまも昔も世界各地で健康や美容、もしくは帰属意識のために身体加工をする文化がありますし、似ている装飾でも時代や地域によって動機が変わります。

良いか悪いかはさておき、整形や脱毛など身体に自己表現のための「傷」をつける施術をよく見ます。男性のネイルも浸透していますし、筋トレもある種の負荷だし。だから、ジェンダーを問わず、1mmタトゥーのカジュアルさだけに限らず、身体加工が身近な時代なのかなと。

近年だと、コロナの影響で、自分の身体や内面に向き合ったり、他者を再認識したりする時間が増えたのも要因の一つだと思います。

―現代の社会背景として、若い世代を中心に身体加工の敷居が下がっているということですね。

佐藤:それが若い世代だけじゃないとも感じるんです。日本社会は高齢化していますが、いまの40・50代の方々ってすごく若いですよね。美容皮膚科に通ったり、シワを引き上げたり、眉毛にアートメイクをしたり。老後のために脱毛をする人もいるし、植毛や染毛もめずらしくない。

―そうか、アートメイクや植毛も身体加工の一種といえますね。

佐藤:しかも痛みを伴いますからね。タトゥーを入れる痛みと、そのほかの痛みでいえば、タトゥーの敷居が著しく高いというわけではない気がします。

―高齢世代もまた身体加工が身近になってきていると。たしかにアンチエイジングの流れもありますしね。タトゥーは佐藤さんのような若い世代のあいだで人気な印象があったんですけど、実際のところ、若い人の施術は多いんですか?

佐藤:うーん、その言説自体が本当なのかなって。私よりも若い20代前半の方たちって、お酒やタバコをやらない人が増えている印象です。身体に負担がかかることをしたがらないというか。そもそもタトゥーは身体に傷をつける行為なので、決して身体にいいものではないんですね。1mmタトゥーを彫りにくる人も、20代より30~50代の人が多いんですよ。

―たしかにそうかもしれませんね。僕の周りでもタトゥーを入れてる若者はちょくちょく見かけますが、それが多数派かというと決してそんなことはないわけで。ただ世代に関係なく、タトゥーを彫る人や彫られる人が増えている部分はあると思うんです。それは近年のタトゥーの道具の進化やSNSの影響があるのかな、と。

佐藤:道具はいいものがいっぱいできましたね。円安の影響もあって値段は張るんですが、便利な時代になりました。あとは、航空券が安価になったことだとも影響があると思うんですよ。海外のタトゥー業界は日本よりも規模が大きいです。ここ10年くらいでLCC(格安航空会社)ができたことで、どんどん海外の人や情報が入ってくるし、自分でも施術を体験しに行ける。

海外旅行のついでにタトゥーを入れる人も増えています。世界にアクセスしやすくなって視野が広がった。もちろんSNSもそれをあと押ししているはずです。

―物理的にも情報環境的にも、海外のタトゥーカルチャーとの距離が確実に近づいている。

佐藤:それは「刺青=危ないもの」という固定観念とは違うとらえ方を、自然と享受できるようになったということです。メディアの数も増えたので、自ら情報を取りにいくことができますから。

―InstagramやYouTubeをとおして、タトゥーの情報を浴びるように摂取し続けることも可能ですもんね。そこまで拡散したからこそ、先日トライバルタトゥーの第一人者である大島托さんがゴールデンタイムのテレビ番組に出演したりと、逆にテレビでタトゥーのことがフラットに放送されるくらいマスに届くようになっているとも感じます(※)。

―最後に、日本でタトゥーカルチャーに親和的な人が増えていても、やはりタトゥーに対する偏見は根強く残っていると感じます。そうした偏見に対して、佐藤さんはどう向き合っていこうと考えていますか?

佐藤:私は偏見って、きれいになくなるものじゃないと思っているんです。たとえばこの前イスラム教徒の友人と話していたら、多神教のことをまったく受け入れてもらえなかったことがあって。そういうバイアスっていうのは、皆それぞれが持っているもの。

だから私は、いま生きているすべての人にタトゥーを受け入れてほしい、偏見をなくしてほしいとは思っていません。もちろん誰かを差別するような行為はしてはならないけど、他人が人生のなかで培ってきた考えを全否定するというのは、おこがましいと感じるんですよ。

―ああ、すごくよくわかります。

佐藤:1mmタトゥーをとおして、タトゥーを入れる人が増えればいいとも思わないし、皆にタトゥーを彫ってほしいとも思いません。でも、強いて言うのであれば、自身がタトゥーを入れてなかったとしても、「こんな人もいるんだ」と知る機会にはなります。自分と違う他者を見ることは、多様な価値観を考えるきっかけになります。

価値観は時代のなかで変わっていくものですが、タトゥーもその一つ。その変化の過程を、生きている人がそれぞれとらえていく。私も無知がゆえに偏見を持ってしまうことがあります。無理に受け入れろというわけではなく、知らないことを目に入れておくことは大事だと思います。

―他者の「偏見」に対して、抑圧も排除もしないということですよね。

佐藤:そうですね。ある人がそう思うには相応の理由があり、その背景がありますから。アートワークのあり方は人によって違うので、特定のメッセージを伝えたい人もいると思います。でも私は、人が考える時間をつくれるような問いだったり、自分なりのスタンスのようなものを社会に投げかけたい。そして地域や人種、性別などあらゆるカテゴリーを超えて、一緒に思考していきたいですね。