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笹久保伸はなぜ、どのようにサム・ゲンデルら海外の音楽家とつながった?ジャズとフォークロアから語る

2023年07月12日 13:10  CINRA.NET

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Text by 山元翔一
Text by 渡邉隼
Text by BAROOM

「世間のいろんなとこに目を配らなくても、じつはここに世界への入口がずっとあったということが、わかりやすくなってきているなと思います。なにかに同調しなくてもいい。自分に集中していれば、つながるべき人がここにいる、みたいな感覚です」(※)

世界中の人とその音楽を通じて交感できてしまう音楽家は、いまどんなこと考えているのだろう。そんな疑問をぶつけてみたら、青葉市子はこう答えてくれた。「じつはここに世界への入口がずっとあった」——この言葉を体現するように、現代ジャズの鬼才サム・ゲンデル、アントニオ・ロウレイロをはじめ、さまざまな海外の凄腕ミュージシャンたちと作品を発表する音楽家がいる。笹久保伸だ。

埼玉県秩父で生まれ育ち、現在もこの地に暮らす笹久保伸。この音楽家に聞いてみたいことがあった。あなたはどうしてこれほどまでに、さまざまな海外の音楽家たちとつながり、作品を残すことができているのか? 切り口は2つ、フォークロアとジャズをそれぞれ専門的に探求する大石始と原雅明を聞き手に招いて取材を実施。7月5日の南青山BAROOMでのライブを直前に控え、笹久保伸の類稀なる活動とその音楽に切り込んだ。

奥から:大石始、笹久保伸、原雅明

ーまず笹久保伸さんの音楽との出会い、お二人が特にどんな点に興味を持たれているのかを教えてください。

原:最初は現代音楽の作曲家の藤倉大さんとのアルバム(※)だったと思うんですけど、ポストモダンな即興系ギタリストのように感じたら、クラシックギターの出自やペルーのことを知ってちょっと混乱しつつも、興味を持つことになったという感じです。

それで、フォルクローレに根ざした人なのかなとも思っていたんですが、サム・ゲンデルはじめ海外のいまの人とやりはじめ、こっちが追いつかないぐらいのペースで作品がリリースされることに驚きつつ、それを追って聴いてました。

自分のやり方で、海外のミュージシャンと自然にリンクしている人は日本にあまりいなかったのでさらに興味を持ちましたし、コラボレーションというような一過性の企画モノじゃない、個と個が向き合っている、パーソナルな作品だったことにも惹かれました。

大石:僕が最初に聴いたのは『翼の種子』(2012年)で、初の国内録音作で久保田麻琴さんが録音やミックス、マスタリングもやっているんですよね。そのアルバムからもう素晴らしいなと思っていたんですけど、2014年の『秩父遥拝』から自分の関心とリンクを感じるようになりました。

あの作品では「機織り歌」や「雨乞い歌」、「まりつき歌」といった秩父の歌に取り組んでいるけど、それがいわゆる「古い民謡を現代に蘇らせました」という単純なアプローチではない(※)。そこが自分の関心とリンクするところでした。2015年の『PYRAMID』って作品も秩父にアプローチしているけども、作品ごとに視点というか、向き合い方が変わっている部分と、変わらない本質的な部分があって、そこが非常におもしろいなと思っています。

―秩父出身で、クラシック音楽を経てペルーに渡って音楽を学ばれたご自身のバックグラウンドについて、あらためてお話しいただきたいです。

笹久保:僕は日本に生まれて、父親の仕事の都合で僕は0歳から1歳までペルーに住んでいたんですけど、幼少期から南米の音楽を聴いて育ちました。それから日本に帰ってきて9歳のときに近所のギター教室に通いはじめてクラシックに出会った。

それで20歳ぐらいの頃、2004年から2008年ぐらいまでペルーにいて、ある種、南米の音楽への「憧れ」でやっているうちにアイデンティティの壁にぶつかる。現地の人の真似をすれば同じように弾けるようになるけど、ペルー人にはなれない。そこで「自分とは何なんだろう?」って問いがはじまったんです。

でもそれは仮に自分がジャズやロック、あるいはヒップホップをやっていたとしても必ずぶつかる壁なんですね。憧れではなく、その音楽の当事者になるためにはどうしたらいいか、ということを考えるようになったんです。

笹久保伸(ささくぼ しん)

秩父出身のギタリスト。2004年から2007年にかけてペルーに在住し、アンデスの農村で音楽採集調査しながら演奏活動をおこなう。ギタリストとして、イタリア、ギリシャ、ブルガリア、キューバ、アルゼンチン、チリ、ボリビア、ペルーでソロ公演。これまでに37作のアルバムをペルーと日本のレーベル各社からリリース。

笹久保:要するにケンドリック・ラマーや2 Pacがかっこいいのは、単純に英語がうまいとか、発音がいい、ビートがかっこいいとかではなく、その音楽に「当事者性」があるからだと思うんですね。


―その「当事者性」をどのように模索していったのでしょうか?

笹久保:そのためには自分のアイデンティティを見つめ直さなきゃいけなかった。「日本人は根無草でアイデンティティなんかない」って言う人もいますよね。でもその一方で、それぞれのルーツをたどっていくことで、すべての人がアイデンティティを見つけられるんじゃないかということに気づいたんですね。

僕の場合、本を読んだり勉強したりして身につけた教養や思想をすべて取り払ったときに残ったものが、「秩父という町に生まれ育った」ということだった。秩父の町にも民謡があって、機織り歌や木挽歌やたくさんの歌があった。自分が憧れでやっていた音楽と並行して、「秩父前衛派」というアートコレクティブを通じて秩父の民俗学を研究する活動、つまりアイデンティティに対峙する取り組みをはじめたんですね。

笹久保:大石さんが最初聴いてくださった『翼の種子』は僕の14枚目で、10年前ぐらいに出たアルバムです。この10年で自分の音楽は自然に、でもすごく変容していったと感じていて、やっぱりサム・ゲンデルと一緒にやったこと、ブラジルのミナスの人たちとつくったことからはすごく影響を受けますからね。

そうやって近年、海外のアーティストと一緒にやるなかで徹底したのは「彼らの音楽をやらない」ということでした。全部僕の曲をやってもらっているんです。もしそうでなければ、吸収されてしまっていたと思う。

大石:その当時はまだアイデンティティを探している状態ですか?

笹久保:そうですね。

笹久保伸『翼の種子』を聴く(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く)

大石:ここ数年のコラボレーションは、笹久保さんのアイデンティティが確立されたからこそできている、ということですよね。

笹久保:そうですね。たとえば『秩父遥拝』で秩父の仕事歌を演奏するうえで、ギターのテクニックなどが僕のなかに追加されていったんです。その技を使って、サム・ゲンデルやジョアナ・ケイロスとやっている。

共演者の音楽に影響されて吸収する癖があったからこそ、いまできていることがあるなと思います。ただ、もともと僕はソリストで共演することは全然興味がなかったですよ。



原:ソリストとして1人でやってきて、いわゆる即興演奏的なことはやってこなかったのですか?

笹久保:即興のアルバムも2、3枚出しているんですよね。クラシックギターをやるなかで、音楽の恩人である作曲家・高橋悠治さんの影響を強く受けています。高橋さんはクラシックのピアニストだけど即興もやる人で、一緒に即興演奏したこともあります。

若い頃、デレク・ベイリーやノエル・アクショテのような人への憧れもありましたけど、いわゆるジャズの即興はまた別としても、民謡でも何でも音楽のなかには即興性ってあるから、特別意識することなく自然にやってますね。

原:ノエル・アクショテやデレク・ベイリーは、ジャズギターのメソッドを土台にしたうえで、そのイディオムから外れたことをやってるわけですけど、笹久保さんの場合はそうではないですよね。

笹久保:はい、僕はジャズの教育を受けてないですから。

原:高橋悠治さんからはどういうことを学ばれたんですか?

笹久保:何も教えてくれなかったんですよ(笑)。楽譜を見せて、「いや、これはこうしたほうがいいよ」ぐらいのことは言ってくれますけど。「あまり弾かない」とか一緒に演奏するなかで影響を受けた部分はあって、ただ余計なことをしないってことは大事なことで。そういうようなことを教わりました。

―ちょうど先日CINRAで、坂本龍一さんの追悼連載で高橋悠治さんとの関係性についての記事を出しました(※)。

笹久保:坂本龍一さんも高橋さんにすごく影響を受けていらっしゃいますよね。昔、高橋さんのイベントで坂本さんと一緒になったこともありますし、自分が出した写真集『百人武甲山』に寄稿していただいたり、新曲を聴いてもらって和声を直してりいただいたりもしました。

―クラシック音楽というルーツは、いまの活動にどのようにつながっていますか?

笹久保:そもそもクラシックを勉強して、クラシックを弾くのはもう現代的ではないと思うんです。「ジャズなんか関係ない」ってサム・ゲンデルも言ってますけど、ジャズなりクラシックなりを土台として、まったく違う表現をやるのが音楽家の当然のあり方というか。

―ミュージシャンと共演するなかでクラシック的なものが共通言語として機能していると感じる場面はありますか?

笹久保:ないです。サム・ゲンデルやアントニオ・ロウレイロ、ノエル・アクショテ、ジョアナ・ケイロスと共作するときは楽譜なんか一度も使ったことがないです。日本人だったら一緒にやるときはだいたい「楽譜送ってください」って言われるんですけど、そんなこと言われなかったのは海外の人とやって一番楽だったことかもしれない。

別に楽譜を軽視しているわけではなくて、楽譜は音を無理やり記号化しただけのものですから、実際には演奏者の創造性で弾くわけですよね。地図と同じようなもので、別に違うルートでも目的地には行ける。楽譜にはゴール地点が書かれているだけで、実際に音楽をつくる人は演奏する人だって考え方です。

笹久保:原さんのレーベル「rings」から出してるジャメル・ディーンは新しい記譜法を考えていますよね。

原:彼もニューヨークのニュースクール大学でジャズを教わっていたんだけど、教われば教わるほどジャズ史とそこからできあがったメソッドへの疑問が湧いてきて、授業中ずっと自分の記号で楽譜を書いていたそうです。ジャズは教養主義的な部分ではクラシックをずっと追っていると思います。

笹久保:使っている理論自体はジャズもクラシックも同じわけですからね。

原:あくまで僕の感覚なんですけど、いまクラシック以上にジャズのほうがすごく高踏的な感じがします。相撲の番付みたいに東の横綱と西の横綱がいて、みたいなヒエラルキーがかっちり決まっていて、ジャーナリストやメディアも含めてその構造に囚われているように思います。僕自身この10年、15年ぐらい、ジャズについて努めて書いてきた身としては、最終的にその部分に違和感を感じています。

笹久保:音楽として洗練されていくなかで、そうやって権威的な感じになってしまうんですよね。



原:でも笹久保さん、このあいだ「僕の中でJazzが『リアリティのある存在』になったのは、ロバート・グラスパーが秩父に来た日に始まります」ってTwitterに書いていたじゃないですか。そこのことを詳しく聞きたいなと思ったんですけど。

大石:僕も聞きたかった。

笹久保:そう、グラスパーが秩父に来たんですよ。そもそも僕は全然ジャズと関係ない生き方をしてきたんです。ジャズの「ジ」の字もない環境で生まれ育ったんですけど、突然、秩父でジャズフェス(※)がはじまって去年と今年もグラスパーが来た。今年はカマシ・ワシントンとかも来ました。

会場が歩いていけるような場所なので行ってみたら、純粋にすげえなと感動したし、現象としてすごく衝撃的だったんです。そのライブを観て、自分の思想を除いて考えたときに「俺はグラスパー以降のミュージシャンなんだな」って自覚させられましたね。それは単に彼のようなプレイをしたいって意味ではないんですけど。

―ロバート・グラスパーという現代のジャズの「当事者」が秩父という笹久保さんの土俵に来た衝撃、ということですよね。

笹久保:だってジャズの歴史の1ページをつくっている人が向こうから来たってことですからね。すごく刺激になりました。

大石:いまにつながる海外のアーティストとのコラボレーションって、2021年の『CHICHIBU』からですかね?

笹久保:そうですね。『CHICHIBU』は僕の30作目のアルバムで、コロナ禍でいろんなことができなくなったのもあるし、30作目の記念に普段やってないミュージシャンとやるレコードにしたかったんです。

それでアルバムについて考えているときに、秩父にあるカルネっていう喫茶店の音楽好きのオーナーが「いまサム・ゲンデルってやつが流行ってるよ」って教えてくれたんです。レコードを聴かせてもらったらすごくおもしろくて「俺、この人とやろうかな」って言ったら、「やれるわけねえよ、めっちゃ売れてんだから」って言われて(笑)。それがなんかムカついて、家に帰って連絡先探して速攻メールしたら実現しました。

大石:すごい(笑)。

原:サムとの会話はスペイン語なんですか?

笹久保:そうですね。サム、コスタリカに家買ったらしくて。「アメリカも最悪だから」とか言って。おもしろいですよね。

―せっかくなのでサム・ゲンデルの話を掘り下げたいです。アメリカ西海岸って文脈では「当事者」かもしれないですけど、言ってしまえばサム・ゲンデルはジャズの世界ではある種アウトサイダーといったような立ち位置ですよね。

原:出てきたときは、いわゆるジャズのメインストリームから完璧に無視されていました。ただ、どこかのタイミングで雲行きが変わったんですよ。

笹久保:変わりましたよね(笑)。でもね、20年後の未来から見たら、サムはもう当事者的な感じになっていると僕は思います。

原:おそらくそれはジェフ・パーカーみたいな人もそうで、もともとカート・ローゼンウィンケルと一緒にバークレーでジャズを学んでいたんだけど、Tortoiseのギタリストになったからジャズシーンでは認められなくて、日本のジャズのメディアも取り上げなかったんです。でも最近はミシェル・ンデゲオチェロの『The Omnichord Real Book』(2023年)にフィーチャーされたり、エスペランサと演奏したり、本人が望んでいるかはわからないけど、もうメインストリームからも認められている。

それはわかりやすい話で、ジャズの世界ではニューヨークにいるかいないかで扱われ方が変わるところがあるんですよね。でもこの数年、ニューヨークに疲れてLAに行ったミュージシャンも増えてきたのもあって状況が変わってきたように見える。サムだけじゃなく、カマシ・ワシントンの評価が変わってきたのもその流れもあったんじゃないかな。



―いまジャズの世界にはヒエラルキーから脱しようとする人たちの動きがあるということですか?

原:個人が脱したいかどうかより、別の受け皿があるということで、たとえば「ECM」(※)ってレーベルがおもしろいのは、アメリカのジャズとか白人か黒人か関係なく、アメリカのジャズも「ローカルな音楽」にしたんですよ。「ECM」は「すべてがローカルな音楽」ってスタンスで、フォークローレ でも古楽でもクラシックでも、何でも出した。静謐でリバーブがかかった「ECM的なサウンド」ってことが強調されがちですけど、そのスタンスの部分が重要だと思うんです。

原:YouTubeやストリーミングの登場の前に、そもそも「ECM」という受け皿があったから、アメリカ以外の国のミュージシャンも対等に出てこられるようになった。そこから、ニューヨーク中心の考え方がアメリカの内部でも変化してきた気がします。

大石:おもしろいですね。ジャズにおけるニューヨークという絶対的な中心から、いろいろな場所に点在させていく感覚ですよね。非中心化的というか、中心から散らばっていくなかで、サム・ゲンデルはコスタリカに行って、笹久保さんは秩父にいて、ブラジルにはアントニオ・ロウレイロがいたりする。

原さんのおっしゃる「ECM」の話と同じようにニューヨークもひとつのローカルとして、いろんな場所のミュージシャンがつながりはじめているし、笹久保さんの作品はある種そういった状況からつくられていると言えますよね。

大石:そのジャズと同じような流れが「ワールドミュージック」と呼ばれたものでも起こっていて、1980年代当時はパリやロンドンがある意味中心だったけれど、現在では南米の田舎町からもダイレクトに世界に発信できるようになった。笹久保さんが秩父にいながらいろんなミュージシャンとつながって作品づくりできるようになったこの状況は、ある意味「ポスト・ワールドミュージック的」と言えると思うんですよね。

パリやロンドン、ニューヨークのようにかつては中心だったところも、ひとつのローカルに過ぎず、アメリカ音楽も秩父音楽も等しく、同じ存在であるという感覚。そのポスト・ワールドミュージック的な感じはいまのリアリティだと思うし、エレクトロニックダンスミュージックはじめ、いろいろなジャンル、いろんな場所で起こってる現象でもあるなと思ってます。

―笹久保さんの場合、なぜギターを弾くのか、どう弾くのかといったことにひたすら向き合い続けた結果、海の外側にいる人とつながって音楽的な交感ができているわけですよね。

笹久保:やっぱり自分に秩父があったのがかなり大きいですね。ただのジャズミュージシャンだったら、相手が別に僕とやる必要がなかったかもしれないし。



笹久保:一方でコロナ禍にYouTubeで日本人同士が部屋と部屋をつないでやってる動画がたくさんあがってましたけど、日本には積極的に海外の人たちとやりたがる人が少ないのは驚きました。

―原さんと一緒に取材させてもらった岡田拓郎さんの『Betsu No Jikan』(2022年)には、サム以外にもネルス・クライン、カルロス・ニーニョとかが参加しているんです(※)。それこそ笹久保さんがサム・ゲンデルとやっているのと同じくらいの時期に制作されてて。

原:福生で10代の頃からひたすらブルースのセッションをしていたそうですが、声の大きい者が主導権を握るような、そこにあるルール、しきたりに飽きて、自分の表現をはじめたと話してくれました。

笹久保:ストリーミングで聴きました。そうやって別にサムに限らず、技術的に何かを一緒にできるような人たちは日本にもたくさんいると思うんですけどね。

大石:でも裏を返せば、笹久保さんのコラボレーションはいろんなミュージシャンを勇気づけていると思います。大きなメジャーレーベルのバックアップがあるわけでもないですし。

笹久保:それは本当に。だって大した金額払ってないですから(笑)。

原:LAの連中もリミックスにしろコラボレーションにしろ聞く範囲では、そこまで大きな金額払わずにやりあってますからね。

大石:それこそいまの若いラッパーはアメリカのビートメイカーとInstagramのメッセージでやりとりしてビートをもらったりするわけじゃないですか。それとある意味同じ感じで、そんなに尻込みする必要ないってところもありますよね。




大石:いまこうやってどんどんいろんな人とやっているのは、サム・ゲンデルとやれたことの手応えが大きかったからですか?

笹久保:そうですね、しかもあんな長い曲だったので。もともとアントニオ・ロウレイロだけは2014年に来日したときに一緒にやろうって話していたんですけど。

原:『CHICHIBU』以降、リリース数がものすごいのは何かに突き動かすものがあるからなんですか?

笹久保:単純にライブがそんなに好きじゃないというか、ソロギターを弾くのって大変で、本当に消耗するからライブをあまりやらないっていうのは大きいです。あと録音行為が基本的に好きなんです。ペースが早いように思うかもしれないですけど、年に2枚は昔と変わらないですね。

原:録音のどういうところが好きなんですか?

笹久保:音楽における「記録性」に興味があって。最初の頃は「自分は芸術家なんだ」と思ってやってるわけですけど、やっていくうちに「これはただの記録じゃないか」って思うようになったんですね。

ジャズの人たちもマイルス・デイヴィスもキース・ジャレットも、たくさん出してるじゃないですか。それはビジネス的なこともあったかもしれないけど、それ以上に「音楽の記録性」に対する音楽家としての意識もあったんじゃないかと思う。

原:それこそキース・ジャレットのソロピアノ作品は晩年までずっとほとんどコンサートの録音だけじゃないですか。最初はライブが好きなのかなと思ったんですけど、たぶん記録に残すことに意識があったんじゃないかなと。そうじゃないと尋常じゃない数のレコードを残さないはずで。レコードをつくりはじめたのもそういうことですよね?

笹久保:そうですね。自分は「芸術家」というよりも「記録者」としてのほうがしっくりきます。



大石:共演するミュージシャンもガブリエル・ブルースやディアンジェロ・シルヴァなど、ミナスの人が多いですよね。

笹久保:そこはコンセプトで、秩父もミナスも鉱山の町なんですよ。ミナスはミルトン・ナシメントからトニーニョ・オルタから、もうありとあらゆる素晴らしい人を輩出している。こっちは僕かタクシー・サウダージかみたいな(笑)。

大石:どちらも素晴らしいですよ(笑)。

笹久保:(笑)。有名な作品ですけど、ミルトンは自分の顔をジャケに『Minas』(1975年)ってアルバムを出しているじゃないですか。自分の生まれた土地をタイトルにするのってかっこいいなと思ったんですよね。それで30作目だし『CHICHIBU』ってタイトルにしようかなと思ったんです。

大石:ミナスのミュージシャンと特別響きあうような感覚はあるんですか?

笹久保:なんかあるんですよね。海がなくて鉱山の町で、ってところで同じような感覚になるんですかね。トニーニョ・オルタが「自分のフレーズはミナスの山並みを旋律にして鼻歌で歌ってる感じなんだ」みたいに言ってたって話をヤマンドゥ・コスタから聞いたことがあって。秩父の歌も「秩父の山並み」って感覚はあるんですよね。

大石:おもしろい感覚ですね。山の稜線をミナスのミュージシャンが描いているとすれば、笹久保さんが音楽で描く秩父の稜線には武甲山の傷も刻み込まれているってことですよね。

笹久保:それ書いてください(笑)。「秩父の稜線のようなメロディー」っていうコンセプトはヤマンドゥの話から拝借したものですけど、納得できたし、すごく心に響いたんですよね。

大石:『CHICHIBU』を聴いたときに、『秩父遥拝』のときに描かれた秩父とはずいぶん変わってきたなと思ったんですよ。当時はより直接的に秩父の歌を取り上げていたけど、その『CHICHIBU』で表現されるのはより抽象的な秩父ですよね。笹久保さんが秩父の土着的な儀式に触れたり、山のなかに入ってフィールドワークをずっと続けてきて、掴み取った本質的な感覚が描かれている気がしました。

笹久保:自分が吸収した秩父をアウトプットするみたいな感じですね。ジョアナ・ケイロスとやった『Picture』(2023年)はまさに2021年、2022年の民俗学/呪術的な体験、秩父のお祭りで得たものをもとにつくりました。

原:そういう作品が持つ背景はジョアナには伝えるんですか?

笹久保:一切言わないです。でもジョアナはまさにそういう音を重ねてきました。

笹久保:いくら名演でも、1年に1回も聴かない作品ってありますよね。でも音楽って聴かれなかったら淘汰されていってしまう。それで「繰り返し聴けるものが名盤なんじゃないか」って仮説を立てて、ジョアナには「音数が少なくて静かなものをつくりたい」「繰り返し聴けるものにしたい」ってことを伝えました。



原:たしかに笹久保さんの作品、最近のものは特に繰り返し聴けます。その理由を考えると、「環境」音楽的だからなんじゃないかと思うんです。いわゆるジャンルの「環境音楽」じゃなくて、自分にとって日常に流れてきても不快じゃないし、自然に入ってくる感じの音楽という意味での環境的というか。

笹久保:嬉しいです。まあ、静かだから繰り返し聴けるとは限らないんですけどね。

原:そうなんですよね。

大石:原さんがおっしゃったみたいに、僕も笹久保さんの作品は家で仕事をしながら聴けるような感覚があります。それはイージーリスニング的ってことではなくて、環境の音楽として自分の暮らしに馴染むってことなんですけど。

笹久保:ありがたいっすね。なぜそういうマインドになったかっていうと、『秩父遥拝』をつくったときに、「めっちゃいいんだけどデートで聴けない」って言うやつが周りに何人かいて。

当時は「ふざけんな!」って言いましたけど(笑)、たとえばドライブデートとか、いろんなシチュエーションにハマる音楽っていうのはおもしろい視点だなと思ったんですよね。繰り返し聴けるものって発想に至った理由はそこにもあります。

大石:『PYRAMID』もそうですけど、あのころの笹久保さんって根本に秩父の現状に対する怒りがありましたよね。2016年に発表された論考「秩父・武甲山論」(※)にも、根本に怒りみたいなものがすごくふつふつとある感じがする。

それがあの頃の笹久保さんの音楽の魅力につながっていたと思うんですけど、『CHICHIBU』以降の笹久保さんの作品には、ほかのミュージシャンと音を響かせあう楽しさであるとか、暮らしのなかでいいかたちで響く心地よさ、豊かさみたいなものにシフトしてきてる感じがする。

笹久保:そうですね、でも怒りってすごく大事でつねに持っていたいなと思っています。あの頃の自分のように環境に対する問題意識に限らず、ある意味アーティストが問題意識持たなくなったら大したものはつくれなくなると思うんです。

大石:つまり、アプローチが変わってきているわけですよね。

笹久保:そうそう。直接的に音楽に歌詞に盛り込むとかそういうアウトプットではなくなってきた。

大石:それはすごくわかります。「牙を抜かれた」って感じじゃなくて心地いいんだけども、その根底には当時と変わらないマインドがあるってことはすごく伝わります。



―原さんがおっしゃった「環境」音楽的というお話は、ceroの『e o』の記事でもされていましたよね(※)。いまの環境的という話と、武甲山の稜線をなぞるように音を紡ぐ感覚って笹久保さんのなかでつながって感じられたりしますか?

笹久保:僕はジャズをやってる意識も、環境音楽をやってる意識もないけど、そう聴けるのはすごくいいことだと思うんです。

秩父の民俗学、お盆の儀式の空気感にインスパイアされて作品をつくったけど、それも秩父の山のなかという「環境」のなかでの出来事なわけで。そういった要素が落とし込まれたうえで、日常で違和感なく静かに聴けるようになったのであれば成功したなっていま思いました。

―山ではないですけど、ブライアン・イーノの作品には“By The River”(1977年発表の『Before and After Science』収録)をはじめ川のモチーフがたびたび用いられていて、エリック・タムによる評伝『ブライアン・イーノ』(1994年、水声社 / 訳:小山慶子)、「彼は自分の作品が、都市生活者に対して、『川のほとりに座るような』体験を提供するものであって欲しいと願っている」と記されています。そうやってアンビエントミュージック、すなわち環境音楽にはある種、自然を再現、模倣するようなところがあるのかなと思うんです。

原:それこそトニーニョ・オルタの話じゃないけど、音楽家が何らかのかたちで自然そのものにアプローチすることはありますよね。それが笹久保さんの場合はより意識的に作品に織り込まれているのかもしれない。

笹久保:そもそも田舎育ちですからね。鳥の声や風の音がよく聞こえる環境で育っているし、武甲山はもう自分の一部になっているから、環境音楽をやろうとしなくても環境的なものになるんだと思います。

原:でも大仰なものにはなってないですよね。大石さんとの話でもあったように、笹久保さんの音楽の奥底にはいろんなものは当然あると思うんですけど、出てくるものは抑制されているというか、バランスが取れてる感じがします。

笹久保:でも『PYRAMID』とかバランスが取れてないのもあるんですよ(笑)。まあ、あの頃はあの頃で必死だったんですけど。

ー大石さんに聞きたいのですが、民謡やフォークロア的なものには自然を模倣するような感覚、あるいは自然との調和を積極的に求める側面があるのでしょうか? たとえば、日本の伝統楽器である尺八奏者の山本邦山とジャズピアニストの菊地雅章のアルバム『銀界』(1970年)のライナーノーツにはこう書かれています。

「行く雲、行く水を心の糧として、大自然の中で尺八を吹く。風の音、水の音、木ノ葉の音、そういった自然の音と対話をかわそうと、それは懸命に吹いたものでした」 - 山本邦山+菊地雅章『銀界』ライナーノーツより大石:暮らしのなかで歌われていた歌だから、その暮らしが自然に近ければ山や海について歌われることは当然あるとは思います。それは模倣って感覚ではなくて自然とともに生きる暮らしのなかからこぼれ落ちること言葉、という感じですよね。



大石:それでいうとジョアナ・ケイロスとのアルバムに関しては、秩父の儀式を見て感じたものを音に表したわけですよね。笹久保さんの風土や地域性の表現が、ここ10年ぐらいで大きく変わってより抽象的になってきているところにすごくリアリティを感じます。

秩父に限らず、風土とか地域性というものはすごく多面的で、「秩父ってこうですよ」と簡単に言えるものじゃない。特に秩父は盆地で、歴史的にも民俗的にもすごく多様ですよね。

笹久保:そうなんです。

大石:その前提で風土とか地域性を音として表現していくときに、『Picture』みたいに直接音で表現するわけでもなければ、曲名もこのジャケットも関係ないけども、ひとつのイメージとして秩父の風景が音にトレースされている。

笹久保:『PYRAMID』の頃は、「秩父を表現しようとしていた」からああいう音になっていたんですよね。最近は表現をやめようと思って、それは「自分自身が秩父だから」ということに気づいたからで。なるべく表現をしないようにしていくと、より秩父が出てくるってことに気づいたんですよ。

大石:めちゃくちゃおもしろい。

笹久保:それがジョアナ・ケイロスとのアルバムですね。かつては何かを見つけたい、伝えたいって感覚だったのが、いまは自分自身が秩父そのものだと思えるようになったので、「ただ記録をすればいい」ってスタンスです。

大石:その表現しないって感覚は、環境音楽的な感覚とも近い気もするんですよね。アーティストとしてのある種のエゴがないけども、しっかりとアイデンティティがある。

原:うんうん。

笹久保:その領域に行きたいですね。自分の場合はむしろ表現を削っていったときに出てくるものをアウトプットしてるつもりですね。それは原さんがさっき「抑制が効いてる」って言ってくれたことにもつながってくるのかもしれないです。高橋悠治の教えもそういうことですよね。余計なのを削ったときに、本当の生身のものが出てくる。民謡でもジャズでもいい音楽家って結局そういうことだと思います。

大石:ワザを見せつけようとしてる民謡歌手ほどウザいものはないです(笑)。

原:それはジャズもそうです(笑)。



ーいろんな領域の音楽家と共作するなかで気づいたことが、現代音楽家の高橋悠治さんから学んだことと重なったのは興味深いです。

笹久保:これはある意味民謡的だと思うんですけど、これまで一緒にやってきたすごいミュージシャンって、だいたいみんなユニゾンで音を重ねてくるんですよね。それに感動したんです。ユニゾンは同じ音で歌うってことですけど、音楽の一番初歩で、一番美しい。これまで共演した日本人だとmarucoporoporoが唯一でしたけど、みんな真髄をわかっているんだなって思う。

笹久保:ユニゾンってある意味最強で、民謡を聴いてもそう思いますね。

大石:そうですね。民謡は基本的に一緒に歌ったり、一緒に踊ったりする。

笹久保:その精神は最近発見した大きなことですね。津軽三味線奏者の二代目高橋竹山さんの家に行ったときもやっぱりユニゾンでした。

大石:めちゃくちゃおもしろいですね。日本の民謡だけじゃなく、ユニゾンのような和音以前の音や心の重ね合わせ方は世界中の民俗音楽にあるんですよね。

ーユニゾンはより直接的に相手の心に重ねあわせようとするアプローチでもあるだろうし、めちゃくちゃプリミティブな音楽の作法ともとれる。しかもプリミティブがゆえにそれは各地の音楽文化に共通するように存在している、ということですよね。

笹久保:ディアンジェロ・シルヴァっていうピアニストは、僕が弾いてるギターが聞こえなくなるくらい、ぴったりユニゾンでピアノを重ねてくるんですよ。

笹久保:『Mount Analogue』(2022年)ってアルバムの3曲目、8曲目に入っているんですけど、いくらでも難しいフックが弾けるし、難しく弾いてるところもあるとはいえ9割がユニゾン。それをジャズの人たちがやってきたことにすげえって感動したんですね。この作品では特に民俗的なことを意識していたわけじゃないのに。

原:なるほど、ユニゾンという観点から特にデュオを聴くとたしかにそうですね。

大石:ユニゾンで音を重ねあわせるのは異なるバックボーン、アイデンティティを持つ人たちが音を響かせあうかときのひとつの作法なんでしょうし、ここに何かすごく重要なことが隠されている気がしますね。

笹久保:でもユニゾンでかっこよくするのは難しいんですよ、しくじったら本当にダサいですから。そうやって秘密の領域を知ってる人たちと共演ができたのはすごく幸運なことだと思いますね。