働き方改革やSNSの普及が進んだ今、労働環境の悪い会社は淘汰されつつあるが、かつては想像を絶するブラック企業がのさばる時代もあった。新社会人の頃、某ドラッグストアで働き始めた40代男性は、あまりに過酷な労働環境にうつ病と対人恐怖症を発症してしまったそうだ。
労働条件としては、早番なら朝8時40分から19時でタイムカードを切ればいいはずだった。しかし
「蓋を開けると、8時にはタイムカードを切らないと半日遅刻扱い。19時に終わることはなく、上司が勝手にタイムカードを19時に切って、(その後は)サービス残業として働きました」
驚くことに、これはまだ序の口のエピソードである。男性を含め、そのドラッグストアの従業員は、まるで奴隷といっても過言ではないほどの酷い扱いを受けていた。(文:福岡ちはや)
「社長訪店の前日は、朝8時から翌日の朝4時まで働く」
「週40時間って1日8時間を1週間働いた数字ですが、あのドラッグストアでは遅くても2日で40時間働けてしまうんですね」
と労働法規をまったく無視した勤務時間を振り返る。そこでは常軌を逸した長時間労働や休日のサービス出勤が常態化していたのだ。
「『お昼(深夜の24時を指す)に夜食を食べよう』と言い、そこから朝の4時まで働く」
「公休は週に2日ありましたが、公休の日に9時間働くことが義務づけられてました」
公休日に働いたらそれは休日ではない。また月に一度は「社長訪店」があり、
「この前日は朝8時から翌日の朝4時まで働くこと」
が、やはり義務になっていた。月一とはいえ20時間も拘束される日が毎月あるのだから心身ともにおかしくならないわけはない。しかし
「インフルエンザになっても休むことは許されず、出勤するまで本部から『出勤するように』と電話が自宅に鳴り続ける状態でした」
というありさまで、会社が社員の健康状態を思いやることはなかった。
クリスマスケーキやノルマ品が達成できないと自爆営業
さらに、商品の販売ノルマもありえないほど厳しかったという。
「売れない商品を試食販売で一定数の数が売れるまで職場に立ち、休憩も取れないこともしばしばありました」
「年収は当時ボーナス込みで178万円でしたが、ボーナスのときもノルマがあり大変でした。クリスマスケーキやノルマ品が達成できない場合は、(中略)ノルマ品を自ら購入しないといけないシステムでした」
「(会社は)毎年40人ほど採用してましたが、同期がパワハラで次々と辞めていきました」
年収に関しては当時は最低賃金も今より遥かに低かったので、理論上はありえる待遇だ。そんな過酷な環境のなか、男性は身体を壊すまで会社を辞めずに耐え忍んだ。それは、社内で圧倒的な力を持つ専務の言葉に洗脳されたせいかもしれない。
「毎月専務がこう言うんです。『(中略)この大不景気だ、1枚の求人に100人は来る。お前らの代わりはたくさんいる。だからやる気がない者、ついて来れない者はすぐに辞表を書け。すべて受理をする』と。あの専務の言葉には、全社員怯えていました」
「医師から『過労死まで働くのか、会社を辞めるのか。2つに1つ』と言われました」
やがて疲れや不眠に悩まされるようになった男性は、2年目の健康診断の際に「不眠、疲れ、職場でもフラフラの状態で働いている。何か改善策はないでしょうか?」と医師に相談した。すると医師は、
「このまま過労死まで働くのか、会社を辞めるのか。2つに1つしか選べない」
と言ったそうだ。この言葉を聞き、男性はついに退職を決意した。しかし、辞めると決めてからがまた大変だった。【後編へ続く】
※キャリコネニュースではブラック企業体験談を募集しています。回答はこちらから。https://questant.jp/q/HQI6E1OV