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『風の谷のナウシカ』庵野秀明、なかむらたかし、金田伊功……超人気アニメーターを起用した宮崎駿はどう“制御”した?

2023年07月07日 07:01  リアルサウンド

リアルサウンド

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 ※本稿は、映画『風の谷のナウシカ』(宮崎駿監督)のネタバレを含みます。同作を未見の方はご注意ください。(筆者)


 いよいよ7月14日(金)に公開される、宮崎駿監督の最新作『君たちはどう生きるか』。その公開を記念して、「金曜ロードショー」(日本テレビ系)では、3週連続でスタジオジブリ作品が放送される。


(参考:【写真】『風の谷のナウシカ』造形総指揮・竹谷隆之が秘密に迫るメイキング写真集をみる


 第1夜となる本日7月7日(金)は、『風の谷のナウシカ』(1984年)が放送。そこで本稿では、同作の“見どころ”を、「各場面を担当した原画マンたちの個性」という観点からあらためて考えてみたいと思う。


 なお、厳密にいえば、『風の谷のナウシカ』は「スタジオジブリ作品」ではなく、トップクラフトという(ジブリの前身的な)会社が制作したアニメ映画である。また、監督の名字の表記は、今回の『君たちはどう生きるか』では「宮﨑」となっているが、本稿では(「ナウシカ」公開時に使われていた)「宮崎」を用いることにする。


■なかむらたかしの見事な構図と緻密なエフェクト


 誤解を恐れずにいわせていただければ、『風の谷のナウシカ』は、他の宮崎駿作品と比べて、明らかに映画全体を通しての作画(絵柄)が統一されていない。


 いや、別に私はそのことを“悪い”といっているのではない。むしろ、面白い、と思っている。


 ちなみに、作画が統一されていない最大の理由は、当時カリスマ的な人気を誇っていた何人かのスター・アニメーターを、重要な場面の原画マンとして起用したせいだろう。つまり、彼らの強烈な個性を、監督の宮崎も作画監督の小松原一男も、完全には制御しきれなかったものと思われる。


 しかし、果たして、宮崎と小松原は彼らを「制御しきれなかった」のか、あるいは、あえてしなかったのか。それについての個人的な見解は後述したい。


 さて、そんな「ナウシカ」の個性派原画マンたちの中から、最初に紹介したいのは、なかむらたかしである。


 なかむらたかしは、『未来警察ウラシマン』や『AKIRA』などの作画監督として知られる異才。『風の谷のナウシカ』で担当したのは、序盤の王蟲の暴走シーンと、後半のペジテのブリッグ(貨物船)とトルメキアのコルベット(重戦闘機)が雲海で戦うシーンの原画だ。とりわけ注目すべきは前者であり、風に乗りメーヴェ(小型グライダー)を自在に操るナウシカの動きはもちろんだが、そのナウシカが低空飛行し、地上を走るユパと交差するあたりの構図(とタイミングの取り方)は、息を吞むほど素晴らしい。


 また、これは次に挙げる金田伊功についてもいえることだが、細かく砕け散った物の破片や、砂埃、煙、光といったいわゆるエフェクトの描写の緻密さも見逃せないだろう。


■カリスマ・金田伊功が派手な空中戦の陰で描いたものとは?  


 金田伊功の本作への参加は、当時のアニメファンをかなり驚かせたのではないだろうか。というのも、金田といえば、数々のロボットアニメや、映画『銀河鉄道999』『幻魔大戦』などの作画で知られるカリスマ中のカリスマであり、いわゆる「宮崎アニメ」とは、それまであまり接点のない仕事をしてきていたからだ。しかし、金田本人としては、もともとは『空飛ぶゆうれい船』での宮崎の作画に憧れてアニメーターになったそうなので、「ナウシカ」への参加は当然の流れだったかもしれない。


 なお、先にも書いたように、この金田もなかむら同様、エフェクトの表現には目を見張るものがある(特にシュルレアリスティックな炎や爆発の表現が素晴らしい)。また、通称「金田パース」と呼ばれる歪んだ遠近図法は、奇妙なポージングのキャラクターやアクロバティックなメカの動きと相まって、他に類を見ない独特な世界観を作り上げていた。


 そんな金田は、『風の谷のナウシカ』でも数多くのカットを任されたようだが、とりわけ観た者の印象に強く残るのは、物語の中盤、トルメキアの船団にアスベルが奇襲を仕掛ける場面ではないだろうか。随所で見られる爆発や炎の描写が凄いのはあらためていうまでもないだろうが、ここで最も注目すべきは、“少年の怒り”という、本来絵だけでは表現しづらいキャラクターの“心の動き”までも、アニメーションで見事に表わしているところかもしれない。


 金田伊功は、その後もいくつかの宮崎作品に参加しているのだが(『天空の城ラピュタ』では、「原画頭」としてクレジットされている)、“彼らしさ”が最も前面に出ているのは、やはりこの『風の谷のナウシカ』だといえよう。


■庵野秀明は昔から凄かった


 「シン」シリーズでいまや飛ぶ鳥を落とす勢いの庵野秀明も、原画マンの1人として「ナウシカ」に参加している。驚くべきは、“新人”アニメーターながら、なんとクライマックスの“巨神兵の復活と崩壊”という重要な場面の原画を任されているところだろうか。


 この悪夢のような場面については、四の五のいわずに観てほしいという他ないが、不完全な状態で覚醒した巨神兵が、自らの身を滅ぼしながらも(ボタボタと肉片が崩れ落ちていく様子は圧巻である)、クシャナの命令で、王蟲の群れに向かって口から光線を放ち続ける姿が哀れでならない(鳥の“刷り込み”の原理と同じで、巨神兵は、覚醒してすぐに目にしたクシャナのことを母親のような存在だと思い込んでいるのだ)。


■「金色(こんじき)の野」に降り立つナウシカを描いたアニメーターは?


 物語のラスト――蘇生したナウシカが「青き衣」を纏って「金色の野」に降り立つ場面を描いたのは、ベテラン・アニメーターの小田部羊一だ。


 名作アニメ『アルプスの少女ハイジ』や『母をたずねて三千里』などの作画監督として知られる小田部は、宮崎(や本作でプロデュースを務めた高畑勲)とは、多くの傑作をともに作り上げてきた旧知の仲である。


 じっさい、原作コミックや絵コンテなどで宮崎が描いたナウシカのイメージに最も近いのは、小田部が描いたナウシカである。尺的には短く、また、派手な動きがある場面というわけでもないのだが、彼女の優しさ、強さ、そして、世界を包み込むような神々しさが見事に表象された、素晴らしいラストシーンであったといえるだろう。


■作画監督・小松原一男の手腕


 さて、この他にも、鍋島修や賀川愛など、語るべきアニメーターは何人かいるのだが、(さすがにキリがないので)1人1人の紹介はこのあたりでやめておくことにする。


 ただ、最後に、冒頭で名前を出した作画監督の小松原一男については、少しだけ触れておきたいと思う。


 小松原一男は、1970年代から1980年代の東映動画のキャラクターデザイナー・作画監督として知られる人物である。どちらかといえば、松本零士や永井豪の漫画を原作とする作品のイメージが強いアニメーターであり、金田同様、「宮崎アニメ」の印象は薄かった。また、「ナウシカ」では監督の宮崎が“絵も描ける演出家”であったため、その補佐的な役割に回らざるをえなかった部分もあっただろう。


 しかし、私は、この小松原以外に、80年代半ばの時点で、あの超個性的なスター・アニメーター陣と宮崎駿をつなぐ役割をこなせた人物はいなかったのではないかと思っている(むろん、初めて「『ナウシカ』が映画になる」というニュースを聞いた時、作画監督に「大塚康生」の名を期待した人は少なくなかっただろうが……)。


 いずれにせよ、小松原には、かつて『銀河鉄道999』などの作画監督として、金田のようなアクが強い異才たちを取りまとめたという“実績”があった。その手腕に宮崎も期待したのではないだろうか。


 とはいえ――これはあくまでも私見に過ぎないが――作画監督としての小松原のスタイルは、“原画マンの個性を最大限に活かす”というものである。つまり、『風の谷のナウシカ』の作画が統一されていないのは、そうした小松原のスタイルを、宮崎もある程度“容認”していたからだと思われる(ただし、なかむらたかしが描いたリアルなタッチの人物の顔などは、かなり修正されているようだが)。


 むろん、“作品の完成度”という意味では、こうしたやり方には賛否両論あるかもしれない。じっさい、その後の宮崎作品(もしくはジブリ作品)の多くは、作画がかなり統一されているといっていい。


 だが、先にも書いたように、私は「ナウシカ」の絵のばらつきを「面白い」と思っているのだ。それはたぶん、長編アニメーション映画が、1人の天才ではなく、多くの異才が集まって作るものであるということを、あらためて教えてくれるからだろう。


 『風の谷のナウシカ』がテレビで放送されるのは、今回でなんと20回目になるそうだが、各場面を描いた原画マンたちの個性についても、興味を持っていただけたら幸いである。


(文=島田一志)