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なぜ性加害者が守られる?アデル・エネルの映画界引退を機に、フランス映画界の構造的問題を考える

2023年07月03日 17:10  CINRA.NET

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Text by 岩見旦
Text by 佐藤久理子

2023年5月、『燃ゆる女の肖像』(2019年)や『午後8時の訪問者』(2016年)で知られるフランス俳優のアデル・エネルが、「フランス映画界に蔓延する性犯罪の擁護」を理由に映画界引退を明らかにした。これは、エネルがフランスの映画興行に大きな影響をもたらすと言われる週刊誌『テレラマ』のインタビューに答える代わりに送付した公開レターのなかで表明したもの(※1)。

「わたしはセクハラ当事者に媚を売るような業界の体質を告発するという、政治的な理由のために、映画界から足を洗うことを決意しました」という文面で始まり、依然体質の変わらない業界を批判。開催直前であった『カンヌ国際映画祭』に対して「現在フランスで大きな社会運動が巻き起こっているなかで、映画界の大物やラグジュアリーブランドのスポンサーたちは、何事もなかったようにレッドカーペットを上がるでしょう」と皮肉を込めて抗議した。

そして「彼らのような権力を持った人々は、(ジェラール・)ドパルデュー、(ロマン・)ポランスキー、(ドミニク・)ブトナ(※フランスの国立映画映像センターのプレジデントで、2021年、名付け子から婦女暴行で告訴されたが、まだ決着をみない2022年に、同職に再選されている)を救うために手を取り合う。彼らにとって、被害者が声を上げるのは迷惑でしょう。彼らは被害者が姿を消し、沈黙の中で死ぬことを望んでいるのです」と激しく糾弾した。

彼女が業界を去る決意をするに至っては、長い軌跡がある。最初の行動は2019年、デビュー作『クロエの棲む夢』(2002年)のクリストフ・レッジア監督から、撮影当時数年にわたりセクハラの被害にあっていたことをメディアに告白したことだ。自分からは告訴こそしなかったが、同じような被害者が今後出ないためにも、業界全体の体質を変えることが目的だったと語っている。彼女の決断を、イザベル・アジャーニやマリオン・コティヤールら、多くの俳優たちが讃えた。

だがそんな状況のなか、翌年、アメリカで未成年に性的暴行を与えた過去を持ち、ほかの女性たちから新たに訴えられていたロマン・ポランスキーが、『オフィサー・アンド・スパイ(原題)』で『セザール賞』の監督賞を受賞。このとき授賞式に出席していたエネルは、発表された瞬間、「恥知らず」と会場に向かって叫んで自ら退場した。『燃ゆる女の肖像』のセリーヌ・シアマ監督や共演者のノエミ・メルランもエネルに続いて退場している。

以来エネルは、銀幕からずっと遠ざかったままだったのである。ちなみにブリュノ・デュモン監督の新作SF『L’Empire』に出演が決まっていたものの、その内容が彼女いわく、「性差別と人種差別的」とのことで、役を降りたという。

エネルの引退宣言はあくまで映画界の話で、今後は彼女が信頼する演出家のもとで演劇とダンスをやるとともに活動家として生きていくと語っている。果たして彼女の表明はフランス映画界にどんな影響を及ぼすのだろうか。

個人的な感想を言うなら、残念ながら大きな変化が起こるとは考え難い。少なくとも彼女の期待するようにすぐには。『カンヌ国際映画祭』のディレクターであるティエリー・フレモーは、米業界誌『Variety』のインタビューで彼女の言動について「ラジカルで謝った認識」と称し、「もし彼女がそのように(カンヌがレイピストを擁護する場と)考えていたなら、これまで自分の映画を紹介するためにカンヌに来ることもなかったはずだろう。あるいは、彼女の認識が矛盾しているのなら別だが」と反撃した(※2)。

もちろん、#MeTooに賛同しフェミニストを自負しているのは彼女ばかりではない。『あのこと』のオードレイ・ディヴァンを始めとする複数の女性監督たち、女性俳優のアイッサ・マイガや、『アデル、ブルーは熱い色』で監督のアブデラティフ・ケシシュを批判したレア・セドゥら。だが、活動家としてデモに参加し、激しい抗議を繰り返すエネルは別格で、それゆえに攻撃の矢面に立たされる。彼女の元エージェントの女性は、「アデルはブラックリストに載せられたわけではないが、セザール授賞式のボイコット以降、もう興味深い台本が来なくなった」と振り返る(※1)。

さらにシビアな現状として、才能のある若い俳優たちがどんどんデビューしていること。彼女たちがエネルの穴埋めをする間に成熟する一方で、エネル自身は油の乗った時期を逸していく。いずれにしても、『セザール』と『カンヌ』をボイコットしたなら、フランス映画界で生きていくのは難しい。資金を提供する側にとっても、彼女のような存在は脅威となるからだ。

エネルの4年前の告白を最初に報道したジャーナリストで、#MeTooに関する裁判のケースについての調査本『Faute de preuves』(Seuil社)を出版したジャーナリスト、マリーヌ・トゥルシによれば、「職場における婦女暴行を訴えた女性の95パーセントは、職を失うかポストを追われるか、あるいは自主的に職場を去るかのどれかです。声に出せば必ず自らの身に降りかかる。それはたとえアデル・エネルのような人でも同じです」と語っている(※1)。

今日、フランス映画界ほど女性が活躍している現場は、どの国の映画界を見渡してもない。女性監督の率は全体の23パーセントにすぎないが、それでもこの数字は他国と比べてかなり大きい。2021年の『カンヌ』でパルムドールを受賞した『TITANE/チタン』のジュリア・デュクルノー、同年の『ヴェネチア国際映画祭』で金獅子を受賞した『あのこと』のオードレイ・ディヴァン、そして今年の『カンヌ』でパルムドールを受賞した『アナトミー・オブ・フォール(原題)』のジュスティーヌ・トリエはともにフランス人監督だ。

フランス女性俳優たちのキャリアの長さも、世界的に羨望の的になっている。とくに年齢の壁が厚いハリウッド女性俳優たちにとって、いくつになっても役柄の幅があり、選択が多いフランス映画は憧れだ。ジャンヌ・モロー、カトリーヌ・ドヌーヴ、イザベル・ユペール、イザベル・アジャーニなど、生涯現役の俳優は少なくない。

だがこうした環境においても、#MeTooムーブメントとなると話は別だ。それはエネルも指摘するように、結局権力を握る上層部がまだまだ男性に占領されている、ということが理由ではないか。物事はトップダウンで変わっていくものであり、下から変えていくのはそれこそ革命でも起こさない限り難しい。

加えてセクハラという問題が、真実を証明しにくいという性格もある。とくにそれが業界内の場合、女性は見返りが欲しくて誘惑した、あるいは抵抗しなかった、と思われることが多いからだ。相手が否定し続ける限り、真実は藪の中なのである。

過去に性的暴行で有罪となったポランスキーなどが、さして苦境に陥ることもなく仕事を続けている状況は、やはりその名声と関連しているとしか思えない(新作が完成し、ヴェネチア国際映画祭を狙っていると噂される)。

先出のブトナにしても、まだ真偽が明らかにならない段階でディレクターに再選されるというのは、たとえ疑わしきは罰せずにしても、驚きと言わざるを得ない。彼の役割は、毎年助成金を出す作品を選出する立場ゆえ、映画作家たちにとっては神のような存在である。ちなみに2017年の大統領選の際、エマニュエル・マクロンのキャンペーンに金銭的なサポートをしているほど、政界とのつながりも大きい。

こうした構造的な問題が、業界全体の変化を遅くしていることは間違いない。長期的展望をもって声を上げ続けること、連帯することで少しでも力を得ていくことにしか、希望はないように思える。