2023年07月01日 09:51 弁護士ドットコム
2019年7月、選挙演説中の安倍晋三総理大臣(当時)に「やめろ」「増税反対」などとヤジを飛ばした市民らが警察官の手で排除された。この排除行為が表現の自由侵害だったとし、2人の当事者が地元警察に損害賠償を求めた裁判の控訴審判決が6月22日、札幌高等裁判所であった。
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「主文、原判決主文第1項を取り消す。前項の部分につき、被控訴人1の請求を棄却する」――。
大竹優子裁判長が言い渡したのは、一審原告2人のうち1人の排除については適法だったとする逆転判決。ヤジを飛ばす権利を認める判断自体には変更がなかったものの、想定外の事態に一審原告らは高裁判決を強く批判、逆転敗訴した部分について上告申し立てを検討している。(ライター・小笠原淳)
国家賠償請求訴訟を起こしたのは、札幌市のNPO職員・大杉雅栄さん(35)と同市の団体職員(事件当時は大学生)桃井希生さん(27)。大杉さんは安倍元首相に「やめろ」「帰れ」、桃井さんは「増税反対」などと叫んで、警察官らに演説現場から引き離された。
一審で、被告の道警はいずれの排除行為も「警察官職務執行法」に基づく適切な措置だったと主張。当時の現場ではヤジを飛ばす人たちと与党関係者らとの間で小競り合いが起こるおそれがあり、警察官らは差し迫った危険を回避するため大杉さんらを「避難」させ(警職法4条)、あるいは「制止」した(同5条)、という理屈だ。
これに対し、札幌地裁(廣瀬孝裁判長)は道警側の主張の多くを退け、道に計88万円の賠償を命じる判決を言い渡す。当時の警察対応については、街宣車の背後に走り寄る大杉さんを止めた行為が警職法に適っていたと認められたのみで、ほかの排除行為はすべて違法と判断された。道警が控訴し、舞台は札幌高裁へと移った。
街頭演説中の要人を標的とするテロ事件が相次いだのは、この控訴後のことだ。昨年7月の安倍元首相銃撃事件と、本年4月の岸田文雄首相襲撃事件。とりわけ前者が社会に与えた動揺は大きく、SNSではヤジ国賠の一審判決を批難する声が上がり始める。札幌の判決で警察が萎縮し、警備警護が手薄になったため襲撃が容易になった、という主張だ。
大杉さんら「ヤジポイ」チームはこれにツイッターなどで可能な限り反論、地裁判決が警護の必要性を否定したものではないことを説明しつつ、言論と暴力とが本質的に異なることなどを訴え続けた。
その時点でなお道警さえ主張していない「選挙妨害」などを持ち出す匿名投稿もあり、対応するヤジポイの投稿にはしばしば最低限の前提事実を共有できない虚しさが滲み出ることに。実際に元首相らを狙ったテロリストたちが現場でヤジを飛ばすことはなく、ただ物理的な暴力に及ぶだけだったという事実は、ここで指摘するまでもない。
排除支持のネット世論を奇貨としたのかどうか、札幌高裁の控訴審で道警が新たに提出した証拠は、一審で否定された演説現場の「差し迫った危険」を改めて強調する映像などだった。
昨年12月配信の記事で伝えた通り、とりわけ一審原告らを驚かせたのが演説現場で大杉さんが与党関係者から身体を押される場面を記録した映像と、事件後に道警が制作した架空のテロ事件の再現映像。
前者は大杉さんと与党支持者との間で小競り合いが起こるおそれがあった可能性を示すものだが、道警がこの映像を提出したのは排除事件から丸3年が過ぎた昨年7月中旬だった。大杉さんを拳で押した人物の行為、つまり暴行疑いが公訴時効を迎えた直後のことで、警察はあきらかな暴力事件を不問に付すため時効成立まで証拠映像を隠し続けていたことになる。
満を持して開示されたその映像はしかし、警察が目の前の暴徒を放置して被害者のほうを排除する不自然さを浮き彫りにすることとなった。
後者の再現映像は“もしも大杉さんを排除していなかったら起こり得たかもしれない事件”を警察官らが実演したもので、一審原告の裁判報告集会でこれが上映された際には支援者の間から大きな笑いが起きている。当事者の大杉さんが「極めて高度なギャグセンス」と評した経緯などは、前述の先行記事で伝えた通りだ。
6月22日午後。札幌高裁802号法廷の法壇に並んだ3人は1分間にも満たない判決言い渡しを済ませ、ほぼ無表情で約70人の傍聴人に背を向けた。裁判長・大竹優子裁判官、右陪席・吉川昌寛裁判官、左陪席・戸畑賢太裁判官。一斉に拍手が起きた一審判決後の法廷とは対照的に、ただ静まり返る傍聴席。被控訴人席からは「ナンセンス!」の一声が飛んだ。
札幌高裁は「増税反対」の桃井さんの排除事件については道警の控訴を棄却して一審判決を維持し、一方「安倍やめろ」の大杉さんの事件では警察官らの行為がいずれも警職法に適っていたとし、もとの賠償請求をすべて棄却する逆転判決を言い渡した。
「安倍の亡霊にやられた」
判決後に設けられた報告集会での、大杉さんの第一声だ。安倍氏銃撃事件後にネット上で「八つ当たり的な批難が続いた」という経緯を改めて振り返った大杉さんは、「おそらく地裁へも批判が届き、高裁としてはどこかで一審判決を切り崩す必要があったのでは」と推し量る。
同席した弁護団が問題視したのは、大杉さん排除の適法性を認めた裁判所が判断の根拠を明確に示していない点。札幌高裁は「社会通念に照らして客観的合理性を有する」と断定しつつ、大杉さんを押した人物を放置し続けた警察の対応にはまったく言及せず、一審判決の「(排除せずとも)割って入ったりするだけで足りる」との指摘も完全に無視している。
また、大杉さんについて「安倍総裁や候補者らに危害を加える意思を有していないことが客観的に明らかであったとはいえない」と、さながら“悪魔の証明”を求めるような解釈も示した。
その高裁が二審の新証拠、即ち道警が新たに提出した一連の映像をどう評価したのかは定かでないものの、弁護団の小野寺信勝弁護士(札幌弁護士会)は「使えるとしたらそれしかなかったはず」とみる。
つまり裁判所として大杉さんの請求棄却という結論が先にあり、それに見合うように証拠をあてはめていく必要があった、という疑い。そこにはやはり元首相ら襲撃事件の影響があったのではないか、そう小野寺弁護士は推測する。
「判決では襲撃事件に触れられていませんが、高裁は当初から警備のことを非常に気にしていて、審理も非公開になることが多かった。判断の根底に襲撃事件が影響した可能性は否定できないと思います」
同じく齋藤耕弁護士(同)は、一審で採用されなかった道警側の証拠が二審で突如、息を吹き返したことを批判する。
「一審の途中から警察官の報告書がたくさん出てきたのを、地裁は一切証拠採用しなかった。ところが高裁はこれら、つまり反対尋問にも晒されていない警察官の報告書を『信用できる』として何の根拠もなく採用しました。こんなことを許していいのか、と思います」
敗けた大杉さんを上回る勢いで強い憤りを示す桃井さんは、激しい口調で判決を批難し続けた。
「(安倍氏などへの)銃撃事件とヤジとでは状況が全然違う。要人に危害を加える人は声を上げたりしません。ヤジをいちいち排除してたら、要人警護ができなくなる」
「ヤジと暴力の違い、そんなに詳しく説明しないといけないことですか。判決は民主主義を信用してなさすぎ」
当の大杉さんは「二審判決は必ずしもヤジを飛ばす権利を否定しているわけではない」と、表現の自由にかかわる判断に変更がなかった点を評価しつつ、逆転敗訴には失望を隠さない。
「道警がずっと主張してきたのは『こいつらヤバい奴らなんだ』と、『だから排除は適法なんだ』っていうことで、こっちが被害を訴えてるのにこっちが誹謗中傷されるという構図がずっとありました。またそれを見たネトウヨとかが『選挙妨害だ』とか(警職法とは)まったく関係ないことで騒ぎ立て、二次被害まで受けている。
そこで排除は言論の自由侵害だったと認めた一審判決は、いわばぼくへの“無罪判決”だったんです。それが1年数カ月で取り上げられたわけですよね。今まではネットの誹謗中傷があっても一審判決が精神的に大きな支えになってましたが、敗けたことでそれがなくなった。厳しいですね」
報告会終了間際、大杉さんは昨年の地裁判決の最も重要な一節として、当時の廣瀬孝裁判長が言論・表現の自由の意義を説いたくだりを読み上げた。本稿の結びに、その原文を採録しておく。
《主権が国民に属する民主制国家は、その構成員である国民がおよそ一切の主義主張等を表明するとともに、これらの情報を相互に受領することができ、その中から自由な意思をもって自己が正当と信ずるものを採用することにより多数意見が形成され、かかる過程を通じて国政が決定されることをその存立の基礎としている。したがって、憲法21条1項により保障される表現の自由は、立憲民主政の政治過程にとって不可欠の基本的人権であって、民主主義社会を基礎付ける重要な権利であり、とりわけ公共的・政治的事項に関する表現の自由は、特に重要な憲法上の権利として尊重されなければならない》
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札幌高裁で実質敗訴した大杉雅栄さんは現在、最高裁への上告申し立てを検討中。一部控訴棄却となった北海道警察の上告の考えの有無はあきらかでなく、筆者の確認取材に対しては6月30日付で「お答えを差し控えさせていただく」との“回答”が届いた。
裁判長としてヤジ国賠控訴審を指揮した大竹優子判事は、判決言い渡し翌日の人事で札幌家裁の所長に登用されたことが伝わっている。