アニメスタジオクロニクル Vol.3 スタジオジブリ 西岡純一 アニメ制作会社の社長やスタッフに、自社の歴史やこれまで手がけてきた作品について語ってもらう同連載。多くの制作会社がひしめく現在のアニメ業界で、どんな意図のもとで誕生し、いかにして独自性を磨いてきたのか。会社を代表する人物に、自身の経験とともに社の歴史を振り返ってもらうことで、各社の個性や強み、特色などに迫る。第3回に登場してもらったのは、スタジオジブリで2年前まで広報部部長を務め、今はスーパーバイザーとして後進の指導に当たっている西岡純一氏。広報という立場で会社の成長を見守ってきた西岡氏にスタジオジブリの話を聞くと、“日本が世界に誇るジブリ”というパブリックイメージとはひと味違った新しいジブリ像が見えてきた。
【大きな画像をもっと見る】 取材・文 / はるのおと 撮影 / 武田和真
■ 広報担当が振り返るスタジオジブリ
「天空の城ラピュタ」に始まり「となりのトトロ」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」……挙げればキリがないほどのヒット作を世に送り出してきたスタジオジブリ。同スタジオと言えば不世出のアニメ監督である宮﨑駿やもう1人の看板監督であった故・高畑勲、プロデューサーの鈴木敏夫といったレジェンドたちが知られておりインタビューなどで言葉を残しているが、一般社員は自社のことをどう見ているのだろうか。
その話に入る前に、今回のインタビューに答えてくれたスタジオジブリ元広報部部長の西岡純一氏の経歴に触れておく。それまで石油関連の会社で働いていた西岡氏は、1999年に友人のつてでスタジオジブリに入社し、2011年まで広報を担当。その後、三鷹の森ジブリ美術館で事務局長を、2019年からはスタジオジブリに戻って広報部部長を務めている。聞けば、公式サイトにある
「スタジオジブリの歴史」 も、鈴木氏がアヌシー国際アニメーション映画祭で行った演説の原稿をもとに彼が加筆しているという。そこには「ジブリがここまで続くとは誰も考えていませんでした」という気になる一節があった。
「宮﨑もよく言っていますが、『1つのスタジオの寿命は3作品だ』と。その後はルーティンになったり設立当初にあった熱い思いなどがなくなったりする。だからスタジオジブリも3作品くらいで閉めようと考えていたそうです。でも、ジブリの場合は宮﨑と鈴木のどちらかが『そろそろやめようか』と言うともう一方が『次はこれを作りたい』と言い始める(笑)。その繰り返しでこれまで続いてきました。
もちろん1985年の設立当初から変わったこともたくさんあります。もともとはアニメ制作者を社員として雇わず、作品ごとにスタッフを集めて完成したら解散するというスタイルでした。でも1989年に『魔女の宅急便』がヒットした際に宮﨑らが『作品がヒットしたのに、仲間であるアニメーターに還元されないのはおかしい』と言って、次の『おもひでぽろぽろ』を制作し始めた頃からアニメーターを正社員にしていきます。こうして作品がヒットしたらアニメーターに還元できる体制ができました。ただ、社員が増えると固定費がかさむので1~2年ごとに作品を出す必要が出てきます。それで宮﨑や高畑が準備段階を含めて4~5年かけて作品を作り、その間に若手に監督させるという体制がしばらく続きます」
その2013年には宮﨑が長編映画制作からの引退を宣言。そして翌2014年の米林宏昌監督作「思い出のマーニー」を最後に、スタジオジブリ制作部門の解散が発表される。
「宮﨑が監督を引退するにあたり、社内では『あと1作品若手で作ろう』という話になって、それが米林監督の『思い出のマーニー』です。以降はアニメを定期的に作らないから制作部門は解散することになりました。その時点では版権を管理しながら細々と続く会社になるんじゃないかと思っていたし、鈴木も『ようやく引退して好きなことができる』と言っていたんですけど、そうはならなかった(笑)。
三鷹の森ジブリ美術館で上映する短編をCGで作ったり、宮崎吾朗も新作を作り始めたりして結局制作が続いて。そんな様子をそばで見ているうちに宮﨑もまた作りたくなったのかもしれません。そしてまた描きたいものが見つかったということで、2017年には宮﨑の新作長編映画『君たちはどう生きるか』を制作するため新人を募集し始めます」
■ 転換点となった「千と千尋の神隠し」と三鷹の森ジブリ美術館
そんなスタジオジブリの変遷を見てきた西岡氏が考える、同社のターニングポイントになった作品を聞いてみた。そこで返ってきた答えは、2001年に公開され、当時の日本新記録となる興行収入308億円を得た代表作だった。
「1つ選ぶとするなら『千と千尋の神隠し』でしょうね。『もののけ姫』もすごくヒットしたけど、どれだけ多くの人が観てくれてもあくまで映画業界内での話題でした。しかし『千と千尋の神隠し』で経済誌の記者が取材に来るようになったり、日経新聞に載ったりするようになったんです。つまり『千と千尋の神隠し』以降は、日本のアニメがビジネスになると世間に認識されたんでしょう。その流れは日本のアニメーション界で今でも続いていますよね。
確かに国内の興行収入は308億円に達し、アメリカやヨーロッパなどで公開され、グッズやビデオが飛ぶように売れました。公開と同時にオープンした三鷹の森ジブリ美術館も人気が出て、日本、そして世界から『ジブリ美術館の2号館を作ってほしい』という話が舞い込みます。『本物の油屋を作りたい』とか言って(笑)。『もののけ姫』ではそういうことがなかったので、やっぱり『千と千尋の神隠し』、それと三鷹の森ジブリ美術館とで生まれた相乗効果は大きなターニングポイントでしょう」
スタジオジブリが迎えた大きな転換点。そこで西岡氏は広報として嵐のような日々を送る。
「スタジオジブリに入って最初に広報を担当したのが『ホーホケキョ となりの山田くん』。それから庵野秀明監督の『式日』を製作したり、『サトラレ TRIBUTE to a SAD GENIUS』といった実写作品の宣伝にも協力しましたが、静かな反響だったそれらと比べて『千と千尋の神隠し』では『3日間で40万人入った』みたいな桁が違う話ばかりで驚きました。年の暮れにはいろんな映画賞を受賞して、宮﨑や鈴木、制作の責任者なんかとそれらの会場をまわりましたけど、そこで俳優や実際の大物監督を目の当たりにし、世界が違いすぎて面白かったのをよく覚えています。
ただ大きな会社では広報部と宣伝部が別にあることが多いですが、スタジオジブリには宣伝部がなく、鈴木さんと広報部がその役割を担っていました。だからお客さんの窓口も、マスコミの窓口も、製作委員会各社の窓口も我々が全部やらなきゃいけなかった。宣伝自体は配給会社である東宝の宣伝部と宣伝会社のメイジャーとスタジオジブリで協力してやっていましたが、それでもさばききるのが大変で。しかも国内の対応にバタバタしているうちにベルリン国際映画祭やアカデミー賞の連絡も来て……あっという間の、怒涛の1年半でした」
■ 制作部門解散後のジブリを支えた3つの柱
広報として立て続けに大作に携わったのち、2011年に西岡氏は三鷹の森ジブリ美術館の事務局長となる。
「美術館では事務局長として働き、三鷹の森ジブリ美術ライブラリーという企画展示にも関わったんです。これは宮﨑や高畑が昔ミニシアター系の映画館で観て影響を受けたけど今では忘れられてるような作品、スタジオジブリが仲良くしている会社による海外作品なんかを展示するコーナーでした。そこで2013年に認知症の老人の話が展開する『しわ』を紹介したんです。しかもそれが劇場上映されることになったので初めて宣伝プロデューサー的な仕事をして、ポスターやコピーを考えたり劇場や配給会社にお願いしに行ったりしてすごく勉強になりました。そして何より『しわ』のような普遍的な作品を興行できたのはよかったし、いまだに毎月DVDが売れていて。この24年間で一番充実した仕事でした」
そんな美術館について話を伺う中で、事前にお送りしていた質問状を読んでいた西岡氏は、「三鷹の森ジブリ美術館をスタジオジブリが運営している」というこちらの認識を訂正してくれた。
「補足しておくと、三鷹の森ジブリ美術館はスタジオジブリとは独立した組織が運営しています。正式な施設名は三鷹市立アニメーション美術館で、その指定管理者が徳間記念アニメーション文化財団なんですよ。だから三鷹の森ジブリ美術館にどれだけお客さんが入っても、スタジオジブリの収益には全然関係ありません(笑)。美術館に入っているミュージアムショップのマンマ・ユートはスタジオジブリの直営ですけど。こちらも、買わなくても展示として楽しめるように商品数やラインナップを考えています」
血眼になって人気IPの創出を目指す人々にとっては耳を疑うような話だろう。しかし有名作を多く抱えるにもかかわらず、スタジオジブリはある時期までグッズ展開に積極的ではなかったという。
「僕の入社前の話だから細かくは知らないんですけど、『となりのトトロ』が上映された後にサン・アローというぬいぐるみメーカーの方が『トトロはぬいぐるみになったら絶対に人気が出る。ぜひ作らせてほしい』と直談判に来たらしく、そこでOKを出したらヒットしたそうです。それ以来、キャラクターの魅力を伝えたり、アニメとは別の形で表現したりするものに関しては作るようになりました。
もう1つの方針が、必要以上の売上が見込める商品は作らないこと。スタジオジブリはアニメ映画を作るための会社であって、商品制作はあくまでその補助なんです。だから必要以上に儲けることはないという考えです。あとは飽きられないように、というのもグッズ展開に積極的ではなかった理由です。例えば『となりのトトロ』は86分しかありません。それと比較して例えば『ドラえもん』や『ガンダム』などはTVシリーズだけで本編23分の作品が数えきれないほどあり、さらに劇場版もたくさんある。だからトトロを露出させ過ぎると飽きられて、人気がなくなってしまう日が来るかもしれない。それで商品はずっと限られた数しか作っていませんでした。これらの方針は、2014年まで変わらなかったですね。ちなみにカレーやチョコレートのパッケージにキャラクターをプリントしたようなものは今でも一切やらない方針です。そうしたものは、使い終わったらゴミとして捨てられるのが悲しいですから」
西岡氏が語った2014年とはスタジオジブリの制作部門が解散する年のこと。そこで新作映画の制作を一度は止めた同社は、どうやって収益をあげ、会社を維持していたのだろうか。
「一番大きかったのは海外展開です。グッズを売り始めたし、過去には上映しなかった国も含めて映画館で再上映してもらったり、今は全作品が配信で観られたりもします。あと最近はパッケージが世界中で売れなくなってきたという話もありますが、ウォルト・ディズニーから出ているスタジオジブリ作品のBlu-ray / DVDは意外と売れているんですよ。おじいちゃんやおばあちゃんが孫にプレゼントするのにちょうどいいようで、世代を超えて観られているのはうれしいですね。
国内では日本テレビの『金曜ロードショー』に対する放映権の販売が実は大きな利益になっています。この3つの柱でやっていく中で、それまで抑えていたグッズの種類も量が少しずつ増え始め、海外でもたくさん売るようになりました。さらにコロナ禍の影響でジブリ美術館も一時的に閉めざるをえなくなり、ECサイトを立上げ、この3年間は急速に力を入れはじめました」
ここで本筋とは異なるが、一連の話の中で多くのアニメファンが気になっているであろうことを聞いてみた。国内におけるジブリ作品の配信の予定だ。
「ジブリとしては、今はまだその時期ではないと考えています。今後絶対にないという話ではなく、日本におけるテレビ放映の影響力の経緯や今後の世界的な情勢も関わってくるでしょうけど、少なくとも今ではない。社内でもそういう話は出ていません」
■ “世界に誇るジブリ”は意外と小さな会社
続けてスタジオジブリという会社の特徴を聞いてみた。すると“日本が世界に誇るジブリ”というパブリックイメージを持つ、業界屈指の有名スタジオらしからぬ実情が語られていく。
「最近こそ就業時間がきちっとしたりして会社っぽくなっているけど、根本的には会社じゃないと思うんですよ。会社という形ではあるけど、ここは宮﨑駿や宮崎吾朗のアトリエや制作工房であって、すべての中心はクリエイターにある。彼らが作品を作るために必要だから、グッズを作ったり海外に展開したりと収支決算が赤字にならないようにするという考え方です。その辺がほかの会社とは違いますよね。
株主のことを考えていないというわけでもなく、宮﨑や鈴木なりの考えもありますけど、そもそも株だって少ないし、資本金も1000万円に過ぎません。事務方には部長が何人かいますが、部長と言ってもそれぞれ部下が5人いるかいないかで、社員数もジブリ美術館を除くと今は70~80人。宮﨑や鈴木が目の届く範囲でしか人を増やしたくなくて、かつて三鷹の森ジブリ美術館を含めて社員数が300人とかになったときは『ちょっと会社をでかくしすぎた』と言っていました。うちは世間で思われている以上に小さな会社なんです。
昔は宮﨑が社内を1日中ウロウロしてはみんなと会話して、『あいつは最近元気がないな』と鈴木と話したりしていました。近年は歳も歳なのでそこまではしていませんが、それでも換気が悪いところを見つけては『ここは空気が悪いから換気扇を付けよう』とか『窓をここにしろ』とか言って。『換気が悪いと悪い気が溜まるのでよくない』とか、非常に換気にうるさいんです(笑)。スタジオジブリはそんな親方の宮﨑がいて、鈴木が切り盛りしているような会社です」
今回のインタビューで社屋に足を運び、“中の人”の話を聞くごとにスタジオジブリを身近な存在に感じるのが不思議なところ。実際に社員数が100人に満たない規模の会社ながら世界的な知名度があるのは、これまでに送り出してきた作品、そして徹底して作り上げられてきたブランドイメージのたまものだ。
「ブランドイメージを守ることはけっこう心がけています。広報として何か対応するときは『世間はスタジオジブリにどうあってほしいと思っているか』を常に考えていて、その世間の期待にできるだけ添って、裏切らないよう心がけています。嘘をついてもそれは絶対にバレるし、世間の期待を裏切りたくない。広報部としても、スタジオジブリ全体としても同じ考えです。
世間が我々に求めているのは子供から大人、おじいさんやおばあさんまでみんなが観れる作品でしょう。だからエログロや暴力はできるだけ描かず、子供に見せても恥ずかしくない作品を作り続けています。それは作品だけでなく、2022年に愛知県で開園したジブリパークのような施設などでも同様です。あそこは愛知県と一緒にやっているから先方の意向や土地の制約もあるのですが、宮崎吾朗が理想とするものをとことんまで追求しているので、ジブリらしさはブレていません」
■ ファン待望の「君たちはどう生きるか」、一方社員は
2023年7月には、宮﨑駿にとって約10年ぶり、スタジオジブリにとっても久々の長編映画「君たちはどう生きるか」の公開が控えている。多くの人が注目する新作についてコメントを求めたところ……。
「今回は宣伝などは完全に控える方針なので、新作についてはノーコメントとさせてください。『7月14日に公開されるので、楽しみにしていてください』としか言えません。新作公開を控えての社内の雰囲気? 『盛り上がっています』とか答えるとまたいろいろ書かれそうだしなあ(笑)。久々の新作に向けてワクワク・ドキドキしている、というよりは社員一同、日々、淡々と業務をこなしていますよ」
メディアにとって今一番じっくり聞いておきたい質問は軽くかわされてしまう。しかし続いてアニメ業界を目指す人々へのメッセージを求めると西岡氏は一気に饒舌になった。
「例えばアニメを作りたいと思ったときにアニメーターになることしか考えていない人もいるんですけど、やっぱり特殊な才能が必要なんですよ。がんばれば動画ができるようになる人も少しいるけれど、才能がない人はそれ以上はやっぱり無理。でもアニメっていろんな仕事があって、キャラクターだけでなく背景を描いている人もいるし声優や音楽、効果音を作っている人もいる。少し制作から離れるだけでもアニメ作品の展覧会をやっているスタッフもいれば、本を作っている人や著作権を扱っている人もいる。アニメ業界はとにかく裾野が広くて、意外と関われる仕事があるんです。だから視野を狭めず、いろんなことに挑戦してみてください。何せ社会人になってもしばらくまったくアニメに関わっていなかった僕が、こうしてスタジオジブリについて話すようなことになっているくらいだし(笑)」
インタビューの最後に熱いメッセージを送ってくれた西岡氏に、余談として一番好きなスタジオジブリ作品を聞いてみた。
「僕はスタジオジブリ作品でどれが好きか聞かれたら『崖の上のポニョ』と答えています。あれは2008年の作品だから……当時は40代か。それなのに完徹とかして宣伝の仕事がすごくハードだった思い出もありますが(笑)。でもやっぱりイマジネーション溢れる映像がとにかくすごかった。本当に圧倒されました。そうだ、『ポニョ』と言えば少し自慢がありまして。台風のシーンでテレビから台風情報が流れますが、あの原稿は気象情報を好きな僕が書いています。そういう手作りなところがいっぱいあるんですよ、スタジオジブリって」
■ 西岡純一(ニシオカジュンイチ)
1960年、熊本県生まれ。九州大学工学部を卒業後、外資系石油会社で勤務。1999年スタジオジブリへ入社し、広報・宣伝業務に携わる。2011年から徳間記念アニメーション文化財団の事務局長、2017年から広報部部長を経て、2020年より広報・学芸担当スーパーバイザーとして後進の指導を行っている。徳間記念アニメーション文化財団評議員。