トップへ

水野裕子が語る“学び直し”「命と食」のつながりを教えてくれた、家族を襲った末期がん

2023年06月25日 21:00  週刊女性PRIME

週刊女性PRIME

大学では11歳年下の友人に囲まれて実習に明け暮れた水野裕子 (写真提供/水野裕子)

 岸田内閣の施策のひとつに挙げられたということもあり、近年、一気に注目を集めている「リスキリング」。大人になってから、自分のスキルを高めたり、新しい知識を得るための“学び直し”を指すが、タレントの水野裕子さんも過去にリスキリングを実践した一人。国家資格である管理栄養士の資格取得を目指して、30歳になる節目の年に大学へ入学した。

余命は「短ければ1か月」

 彼女の学び直しのきっかけは、家族のがん。「(栄養や食事について)きちんとした知識を持っていれば、早期に異変に気づけたかも」と、今でも悔やみきれない思いを抱えてのことだった。

 がんを発症したのは、幼いころから母娘のように過ごし、水野さんが第二の“ママ”と呼んでいた伯母。異変に気づいたのは、久しぶりに一緒に行った温泉旅行だった。「痛みはないけど、何か硬いものがあるんだよね」と話す彼女のみぞおちあたりを見ると、不自然な突出があった。

「すぐに検査をすすめました。結果は、末期のスキルス胃がん。すでに胃のすべてががんになっているような状態でした」(水野さん、以下同)

 検査後すぐに胃の全摘手術を行ったが、医師から余命は短ければ1か月、長くても1年だと宣告された。

「摘出した胃を見せてもらったら、握りこぶしほどのカチカチの塊でした。そのころ“ごはんがあまり食べられない”と言っていましたが、この胃では食べられるはずもない。どうしてこんな状態になるまで……と、ショックでした」

 それと同時に、胃がんが見つかる10年ほど前、「最近、ダイエットに成功したの」とうれしそうに話していた伯母の姿を思い出した。

「グレープフルーツダイエットを始めて、ぐんぐん体重が減ったと教えてくれました。独身だった伯母は、もともとオシャレが好きな人。少しふっくらした身体を気にしていて、それまでも流行のダイエットによく挑戦していたので、痩せたと聞いて“よかったね”と一緒に喜びました」

 でも、思い返せば、それはダイエットの効果ではなく、胃がんによる異変だったのではないか。

何を食べるかより「食べ方」が重要

「どうして喜んでしまったのだろうと、今でも本当に後悔しています。冷静に考えたら、1つの食材だけ食べる“単品ダイエット”は健康的に痩せる効果はなく、身体に何か支障が起きていると気づけたはず。そのときに検査をしていれば、伯母はがんを早期発見できたかもしれません」

 胃の全摘手術の後、自宅に戻った伯母。一人暮らしをし、身の回りのことはすべて自分でこなしていたが、食事後に意識を失って倒れることが続いた。

「伯母のことがきっかけで知ったのですが、胃を全摘すると食べたものが食道から直接腸にいくので、血糖値の急激な変化が起きて意識障害を起こすことがあるんです。伯母自身も気をつけていたとは思いますが、術後の食事の仕方を正しく理解できてなかったのかなと思いました」

 水野さんは、本を読み、胃の全摘後の食事について独学。得た知識で伯母の食生活をサポートすることにした。

 例えば、一般的に“おかゆ”は消化によい食べ物と思われているが、胃を摘出した伯母にとっては、必ずしもよいとはいえない。一気に食べると血糖値が急上昇するので、ゆっくり少しずつ食べる必要があるとわかった。

「何を食べるかより食べ方が重要だと知りました。栄養バランスや身体によい食事については、なんとなく知っているつもりでいましたが、それはあくまで健康な人に対するもの。病気や年齢などによって、望ましい食事に違いがあることを知り、より専門的に学びたいと思うようになりました」

 その経験が大学で栄養学を学ぶという挑戦への後押しとなった。

 大学へ通うため地元の愛知に居を移した水野さん。伯母と会える機会が増えてうれしい反面、弱っていく姿を目の当たりにする機会が増えた。

「着替えがしづらくなって前開きの服が増えていったり、高い場所にあるものが取りづらくなり、手の届く低い位置にものが増えていきました」

食と命は切り離せない」

 食べる量も目に見えて減少。ついには自宅で転んで立ち上がれなくなり、入院を余儀なくされた。

「ずいぶん身体が弱っていたので、入院が必要ということは、最期が近いということだと覚悟はしていました。でも、若いころの面影が感じられないほどに、どんどん痩せていく伯母の姿を見るのがつらくて、大学の授業や仕事を言い訳に、お見舞いを避けてしまった。現実と向き合うのが怖かったんです」

 “今思えば、逃げずに会いに行けばよかった”と、水野さんは声を震わせて語る。鮮明に覚えているのは、意を決して会いに行った日のこと。その2日後に伯母は亡くなった。病室に入ると“やっと会えた”と伯母が笑顔で迎えてくれた。

「前日に食べた肉団子がいかにおいしかったかを教えてくれて。すでに固形物を飲み込める状態ではなかったので、口に入れただけだったはずなのに、すごく満足そうでした。あれだけ若いころからダイエットに夢中で、胃もすでに全摘しているのに、やっぱり食べたいんだなって。人にとって“食べること”は喜びであり、食と命は切り離せないことなのだと痛感しました」

 がんによって食べることが難しくなっていった伯母とは反対に、同時期に実家で水野さんが介護をしていた祖母は、

「100歳で亡くなるまで何でも食べられて、本当に元気でした。寝たきりになっても“ハンバーガーが食べたいから買ってきてほしい”と言うくらい食に貪欲で。改めて食べることは生きることだと学びました」

 入院して1か月ほどたったころ、伯母は火が消えるように息を引き取った。遺言書には、姪・甥である水野さん姉弟の名前が。さらに遺品の中に、か細い字で書かれた“ごめんね、生きられなかった”という自分たち宛てのメモも見つけた。最期まで自分たちを本当の子どものように思ってくれていた伯母。それを見つけたときに湧き起こった、もっと寄り添ってあげればよかったという悔恨の情は今も消えない。

 一方で、取り戻せない後悔を引きずるのではなく、「この先の人生で同じ思いをしないよう生きなければ、という思いもある」と水野さん。

「両親はもちろん、ゆくゆくは自分も老いていくときが来ます。そのときに伯母の胃がんをきっかけに取得した管理栄養士の知識を役立てたい。身近なところから生かしていきたいと思っています」


水野裕子(みずの・ゆうこ)

タレント、スポーツキャスター、番組レポーターとして幅広く活躍する傍ら、'11年に修文大学健康栄養学部に入学。'19年に管理栄養士の資格を取得する。趣味の釣りはプロ並みで、「おさかなマイスター」の資格も持つ。


 

 

取材・文/河端直子