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写真家・植本一子が語る、自身のトラウマに向き合って変わった視点の変容

2023年06月23日 11:10  CINRA.NET

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写真
Text by 柏木ゆか
Text by 山口こすも
Text by 生田綾

写真家でありながら同時に文筆家としても活動している植本一子が、4年ぶりとなる新刊『愛は時間がかかる』を発表した。これまでの著書で植本は、2人の娘と生きていくことの悩み、母親との不和、夫であるラッパーのECD(石田義則)との闘病と別れなどを包み隠さずに描いている。それは誰かと向き合う姿でもありながら、思うようにいかないむずがゆい環境でも、何かの力で立ち向かい続ける力強さにも読み取れた。

新刊では自分と新しいパートナーとの関係や葛藤ではなく、自分の意志で変わっていく自らの様子が穏やかな言葉で記されている。それは植本の転換点のようでもあり、本を通じて新たに出会う人に向けて開かれたドアのようでもある。植本は明らかに自分を変えようとしている。

「自分のねじれていた力を取り戻す作業だった」と振り返るトラウマ治療について、どうして書こうと思うのか。それはどんな考えから生まれたのか。文体自体は穏やかだが、自分自身をさらけだすような行為にも受け取ることができる、そんな表現活動について触れてみた。

―これまでの著書は日記として書かれていましたが、7冊目の著書となる「愛は時間がかかる』は、植本さんにとって初めてのエッセイ本ですね。

植本:最初、エッセイにするつもりはなかったんです。もともと5年前からカウンセリングに通っていましたが、書くことと相談を同時にするのは大変だったので、日記というかたちでも文章には残していませんでした。トラウマ治療を始めたときも、そのことについて書く気はなかったんです。

今回の治療は私とパートナーの関係を良くしたいと思ってはじめたんですが、治療のことをパートナーに伝える手紙を書くうちに、この文章の書き方を少しずつ変えていったら本にできるかもしれないと気づきました。それから、頭をシフトしながら書いていきましたね。

植本一子(うえもと いちこ)
写真家。1984年広島県生まれ。2003年にキヤノン写真新世紀で優秀賞を受賞。2013年、下北沢に自然光を使った写真館「天然スタジオ」を立ち上げる。著書に『働けECD わたしの育児混沌記』『かなわない』『家族最後の日』『降伏の記録』『フェルメール』『台風一過』、写真集に『うれしい生活』がある。近年は自費出版にも力を入れている。最新刊『愛は時間がかかる』。

―今回は日記ではなく、パートナーへの手紙だった。スタート地点が違うんですね。

植本:日記は日々の個人的な記録ですが、手紙はそもそも書き方が違います。「今日トラウマ治療でどういうことをしたか」「どういうことを考えたか」を、1人の相手に対して書く。だからこの本はパートナーだけではなく、読者に向けても書いています。

文章の区切りの最後に日付を載せているし、日記として出す選択肢もありましたが、それぞれの文章にタイトルをつけて、エッセイにしました。日記だとこれまでの読者の人も読み慣れているから受け取ってもらいやすそうですが、今回はテーマもわりと大きい。

エッセイというかたちにすることで、これまでの読者じゃなかった人も手に取ってくれるんじゃないかと考えました。そのメッセージをかたちにしたところもあります。

―たくさんの人に届けたい気持ちがあったんですね。エッセイのなかに書かれていた「誰かの辛さに大きいも小さいもない」という言葉からも、これは誰かに向けられた文章なんだなと感じました。

植本:そうですね。私は自分の調子が悪いときやしんどいときに文章を書くことが多かったんです。自分と同じような人がどこかにいるんじゃないかと思えたから。自分と同じような苦しい思いをしている人に、あなたのような気持ちを抱えてる人間がここにもいる、というのを知ってほしい思いもあるんですが、『愛は時間がかかる』ではそれがいつもより強かったですね。

私が誰かに向けて書いたことを、読んでくれた人が自分のことのように受け取ってくれたらいいなと思ってます。私が書いている母や子どものことは、結果的に自分のためでもあり、誰かのためでもあります。書くことは残ることですからね。

植本一子著『愛は時間がかかる』(筑摩書房、2023年)

―この本では3か月にわたるトラウマ治療について書かれています。そもそも、植本さんが治療を受けようと思ったきっかけは何だったのでしょうかか?

植本:私は恋愛関係での一対一のパートナーシップがいつもうまくいかなかったんです。頭ではその理由もわかっているけど、どうしても行動に移せないことがいくつかありました。自分が楽になるための行動がどうしても増えてしまって、あまり相手のことを見られないんです。見捨てられることが怖いのかもしれないですね。

カウンセリングを続けていてもそれはなかなか変わらなかった。そんな自分のままでこの先も生きていくことがつらいと感じるようになり、どこかで変わらないといけないと思ったんです。それがきっかけかもしれません。

―変わらないとという危機感がやってきたんですね。それは自分だけではどうにもならないものだったんですか?

植本:私は、何事においてもまわりの人の力が必要だと感じています。普段から困ったときは誰かに相談することが多くて、誰かに頼りながら生きています。ただ、そんな私でもカウンセリングに行くことに最初は不安もあって。そもそもカウンセリングの場がどういうものか知らなかったし、お金もかかる。でもいま何か対策をしないと自分はもう「積んでしまう」だろう、何か手を打たなければ、と思ったのは確かです。

―植本さんが受けられたトラウマ治療はどういったものだったんですか?

植本:EMDR(※)という心理療法で、調べれば詳しいことはたくさん出てくると思うのですが、左右に動く光を目で追う作業を何度も繰り返す、言葉にするとこれだけでした。専門のカウンセラーの先生が言葉でリードしてくださり、治療は進んでいきます。

―治療を通して、どのように自身のトラウマと向き合ったのでしょうか?

植本:自分が傷ついた大きな出来事を、過去から順番、ひとつずつクリアにしていく感じでしょうか。

―『愛は時間がかかる』を読んで印象に残ったのは、トラウマ治療の後に植本さんが感じている疲れの部分でした。そのときの風景描写も含めてとても細かく書かれてますよね。

植本:脳を使うのってこんなにも疲れるんだなと思いました。先生からは「脳が土台から動いているから思っている以上に疲れていますよ」と教えてもらいましたが、不思議なのは疲れるだけじゃなくて逆に元気になったりもすること。治療に通い出したときはとくに顕著で、活発になって歩き回ったりもしてました。過去の傷つきが整理されて、その喜びからかもしれません。先生から言われていた「治療後にはすぐ予定を入れないこと」はなるべく守って、実際もトラウマ治療を受けたあとに複雑なことを考えるのは難しかったですね。

―治療を受けたあとの変化はいかがですか?

植本:こんなに苦しさが解消されると思っていなくて、パートナーとの付き合いがすごく楽になりました。好きな人と付き合うということはこれまで自分にとって本当に大変なことだったし、すごくしんどかった。例えば私の場合は、自分のパートナーのことをずっと考えてしまっていたんですが、いまはそれが少し落ち着いています。脳のキャパが増えたような感じです。

―具体的に、どのように変わったのでしょうか。

植本:物事の見方を自分の視点だけではなく、違う方向から見れるようになりました。これまでは私のつらさを相手に知ってほしいという気持ちが強かったんですが、相手には相手のつらさがあるんだなってことがわかったんです。私は自分のことばかりを考えていたから、相手のことも自分の身の回りのことも見えていなかったんです。

そして、それを意識するようになると、まわりも私のことを助けようとしてくれているのがわかる。自分がいつも怒ったり不安になったりしていたパートナーの行動や言動は、私のためでもあったということがやっとわかりました。振り返ると、これまで私が感情的になってしまったやりとりのなかにも、相手が悪意だけでやっているわけではないことや、嫌がらせではないことがある。そう思えるようになったんです。

―視野が広がったのだとしたら、考え方が変わったように感じるでしょうし、文体に変化も起きそうですね。

植本:自分であまり文体が変わったことは意識してないんですけど、まわりからは言われますね。

文体に関しては、カウンセリング以外でも影響を受けていることもあります。作家の滝口悠生さんの著書からとても影響を受けて、特にトラウマ治療の期間に読んでいた滝口さんの『水平線』からの影響は大きかったです。滝口さんの作品は物語の語り手や話の途中で急に別の人に変わったりもするのに、それが不思議ととてもスムーズで。自分視点のことばかり書いてしまう私が、誰か別の人の気持ちを想像して書くのは難しいんです。

滝口さんの作品は、登場人物が自由に喋ったことを文章にしている印象です。相手がどういうことを考えたり、どういう状況に置かれてるかっていうことをずっと考えていて、それを言葉にしている。そういった姿勢に感化されたところもあります。

―先ほど「カウンセリングを受けることに不安があった」と話していましたが、カウンセリングの存在は広く知られていても、実際に受けるまでにハードルがあるように感じます。植本さんは行動することを決められましたが、それがなかなか難しい人も多いと思うんです。植本さんはどうしてそこを越えられたのでしょうか?

植本:心療内科にも行ったことはあったけれど、投薬だけでは難しい面もあって。この苦しさが楽になるなら、できることはなんでもやってみよう、とカウンセリングに行くことを決めました。

『愛は時間がかかる』に出てくる原宿カウンセリングセンターは、友人が前に通っていた場所で、私もいくつか本を読んでいた臨床心理士の信田さよ子さんがつくられた場所というのも安心感がありました。実際に行ってみると、担当の先生と今後はどうやって通うか、どれぐらいの頻度にするか、このまま続けるかなどを会話しながら進められたから、不安は少なかったです。

―信田先生は著書も多いですし、本を読むことで、治療に関わる考えを先に知ることができそうですね。そういったことは大事だと感じます。特に日本では、欧米など海外と比べてカウンセリングを受けることへのハードルはおそらく高いと思いますが、どうしてだと思いますか。

植本:自由診療なので全額負担であることは大きいと思います。私が誰かに勧められるのは、実際に通っているところだけですし、通い始める前にどこに行くか探さなければならない壁はありますよね。実際に始めてみて、私は徐々に慣れてきましたが、自分の話を誰かにするのが難しく感じる人もいると思います。でも、私がカウンセラーさんと話していて気づいたのは、友達に話すときと返ってくる反応はやはり違うということでした。

もちろん合う合わないはあります。でも話すだけで何かが変わっていくことを実感すると、それが必要なことなんだと感じるようになりました。それと、私にとって、カウンセリングは薬が処方されないのも良いところです。私自身は薬を飲むことに抵抗感があるので、それ以外の方法でどうにかできるのなら嬉しいと思っていました。

―カウンセリングは薬物治療以外の選択肢の一つでもあり、聞いてもらうことの体感の場でもあるんですね。

植本:そうは言っても、薬を飲むことよりも話すことに抵抗を感じる人もきっといると思います。抱えていることの種類も大きさも人それぞれ違いますから。

ただ、これまでも自分のSNSでカウンセリングについてときどき言及はしていたんですが、本に残せたのは良かったと思います。今回みたいに患者側が書籍として記録を残すのはわりとめずらしいみたいで。Instagramで臨床心理学者の東畑開人さんがそう紹介してくださいましたし、トラウマ治療を研究しているという人が私のトークを聞きにきてくれて、そのときに「すごくめずらしいですよ」と言ってもらったりもしました。だから頑張って書いて良かったと思っています。

―『愛は時間がかかる』のなかで、「あなた」という誰かに向けられた言葉がいくつか登場することが印象的でした。

植本:本を読んでくれた人に向けてでもありますし、パートナーへの言葉でもありますね。

―タイトルの「愛」とは、植本さんにとってはどういったものなんでしょうか?

植本:難しいですね。パートナーと付き合い始めて5年が経って、やっと相手のことを考えながら関わることができるようになったかな、とは思っているところはあります。

―「私を愛して」の愛ではなく、相手の状況も愛せるようになった。その全部の愛みたいな感じですかね。

植本:トラウマ治療も、治療を始めるまでのカウンセリングもとにかく時間がかかっているし、なかなか一筋縄ではいかないんだなって。パートナーとのことを解決しようと思って取り組んだ治療なのに、昔から悩んでいた母親への気持ちも湧いてきて、すごく複雑でした。

―トラウマ治療がひと段落したいまだから感じることはありますか?

植本:抱えている問題を落ち着いて見つめることが少しできるようになりました。昔は絶対できなかった。気持ちや感情の暴走みたいなものを、これまではパートナーに全部ぶつけてしまっていたんですが、いまはつらい気持ちも含めてまわりの友達にも話を聞いてもらい、助けてもらうことが前より増えました。

―頼る先の負荷分散ができるようになったんですかね。

植本:これまではパートナーに母を重ねて、依存していたんだと思います。

―それは大きな変化ですね。多くの人にとっても必要なことかもしれません。ところで植本さんは写真家であり文筆家であり、いまはひとりで子育てをしながら家の生計も立て、かなりお忙しくされていると思います。そのなかで植本さんがカウンセリングやトラウマ治療の心のケアを重視するのはなぜでしょうか。

植本:自分へのケアが1番大事だと思うからです。養わなければならない子どもたちがいて、自分が倒れたら何も立ち行かなくなることに対しての恐怖がめちゃくちゃあって。これまでは、そんな自分の「半倒れ」な面を文章にしていたとも言える状態で、「不幸じゃないとアーティストじゃない」という思いが抜けませんでした。私はわりとそういう考えでやってきたと思いますし、そんな状態の自分がつくる作品に救われてきた部分もありました。

でも、このままだといよいよまずいなっていうところまできた。だから自分の意識をヘルスケアに「全振り」したんです。

―なるほど。ヘルスケアを疎かにしてしまう理由には、歩みを止めると仕事ができなくなってしまうという怖さとかもあるかもしれませんよね。それを守るためなら健康を少々蔑ろにしても仕方ないと。ただ植本さんはまず土台に健康があって、そこが崩れると家庭だけではなく、仕事にも影響が出ることをわかっている。

植本:ヘルスケアはある意味では自分そのものだから、それが崩れるとまずいということだと思います。だから何よりも自分を大事にしてほしいし、蔑ろにしないでほしいです。自分の変わりはいくらでもいるわけではなくて、あなたはたった一人の大事な人ですから。