Text by 生田綾
Text by 清藤千秋
「私たちはハラスメントの被害者にも加害者にもなり得るということを、つねに自覚する必要がある」
「基本的に人間は、他者よりもパワーを持つと、他者への対応がおざなりになり、その気持ちをわかろうとする思いが減ってしまう」
6月11日、一般社団法人 Japanese Film Project(JFP)が主催した『映画界のハラスメント対策講座』は、齋藤梓さん(上智大学総合人間科学部心理学科准教授)のそんなドキッとする言葉から始まった。
有名監督、映画関係者の告発が相次ぎ、日本の映画業界はこれまでの旧態依然とした体質からの脱却が強く求められている。安心して制作に取り組める現場をつくるために、どのように変化すべきか。
講師に齋藤梓さん、聞き手に映画監督の岨手由貴子さんを迎えた本講義の概要をレポートする。
2017年に世界を席巻した#MeToo運動は、ハリウッドの大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタイン氏が告発されたことに端を発していた。映画業界で数多くの俳優や映画関係者が連帯を呼びかけたことがメガホンとなり、運動の広がりにも大きく寄与した。
日本でも勇気ある告発がいくつかあったものの、肝心の映画業界がついにその膿を出すようになったのは2022年からのことだ。
講義ではまず、齋藤さんによる「ハラスメントの基礎知識」の時間が持たれた。
そこで確認されたのは、個人がそれぞれの安心や安全を守るために必ず有している、物理的・心理的・社会的な「境界線」を同意なく侵害することは「暴力」であるということ。「自分の気持ちは自分のもので、相手の気持ちは相手のもの。境界線というものは人それぞれで違います」と齋藤さんは指摘する。
「よく子どもに『自分が嫌だと思うことを相手にしてはいけません』と伝えることがありますが、それは少しだけ違っていて、相手が嫌だと言うことは相手にしないということが基本的な人間関係のルールなんじゃないかなと思います」
そして、ハラスメントとは、「優越的な地位または人間関係を背景として業務上必要かつ適切な範囲を超えている言動」を指す。厚労省は身体的な暴力のほか、執拗に叱責したり罵倒したりするなどの精神的な暴力、隔離するなど人間関係からの切り離しなどをハラスメントと定義している。
また、「基本的に優越的な地位または人間関係がある職場(教育)において行なわれる、相手の望まない性的な言動・性差別的な意識に基づく言動」はセクシュアルハラスメントにあたる。
「優越的な地位」は「相手が自分よりもパワーを持っている関係性」を指すが、必ずしも明確に地位が上とは限らず、情報や知識の多さや、マジョリティか、マイノリティであるかなども「優越的な地位」の検討材料となるという。
「自分が相手にとってどのような存在か、ということには非常に敏感になる必要があるだろうと思っています。基本的に人は他者よりもパワーを持つと、他者に対する対応がおざなりになったり、他人の気持ちを慮ることが減ったりする。自分が相手にとってどういう存在で、自分の持っているパワーは何なのかということを考えることが大事だと思います」
性的指向や性自認を理由にしたハラスメントは「SOGIハラスメント」と呼ばれ、妊娠・出産・育児に関する不当な取扱いや言動を指す「マタニティ・ハラスメント」もある。
ハラスメントは個人の問題だと思われがちだが、「組織の問題」だ。「残念ながら、人間関係のあるところには必ず何かしらのハラスメントは存在します」と齋藤さんは語った。
そして、ハラスメントは多くの場合「無意識」に行なわれるという。齋藤さんは、無意識だったからといって、その行為が許されることはないとも指摘。
「無意識の行動がハラスメントにつながった場合、ハラスメントと訴えられた人も、それ自体がハラスメントと感じることはないか」という事前に寄せられた質問に対し、「自分の行動が社会通念に照らして職務上適切かどうか、あるいは相手の同意があるか考えることが大事ですし、もし訴えられたこと自体をハラスメントだと感じてしまうのであれば、なぜそれがハラスメントなのかということを先に考えていただけるとありがたいなと思います」と話した。
登壇した岨手由貴子さんは、深刻化する映画界の長時間、低賃金の労働環境やハラスメント問題を受けて「日本版CNC設立を求める会」(action4cinema)を立ち上げた有志映画監督のうちの一人だ。
「齋藤さんのお話を聞いて、自分も無意識に加害者になってしまっているかもしれない、と感じました。私はNetflix社の『リスペクトトレーニング』を受けたとき、仕事をするうえでかなり基本的な内容の確認だったことに驚きました。でも、その基本的なことが職場でなあなあになってしまう。制作現場のみんなで指差し確認していくことが大事なんだと実感しました」
講座では続いて、映像業界における現在のハラスメント対策について紹介。
日本では、Netflix作品が全スタッフにリスペクトトレーニングを必須としているほか、東宝作品では2022年12月から自社製作作品へのハラスメント講習、弁護士相談窓口設置が開始された。そのほかにも、監督や俳優の意向でハラスメント講習や勉強会が行なわれる現場もある。
そんな流れのなか、今年3月、映画制作での労働環境の改善を目指す第三者機関の「日本映画制作適正化機構(略称:映適)」の設立が公表され、労働環境が適正かどうかを審査し、「映適マーク」を付与する新たな制度が4月1日からスタートした。
大手映画会社による連盟のほか11団体が調印したこの制度は、契約書の取り交わしや労働時間遵守などを義務付ける映適作成のガイドラインが審査基準となっている(*1)。申請は任意で、審査料は10~25万円がかかる。
映適の公式サイトより
まずはルールができたのは前進だが、映適のルールにはまだまだ改善の余地が見受けられるという。
映適作成のハラスメント防止のガイドライン(*2)では、映画製作者側に対しハラスメント講習やトレーニングの実施、ハラスメント防止責任者の設置などを定めており、岨手さんは「まだまだ現場任せすぎるかな、というのが正直な感想」と語る。
たとえば、専任の「ハラスメント防止責任者」を設置するのは、多くの制作現場にとって予算的に難しい。ラインプロデューサー等が兼任することになれば現場への負担が増えることになってしまう。
司会を務めたJFPの近藤香南子さんは、「作品をつくるだけでも精一杯というところが多いなかで、このガイドラインを遵守できるかは難しいなと思います」と指摘した。
齋藤さんは、映適のハラスメント防止ガイドラインの内容の一部に疑問を呈した。
「『(被害を受けた人がハラスメント違反者と)話し合う機会を検討してください』という記述があるのですが、これがちょっと不思議ですね。ハラスメントを受けた被害者が被害を申し立てるのは、とても勇気が必要なことです。多くの人は言えないままで体調を崩してしまったり現場を去ったりしてしまうと思う。もっと被害者が安心して申し立てができるようなガイドラインにしなければならないと思います」
ガイドラインには、「被害を受けた人がハラスメント違反者と話し合うことに抵抗がない場合は、何が自分にとって不快であったか、受け入れられない言動であったか、恐怖を感じたかなどを話し合う機会を検討してください。」との記述がある。
現状のルールだと、「ハラスメント防止責任者」をラインプロデューサーが兼任した場合、助手の立場だと目上の人間には申し立てがしづらい。さらに、「話し合いで解決しよう」という流れになれば、その話し合いを辞退することも難しくなる。
だからこそ、中立な立場の第三者機関の存在が強く求められているのだ。
2018年、ソウル市内で行なわれた「#MeToo」デモ。
映画産業における労働環境の是正やハラスメント対策で参考となるのが、韓国だ。日韓の映画関係者らで意見交換なども行なわれており、講座の終盤では韓国の事例が紹介された。お隣、韓国の事情はどうなっているのだろうか?
韓国では、ハリウッド発の#MeTooムーブメントの前年、文学・美術・演劇など芸術界の性暴力を告発する動きが盛り上がった。そうした世相を受けて2018年に設立した韓国映画性平等センター「ドゥンドゥン」は、韓国映画振興委員会(KOFIC)の出資を受けながら、ハラスメントの相談および申告の受付、性暴力予防教育の支援などの活動を促している。
現在、その根拠となっているのが「法律」だ。2021年の法改正で、映画制作者には性暴力予防教育の実施などが義務付けられた。
日本の映適マーク取得があくまでも任意であり、ガイドラインに沿わなくてもペナルティがないのとはこの点が大きく異なる。
「映画界の性被害者支援団体」として、映像業界のセクハラ予防教育や被害者支援を担うドゥンドゥンは、2022年秋に「映画制作者のためのセクハラ・性暴力事件処理ガイド」(*3)を発表。その内容について、齋藤さんはこう分析した。
「『初めて被害の話を聞くときに大切なこと』という項目に、『公的な問題として考えること』とあるのが良いですね。加害者の迅速な解雇が最善の手段ではないのか、という問いもままあるのですが、そこに至るまでにどれだけ適切な手順を経たのか、ということが重要です。このガイドラインには、問題を解決するためのルールが大変具体的に記載されています」
和訳された「映画制作者のためのセクハラ・性暴力事件処理ガイド」
日本の映適にまだペナルティを課せるほどのパワーがないいま、現場レベルでできることから、と動き出しているチームもある。
JFPのメンバーである映画プロデューサーの福田真宙さんは『探す未来』という短編映画の制作のため、差別やハラスメントを許容しないと明記したプロダクションガイドラインをつくった。「あなたにはNOという権利があります」という力強い言葉が印象的だ。
『探す未来』のプロダクションガイドライン
岨手さんも直近の取り組みを紹介した。
「action4cinemaでハラスメント対策のためのガイドライン草案を発表したことがあるのですが、かなり物量がありますので、簡易で読みやすく、目に入りやすいデザインのものを準備中です。台本に綴じ込んで、action4cinemaの活動に参加している監督の次の撮影現場から初めてみよう、という話もあるので、完成したらぜひいろんなチームで採用していただきたい」
過渡期にある日本の映画業界ではいま、「現状を変えなければ」という意思のある作り手たちのアクションが目を引く。しかし、エンターテイメントに触れる消費者も、ハラスメントを許さないという意志を表明し変革への機運を醸成していくことも必要だろう。これは社会全体を覆う問題でもあるのだ。