Text by CINRA編集部
大墻敦監督のドキュメンタリー映画『わたしたちの国立西洋美術館 奇跡のコレクションの舞台裏』の予告編とコメントが到着した。
建築家のル・コルビュジエが設計し、2016年に世界文化遺産に登録された上野・国立西洋美術館。同作では、ル・コルビュジエが構想した創建時の姿に近づける整備のために2020年10月から休館した美術館に1年半にわたって密着し、所蔵作品の引っ越しの様子や、保存修復作業、コレクションの調査研究や国内外の美術館への巡回展、特別展の企画開催など、その舞台裏に迫る。7月15日公開。
井浦新がナレーションを担当した予告編はモネ、ルノワールなどの絵画やロダンの彫刻など所蔵作品が展示される美術館のシーンからスタート。観客が誰もいなくなった館内の様子や、前庭リニューアル工事の模様、収蔵庫の内部、展覧会の打ち合わせ風景、購入作品決定の会議が映し出されるほか、関係者の口から美術館の目前に迫る「危機的状況」が明かされる。
【井浦新のコメント】
西洋美術は印象派が好きで、なかでも日本美術、浮世絵の影響を受けたゴッホとスーラに惹かれます。ゴッホの「星月夜」の渦巻きも大好きだし、見ているとワクワクする。スーラはすっと品が良いのですが、よく見ると狂気を感じる。どちらの作家にも強烈な魅力を感じます。
ありがたいことに、今まで美術にまつわるお仕事をたくさん頂いて、展覧会に関わらせて頂いたことも何度かありますが、僕がずっと感じてきたことは、何百年も前の芸術が目の前にあることは当たり前ではない、ということ。絵画をどう守っていくか、修復が必要なものは如何に昔の状態に戻すか、経年変化をどうやって緩やかにしていくか。展覧会を作っていく学芸員の方たちがチームを組んで、本当にすごいことをやっている。やはり“人”なんですよね。
絵画を見て、その絵を描いた作家を感じるように、美術館に行くと、学芸員や研究者の方々、美術館をきれいに保ってくれている掃除の方たちまで、美を守ろうとする多くの方たち、人の想いを感じる。それが美術館の魅力だと思います。
美術館で働く人々のことは、お客さんは知らなくても良いかもしれない。だけど、知ってから美術館に行って美術を見ると、もっと楽しくなる。この映画を見て、国立西洋美術館に行ったら、見る前とは国立西洋美術館の見方や過ごし方がきっと変わる。映画を見てから美術館に行くのもいいし、行ってから映画を見ても、どっちも楽しい。無機質に感じるかもしれない美術館も、実は生き物なんです。
【中野京子のコメント】
日本の美術館が置かれている経済的にきわめて厳しい状況がよくわかった。一方でしかし、素晴らしい名画がこんなに多く所蔵されていること、また学芸員やスタッフたちの優秀さや芸術への熱い思いが伝わってきて、未来は決して暗くないと希望が持てた。
【佐藤直樹(東京藝術大学美術学部)のコメント】
大学に移ってからは、作品点検や展示作業から離れてしまいましたが、国立西洋美術館での経験は、今でも美術作品を見るときの重要な軸となっています。映画を観ているうちに、私も一研究員に戻り、作品の運搬中に事故が起きないよう緊張したほどです。この映画が、国立西洋美術館の仕事を正しく記録しているからでしょう。
【片岡真実(森美術館、国立アートリサーチセンター)のコメント】
世界の美術館界はいま、多様性、包摂性、持続可能性を重視する方向へ大きく舵を切りつつある。アジア各地では大型美術館が設立されている。国立西洋美術館をはじめ、すでに様々な歴史を刻んできた我が国の国立美術館は、いままさに岐路に立たされている。これは複雑に絡み合う多様な問いを、実にタイムリーに「わたしたち」に投げかける映画だ。
【橋本麻里のコメント】
国立西洋美術館にはもう長い間、特別展開催のための予算がつけられていない。そのようなものとして、「わたしたち」の選んだ政府が、「わたしたち」の文化行政を設計してきた。美術に無私の奉仕を捧げる「わたし」。この映画や美術に無関心の「わたし」。あらゆる「わたし」を包摂する「わたしたち」のために、文化や美術はどのようなかたちで存在するべきなのか、いま一度考えたい。
【中村剛士(「青い日記帳」)のコメント】
学生時代初めて自らの意思で訪れた国立西洋美術館。それから30年以上に渡り何百回と足を運んでいる馴染み深い美術館ですが、この映画を観るまで内情がこれほど複雑で仕事も多岐に渡っていることを知り得ませんでした。また資金面で困窮し単独で展覧会を開けないといった実情も赤裸々に語られておりまさに驚きの連続でした。
【伊東順二のコメント】
このドキュメンタリーが示すのは博物館学的技術の詳細なドキュメントだけでなく本来の保存業務を果たしながら変動する時代の要請に可能な限り応えようとする美術館の姿であり、どの分野においても正解が定まらない中で他の美術館のモデルとならなければならないという責務を必死に果たそうという人々の証言である。