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カルチャーはいつも、人々をつなぐ接点になる。別府の老舗映画館と高円寺の共同書店に人が集まる理由

2023年06月15日 18:10  CINRA.NET

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Text by 島貫泰介
Text by 森谷美穂
Text by 和田有里絵

共同体や家族のあり方、個人の働き方、ジェンダー、アイデンティティなどの考え方の変化とともに、社会構造も大きく変わってきている今日、いかに生きるか、どこで生きるか、誰と生きるかは重要なテーマだ。おそらく、いつもそこには文化や芸術があり、それを接点にして、人は他者と出会う。

大分県別府市で70年以上も続く老舗映画館・別府ブルーバード劇場。古本酒場として地域の人々に親しまれている東京・高円寺のコクテイル書房と5月にオープンした共同書店・本の長屋。それらはどれも文化と人と地域のあり方の模索のなかで生まれ、育まれてきた特別な場所だ。

別府ブルーバード劇場の館長で92歳の岡村照さん、コクテイル書房と本の長屋を運営する狩野俊さんをお招きし、それぞれの街に根づきながら、あり続けているそれぞれの場所について話を聞いた。

狩野:(岡村)照さん、はじめまして。狩野と申します。

岡村:はじめまして。

狩野:今日は70年以上も続いてきた別府ブルーバード劇場の、横綱の胸を借りるつもりで参加しました。

岡村:ふふふ。

別府ブルーバード劇場の館長・岡村照(写真右)、娘の実紀(写真左)。取材はオンラインで行なわれた

ー別府ブルーバード劇場(以下、ブルーバード)も、狩野さんが経営しているコクテイル書房とそのすぐそばで開店したばかりの本の長屋も、地域との強い関わりを持つ、今風にいえばサードプレイスのような場所です。まず、それぞれがどんな場所なのかからお聞きしたいです。

狩野:コクテイル書房は東京・高円寺にあるお酒も飲める書店ですが、本の長屋は、いくつもの箱が集まったような本棚が設えていまして、ひとつあたり50x30センチの箱がそれぞれひとつのお店になっていて、店主がいるんです。約100人の店主が集まって、ひとつの大きな本屋になっている。それが本の長屋の基本的なアイデアです。

狩野俊。コクテイル書房と本の長屋の店主

狩野:ここをつくろうと思ったきっかけは、やはりコロナ禍が大きいです。ステイホームでみんな街に出られなくなり、家にずっと閉じこもって、たまに生活に必要な食料品を買いに行くためにスーパーやコンビニに行く状況で書店も休業を余儀なくされました。日本では、書店は「生活に必要なもの」とはあまり思われていなかったんです。

でも、たとえばドイツでは書店の開業は続いていたという話を聞いて、やっぱりカルチャーって人間にとって必要不可欠なものだとあらためて感じました。また、単に本を買うだけではなくて、さまざまな状況下で人の居場所になれるような仕組みを持った場としての書店があってもいいのではないか。そう思うようになり本の長屋のアイデアを練っていきました。

ーコミュニティをつくるということですね。

狩野:たしかにそうなのですが、ただ「コミュニティをつくる」だけでは足りないとも思っていて。

コロナが少し収まった頃からコクテイル書房で読書会を始めて、いろんな人たちが集まり、言葉を交わすようになりました。(コミュニケーションをし)続けていくうちにお互いの考え方を知って、仲良くなり、そのあとにようやくコミュニティが生まれたように思ったんです。

最初からコミュニティをつくろうというのは順番が違うというか。だから本の長屋では、コミュニケーションを取りやすい場をつくることを第一の目的にしています。そこでは読書会もやるし、「部活動」と呼んで店の管理をする管理部、出版を担当する出版部……というふうに、人が自ずと集まり会話が生まれる仕組みを組み込みました。

ー照さん、ブルーバードの場合はどうでしょう? 70年という長い歴史のなかで、最近は監督や俳優を招いてのイベント、さらに短編映画の制作プロジェクトも手がけるようになりました。

岡村:最近のことのきっかけは、映画ライターの森田真帆さんですね。数年前に森田さんが東京から別府に移住してブルーバードに関わるようになったことで新しいことが始まったんですよ。

うちは映画館ですから俳優さんたちの舞台挨拶は以前からありましたけど、森田さんが関わるようになって、ドラァグクイーンがゲストでやって来て話すとか、いろいろなイベントをするようになったんです。

そうするうちに、ブルーバードのお客さんたちが上映後にいろんな感想を話し合うようになっていって、その様子をうちにやって来た監督さんたちが面白がってくれて、次々と別府に来てくれるようになりました。別府は温泉も入れますからね(笑)。

狩野:今日の対談に備えていろんな記事を読んだのですが、亡くなられた昭夫さんの影響も大きいという印象がありました。1960年代に、レストランがあり、喫茶店があり、ビアガーデンがあり、屋上にはゴルフ練習場まであったと。先進的なアイデアマンだったと思いました。

岡村:もとは喫茶店だった場所を映画館にしたものですから、最初からカウンターがあったんです。夫が亡くなった後は人手が足りなくなったので段差をつけて連結椅子に変えて、だいぶ普通の劇場のようになりましたけど、以前は喫茶店の名残りがありました。

コーヒーを飲みながら映画を見ることができたのは「30年ぐらい早かったかしら」と、私たちも自慢に思っています。

1949年に岡村照さんの父・中村伝助さんが別府ブルーバード劇場を創業。1970年から夫の昭夫さんが館長となるが、同年に亡くなり、その後は照さんが館長を務めている

狩野:昭夫さんのアイデアを受け継いだ照さんも並々ならぬ人ですよ。たしか日活との契約の関係で、それまで映画館だった3階で日活作品を上映することにして、喫茶店だった2階を現在の映画館に改装したとか。大決心じゃないですか。

岡村:ちょうど日活ロマンポルノが流行していた時代で、日活の方から「そのまま3階のもぎりをお願いしたい」と言っていただいたのですが、どうしても自分で映画館をやりたかったんです。2階も80人ぐらい座れる広さもありましたからね。

おかげさまで松竹の封切館としてやっていくことになり、寅さん(『男はつらいよ』シリーズ)が毎年新作を公開して大ヒットしていた頃は安泰だったんです。けれども松竹との契約が切れ、90年代後半に大分市にシネコンができると、同じ映画をかけていても、みなさん画も設備もきれいなシネコンに足を運んでしまって。うちの興収はガタッと落ちてしまいました。

いっそ改装してダンスホールに変えようかとも思ったのですが、やはり私は映画が好きだったから、洋画も邦画もかける二番館として何とかずっとやってきた感じです。

現在のブルーバード(写真左から照さん、森田さん)

狩野:大きな転換に接しても変わらない照さんの映画への愛情が、いまも多くの監督や俳優、さらにはお客さんをも惹きつけているのではないでしょうか。照さんは当たり前のことのように言いますが、僕からすればそれは、尋常じゃないものです。

岡村:別府から大分まで電車で15分ほどですが、お年寄りは遠出できないでしょう。ブルーバードの長年のファンから「どうぞ閉めないでくださいね」と言っていただいて、別府の映画館が最後の一館になったとしても絶対に閉めないと決意しました。

狩野:森田さんがブルーバードでの鑑賞経験について記事を書かれていて、誰かがポテトチップスを食べている音を聴きながら、恋愛映画を見たりする。その空気感も含めてブルーバードの良さだと。

岡村:うちは厳しくないんですよ(笑)。

実紀(照さんの娘):ビール飲みながらやくざ映画を見るのも楽しいですから! ビールとハイボールをいまも置いているので、ぜひ一度お見えになってください。うちが初めての映画上映という若い監督さんもいて、毎日上映にいらっしゃって、自分でチラシをまいて、お客さんと一緒に自分の映画を見ることもあります。いまのシネコンでは体験できない鑑賞ができる場所ですよ。

狩野:ぜひ行きます!

ーブルーバードの特徴というと、お客さんが上映作品のレビューを積極的に書いてFacebookで公開していることを思い出します。

実紀:鑑賞後もベンチに残って、感想や気持ちを共有し合う人が大勢いるんですよ。

岡村:本当に良い映画を見て、感想を言って帰っていけることを、私は一番の幸せだと思っています。そういう風景が生まれることも含めて、やっぱり映画が好き。

ーそのコミュニティ感は昔からあったものでしょうか?

岡村:グループが生まれる感じはなくて、自由な雰囲気のなかでそれぞれが思い思いの時間を過ごしていたと思います。かと思えば、やくざの親分さんが子分の人たちを引き連れて見に来てくれて、終映後に全員で館内の掃除をしてくれたり。家庭的な雰囲気がありました。

ーへー!

岡村:いろんな人が来ましたよ。昔は大晦日もオールナイト興行をやっていて、借金取りから逃げるために映画館にやって来る人は空が白けるまでおりましたね。

ー映画館や本屋は芸術や文化に触れる場所であると同時に、孤独を愛していたり、変わったものを好きだったりする人、社会からはぐれたところにいる人でも集まることができる場所ですよね。あと、ブルーバードはスクリーンの左右に花が飾ってあって、映画館にもてなされているような気持ちになります。

実紀:とくに4月は母の誕生日なので、いただいたお花をお客さんに見せたいと言うんですよ。それで飾っているんです。一人暮らしの部屋で飾って見ているだけだと寂しいからって(笑)。

狩野:楽しませたいって心がやっぱり照さんの中心にあるんですよね。自分だけが楽しむんじゃなくて、みんなを楽しませたいっていう気持ちがブルーバード劇場に溢れているんだ。

6月11日の『せかいのおきく』上映後には阪本順治監督の舞台挨拶が行なわれた

ー家庭や職場とは別にある、もうひとつの居場所を「サードプレイス」と言いますが、ブルーバードやコクテイル書房は、まさにそういう場所になっている感じがします。

狩野:でも、サードプレイスみたいなところはすでに飽和状態じゃないですか? 正直に言うと、サードプレイス以上のものが生まれないと、これからの社会は成り立たなくなると僕は思っています。

未来を考えると、やっぱりけっこう悲観的にならざるをえないじゃないですか。自分が老人になったときに年金があるんだろうか、とか。うちは子どもがいますが、周囲には結婚してない人もいるし、結婚しても子どもを持たない人もいます。子どもがいても、面倒をみてもらえるか、そもそも面倒をみてもらう、という考えがどうかというのもありますよね。だから本の長屋では、中国に昔からある秘密結社みたいのものをやろうとしているんです。

ー秘密結社(笑)。たしかに中国では日本でいう県人会みたいな同郷で集まる組合、職業ごとの組合がいまも根づいていますね。

狩野:出身地が同じ人同士で助け合っているんですよね。いまの日本ではそういうものがなくなっていますけど、本の長屋はこれに近いものをイメージしています。

出身地も違ければ、血がつながってもいないけれど、たとえば老人が困っているときに若者が介護するような仕組みまで広げていきたい。もちろん他人に対してそういうことをするのは生半可なことではないですが、国の行政に代わる互助の仕組みを自分たちからつくっていかなければいけない社会が来るんじゃないかと思うんです。ノアの方舟ともいえるかもしれない(笑)。

ーサードプレイスの「その先」を考えるためには、いかに続けていくかが重要だと思います。経営面はもちろんとして、それ以上に、その場所に愛着を持つ人が増えていく必要がある。その点で、70年以上の歴史を持つブルーバードは、これまで続けてこられた秘訣のようなものがあるのでしょうか?

岡村:とにかく私はほかのことができないと思ってますからねえ。17歳から映画のもぎりだけをやってきましたから。何とか続けるよりしょうがない。

実紀:8年前に森田さんがブルーバードにやって来て、そのちょっと前ぐらいから母が高齢なので私も手伝ったりはしていますが、いまもほぼ母のワンオペなんです。自分でチケットを売って、じゃあ始めますって映写室入って映画が終わったら止めて。お客さんも母が映写室から出てくるまで待って、お話しして帰る。その状態をお客さんが納得してくれているからこそ、続いているのかもしれないですね。

岡村:いつまでそれができるかなとも思いますけどね。

狩野:僕は続けようと思ったことはなくて、やりたいことをしていたら続いていた、という感じです。でも照さんのお話を聞いていると、何かを続けるために一番重要なのは、「我」をなくすってことなのかなと思います。人ではなく映画が中心にあるからブルーバードは続いてきた。

岡村:うん。

狩野:我をなくすことってなかなかできないですけど、たぶん物事に集中しているときが、一番我がなくなっている瞬間だと思うんです。照さんにとっては映画館を維持して映画を見てもらうっていうことが我をなくすってことなのかもしれない。そうすることで、ブルーバード劇場がいろんな人の居場所になってきたと思うんですね。

実紀:ある監督さんが「映画館はゆりかごである」とおっしゃったことがあるそうで、母もそんな気持ちでいるみたいです。監督さんが産んだものを育てるゆりかごみたいな気持ち。

狩野:本にも映画にも歴史の積み重ねがあって、それがあるからずっと続いていくのだと思います。読書会でプラトンの『饗宴』を読んだときにそれを感じました。

プラトンは2400年以上前の哲学者ですが、ギリシャから数千キロ離れた日本という場所で、彼が書いたものを読んで感動する日本人がいるなんて想像もしなかったはずです。プラトンは、師匠のソクラテスの言った言葉を残したい一念で『饗宴』を書いたけれど、その気持ちが後世に伝わっているってすごいことじゃないですか。そういう思いの積み重ねがあり、いま僕たちも読んだり話し合ったりできているんです。

ー照さん狩野さん個人の思いと、歴史の積み重ねがそれぞれの場所をつくり、支えているのだと感じます。最後の質問として、今後、これらの場所をどのようにしていきたいですか?

岡村:私はどうかなあ……。

実紀:よく、ブルーバードって「女性の聖域」だよねと話すんですよ。もちろん男性たちにも支えてもらって、みんなで何とか回していっていますけど、森田さん、私、照さんの3人が主になって、インディーズからメジャーまで、日の当たりづらい映画も上映して、監督さんを育てていきたいという気持ちはすごくあります。

『新聞記者』や『家族』の藤井道人監督も、最初に森田さんが見つけてきて上映したとき、お客さんが0人とか3人とかでどうしようかと思いました。そんな藤井監督がいまや人気監督になっているのを見ると、子どもが成長した喜びに近いものがあります。そういうのを共有しながら「あの監督よくなったよね」みたいな話ができていると幸せです。

岡村:もう若い方に任せてます(笑)。

ー頼もしいですよね。そういう場所が別府にあることが誇らしい気持ちになります。狩野さんはいかがでしょうか。

狩野:僕は高円寺に「本の街」をつくりたいと思っています。本の長屋としてやっていることを広げ、数件のお店を借りて、本の商店街をつくりたい。その街には作家の方がいて書くスペースもあったり、本が印刷できるような印刷機があったりして、街の中で本が1冊出来上がります、っていうふうにしたいんです。もちろんそこには、それ以外の福祉的なものや育児的なものも合わさっていって。

ーそのときのつながりの軸になるものが、本や知識でしょうか?

狩野:それよりも「言葉」ですね。本を媒介にしてつながっていく言葉が基本にある。だからこそ他者同士の濃厚な会話もできるようになる。

私見ですが、サードプレイスといわれる場所の多くは、厳しいことや本音を話せる場所にはなっていないと思うんです。発言の内容によっては、そのコミュニティから弾かれてしまうことすらある。そういうことのなされない、本音で話し合える場所が本の長屋でありたい。最初から本音で話すのは難しいので、読書会など本をとおして言葉を交わすうちに、自然と本音で話せるようになったらいいと思っています。

作家の古川日出男さんは、人間ってお互いに誤解しながら会話をしているんだと話しています。そういうことを踏まえて、お互い誤解をして話をしいるかもしれない、意識を持って会話することが重要だと思っています。

わかり合えないけど、わかり合いたい。そのために言葉がある。だから、少なくともこちらが言葉を発するときは丁寧に話さなきゃいけないし、わかるように努力しなきゃいけない。言葉の重要性というのは、同時に相手を思うってことの重要性でもあるのかなと思います。