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『JBL Tuner 2 FM』。音楽も人間も趣味も教養も、ぜんぶラジオから教わった。

2023年06月15日 11:01  マイナビニュース

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画像提供:マイナビニュース
何年か前に、「人生で大事なことはすべて〇〇から教わった」というベストセラー本がありました。この言い方をすれば、私は「人生の面白いことを、ぜんぶラジオから教わったし、今も教わっている」人間です。ラジオは素晴らしいし、聴かないのはもったいない。つくづくそう思います。


「何かをしながら」情報が楽しめる「ながらメディア」としてこれほど素晴らしいものはありません。



そういえば、同様の「ラジオ愛」を講談師の神田伯山さんが毎週金曜日21時30分から放送しているTBSラジオの番組「問わず語りの神田伯山」のオープニングで毎回語っています。「ラジオの友は真の友」という言葉で。


そんなラジオ好きの自分の数十年の人生を振り返ってみると、これまでいったい何台のラジオ、ラジオ受信機能付きの機器を購入して使ってきたのか。あまりに多くてよくわかりません。



もちろん、最初に所有したラジオのことはよく覚えています。小学校4~5年生の頃。それは電源が要らない、アンテナを電気コードに巻きつけるだけでAM(中波)放送を聴くことができる「ゲルマニウムラジオ」のキットでした。



クリスタル(結晶)イヤフォンを右の耳に差し込んで、キットのポリバリコンのダイヤルを回すと、チューニングが合うとラジオ放送の音声が聞こえてくる。最初に聴いたのはTBSラジオの夜のワイド番組「ラジオでこんばんは」やNHKのニュース。夜9時台のラジオが若者向け番組になるのはそれより少し後のことで、当時のラジオは大人向けの番組ばかり。



でも、そこにはとんでもない発見がありました。それは小学生にとって初めて知る「大人の世界」。何もかも新鮮で、勉強になったのです。当時のラジオには、ニュースから時事問題の解説、人生相談、音楽や落語や漫才、ラジオドラマまで、今よりももっと多彩でした。そこからあらゆることを学ぶことができました。


やがて、夜のラジオは大人向けから青少年向けに変わります。そんなとき、まず最初にハマったのがニッポン放送、コメディアン萩本欽一さんの大人気ラジオ番組「欽ちゃんのドーンといってみよう!」(1972~79年)でした。



そして中学生になると、それより前の1960年代後半から始まり、当時の高校生や大学生に人気だった深夜放送にハマります。中島みゆきさんやタモリの「オールナイトニッポン」。伝説のアナウンサー林美雄さん、愛川欽也さん、声優の野沢那智さん&白石冬美さんの「パック・イン・ミュージック」など。



深夜になると、思わぬ遠方のラジオ番組が聴けるのも、中高生の頃の楽しみでした。なぜか、その理由はよく理解しておらず、高校生の頃に「夜になるとスポラディックE層という電離層が出現するから」だという記事を読み、そうなのだと思っていました。



そして、そんな遠方のラジオ番組で楽しみにしていたのは笑福亭鶴瓶師匠と放送作家の新野新氏がパーソナリティを務めていたラジオ大阪の「ぬかるみの世界」。偶然に聴いたのですが、やがて毎週その周波数に合わせるようになりました。



しかし、このエッセイを読んだ読者の方から貴重なご指摘を頂きました。スポラディックE層が反射するのはFM電波だけ、なのだそうです。では、なぜ深夜になると遠くのAM放送が聴けるのでしょうか。



それは、昼間は空中の「D層」という電離層の働きが優位なために、AM電波は遠くまで届かないのだそうです。でも、夜になるとこのD層の働きが弱くなって、その外側にある、AM電波を反射するE層でAM電波が反射されて、最大1000kmほど遠くにまで届くのだそうです。今回、ご指摘で初めて知ることができました。ありがとうございます。



そしてちょうどこの頃、海外の短波放送を聴くBCLブームも起こります。そのとき使っていたラジオは、誕生日プレゼントに買ってもらったのか、お年玉で買ったのか忘れましたが、ナショナル(現パナソニック)の『クーガー115』というラジオでした。



これはBCLブームの主役だったソニーの『スカイセンサー5600』や『スカイセンサー5900』の対抗モデル。真四角の本体いっぱいの大きなスピーカーが印象的でした。そして高校生、予備校生、大学生まで、このBCLラジオを使い続けることになります。


また当時は、東京FM(現・東京FM 1970年本放送開始)を筆頭に、AMより音質の良いFM放送が始まった時代でもありました。当時はアナログレコードの時代で、レコード1枚の値段は今とほぼ同じ。つまり物価を考えるとレコードはとても高価で、気軽に買えるものではありませんでした。

そこで当時、好きな音楽を手に入れるために流行したのが「エアチェック」。『FMレコパル』(小学館)などFM情報誌で音楽番組を細かくチェックして、それをラジオカセットプレーヤー(ラジカセ)でカセットテープに録音して聴くこと。ラジカセブームの背景には、そんな当時の音楽事情もあったのです。



ラジカセを買わずに「エアチェック」をしていた筆者がやっていたのは、ラジオとカセットテープレコーダーをコードでつないで録音すること。そして洋楽から日本の歌謡曲。さらには邦楽、現代音楽まで。ラジオにはあらゆるジャンルの音楽が溢れていて、しかもDJの解説付きでその世界を知ることができました。今のサブスクで聴ける音楽配信サイト。そのプレイリストにはないものでした。



そして大学を卒業して出版社に入り、文芸編集者になって実家を出てひとり暮らしを始めてからは。毎日夜遅くまで担当作家の接待と原稿取りに追われていたこともあり、ラジオを聴くのはもっぱら、自分で初めて買ったクルマを運転している時。つまりカーラジオがメインになります。またこの頃、ラジオを聴くために持ち歩いていたのがSONYのラジオ受信機能付きの『WALKMAN』でした。



そして30歳の頃、異動を希望して小説の編集者から雑誌の編集者になって、まるで中高生の頃のようにとにかくラジオを聴く生活が再び始まります。そもそも学生の頃から「ながら族」でしたし、ただ聴いているだけで新しい情報が耳から流れ込んでくるラジオは「企画の最高のネタ元」でした。



超コンパクトなSONYのカード型のラジオを買っていつでも、編集部で自分の席に座っているときでも、上司にできるだけバレないように、編集作業をしながら聴いていました。いや、公然とラジオを聴きながら仕事をしていて、よく怒られました。


また当時の小型ラジオはアナログテレビ放送の音声も聴けたので、テレビを音だけ聴くこともよくありました。2001年のFIFAサッカーワールドカップ日韓大会の試合を仕事中に聴いていたのを覚えています。



そして2003年に出版社を辞めてフリーの編集者、ライターになってからは、さらにラジオ漬けの生活が始まります。朝起きたらラジオを点けてお気に入りの番組を一日中BGMに。外出先にも充電式の小型ラジオを持ち歩いて、本当にいつでもラジオ番組を聴いていました。



ただ、2010年にインターネットを使ったラジオのサイマル放送「radiko」が始まったあたりから、ラジオを取り巻く状況は大きく変わります。スマートフォンやパソコンでラジオが聴けるようになります。そしてラジオというアイテムはその存在価値を失うことになります。



私がスマートフォンでラジオを聴くようになった決定的なきっかけが、翌2011年の夏に行われた地上波テレビ放送のデジタル化です。これ以降、いつも持ち歩いていたSONYの携帯ラジオではもうテレビの音声が一切聴けなくなり、愛用のラジオを持ち歩く意味がなくなったからです。またWi-Fiの電波が干渉しているのか、AMラジオの受信状態が悪くなったのも大きな理由でした。



2015年3月からは、AM(中波)ラジオと同じ番組をより受信状態も音質が良いFM帯でAM局が放送するFM補完放送が始まり、ワイドFM対応ラジオの新製品が発売され、さらに2019年にはスマートフォンにラジオ受信機機能をプラスした「ラジスマ」も登場。ラジオという機器に一瞬“光が当たった”ように見えました。でも、どちらも魅力に乏しいものなので、当然普及する可能性はなく、姿を消すのは時間の問題でしょう。



1925年(大正14年)3月22日午前9時30分に、日本初のラジオ放送が社団法人東京放送局(JOAK:現NHK東京放送局)から始まってからまもなく100年。ラジオという機器は、日本では災害時用の情報機器として、手回し発電機付きのモデルやチープな小型ラジオ、ラジカセ的なモデルのみに。少なくとも愛着の持てるアイテムではなくなりつつあります。



その一方で、You Tubeでの同時配信や後日いつでも視聴できる環境になって、ラジオというメディアには、地域FMとは違った新しい可能性、未来が生まれつつあります。インターネット経由のメディアになることで双方向性も獲得し、地域コミュニティを担うローカルメディア、新しい文化メディア、しかもエリアに縛られない無限の可能性を持つメディアになりつつある、とも言えます。



もはやラジオを聴くのはラジオである必然はなくなったのです。



ただ、ラジオはもう存在価値がない、スマートフォンやパソコンで聴けばいい、とも思いません。なぜなら、この2つの機器は「ながら的」な使い方がしにくいものだからです。番組やラジオパーソナリティとの偶然の出会いには、何となくながら聴きできる環境、機器の方がいい。



そんなことを考えながら私が最近、壊れてしまったSONYの災害用の手回し機能付きの防水ラジオの代わりに購入したのが、オーディオで有名なJBLのワイドFM受信機能付きのアクティブスピーカー『JBL Tuner 2 FM』です。



FMラジオとしてはもちろん、スマートフォンとBluetoothでつないでアクティブスピーカーとしても使えますし、IPX7という「常温の水道水(静水)の水深1mのところに機器を沈め、約30分間放置して取り出したときに、機器の機能が動作する」なかなかの防水性を備えているので、野外でも安心して使えます。


あらためて言います。私はテレビよりもYou Tubeよりもラジオが好きです。ラジオには、あなたの知らない音楽や文化、魅力的なトーク、情報が無限に詰まっています。青少年はもちろん、大人のあなたも、ラジオを聴かないなんて本当にもったいない。



文・写真/渋谷ヤスヒト



渋谷ヤスヒト しぶややすひと 時計ジャーナリスト、モノジャーナリスト、雑誌編集者。大学法学部入学後、書評誌「本の雑誌」の助っ人を経て卒業後は出版社で文芸編集者、モノ情報誌の編集者に。食品からおもちゃ、文房具、家電、スマートフォンやPC、時計、クルマ、ファッションまであらゆるジャンルで「本当に良いモノ」を追求した記事を企画・編集・執筆中。時計ブーム最初期の1995年から開始したスイス時計の現地取材がライフワーク。編著書にセイコー腕時計の歴史をまとめた「THE SEIKO BOOK -時の革新者セイコー腕時計の奇跡」(1999年刊・絶版)がある。 この著者の記事一覧はこちら(渋谷ヤスヒト)