先日、夜中に放置していたPS4を久々に立ち上げると、本体だのソフトだの諸々のアプデが済む頃には朝になっていた。そこからPSNに加入しなおしてアレコレ遊んでたんだけど、2時間もするともう目が疲れちゃって電源をオフに。
もう4年ぐらい前からすっかりゲームに対する情熱は下火になってはいるんだけど、改めて遊んでみて思ったのは「ゲームって、おっさんになるとこんなに疲れるんだな」である。
それこそ最近は『ディアブロIV』がリリースされたばかりだけど、全然食指が向かない。
地元の友達はリリース当日から遊んでるみたいだけど、「いいなぁ」とか「やってみたいなぁ」みたいな感情すら湧いてこないのは、すっかり僕の心が娯楽としてのTVゲームから離れてしまったからかもしれない。
こうやってあらゆるコンテンツがセピア色に見えるフィルターが目玉に貼り付いてるのは、本当に良くないよなぁ。だけどまあ、中年になってもゲームに情熱を注げる人というのが、そもそも稀有なわけで、大抵の元ゲームキッズは僕みたいなところがあるんじゃないだろうか。(文:松本ミゾレ)
ゲームを買って満足し、ろくにクリア出来ずに熱が冷める…
先日、ガールズちゃんねるに「ゲームで老化を感じた瞬間part6」というトピックが立っていた。トピ主は「未開封のゲームが何個もあること。買って満足しちゃってる」と書き込んでいる。
僕も一時期、買い揃えたソフトを棚に並べて満足して浸っていたんだけど、DL販売が主流になってからは集める楽しみすら見失ってしまった。しかも集めに集めたお気に入りのソフトも、時代の流れでハードが切り替わるといちいち立ち上げるのも面倒になるんだよね。
それこそ3年ぐらい前、唐突にスーファミしたくなって彼女に中古屋で本体と『ドンキーコング2』を買ってきてもらったが、もはやゲーム熱が消えうせつつある状況ではマジで身が入らなかった。ステージ2とかで諦めてしまって、今では多分押し入れの肥やしになっている。
今はソシャゲも色々あって、気づいたらサービス開始していつの間にかサ終とかしてたりするけど、据え置きゲーに熱を出せない人もソシャゲにはのめり込む、みたいな話はよく聞く。だけど結局アレもガチャとか集金要素で成り立つものだから、どうしたってゲームバランスはどんどんインフレしてしまうのがね。
昨年2月から僕は『ドラクエウォーク』をやっているけど、結局今はそのインフレが馬鹿みたいに加速していて、さらに期間限定のイベントも「これ仕事してないニート向けに調整してない?」と思うようなボリュームで、もはや僕なんかは攻略はそっちのけ。ただの万歩計アプリになっている。歩くと人は必ず痩せるから重宝しているけど、健康のためという大義名分がなきゃ絶対やめてる。
ゲームを楽しむ能力が中年になるとここまで薄まって、重箱の隅を突くような話しか出来なくなるなんて、悲しい限りである。でもまあ、ソシャゲって基本的にストーリーも延命、延命で無理に終わらせないようにしているし、終わらせることが出来ないお話を丁寧に追うのも、それはそれで本質的に楽しんでると言えるのか? という気はするけど。
「クリアが目的になって過程を楽しめない」
さて、このトピックにはゲームをやっていて感じた“老い”についての書き込みが色々とある。今年39になる僕が独断と偏見で選んだ書き込みを、いくつか引用させてくださいよ。
「システムの理解に時間がかかる」
「操作方法ついていけない」
「新しいハードを買おうと思わなくなったとき」
「ドラクエで町の人に話しかけるのが苦痛」
「壮大なストーリーものだと前に出てきた登場人物とかもはや覚えてない」
「クリアが目的になって過程を楽しめない。しかもクリアする集中力もなくなってる」
とこんな感じ。「あれ? これ全部俺が書き込んだのかな?」って思っちゃうほど納得の意見が目立った。
もう何年か前からキャリコネでもこの手の話は書いてるけど、とにかく据え置きゲーム機の電源を押すのすらしんどくなってくるのだから老いは怖い。
子供の頃は徹夜は当然、二晩寝て学校を丸一日休んで怒られて、それでもゲームをやって体が限界を迎えて円形脱毛症になったりするぐらいゲームに憑り付かれていた。それが今では1時間か2時間遊べば体力の限界。気力も底を尽きてしまうようになった。
来年はとうとう40歳になっちゃうけど、このままどんどんゲームの面白さから遠ざかっちゃうんだろうな。いやだな。
『アーマード・コア』の新作出るけど、アレも『IV』から操作体系が一新されて萎えちゃってるんだよなぁ。今更復帰しても歩く鉄の的だろうなぁ。虚しいな。