Text by 羽佐田瑶子
Text by 服部桃子
Text by 大畑陽子
2020年から2023年にかけて世界的に蔓延した新型コロナウイルス感染症。それに伴い、私たちの日常は一変し、あたり前だったさまざまなことが奪われていった。諦めることばかりで、明日は我が身と震える日々への戸惑い、怒り、苦しみ。一方で、新たな働き方や時間の創出から、これまでにない楽しみ、価値観との出会いがあった人もいるだろう。
2020年より漫画家の今日マチ子がSNSで発表し続け、2021年から書籍としても発表されてきたイラスト「わたしの#stayhome日記」シリーズ。街の風景や市井の人々の何気ない毎日など、コロナ禍の日常を綴った本作には、当時の忘れかけていた記憶が閉じ込められ、他者を想うこと、人とのつながりが描かれる。これまでも戦争や震災など時代をとらえた作品を発表してきた今日マチコは、本シリーズを手がけた理由として、「人の命は、(誰かにとって)役立つかどうかで判別されるものではなく、生きていること自体が素晴らしい。切り落とされそうな瞬間から立ち上がっていくための絵を描いた」と語る。
2023年5月に最終巻が発売され、本シリーズが完結したタイミングで、コロナ禍における創作や自分自身の変化について、町田市民文学館ことばらんどで開催中(2023年4月22日から6月25日まで)の個展会場にて話をうかがった。
─この3年間で、コロナをテーマにしたさまざまな本、映画、漫画が生まれましたが、長く続けている方は少ないように思います。どのような気持ちで3年間描き続けていらっしゃったのでしょうか?
今日:最初の緊急事態宣言のときは、ものすごく動揺していました。「今世紀最大のできごと」の渦中で、言葉にできない悲しみ、不安、怒り、衝撃を感じたのに、人間は不思議なもので、時と共に忘れていく。ですが私は、それらの感情を忘れてしまうのは「自分の心の動き」に責任を持てていないのではないか、と思いました。
なぜ不安だったのか、どのように乗り越えていったのか。そうした心の動きは長い時間をかけて見つめないとわからないでしょうし、放置しないで考えることが、この先の未来にできることだと思い、描き続けていました。
今日マチ子(きょう まちこ)
漫画家、東京都出身。東京藝術大学美術学部先端芸術表現科、セツ・モードセミナー卒。ブログで更新していた1ページ漫画「センネン画報」が評判となり、2005年に第1回『ほぼ日マンガ大賞」に入選。2006年、2007年と2年続けて文化庁メディア芸術祭『審査委員会推薦作品」に選出されるなど、SNS時代に登場した新しい漫画家として注目される。2010年に『cocoon』、2013年に『アノネ、』が文化庁メディア芸術祭『審査委員会推薦作品」に選出。2014年に『みつあみの神様』等で手塚治虫文化賞新生賞、2015年に『いちご戦争』で日本漫画家協会賞大賞(カ―ツーン部門)受賞
─みんなが苦しかった時間を記録するというテーマにもかかわらず、作中にはわかりやすく苦しんでいる人は描かれていないように思います。そこを描かなかった理由は?
今日:私の意見や批評を残すのではなく、フラットに状況を見つめ、それを残してこそ見えてくるものがあるのではないかと思ったからです。
コロナ禍は、「どうして?」と疑問に思うことがたくさんあったので、当初は批評的な1コマを描こうとしていました。それこそ、センセーショナルな場面を描こうと。しかし、創作していてあまり気持ちがよくないと気づいたんです。それよりも「みんなが、いま生きていること」を肯定するような1コマを描きたい。
たとえば、エッセンシャルワーカーではない人たちの暮らしは「役に立たない」と遮断されてしまった時期がありました。ですが、それでは多くの人々の暮らしが切り捨てられてしまう。
人の命は役立つかどうかで判別されるべきではなく、生きていること自体が素晴らしいんです。切り落とされそうな瞬間から立ち上がっていくための絵を描こうと思いました。
「わたしの#stayhome日記」シリーズ最新刊『From Tokyo』
─今回の展示では「わたしの#stayhome日記」シリーズ3冊に掲載された作品を、年月ごとに振り返ることができます。今日さんの視点で描かれた日常風景を見ながら、自分自身の3年間もよみがえってくるようでした。3作品を描き終えたいまのお気持ちは?
今日:急に外出ができなくなった緊急事態宣言時、この異様な日々を「絶対に記録しなければならない」という半ば使命感のような思いで描き始めました。このような日々はすぐに終わるだろうと想像していたので1冊しかつくらないつもりだったのですが、結局3冊つくることになりましたね。
─コロナが収束するまで描く、というのは決めていらっしゃったんですか?
今日:はい。私の表現は1コマという些細なものだけれど、最後まで描くということだけは決めていました。というのも、私は『cocoon』など戦争を題材にした作品を描くときに過去の資料を調べるのですが、大きなできごとのある一点に関する記述は残っていても、「その後」について語られているものは少ないんです。
ですが、「できごとのその後」もたしかに人は生き続けているわけで、彼らの暮らしぶりこそ大切だと私は考えます。なので、できごとのはじめから終わりまでをきっちり記録したいという思いが強くありました。
取材は『今日マチ子「わたしの#stayhome日記」2020-2023展』を開催している町田市民文学館ことばらんどで行なった(2023年4月22日から6月25日まで開催)
─3冊目の『From Tokyo』は2022年から2023年の記録です。世の中的にもコロナが収束の方向に向かっていました。そうしたなかで作品を描き続けるのは、難しかったのではないかと想像します。
今日:初期はコロナ禍を題材にした作品をつくる方が私以外にもたくさんいましたが、徐々に減っていきました。世の関心も薄れているのに、自分はコロナにコミットした作品をつくり続けなければいけない、時代遅れになりつつある作品を生まなければいけない、というのは若干のしんどさがありました。
本作はSNSで発信していたので、海外の方も見てくれていたのですが、「どうして未だにマスクをしているの?」と私の絵を不思議がる人が多くいました。「まだstayhomeなの?」「昔の絵みたいだ」といった反応も。2022年のはじめは、海外ではマスクをしていない人が多く、日本は特殊な状況だったと思います。ですが、私は現在進行系の東京の景色を描こうと思っていたので、自分のモチベーションの有無や、他人からの言葉とは関係なく、事実を描くしかないと思っていました。
─だから「From Tokyo」というタイトルなのですね。
今日:はい、私が見た「東京の景色」という意味で名づけています。
─2023年に入り、コロナウィルス感染症が5類に移行したり、マスク着用が個人の判断になったりと、大きな変化がありました。「From Tokyo」で、ここ2年間の景色の変化を意識的に反映した部分はありますか?
今日:2022年から2023年にかけては、コロナ感染者数が0ではないのに、まるで「終わった」かのように人々が振る舞い出すという、不思議な時期でした。ですからイラストでも、コロナの存在は認知しつつ、日常を取り戻したいし楽しみたいという人々の姿勢を描きました。
あとは、1枚のイラストのなかに描く人の数が増えていること。緊急事態宣言下で街中に誰一人としていない状況を目の当たりにしたショッキングな光景から、ソーシャルディスタンスという言葉が薄れ、人と会うのが嬉しいムードに移り変わっていった時期だったので、意識的に増やしました。
─悩ましいと思うのですが、お気に入りの作品をひとつ挙げていただけますか?
今日:お気に入りとは意味合いが異なるのですが、ずっと心に引っかかっていたことを描いたのが、2023年3月12日「夜明けまでここにいる」というイラストです。
これは、東日本大震災で多くの子どもが犠牲になった石巻市立大川小学校近くにある標識を描いたもの。震災当時のことを聞くために、東北には何度も足を運んでいるのですが、この小学校のエピソードはあまりに衝撃的でどう描くべきかずっと悩んでいました。しばらく考え続けていたこともあり、一度吐き出そうと試みたものです。
2023年3月12日「夜明けまでここにいる」(写真手前)
─「どう描くべきか悩んだ」という部分を、もう少し詳しくうかがってもよいでしょうか?
今日:言葉にするのが難しいのですが、犠牲になった子どもたちの家族は生きていて、たとえ年月が経っていようともその記憶は生々しく残っています。なので、描くことで傷つけてしまう可能性がある。しかし、その話を受け止めて、これだけ心がざわついたのに作品にしないのは、私にとって「無視」と一緒です。数か月頭から離れなかったということは、何かしら作品にするのが私の役割ではないかと思いました。
─3年間描き続けてみて、ご自身のなかで何か変化はありましたか?
今日:これまで日記的なものに作品性や面白さをあまり見いだせていなかったのですが、「わたしの#stayhome日記」をとおして、小さなイラスト1枚でも、描き続けることで作品になる。蓄積することで、未来に残せる記録になりうるということに気づいたのは、大きかったです。
─私自身、自分の日常はあまりに些細で、取るに足らないかもしれないと感じたとき、今日さんの日記的な作品に「それでもたしかにあなたの1日は存在したんだよ」というメッセージをもらったように感じて、助けられました。
今日:生きることの尊さという意味でも、あらゆる人が些細な日常を淡々とこなすことの大切さに気がつきましたよね。
─先日、10代が本音を語るというテレビ番組で、高校生の子が「コロナのせいで私の青春は死んだ」とコメントされていました。「心の動きに責任を持つ」という意味でも、傷ついた日常がどこかに存在するという事実を忘れたくないと思いました。
今日:大人は、頭の中で都合よく解釈して「オチ」をつけようとするけれど、うまくまとめられない思いもありますよね。東日本大震災もそうでしたが、きれいごとになんてできないですし、ずっと背負っていく苦しみは簡単に拭えないもの。まとめようとしなくていいと思いますし、この3冊もオチをつけないように意識しました。
─これまで、つながる=SNSや対面だと思っていましたが、今日さんの作品を拝見して「誰かを想う、見つめる」こともつながりになるのだと感じました。ご自身のなかで「つながり」的な意味合いで変化は感じましたか?
今日:ふだんから積極的にコミュニケーションを取るほうではないので、「友だちに会いたいと思っている自分がいる」というのが非常に新鮮でした。これまでは誘われたら行く程度だったのが、1年以上会っていない友人の存在に気づいて「会いたいな」「この話をしたいな」という感情が湧いてきて。
限られた友人関係だけれど、私にも特別な人、会いたい人がいるという事実は発見でしたし、すべての人が誰かしらとつながっているのかなと思いました。すれ違いもあったでしょうけれど、「人」について思いを巡らせる期間だったと思います。
─はじめは「感染させちゃいけない」と遠慮していましたし、思わぬ価値観のズレから疎遠になってしまった人もいましたよね。
今日:他者との接触に敏感な時期でしたからね。これまでの人生で、対面で人と会うことについて、あれだけ真面目に考えたことはなかったと思います。
でも、声をかけると意外と集まってくれるし、LINEグループで「元気?」とひと言連絡を入れると「元気だよ」と返ってくることもありました。つながりを拒否しているわけではなく、もう少し柔らかな関係を望んでいたのかなといまは思います。
─角田光代さんが本書の解説で「長く手元に置いておきたい」と書いていました。私も、記憶を振り返って感情をとらえ直すために、そして、当時の記憶を忘れないためにも、「自分自身の日記」のように持っていたいと思いました。
今日:傷ついたり、苦しかったりした瞬間を過ごしたことは決して悪ではないし、だからといってきれいごとにもしなくていい。記憶は風化して、傷ついたことも薄れていきますが、この3冊を手元に置いてもらうことで、コロナ禍の風景や感情を思い出すきっかけになるはず。「当時の感情を忘れずに持っている」だけで、生きる原動力になる気がしています。
『From Tokyo』特装BOX用のイラスト。「特装BOXのイラストは、とある景色を描いています。未来に向かう感じを受け取ってもらえたらうれしいです」と今日さん