Text by CINRA編集部
Text by 桑畑優香
Text by 朝木康友
Text by EPIPHANY FILMS.
1994年のソウルを舞台に、孤独な思いを抱える14歳の少女・ウニの物語を描いた韓国映画『はちどり』。急速な経済成長による歪みや綻び、男尊女卑的な価値観が根づく韓国社会を映しだした本作は、2018年に公開されてから世界各国の映画賞を受賞。日本では2020年に公開され、多くの観客を魅了した。
それから4年、本作の完全版シナリオや寄稿などを集めた書籍『はちどり 1994年、閉ざされることのない記憶の記録』の邦訳版が、3月28日に刊行された。今回CINRAでは、邦訳版に収録されたキム・ボラ監督のロングインタビューの一部を、前・後編にわけて特別公開する。(後編は5月30日午後に掲載予定)
―『はちどり』が韓国で公開されてから4年が経ちました。この作品は、監督ご自身、そして韓国社会にどのような影響を与えたと思いますか。
キム・ボラ監督(以下敬称略):観客が『はちどり』という作品をとても愛してくれたので、映画をつくるということについて、より深く考えるようになりました。『はちどり』は、映画業界の間で「異例の事件だった」と言われています。なぜなら、当時の韓国では、独立映画は観客が1万人入れば良いほうで、5万人を集客できれば大ヒットと言われていたんです。そんななか『はちどり』は観客動員数14万人以上を記録しました。
また、女性たちが映画のファンダムを形成して応援してくれました。映画にファンダムが生まれるのは、珍しい現象です。『はちどり』ファンの方が10万人突破記念イベントの時には歌を準備して歌い、プラカードを掲げて応援してくれました。「映画を楽しんだ」ということで終わらせるのではなく、何度も観てくださった方がいて、SNSでは、映画を観た人たちがコミュニティーをつくってくださったりしたんです。とても不思議な気持ちでしたね。わたしもすごく背中を押された気がします。なぜなら、この映画を準備していた時は、ひとりぼっちだったのに、世に出したとたん、応援してくれる多くの人が現れたから。
―多くの観客に支えられたのですね。
キム・ボラ:さまざまな方が映画館に足を運んでくれました。父や母と同世代の方もたくさん映画を観にいらっしゃいました。手紙をくれたのは女性が多かったのですが、映画には多くの男性の方も観にきてくれました。男性のなかには、男性らしく生きるのがつらいという人もいました。韓国社会では、「男性はこうしなければ」と強要されることが多いんです。
泣くこともできず、つらい思いを抱えている、男らしさについてプレッシャーを感じている方が、映画に共感したのだと思います。手書きの手紙もたくさんいただきました。なかでも20代、30代の女性が多かったですね。そんな手紙一つひとつに、これまでの人生では考えられなかった形で、人とのつながりがもたらす愛を感じることができました。
「愛」には、親子の愛、友だちとの愛、夫との愛、パートナーとの愛、いろいろありますが、それとは少し異なる共同体のような愛の形とも言えるかもしれません。クリエイターだからこそ得られた愛情や幸せを感じ、2作目を制作しようと決心したんです。
実は『はちどり』をつくるのがすごく大変だったので、映画はもう終わりにしたいと思っていました。あまりにもつらかったので。健康も崩してしまったんです。でも、たくさんの観客の声に励まされ、「次もやらなきゃな」と。ようやくその時、映画は大きな力を持っているのだということに気づいたんです。
―2022年の釜山国際映画祭で、女性映画監督たちと語り合うイベントに登壇されていましたね。『はちどり』は、個人だけでなく、韓国映画界へも影響を与えたと言われています。
キム・ボラ:『はちどり』が公開された当時、偶然か必然か、女性監督の映画がたくさん封切られたんです。韓国映画界において珍しいことだと話題になりました。釜山国際映画祭で、初めて監督の男女比がほぼ半々になったんです。全世界的な流れの結果ではないでしょうか。
#MeToo運動をはじめ、マイノリティーの声を聞くべきだという雰囲気もあります。女性監督が作品をつくるのはハードルが高いので、それゆえに、良い作品が生まれる傾向があります。いろいろなことが重なって、女性監督による映画が多くつくられたのだと思います。女性監督がたくさん登場したことで、映画業界に活力がみなぎり、多様性が生まれたような気がします。
―コロナ禍では、どんなことを考え、どのように過ごしていらっしゃいましたか。
キム・ボラ:ずっと、ありとあらゆることの関係性について考えていました。人と人との関係や、SNS社会で人々が寂しい思いをしていること。本当にひとりぼっちでいることの意味や大切さなどについてです。
そうしている間に、次回作である『スペクトラム』という映画を準備して、シナリオが3稿までできたところです。2023年からいよいよ撮影に入ります。シナリオを一生懸命準備していました。いま、シナリオを何度も修正しています。満足のいくシナリオができるまで約2年もかかりました。コロナの間はひたすらシナリオと向き合っていたんです。
―『スペクトラム』には原作小説(CINRA編集部注:キム・チョヨプの短編集 『わたしたちが光の速さで進めないなら』に収録)があります。なぜこの作品を選んだのでしょう。
キム・ボラ:おっしゃる通り、短編小説を原作としています。いろいろな不思議な縁がつながって、この作品をやることになりました。『はちどり』のあと、すごくたくさんのオファーをいただいたんです。とてもありがたかったのですが、これをやりたいというものになかなか出合えませんでした。そこで自分でファンタジーのシナリオを書き始めたのですが、あまりにもスケールが大きなものになりそうで、もう少し先の将来に手がけたほうがいいかもしれないと感じていたんです。
当時、サンフランシスコでシナリオを書いていたのですが、そこで『はちどり』のファンの方にいただいたキム・チョヨプさんの本を読みました。週末に何気なく読んでいたのですが、そこに収められていた『スペクトラム』がすごく良かった。そうしたら、ソウルに戻った時、仕事でご一緒している会社の代表が偶然にも、『スペクトラム』が好きだと話していたんです。たくさん短編小説があるなかで、同じ作品を気に入っていたことで意気投合し、一緒に『スペクトラム』を映画化してみようという話になりました。次の日、代表が作家であるキム・チョヨプさんの関係者に連絡を取ったところ、他の作品の版権はすべて売れていたのに唯一、『スペクトラム』だけが残っているというのです。映像化が難しいので誰も手を挙げなかったと。それからは、1週間以内に話が進みました。すごく速かったですね。
―『スペクトラム』はSF作品で、『はちどり』は日常を捉えた作品です。監督が感じる共通点はどのようなものなのでしょうか。
キム・ボラ:監督はたえず挑戦しなければならない職業だと思います。同じスタイルの作品を撮り続けることもできますが、わたしは違うタイプの作品をやってみたいと思っていました。次回作はSFやファンタジーと考えていた時に、『スペクトラム』と出合い、運命を感じたことは大きいです。それに小説がとても良かったんですね。 そこには、「ある存在に対する尊重」が描かれていました。それはジャンルを問わず、わたしがいつも関心を寄せているテーマです。わたしに合っていて、ジャンル的にもチャレンジしてみたいものだったので決めました。
―今回日本でも翻訳されることになったこの書籍(CINRA編集部注:『はちどり 1994年、閉ざされることのない記憶の記録』)についてもお話を聞かせてください。映画のシナリオが本という形で出版されることは、珍しいことではないでしょうか。
キム・ボラ:すべてのシナリオが本になるわけではありません。公開後、観客の反応が良かった作品が主に出版されるのです。でも『はちどり』に関して不思議だったのは、公開と同時に本が出版されたこと。前もって出版を準備していたんです。『はちどり』は映画祭で多くの賞を取り、韓国のニュースで話題になりました。独立映画としては異例のことで、みんなが、どんな映画なのか気になっていたのです。そのため、出版社から提案があって、公開と同時に本を出すことにしました。
この本に掲載されているシナリオは、完成原稿です。この本に載っているシーンはすべて撮影し、そして編集でカットしたものを含みます。
編集した時に上映時間の関係でたくさんのシーンをカットせざるを得ず残念だったのですが、それらの場面を本に載せることができ、うれしく思っています。シナリオにあるシーンはわたしにとってすべて大切ですし、本に収めることで命を再び吹き込まれたような、そんな感じがします。本は永遠に残るものだから。
『はちどり 1994年、閉ざされることのない記憶の記録』書影
―書籍にはシナリオだけでなく、寄稿も多く掲載されていますよね。
キム・ボラ:大半は、わたしが提案した好きな作家さんたちですが、出版社が提案してくれた方も数名含まれています。たとえば、アリソン・ベクダルさんやチェ・ウニョンさんはわたしが好きな方だったので提案しました。チョン・ヒジンさん、キム・ウォニョンさんも、わたしが推薦させていただいて、直接メールを送りました。きっと、映画を深く理解していただけると思ったのです。
―なかでも好きな寄稿はありますか。
キム・ボラ:すべての寄稿が好きですが、なかでも、チェ・ウニョンさんの寄稿はとても印象的でした。彼女はわたしと年齢が近いこともあり、映画で表現した情緒を正確に理解してくれていたんです。同じような経験を共有しているし、文章も上手です。文章が上手というよりも、書かれた内容そのものに心が揺さぶられましたね。技巧に走るのではなく、心から書いているというのが伝わってきたんです。本が発売された時も、チェ・ウニョンさんの寄稿が一番話題になりました。
―本書には監督ご自身による対談もあります。
キム・ボラ:そうなんです。一番記憶に残っているのは、まさしくアリソン・ベクダルさんとの対話ですね。なぜなら、彼女の創作者としての視点に多くのことを学んできたので、直接ご本人に会って、2日間も、互いの魂の深いところで触れ合うことができたのは、なかでも特別な経験でした。
―アリソン・ベクダルさんとの対談のなかに「女性監督がつくる上映時間が長い映画は受け入れられない」ということばがあり、驚きました。多くのシーンをカットした背景には、そのような理由もあったのでしょうか。
キム・ボラ:実は2回ほど、そのようなことを言われたことがあります。ただ、そのうちひとりは後に謝罪をしてくれました。正確に言うと「女性監督がつくる上映時間が長い映画は受け入れられない」というのではなく、「女子中学生が主人公の映画をそんなに長い時間観たい観客はいないだろう」というニュアンスでした。なぜそんなことを言ったのかはわかりません。それは、もしかするとその方だけが悪いのではなく、韓国映画界において普遍的なイシューとして残っている問題のひとつなのかもしれません。実際にこれまで、女子中学生が主人公の作品がヒットしたケースはほとんどありませんでした。いや、まったくなかったといってもいいかもしれません。
そのため、「女子中学生の物語をつくってくれてありがとう」という観客もたくさんいました。ついに自分たちの学生時代がありのまま描かれる作品が生まれた、と。これまで映画に登場する女子中学生といえば、はつらつとして、明るくてピュアな、漫画の主人公のような、みんな似たようなキャラクターが多かったんです。
女子中学生時代のわたしたちは、まったくそんなふうじゃありませんでした。もちろん、はつらつとして楽しかった瞬間がなかったわけではありませんが、韓国社会において、あの時代の女子中学生が、楽しいことばかりを経験していたというのはありえないことです。セクハラもまん延していたし、学校での暴力もひどかった。女子中学生が受けていた、そのような抑圧を表現する単語さえなかった時代でした。そんな思春期の女子中学生の等身大の姿を、明るくピュアなキャラクターとして描くのは、無理があると思っていたんです。それゆえに、女子中学生の現実を赤裸々に捉えた『はちどり』は、公開された時に大きな共感を呼びました。
―女性を描くことで、他にも意図するものはありましたか。
キム・ボラ:印象的だった話があります。ウニが病院に行くシーンがあるのですが、医師と2人で部屋にいるのを見て、女性の観客の多く、特に20代、30代の人たちはすごく不安になったと言うんです。なにかが起きてしまうのではないかと。女性の観客たちは、「これまで暴力的な作品を見るのがつらかった」と話していました。わたしも映画で女性が権力を持つ男性と、部屋でふたりきりでいるシーンを観ると、「レイプされるのではないか」と不安に感じるからです。そういう場面が映画には頻繁に出てきます。
たとえば、若い女性が一人旅に出て悪い男性に出会うとか。「映画にはレイプシーンが当たり前のように登場するので、『はちどり』のシーンも怖かった」と聞いて、胸が締めつけられる思いでした。
以前から、時間を割いて観てくださる方がつらくならないように、責任を感じていて、どうしたら観客がつらい気持ちにならずに、主人公の痛みを見せることができるか、考えなければならないと思っていました。そのためたとえば、ウニが兄に暴力を受けるシーンは、できるだけ映像で見せないようにしました。鼓膜が破れる事件が起きるので、その部分だけを見せて、それ以外はすべて音で表現するようにするなど、工夫しました。
―最終的にカットしたなかで、監督にとって思い入れがあったシーンは何ですか。
キム・ボラ:完成原稿まで残してあるシーンは、すべて撮影したものですし、すべてが思い入れがあるものです。なかでも一番思い入れがあるのは、ウニの姉、スヒに関するシーンです。もともとスヒは映画で重要な役割を担うキャラクターで、エピソードもたくさんありました。でも、映画にはポイントやバランスが重要です。スヒの話を強調しすぎると、ウニのパートが薄く見えてしまいます。後半、聖水大橋のエピソードでスヒがフォーカスされますが、前半にスヒの話を盛り込みすぎると、リズムが失われてしまう気がしました。ウニを演じた俳優さんも演技が上手でとてもいいシーンがたくさんあったので、勿体なかったですね。それでも、映画は構成が大事な要素です。編集について多くのことを学ぶ機会になりました。良いシーンを全部盛り込んで3時間の作品をつくったとしても、面白いものにはならないんです。強弱のリズムが大切なので、多くのシーンをカットしました。
そのため、カットしたのは「女子中学生が主人公の長い映画を観たい人はいない」と言われたのが理由ではありません。わたし自身も映画が長すぎると観客が疲れてしまうだろうと思ったんです。当時公開されていた他の作品の長さも考慮しました。たくさんカットして残念な気持ちもありますが、それが映画の運命というものなのかもしれません。