Text by 生駒奨
Text by 三浦希
恋愛と、古着。一見同じ色の「糸」を持たないもの同士に感じられる、ふたつの事象。この両者が唯一共有するものは、きっと「物語性」なのではないか。
そう考えるようになったのは、『下北沢バックヤードストーリー』(KADOKAWA)という漫画による影響だ。著者は西尾雄太。『アフターアワーズ』(小学館)や『水野と茶山』(KADOKAWA)を手がけた彼が光を当てるのは、「古着×恋愛」という、なんともマニアックなかけ算のストーリー。
本作の主人公は下北沢で古着屋を営む35歳の男性・椹木錕(さわらぎ こん)。椹木は「古着オタク」であり、作中でも実在する貴重なヴィンテージアイテムやコアな古着知識などが登場し、ファッション好きも唸るシーンが多数描かれる。そんななか、椹木は同棲していたパートナー・西蔦珉(にしつた みん)と衝突。西蔦は「自分の本心に気づいてないんだね。距離を置きましょう」と家を出て行ってしまう。
そこから椹木は西蔦の言葉の真意を探るため元カノたちと再会し、「過去の自分」と向き合っていく。「古着漫画」という新たなジャンルのなかで普遍的なテーマである「恋愛」を描くというスタイルに、作者・西尾雄太はいかにしてたどり着いたのか。そして、「下北沢」という舞台装置が果たす役割とは――。
本稿では、そんな『下北沢バックヤードストーリー』を手がける西尾にインタビューを敢行した。古着と恋愛をつなぐ、一本の「糸」のようなお話について、また、「偏愛と恋愛」の対比による、「愛」の種類について語ってもらった。
ーまず、『下北沢バックヤードストーリー』が生まれた経緯を聞かせてください。古着を題材にする漫画は珍しいですが、西尾さん自身、古着がお好きなのでしょうか?
西尾:そもそもぼくは、とある小売のお店で店長として働いていたこともあり、小売業のマンガを描きたいなぁと思っていたんですよね。
西尾雄太(にしお ゆうた)
静岡県出身。2008年、某書店の店長として働きながらイラストレーター、漫画家として活動を開始。ダンスミュージックへの深い造詣を武器にクラブイベントのフライヤーイラストやトラックメイカーへのアートワークを手がけるほか、クライアントワークも多数。また、アーティストとして村上隆キュレーションのグループ展『A Nightmare Is A Dream Come True : Anime Expressionist Painting』に参加するなど活動は多岐に渡る。
漫画家としては『アフターアワーズ』(小学館)や『水野と茶山』(KADOKAWA)といった作品を執筆。今年2月に漫画『下北沢バックヤードストーリー』(KADOKAWA)を1・2巻同時発売した 写真提供:西尾雄太
西尾:また、もちろん古着は大好きでよく着ます。もともと個人的な趣味として、インターネットやダンスミュージック、オーディオビジュアルに関連するプリントが施されたTシャツが大好きだったんです。古着を集め始めたのも、それらがきっかけですね。
ー漫画家としての過去作が、『下北沢バックヤードストーリー』に影響を与えている部分もありますか?
西尾:以前描いていた『アフターアワーズ』という漫画は、クラブ文化やダンスミュージックを主たる題材としたものだったのですが、それを描くために購入した資料のなかに『ハイ・フィデリティ』(2000年)という映画があって。
中古レコード店の店長が恋人に出て行かれてしまい、奔走しながらも、最後には……、という物語なのですが、そこに「古着」をまるっと代入すれば、ひとつのマンガとしてきっと面白くなるだろうと思ったんですよね。それが、今回の『下北沢バックヤードストーリー』です。
ーなるほど。西尾さんご自身の趣味である「古着」を、これまでの作品づくりを通じて出会った物語に当てはめてみたのですね。
西尾:まさにそうです。そこから担当編集さんと一緒に案を出し合い、物語の肉づけをしていきました。
『下北沢バックヤードストーリー』第1話より (C)西尾雄太/KADOKAWA
ー『下北沢バックヤードストーリー』は、タイトルの通り「下北沢」という街をステージとして据えている物語ですが、そもそも下北沢をメインのステージとして設定したのはどういった理由からなのでしょうか?
西尾:ぼくが働いていた小売店の東京進出第一店舗目が、下北沢にオープンしたという歴史を持っていて。下北沢の「顔」のひとつとしていまも機能している、あのお店。きっとわかっていただけると思います。
ーあの、イエローとブルーの看板の。
西尾:そうそう、そこです。ぼく自身の勤務先は下北沢店ではなかったのですが、エリアを同じくしている店舗の店長として働いていました。その仕事の一環で、下北沢を訪れることが結構多かったんです。そのとき、ふと「なるほど、下北沢はこういう人格を持った街なんだな」と思ったんですよね。
古着の文化が盛んな街としては、きっと、高円寺や吉祥寺、原宿なんかも挙げられると思うのですが、ぼくにとっては下北沢がとくに馴染みがあったんです。ピントが合っていた、というか。正直「下北沢ぐらいしか浮かばなかった」と言っても過言じゃないぐらいです。
ー仕事を通じて、よく触れていた街だったんですね。
西尾:『下北沢バックヤードストーリー』を手がけるようになってから、たとえば古着屋さんで言えば、この街には大きな資本を持ったチェーン店的なお店がとても多くなっていることに気づきました。正直、もともと考えていたプロット(個人経営の古着屋店主を描く物語)に対するギャップは大きい。
ですが、大きく変わっていく街のなかで小さなビジネスを守っていくことだったり、その意気込みだったりプレッシャーだったり、といったものをフィーチャーすることがかえって面白いだろうなぁとは思っていて。
取材はリモートで実施。西尾は古着のなかでも人気の高いMIT(マサチューセッツ工科大学)のカレッジフーディを着用。ペンがついた眼鏡は自身のトレードマークとなっており、壊れたときのために予備も持っているという
ー当初の想像とは少しばかり違うかたちだけれど、その状態がかえって、物語の装飾として機能したのですね。
西尾:正直なことを言えば、マンガをいざ描き始める直前なんかは「高円寺のほうが良かったかな……?」なんて思っていたんですけどね(笑)。でも、うん。現状、ほかの街にしなくて良かったなぁとは思っています。
ー西尾さんがおっしゃった「人格」というワードについて、もう少し聞いてみたいです。
西尾:ぼくが描く漫画作品すべてに言えることなのですが、「土地が持っている人格」のようなものを意識して、そこから描き始めるんです。
以前描いていた『水野と茶山』では、いわゆる「地方」の人格を。その前に描いていた『アフターアワーズ』では、「渋谷」の人格を。それぞれの街が持っているパーソナリティのようなものがまずあって、その「箱」のなかに、キャラクターを置いてみる。そうしたときに、どんな物語やドラマが生まれてくるんだろう、と考えることが多いですね。
ー「箱」としての街があって、そこにキャラクターを据えることで自然発生的なかたちでドラマを生む。それが西尾さんの創作手法なのですね。
西尾:はい。少し思うのが、ぼくは作家として「登場人物をキャラクターとして描くことに重きを置いていない」という特徴があるんですよね。
西尾:作品のつくり方としては、まず色濃いキャラクター像がドンとあって、そこに物語を付与していくほうがキャッチーだと思うんですよ。読者の方々に、キャラクターをまずは愛してもらえるから。
ーたしかにそうですね。大ヒットしている漫画作品は大抵、登場人物にわかりやすいキャラクター性があります。
西尾:『下北沢バックヤードストーリー』の主人公である椹木錕は、きっとわかりやすいキャラクターではないと思う。「古着オタクで恋愛オンチ」な彼は、ビビッドな色で覚えてもらえるキャラではないんです。街があって、そこで生まれる物語やドラマがあって、はじめて成立するような。
作品のなかでの表現も、そうなんですよ。決め台詞のようなものを言って、その一コマだけで伝わるといったかたちでは決してないんです。ただ、その「曖昧さ」を伝えたいというか。
そのために、絵の表現に関しても以前描いていたものよりもずっと「劇画っぽい表現」を用いています。
写真提供:西尾雄太
西尾:これまで手がけてきたものは、アニメのような、線の少ない絵だったんですね。でも、今回の『下北沢バックヤードストーリー』は、そうじゃない。表情における「滋味」のような、複雑な感情のようなものを絵に落とし込んでいきたいと思っているんです。
ー『下北沢バックヤードストーリー』を読んでいると、恋人や元カノに翻弄される主人公にどっぷり感情移入してしまっている自分がいます。そういうシーンを描くにあたり心がけていることはありますか?
西尾:それはうれしいですね。ぼくのなかで、とくに「取りこぼしてしまうような感情を拾っていきたい」という想いが強くあるんです。その想いをかたちにするには、きっと今回のような、劇画的な表現だったり、あえて遠回りをするようなセリフやシーンの表現だったりが効果的なのかなぁと考えています。
ーそもそも「古着」と「恋愛」のかけ合わせ自体が、少々遠回り的なイメージですよね。このふたつをかけ合わせが面白くなると考えた理由はなんでしたか?
西尾:物語に対比構造を組み込むことによって、「古着」と「恋愛」それぞれの輪郭がハッキリすると考えています。たとえば「牛肉と赤ワイン」なら、ワインの風味が牛肉の旨みを押し上げてくれる。少しわかりづらいかもしれないけれど、それが「牛肉と三輪車」だと、まったく話にならないわけです。
ー「口に入れるもの」としての共通項を持っているからこそ、その対比構造が効果を生む?
西尾:まさにそうですね。「同じテーブルに乗せることができる」という点では、古着と恋愛は近いと思うんです。ただ、前者の「古着」は、一方通行なんですよ。
主人公の椹木錕は、とにかく古着が大好きなキャラクター。彼が古着に向ける愛は、「偏愛」なんですよね。自分だけが愛している。古着は人を愛してくれませんから。一方で、彼は一人の恋愛オンチな35歳として、いわば「双方向」的な恋愛は、てんで苦手なんです。
(C)西尾雄太/KADOKAWA
ーその対比構造が、物語を面白くしているわけですね。
西尾:「ここが面白いところなんです!」とは、作者自らあまり言いたくないですけどね。ただ、その構造がストーリーに厚みをもたらしている、とは考えていますよ。
ーなるほど。偏愛と、恋愛。それを横並びにすることで、またはそれぞれが少しずつ作用し合うことで、物語が紡がれていくんですね。
西尾:物語の主題としては、それが大きくあります。また、「35歳」という主人公の年齢そのものにも、考えるべき意味があって。10代ならば、成長は簡単なんですよ。失敗しても、柔軟に取り戻すことができるから。でも、35歳って、違うじゃないですか。10代のころはきっと、右を向いても左を向いても同じ失敗をしている人がいる。はたして35歳はどうか。いないんですよね。ほとんど。
その状態で、椹木錕は、あらためて自分が変わらなくてはならない局面に立たされているんです。その恐ろしさというか、なんというか。そういう部分もふんわり描きながら、まさしく「取りこぼしてしまうような感情」に光を当てています。
―なるほど。錕という人物を知れば知るほど感じる「焦燥」のような感情の正体が少しつかめた気がしました。一方で、本作には錕の恋人・西蔦珉や元カノたちなど、女性も数多く登場し、その一人ひとりが画一的ではなくリアルな人物と感じられます。西尾さんはどのように女性を描いているのでしょうか?
西尾:正直、推測で書いている部分はあります。ただ、一番意識しているのは、彼女たちを「錕が成長していくための道具として描かない」ということです。
(C)西尾雄太/KADOKAWA
西尾:それぞれのキャラクターの性格があり、錕との交流の深さや種類も異なるということがリアリティなのかなと。彼女たち一人ひとりも、錕と対話することで心がえぐられている。それをしっかり描くこと。錕の目線だけにしない、また、彼女たちの言葉だけで彼女たちを描くこともしない。双方向を描くことは心がけています。
ー最後の質問です。『下北沢バックヤードストーリー』を、どんな方に楽しんでもらいたいと考えていますか?
西尾:わりとどんな人にも楽しんでいただけると思っています。そのなかでもうっすらと意識しているのは、「Toxic masculinity(トキシック・マスキュリニティ)」または「有害な男らしさ(男性性)」の部分ですね。男性のクリエイターからは題材にされづらいものではあると思うので、一石を投じられているのかなと思っています。
どのように描かれているかは、読んで確かめていただきたいです。主人公である椹木錕のように、諸々があまり上手くいっていない男性の方なんかには、きっと刺さるものがあるのかなぁ、と。ぜひ楽しんでいただきたいですね。