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弁護士は依頼人と「性的関係を持ってはいけない」ルール、なぜ米国にあって日本にはないのか?

2023年05月26日 10:11  弁護士ドットコム

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演劇界のハラスメント撲滅に取り組んできた馬奈木厳太郎弁護士が、業界の重鎮である立場を利用し、意に反する性行為をさせたとして、依頼人だった女性から今年3月に訴えられた。


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前代未聞の事件が注目を集める中、一部の弁護士から指摘されたのが、国内には「弁護士は依頼人と性的関係を持ってはいけない」というルールが明文化されていないということだった。



一方、アメリカでは、具体的な規律は州ごとに異なるものの、アメリカ法曹協会(ABA)がモデルルールとして示す「職務模範規則」では、「性的関係禁止」ルールが明文化されている。ABAでは、次のように定めている。



「弁護士は、依頼者と弁護士の関係が始まった時点で合意に基づく性的関係があった場合を除き、依頼者と性的関係を持ってはならない」(1.8条(j))



なぜアメリカではこのようなルールがつくられ、日本では明文化されていないのか。国内外の法曹倫理にくわしい早稲田大学大学院法務研究科の石田京子教授に聞いた。(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)



●性的関係を持つことは「利益相反」

——このアメリカのルールは、どのようなものなのでしょうか。



このルールは、弁護士と依頼者との利益相反を具体的に規律した条文の中で規定されています。今回、弁護士と依頼者との性的関係について、国内で注目が集まりましたが、アメリカではもともと依頼者との利益相反について、不動産取引やメディアへの露出など、とても細かいルールが定められています。その中の一つになります。



——なぜ性的関係を持つことが「利益相反にあたる」と考えられるのでしょうか。



前提として、世界に共通する法律家の「コアバリュー」(核となる価値観)は、3つあります。(1)専門職としての独立に基づいて依頼者に対し誠実に仕事をすること、(2)守秘義務を負うこと、(3)利益相反行為を回避すること――です。



なぜ、性的な関係が利益相反になるのか、変な感じがしますよね。規律の背景には、まず、弁護士と依頼者の関係というのは、そもそも平等なものではないという考えがあります。専門的知識を有する弁護士は、依頼者に対してどうしても優位に立ってしまう。その優位性や信頼を自己のために利用してはならないのです。



そして、弁護士はいつでも専門職としての独立を保ちつつ、依頼者のために最善を尽くさなければなりません。もし依頼者と利害関係を持ってしまうと、自分のための利益が邪魔して依頼者のために専門職として最大のパフォーマンスをすることができなくなってしまいます。だから、これを規律しています。たとえば、依頼者とのビジネス関係を禁止するといったことです。



その中に、性的関係の禁止も含まれてきます。依頼者との性的関係を継続したいから、もう少し訴訟を長引かせよう、自分が弁護士として継続的に関与できるような和解内容にしよう、というとわかりやすいでしょうか。あるいは、依頼者が離婚交渉や調停をしているとき、自分との将来の関係を考慮に入れながら仕事をすすめてしまうことが起こりえます。



弁護士の依頼者に対する優位性を利用する行為はそもそも非倫理的であり、専門職としての独立を維持できなくなくなるから依頼者との性的関係を持っては駄目なんだよ、という話なんですね。



●一度も改正されていない職務基本規程

——実際にこのルールに違反するとどうなるのでしょうか。



2005年にオクラホマ州で起きたケースでは、離婚訴訟中の依頼者と弁護士が合意のうえで性的関係を持ったことについて、裁判所が弁護士を1年間の業務停止処分にしました。日本では考えられないような重い処分です。



——日本にも、利益相反について定めたルールはありますか。



日本の場合には、利益相反については弁護士法25条、それから日弁連が定めている「弁護士職務基本規程」の27条と28条に定められていますが、非常にシンプルな規律になっています。



——アメリカのモデルルールと異なり、職務基本規程はあまり具体的に書かれていませんが、なぜなのでしょうか。



アメリカの場合はそもそも明文によって弁護士を規律してきた歴史があります。モデルルールも1986年に制定されたものですが、ルール見直しのための常設委員会があり、近年では毎年のように改訂されています。



しかし、日本の場合は、弁護士を会規として法的に規律する「職務基本規程」ができたのが2004年です。以後、一度も改正されていません。



この背景には、日米の弁護士を取り巻く状況や、弁護士を規律するということについての考え方の違いがあります。アメリカの場合、弁護士は約130万人います。その分、弁護士コミュニティの内外で、弁護士を明文で規律しようという考えが共有されています。



一方、日本は約4万5000人ですから、増えてきたとはいえ、アメリカと比較すれば圧倒的に少ないです。弁護士の行動をルールで規律しようという考えは、まだそれほど一般に浸透しているとはいえないのではないでしょうか。



利益相反の規律についていえば、弁護士は都市部に集中していますから、地方にいけば、一般市民が弁護士にアクセスすることはそう簡単ではない状況が今でも続いています。弁護士が少ない中で依頼者との人間関係まで規律してしまうと、市民が弁護士を利用できなくなってしまう可能性があることを懸念しているのだろうと考えられます。あるいは、弁護士の側から見れば、受けられる事件が制限されてしまうことにもなるわけです。



●最高裁が日弁連に「課題」

——日本では、アメリカのモデルルールのように明文とすることはやはり難しいのでしょうか。



「弁護士と依頼人が性的関係を持ってはいけない」ということをルール化すべきだと考えますが、現実的には近い将来では難しいのだろうと思います。性的関係に限らず、利益相反についてこれまで弁護士コミュニティは、明文で具体的な規律をしてきていませんし、規律しようとする声があがっても、結局過去20年間、規程の改正はおこなわれていないのです。



弁護士の利益相反について最高裁が判断した近時の事例があります。塩野義製薬がアメリカの医薬企業と特許権をめぐって争った訴訟に関して、相手方訴訟代理人を利益相反があるとして訴訟から排除できるかどうかが論点でした。



この相手方訴訟代理人は、塩野義製薬でかつてインハウス弁護士としてこの案件を扱っていた弁護士と同じ事務所に所属していたのです。最高裁はそのような弁護士の代理を禁じる法律の明文の規定がないことを理由として、排除を求めることはできないと決定しました(*)。



この決定に対し、草野耕一裁判官が補足意見を述べています。「抽象的な規範(プリンシプル)によってではなく、十分に具体的な規則(ルール)によって規律することは日弁連に託された喫緊の課題の一つである」として、日弁連に対して弁護士の職務の公正さが確保される体制を求めています。



——明文による規律という課題が最高裁から投げられているわけですね。



弁護士コミュニティが明文による具体的な規律を好まない背景には、弁護士に対する嫌がらせなどを目的とした懲戒請求が増えていることもあり、明文化されたらますます揚げ足をとられるという懸念があるのだろうと思います。



しかし、それでも自分たちのルールを明確化していくことで、今回のような事例を防ぐことにつながります。一般市民から見て、これは明らかにNGである、こんなことをしていたら弁護士の信頼が損なわれてしまう、ということについては、弁護士会でも明文で規律するべきです。弁護士会も時代に即して土壌を変えていくことが必要です。それが、依頼者の利益にもつながっていくと思います。



(*)【編集部解説】  エイズウイルスの治療薬の特許権をめぐり、塩野義製薬などがアメリカの医薬企業を訴えた訴訟で、塩野義製薬側で提訴に関わったインハウス弁護士が、別の法律事務所に移籍し、その同僚弁護士がアメリカの医薬企業側の代理人をつとめた。



塩野義製薬は、同じ法律事務所内に利益相反を抱える弁護士がいると主張し、日弁連の弁護士職務基本規程57条に反するとして、裁判からの排除を東京地裁に申し立てた。知財高裁の二審では、塩野義製薬側の主張が認められたが、最高裁第2小法廷は2021年4月、同僚弁護士について、「排除を求めることはできない」と決定した。



その理由として、「基本規程は、日本弁護士連合会が、弁護士の職務に関する倫理と行為規範を明らかにするため、会規として制定したものであるが、基本規程57条に違反する行為そのものを具体的に禁止する法律の規定は見当たらない」と述べている。