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『チェンソーマン』第二部でなぜ作風が激変した? 藤本タツキの巧みな”内面描写”を考察

2023年05月25日 12:11  リアルサウンド

リアルサウンド

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 斬新かつスタイリッシュな作風により、国内外で人気を博している漫画『チェンソーマン』。現在は「少年ジャンプ+」で第二部「学園編」が連載されているが、その作風が第一部「公安編」から激変したという見方もあるようだ。


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 まず第一部は、「週刊少年ジャンプ」で2018年から2020年末にかけて連載された。主人公のデンジがチェンソーの悪魔に変身する力を手に入れ、公安対魔特異4課のマキマに拾われた後、デビルハンターとして活躍していく物語だ。


 その作風として印象的なのが、内面描写の欠如。悲惨な環境で育ったデンジは「普通の生活」に憧れているが、精神的には純真な子どもに近い。食や性といった動物的な欲求を行動原理としており、人間らしい葛藤はほとんど見られなかった。


 そこで作中では、デンジの代わりに周囲のキャラクターが内面を掘り下げられることに。それぞれに重い過去を背負うアキや姫野が、地獄のような日々のなかで苦悩していく。


 こうしたデンジと他のデビルハンターの違いは、意図的に対比として描かれたものだろう。すぐれたデビルハンターの条件として、「頭のネジがぶっ飛んでるヤツだ」と語られていたように、デンジは人間的な内面をもたないからこそ強いのだ。


 その一方、内面描写という観点で見ると、昨年7月から始まった第二部は真逆の作風となっている。


 第二部の主人公を務めるのは、鬱屈とした学園生活を送る女子高生・三鷹アサ。彼女はクラスメイトとの関係に悩み、恋人がいないことを卑下し、カップルに悪態をつく……。どこまでも等身大の人間だ。


 第一話のモノローグで明かされた「もうちょっとだけ 自分勝手に生きてみればよかった」という心情は、アサの人間性を象徴するものだろう。彼女の内面には嫉妬・劣等感・虚栄心などが渦巻いており、事あるごとにそれが顔を覗かせる。


■藤本タツキにとってデンジが異色の主人公だった理由


 2人の主人公の違いは、作品の方向性にも大きく影響している印象だ。デンジを主人公とした第一部は、葛藤のないハイスピードな展開と、思い切りのいいアクションシーンの連続が特徴だった。


 他方でアサが主役となった第二部は、じっくりと内面の変化や人間的な成長を描いており、物語上必要なアクションシーンしか描かれていない。


 さらに第一部と第二部では、主人公と“相方”の関係が変わったことも印象的だ。デンジとポチタの会話シーンが少なかったのと対照的に、第二部はアサとヨルの掛け合いが物語の主軸となった。


 しかもアサとヨルは瓜二つの見た目なので、読者目線では「自己との対話」のようにも見える。キャラクターの内面を丁寧に掘り下げるための仕掛けとして、これ以上ないお膳立てだろう。


 そもそも藤本タツキは自作において、巧みな内面描写を行ってきたことでお馴染みだ。たとえば連載デビュー作『ファイアパンチ』では、消えない炎をまとった主人公・アグニが生の苦痛にあえぐ姿が描かれている。


 さらに2021年7月に発表された長編読み切り『ルックバック』は、内面描写の極致とも言える作品。「漫画」によってつながった女性2人の壮絶な運命を描き出し、多くの人を感動させた。


 だとすると、『チェンソーマン』第二部は作風が変わったというより、本来の作風に戻ったと言うべきなのかもしれない。むしろ内面なしの主人公を描いた『チェンソーマン』第一部こそが、藤本にとっては実験的な試みだったのだろう。


 とはいえ、第二部にも第一部の核となるテーマや世界観が継承されていることは間違いない。別々の作風が融合することによって、新境地に到達したと見ることもできそうだ。


 藤本の新たな挑戦は、どんな着地に至るのだろうか。今後の展開が楽しみでならない。


文=キットゥン希美