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坂本龍一 追悼連載vol.7:その音楽家人生と「ピアノ」という楽器について。『1996』を通じて考える

2023年05月23日 17:10  CINRA.NET

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Text by 山元翔一
Text by 原典子

坂本龍一が発表した数々の音楽作品を紐解く連載「追悼・坂本龍一:わたしたちが聴いた音楽とその時代」(記事一覧はこちら)。第7回の書き手は、『CDジャーナル』誌の元副編集長で、編集者・ライターの原典子。「坂本龍一とピアノ」をテーマに『1996』(1996年)をとりあげ、2018年まで編集で携わった坂本龍一監修の音楽全集『commmons: schola』での仕事を振り返りながら、執筆してもらった。

初めて坂本龍一という音楽家を意識したのは1992年のバルセロナオリンピックだったから、私は散開以前のYellow Magic Orchestra(YMO)をリアルタイムではほとんど知らない。ピアノを習っていたものの、ハノンやツェルニーといった練習曲にうんざりしていた15歳の私にとって、坂本は「外の世界」へと窓を開いてくれる存在だった。

坂本龍一(さかもと りゅういち) / Photo by zakkubalan ©2022 Kab Inc.
1952年東京生まれ。1978年に『千のナイフ』でソロデビュー。同年、Yellow Magic Orchestra(YMO)を結成。散開後も多方面で活躍。2014年7月、中咽頭がんの罹患を発表したが、2015年、山田洋次監督作品『母と暮せば』とアレハンドロ・G・イニャリトゥ監督作品『レヴェナント:蘇えりし者』の音楽制作で復帰を果した。2017年春には8年ぶりとなるソロアルバム『async』を発表。2023年3月28日、逝去。同年1月17日、71歳の誕生日にリリースされたアルバム『12』が遺作となった。

本稿の執筆を依頼されたとき、「永遠の一枚」と聞いていちばんに思い浮かんだのは『1996』だった。“1919”以外の全曲がセルフカバーで、“The Last Emperor”“Merry Christmas Mr. Lawrence”“The Sheltering Sky”をはじめ代表曲満載のベスト盤的内容ゆえ、坂本のコアファンにはあまり選ばれないアルバムかもしれない。

けれど、ピアノ、バイオリン、チェロというアコースティックなトリオ編成で自作をアレンジし直し、録音された『1996』は、坂本の歴史においてひとつの大きな転換点であったと思う。

というのも、シンセサイザーやサンプラーといった電子音を使わず、ほぼ「生音」だけで収録したオリジナルアルバムは、坂本のソロワークにおいて初めてだったからである。“美貌の青空”で交錯するドビュッシーのような和声、“Acceptance (End Credit) -Little Buddha-”のラヴェルを彷彿させる旋律、“1919”や“M.A.Y. in The Backyard”のミニマル的でソリッドなリズム……必要最低限のピアノトリオ(※)という編成で聴くことで、その曲本来の姿が浮かび上がってくる。

ブラジル音楽の名手であるジャケス・モレレンバウムのチェロ、クラブミュージックなどでも活動するエヴァートン・ネルソンのバイオリン(※1)、そして坂本のピアノ。クラシックのバックグラウンドの上に多彩な音楽遍歴を重ねてきた3人が織りなす音世界は、ピアノトリオでありながら、ワールドミュージック、ミニマル、テクノ、音響系など、あらゆる要素を内包したものであった。

このアルバムがリリースされたのは、タイトルと同じく1996年。いまから遡って考えると、それは2000年前後からシーンを形成していったポスト・クラシカル(※2)にも通じる概念だったのではないだろうか。

『1996』以降の坂本は2000年にかけて、オーケストラ曲を書き下ろしたり、ピアノソロアルバム『BTTB』(1998年)をリリースしたり、オペラ『LIFE』(1999年)に取り組んだりと、自身の原点であるピアノやクラシック音楽へのアプローチを深めていく。

さらに21世紀に入ってからは、社会的な発言も含め、より広く世界と音楽を見つめるようになるわけだが、その集大成といえる仕事が、自身で監修を務める音楽全集『commmons: schola』である。その頃、音楽雑誌の編集部にいた私は、この『commmons: schola』のインタビューで初めて坂本に会う機会を得た。「普通だったら一緒にまとめられてしまうラヴェルとドビュッシー(※1)を1巻ずつに分けたのですね」と話を向けると、坂本は「そうなんだよ!」と目を輝かせて語りだした。

たしかにクラシック16巻+非クラシック14巻の全30巻で構成される全集において、ラヴェルとドビュッシーを分けるのはバランスが悪い(※2)。けれど、そこに坂本のこだわりがあった。それから間もなく声がかかり、この全集の編集スタッフのひとりとして4年ほど仕事をご一緒させていただいた経験は、私の人生における宝になっている。

『commmons: schola』では浅田彰や小沼純一との鼎談などを通して、坂本の音楽観が語られる。歴史や民俗学、文学、哲学などあらゆる引き出しを開けながら、その音楽の成り立ちや構造を好奇心いっぱいに探っていく姿を見て、「真の知識人」とはこういうものだと思った。残念ながら30巻に到達することなく坂本は世を去ってしまったが、第1巻の『J.S.バッハ』からはじまった「音楽の旅」が、第18巻の『ピアノへの旅』で終わったのは、偶然かもしれないが非常に象徴的だと思う。

「木の板を無理やりねじ曲げ、金属のフレームをはめて、張力が20トンにもおよぶ弦を張る。持ち歩くこともできないし、自分で調律さえできない工業製品」。

ピアノという楽器について、坂本はよくこんなふうに語っていた。世界各地の民族音楽にも深い関心を寄せていた坂本にとって、ピアノは画一化された西洋の規格を押しつける黒い箱のように見えていたのだろう(※1)。しかし同時に、ピアノは坂本の人生でもっとも長い時間をともに過ごした伴侶でもある。『ピアノへの旅』では、そんなピアノに対する愛憎こもごもが語られている。バッハで音楽に目覚めた少年は、ピアノを通して古今東西の音楽に触れ、やがてピアノへと還っていったのだろうか(※2)。

『1996』のワールドツアーで見た坂本は、ピアノを弾く腕の筋肉が鍛えられ、大きく盛り上がっていた。それに比べ、針のように痩せてしまった晩年、深い皺が刻まれた手を鍵盤に置き、音を鳴らすことが病床の坂本に力を与えていたという。

鍵盤が戻るときにカタッとたてる音、響きが減衰して消える最後の一瞬……坂本が愛したのは、ピアノが奏でる「音楽」ではなく、ノイズも含めた「音」そのものだった。それもまた、ポスト・クラシカルと共通する部分だといえる。坂本の音楽を「ポスト・クラシカル」と呼ぶことはあまりないが、オーラヴル・アルナルズ、ヨハン・ヨハンソン、原摩利彦といったポスト・クラシカルのアーティストの多くから坂本がリスペクトされているのは頷ける。

15歳での出会いから30年あまりにわたり、私にとっての「音楽の先生」だった坂本に心からの感謝を捧げたい。そして坂本によって窓を開いてもらった音楽家たちが、これから先どのような音を奏でていくのか、誰よりも坂本が楽しみにしていることだろう。