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『呪術廻戦』五条悟を孤独から救ったのは……呪霊と人間を分かつ“触れる”ことの意味

2023年05月22日 07:01  リアルサウンド

リアルサウンド

©芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

※本稿は『呪術廻戦』のネタバレに触れています。


 「週刊少年ジャンプ」の人気漫画『呪術廻戦』といえば、“呪い”を軸とした独創的な世界観が魅力。そこには呪霊と人間という2種類の存在が生きており、それぞれ全く異なる価値観を戦わせている。


 とくに呪霊と人間の違いとして重要だと思われるのが、他者に「触れる」という行為がもつ意味の違いだ。


 まず、作中の描写を見てみると、呪霊が他者に触れるシーンは相手を害する意味を持つことが多い。特級呪霊・真人の存在は、それを象徴するものではないだろうか。


 そもそも真人の術式「無為転変」は、手のひらで相手に触れることによって発動する力。人間の魂の形を変えることによって、肉体を変形・改造できるというものだ。与幸吉を治したように、人間に友好的な使い道もあるのだが、ほとんどの場合は邪悪極まりない行為のために使われる。


 人間が握手によって友好を図るのとは対照的に、真人にとって相手に触れることは敵対的な行為だと言えるだろう。宿儺が真人に魂を触れられ、不快感を露わにしていたことからも、その意味付けがよく伝わってくる。


 その一方、術式をもたずに素手で戦う主人公・虎杖悠仁にとっても、相手に触れることは重要な意味をもつ。しかしその意味合いは真逆であり、真人が触れた相手を一方的に支配するのに対して、虎杖の拳は相互理解のきっかけになることが多い。


 京都姉妹校交流会編の東堂葵戦では、拳と拳を交えることでお互いを理解し合い、花御戦では相手に戦いの喜びを目覚めさせた。また、起首雷同編で拳に痛みを覚えながら壊相を倒すシーンも印象的だ。


 こうした描写から考えるに、作者の芥見下々は、人間が相手に触れるという行為に大きな意味を見出しているのかもしれない。


五条悟と宿儺の決定的な違い

 さらに言えば、現代最強の呪術師・五条悟をめぐる描写に関しても、触れることの両義性が織り込まれている。


 五条の術式である「無下限呪術」は、無限を現実化することによって、あらゆるものが自身に触れることを防ぐ力だ。その力を洗練させることで世界に敵なし、宿儺と同じく“天上天下唯我独尊”の境地に至ったのだが、それは同時に絶対的な孤独に陥るということでもあるだろう。


 しかし五条が宿儺と違うのは、他者との触れ合いを拒絶していないことだ。たとえば原作の第11話で虎杖が蘇った際には、五条が術式を解いて「おかえり」と「ただいま」のハイタッチを交わすシーンがあった。


 さらに最近描かれた第222話では、ふたたび虎杖が決戦に臨む五条の術式を解除させると、その手のひらで背中を叩いていた。この場では虎杖だけでなく、呪術高専の生徒たちが次々と五条に触れていく姿が描かれており、もはや彼は孤独から解放されているようにも見える。


 同シーンは作中における虎杖の役割がはっきり示された瞬間であると同時に、教師として仲間たちを育ててきた五条の到達点とも言えるのではないだろうか。


 最終決戦で勝利するのは、何者の接触も許さない宿儺か、触れ合うことを恐れない五条か。『呪術廻戦』という物語の行く末を見守りたい。