2023年05月18日 17:31 弁護士ドットコム
北九州市の非正規公務員、森下佳奈さん(当時27歳)が、パワハラなどによって重度のうつ病を発症し自殺したのは公務災害に当たるとして、遺族が北九州市に遺族補償などを求めた訴訟の控訴審が6月に始まる。
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一審では退職から2年が経過していることなどを理由に訴えが退けられたが、弁護側は上司から佳奈さんへの「給料分働いていると思っているのか」といった威圧的な言動を示す証拠資料を提示していた。原告支援者や家族、非正規公務員の当事者は5月17日、都内で集会を開き「非正規公務員という構造がパワハラを受けやすい環境をつくり、佳奈さんのような犠牲者を生み出している」と訴えた。(ライター・有馬知子)
佳奈さんは2012年、大学院を出て北九州市に非正規の嘱託職員として就職。同市戸畑区役所の子ども・家庭相談コーナーの相談員となり、生活困窮やメンタル疾患などの課題を抱える女性や子どもたちの対応に当たった。
原告側弁護士によると、佳奈さんは同年秋ごろから上司の係長に「給料分の仕事をしていない」と言われたり無視されたりするようになり、母親の眞由美さんや同僚に「死んでしまいたい」などのメールを送るようになった。翌年1月に重度のうつ状態と診断され休職、3月末付で退職した。
佳奈さんはその後、別の勤め先で働きながら精神科への通院を続けていたが、2015年に自殺。遺族は2017年8月、同市を福岡地裁に提訴した。
一審では市側による上司・同僚への事情聴取の結果などが開示され、上司が佳奈さんを2時間にわたり個室で指導し、その際に佳奈さんが涙を流していたこと、同僚たちの前で「それで給料分働いていると思っているのか」「(相談者と)結婚すればいいじゃないですか」などと話していたことが示された。聞いていた同僚が「横で聞いていて、こちらの胃が痛くなった」「(佳奈さんは)よく耐えていると思った」などと話していたことも明らかになった。
また佳奈さんは、希死念慮のある難しい相談者を担当しており、上司から「このままなら(相談者が)死にますよ」「(相談者宅へ)行ったら死んでいるかもしれません」など、死をほのめかす言葉を掛けられていた。眞由美さんによると、佳奈さんは「自分のせいで人が死ぬなんて耐えられない」とひどく悩んでいたという。
一方、市側は上司の行動について「正当な業務指導の範囲内」などと主張していた。
「新人の佳奈に必要な教育も行わず、死に関わるような重い仕事を任せておいて『適正な指導』という言葉で終わらせようとしている。娘は非正規という弱い立場で、育ててもらうこともなく切り捨てられたと感じています」と、5月17日の集会で眞由美さんは被告に対する憤りを表明した。
一審の福岡地裁は、佳奈さんが区役所在職中にうつ状態を発症し、症状が死亡時まで続いていたことは認めたが、パワハラの有無や度合いについての判断はせず、退職から自殺まで2年2カ月が経過していることなどから「直ちに公務と自殺との因果関係を認めることはできない」として、請求を棄却した。
判決に対し原告側は「ストレスの強度を判断しないまま『退職後の負荷となっていたとは言えない』と結論づけることはできないはずだ」と主張。退職して2年経ってからの自殺とパワハラとの因果関係についても、医学的に説明できるとして控訴審では訴えを認めるよう求めている。
原告側の佃祐世弁護士は5月17日の集会で、佳奈さんはパワハラ被害に加えて、新人が対応するには難しい相談者を任されたことで「助けを必要としていながら上司に相談できず、むしろ追い込まれるようなことを言われてますます追い詰められた」と指摘。また「非正規の立場で、上司の評価が低いと契約を更新してもらえないのではないか、生活できなくなるのではないかといった不安も大きかったでしょう」とも話した。
眞由美さんによると、佳奈さんは退職後も、上司に似た人を見ると足がすくむ、次の職場での面談で個室に入ると、2時間責められた記憶がフラッシュバックし、恐怖を感じるといった症状に悩まされていたという。「娘は2年経っても区役所での経験に苦しめられていたのに、一審判決はまったく考慮していない」と批判した。
また眞由美さんらが訴訟を起こすまで、常勤でない週4日勤務の非正規公務員についてはほとんどの自治体で、公務によって負傷・死亡した時に本人や遺族が公務災害の認定を求める「請求権」が認められていなかった。眞由美さんが訴訟と併行して、野田聖子総務相(当時)に書簡で不当性を訴えたことで、ようやく各自治体の条例が改正され、請求権が認められるようになった経緯もある。
集会で竹信三恵子・和光大名誉教授は、非正規公務員がパワハラ、雇い止めなどの不当な取り扱いを受けやすい構造的な要因として、①行政機関に上から目線で『任用』され、雇用のような対等な労使関係を築けない②短期の有期雇用で、被害を受けても休職や職場との長期交渉が困難③大多数が女性で、任用する正職員側に『非正規は夫が食べさせてくれる』という認識が根強く残っている、の3つを挙げた。
「上司にしてみればパワハラなどがあっても、問題化する前に契約を切ればいい。このため管理職にも、非正規を含めた職場全体をマネジメントしようという意識が働かないのです」
また立教大特任教授の上林陽治氏は「正規の公務員の競争率が低下する中、公共サービスに対する意欲の高い人材を獲得することが行政の課題となっている。障害児支援を志していた佳奈さんはまさに適任であり、行政が彼女の期待を裏切った罪は大きい」と話した。その上で「専門職非正規の人々を、正規職員の人材プールとして活用すべきだ」とも語った。
非正規公務員の当事者・退職者ネットワーク「VOICES」のメンバーも「ネットワークで話し合われる話題で、最も多いのがハラスメントだ」と訴えた。
「非正規だけ席を離す、履歴書を回し読みして家庭の状況や子どもの学校名を職場に広める、必要な情報を1人だけ提供してもらえないといった声が、多くのメンバーから上がっています」
中にはシングルマザーの女性が男性職員に「子どもの学費を払ってやるから、月に一度付きあえ」と迫られ、エレベーターの中で身体を触られた挙げ句に、雇い止めに遭ったケースもあるという。この女性は年度途中に『来年度は更新しないから』と上司に告げられた。さらに自己都合退職にさせられ、失業手当の支給まで2カ月間、収入が途絶えてしまい、電車賃にも窮しているという。人事院に訴えると「(上司の対応は)明らかにルール違反だが、対応は自治体に任せている」と言われ、介入はなかった。
VOICESのメンバーは「非正規は上司のパワハラを訴えると、雇い止めされる恐れがあるので声を上げられない。勇気を出してハラスメントを訴えても、加害者に『やっていない』と否定されておしまいということもしばしばです」と話す。
当事者活動や組合への参加も、「身バレ」すると職を失うリスクがある。本人たちが顔を出して待遇改善を訴えるのが難しいことも、非正規公務員の問題に対する社会的な関心が低い要因となっていた。
VOICESは今後、パワハラに関するアンケートやオンラインの集会などを通じて当事者の声を集め、社会へ広く発信するとしている。
「私たち当事者が問題を可視化することで、行政サービスを利用する市民や自治体の議員などに、役所のカウンターの中で本当は何が起きているかを知ってほしい」
アンケートの共同調査研究者でもある竹信氏も「社会が『非正規公務員の扱い、いくらなんでもひどいんじゃないか』と注目し始めると、それだけで職場に抑止力が働き、事態を変えようという動きが進み始める。そのために当事者の声をなるべく多く集め、社会に生々しい声を伝えたい」と話した。
アンケートは現在も実施を継続しているという。