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藤原麻里菜×加賀美健「いかに続けるか」。混沌な現代をユーモラスかつ独自に歩むための創作&キャリア論

2023年05月18日 17:10  CINRA.NET

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Text by 吉田真也
Text by 辻本力
Text by 武石早代

パンデミックによる混乱、不穏な社会情勢、さまざまな場所や人々のあいだで起きている分断、1990年代初頭から現在まで続く経済低迷——。先行きの見えない現代では、個々人が抱く将来への不安もより一層強くなる。そんななかでも、心に少しのゆとりを保ちながら、自分自身の価値観と信念に基づいたキャリアを築いていくには、どんな意思や行動が必要になるだろうか。

ウェブメディアCINRAの20周年企画である本特集『Crossing??』では、あらゆるジャンルで活動されている方とともに「これまで」を振り返り、「これから」の未来を考える。今回は、ユーモラスかつ独自の切り口で現代に漂う不穏な空気を脱臼させてみせる現代美術家・加賀美健と、コンテンツクリエイター・藤原麻里菜の対談が実現。

やりたいことを貫いているように見える二人は、どのように独自の地位を確立していったのだろうか。さらには、混沌とした現代における「創作と社会」の関係性をどう捉えて、作品にユーモアを盛り込んでいるのかなどを訊いた。

対話を通して見えてきたのは、これまで20年続いたCINRAにも通じる「継続」の重要性。そして、これからの10年、20年先を考えるうえで大事な「アートの視点」についての見解は、「先行きの見えない現代」という前提にすらも揺さぶりをかける話となった。

—お二人は今回が初対面とのことですが、お互いの存在はご存知でした?

藤原:もちろんです。いろいろな場所で、加賀美さんの作品や、アパレルブランドとのコラボ商品を拝見しています。

加賀美健(かがみ けん)
現代美術作家。1974年、東京都生まれ。東京を拠点に制作活動を行なう。社会現象や時事問題、カルチャーなどをジョーク的発想に変換し、彫刻、絵画、ドローイング、映像、パフォーマンスなど、メディアを横断して発表している

加賀美:ありがとうございます。ぼく自身も、藤原さんの「無駄づくり」を拝見していたので、今日お会いできるのを楽しみにしていました。

特にぼくが好きなのは、『オンライン飲み会緊急脱出マシーン』かな。ネット回線が落ちしているように見せかけて、オンライン飲み会から離脱するためのやつ(笑)。いつも思いますが、考えたものを具現化するための技術がすごいですよね。あんなのぼく、つくれないもの。

藤原麻里菜(ふじわら まりな)
コンテンツクリエイター、文筆家、映像作家、発明家、YouTuber。1993年、神奈川県生まれ。2013年からYouTubeで「無駄づくり」というチャンネルを開設し、自作の実験工作や発明を動画で投稿している

藤原:でも私、めちゃくちゃ不器用なんですよ。最初期は本当になにもできなくて、第1作『お醤油を取る無駄装置』は、ダンボールを切り貼りしてつくりましたからね。シンプルなピタゴラ装置でしたけど、2週間もかかりました。

その後、作品のバリエーションを増やすために電子工作を学んだんですけど、いまでもその道のプロの人から見たら「なんだこれ?」みたいな素朴なものばかりだと思います。

加賀美:でも、「プロ並みではない」くらいのクオリティーのほうがむしろかっこよかったり、面白かったりしますよね。アートもそうなんですけど、中途半端に器用だと「上手に見せよう」という欲が出てきてしまう。で、そういう作品って、そのときはいいんだけど、後年見返すと全然面白くなかったりするので。

個人的にも、「すごく上手!」「つくるのに何時間かかったんだろう?」みたいに思わせちゃったら負け、という思いがあって。むしろ、一見「こんなもん、私でも描けるわ」と思わせつつ、「なんか妙に気になる」みたいな味わいのある作品が理想ですね。

藤原:たしかに、それはわかる気がします。

—でも、つくり続けていくことで、自然とうまくなっていってしまうという問題はありませんか?

藤原:だから私は、基本的に1日でつくれるものしかつくらない、と決めています。なにか思いついたら、わざわざそのために買い物に行ったりせず、家や作業場にあるものでわーっとつくってしまう、という姿勢を心がけていますね。

加賀美:そのスピード感がいいんでしょうね。ぼくもわりと勢いでつくるほうだし、手も早いからわかるんだけど、いま材料ないからAmazonに注文して……みたいなことをやっていると、テンションが下がってしまうんですよ。次の日にはもう、「なんでこんなのつくろうと思ってたんだっけ?」みたいになっている。

ぼくが、SNSに連日しつこいくらいに作品や面白いと思ったものを投稿し続けているのは、「いま・ここで」という想いが強いからなんです。もちろん、見る側にとっては今日でも明日でも一緒なんだろうけど、単純にそうしないと自分が面白くない。創作に関しては、モチベーションが上がった「その瞬間」というのが大事なのだと思います。

—加賀美さんは、もともとファッションの世界でスタイリストのアシスタントをされていたんですよね。そして、藤原さんは元お笑い芸人です。お二人とも、いわばキャリアチェンジをされて現在に至る印象ですが、前職がいまのお仕事に与えている影響はありますか?

加賀美:ぼくはいまもアパレルやスタイリングの仕事を少しやらせてもらっていますし、過去の経験が現在につながっている感覚ですね。

それに、そもそもファッションもアートも、色彩やユーモアの感覚など、ある種のセンスがないとできないという意味では近しい職業ですから。

加賀美:ただ、ファッションはいまだに好きでも、スタイリストという職業を極めていくのは自分には向いていませんでしたね。19歳から6年続けたけど、結局アシスタントのまま辞めちゃいましたし。

スタイリストって、すごくいろいろな人と関わる仕事なんですよ。しかも、毎回別のスタッフと組むのが普通なので、自分でコントロールできない部分がすごく多い。そういう仕事のスタイルが自分には合わなかったんです。

一方、アーティストなら、全部自分で決められるじゃないですか。だから、ここまで20年以上も続いているのだと思います。藤原さんは?

藤原:もともと「無駄づくり」は、芸人の養成所でYouTubeチャンネルをつくることになり、そのときに生まれたアイデアなんです。

だから、自分が表現するものは、全部お笑い的な発想から生まれていると思います。芸人時代の延長線上にあるので、私も加賀美さんと同じく、明確にキャリアチェンジした、という意識はないんですよね。得るものも多かったですし。

たとえば、養成所時代に学んだ「自分を客観的に見る」という姿勢は、いまの動画制作でもすごく役に立っていると思います。人はやはり自分がかわいいので、無意識にかっこつけたり、かわいいと思う部分だけを切り取ったりする編集をしてしまいがちで。

でも、それだと作品としてはつまらなくなってしまう。芸人活動を経たことで、第三者的な、別人格の自分を下ろしてきて編集をできるようになった気がします。

—お二人の作品の共通点として、ユーモアや「笑い」の要素がある、というのが挙げられると思います。その塩梅やバランスはどの程度、意識的なものなのでしょうか。

加賀:もちろん、面白いことが好きなんですが、「すごくマジなんだけど面白い」とか「面白くしようとしてないのになんか面白い」みたいなのが好きなんですよね。本人は真面目なんだけど、世間の感覚とズレている発言とか(笑)。

生きていると、笑えることじゃないことこそが面白かったりするじゃないですか。その感覚を大事にするようにしていますね。

加賀美:それでいうと、元芸人さんとはいえ、藤原さんの作品もモロな「お笑い」ではないですよね。露骨に見る人を笑わせてやろうとはしていないように感じます。

藤原:そうですね。私はデヴィッド・リンチ監督の『イレイザーヘッド』という映画がすごく好きなんですけど、作中にエレベーターのシーンがあるんです。扉が開いて、主人公が乗り込んできて「閉」ボタンを押すんですけど、全然閉まらないんですよ。

で、「あれ、閉まらない? 閉まらないぞ?」みたいになったところでようやく閉まる、というシーンで。笑わせようと思っているのか思ってないのか、よくわからない微妙な感じが好きすぎて、自分にとっての表現の理想形だなと思っています。

—近年、特にコロナ以降は、世の創作物が全体的にシリアスなムードを帯びる傾向も顕著で、時代とともに「ユーモア」「笑い」の取り入れ方が変化していると感じます。今回の対談はCINRAの20周年特集の一貫ですが、それこそ20年前とかに比べると、世間的にふざけたコンテンツが減った気もしますが、そのあたりはどう思いますか?

加賀美:コンプラなんかも厳しいですからね。こういう時代だからこそ、むしろ面白いことをやっていったほうがいいと思うんですけど、不謹慎って言われたり、炎上しちゃったりする可能性もあるから。

というわけで、基本的にそういうことはあまり気にしてこなかったんですが、最近はちょっと意識するようになりました。本当は、それこそ社会問題になっていることも、「笑い」をうまく取り入れることで、いろいろ考えてもらえる契機をつくれたら理想的ですけどね。

とはいえ、いまの社会からフィードバックを受けながら創作をしていると、その難しさは感じます。SNSが浸透した近年では、メッセージ性を全面に出すにしても、こちらが意図していないかたちで広まってしまう危険性もありますから。

藤原:実際のところ、いまはなにをやっても批判コメントがきますよね。以前、LEGOを踏んで痛い思いをしたことを思い出して、あえてもっと痛くなるようにトゲトゲのパーツを3Dプリンターでつくったら、「戦争反対」というコメントがつきました。

銃を思わせる形状でもなく、暴力的な意図もまったくないのに……と困惑してしまいました。

加賀美:それもだいぶ極端な反応ですね。藤原さんはSNSのフォロワーも多いから大変でしょう。

藤原:作品の本筋と関係のないところでいろいろ言われてしまうのが、一番キツイですね。いつものように新作をアップしたら、「めっちゃ太った」みたいなレスが200件くらい来て、コメント欄がそれで埋まってしまったこともあって。

私は純粋に発明品を見てほしくてやっているのに、自分の容姿のせいでそれが台無しになってしまったように思えて、すごく悲しかったです。そういったことから始まって、外からのいろいろな声に押しつぶされてしまい、去年の12月頃から精神的に体調を崩していたんですよ。

加賀美:それは大変でしたね……。もう大丈夫なんですか?

藤原:はい。いまはだいぶ元気になりました。そのときは、忙しすぎて心に余裕がなかったのも良くなかったですね。自分は無駄なものをつくってるのに、なんとかタスクをこなすために、無意識のうちに「効率」を優先しすぎてしまっていた。

だから、最近は意識的に余計なことをするように心がけました。メルカリで変なものを買ったり、友だちと凧揚げに行ったりとか。心に余裕を持つためにも、あらためて「無駄」こそが豊かさだったんだなと気づかされた感じですね。

加賀美:やっぱりSNSをやるにも、心の余裕や冷静さは必要ですよね。みんなが発言できる場所がある、というのはSNSのいいところだけど、最近は悪い側面が目立ちすぎている傾向があるので。

なにも考えずに反射でネガティブなことを書き込んでいる人も多そうですし、なんというか、みんないっぱいいっぱいなんだな、という感じがしますね。個人的にはそんな状況も含めて、「なんだかなぁ」ってイライラしちゃうこともあるんですよ。

でも、そうした世の中に対する違和感や、それに対するある種の「怒り」が、ぼくの創作上の活力になっている面は間違いなくあると思います。少なくとも、冷静に怒るには、「考える」という工程が不可欠ですからね。

—お二人は、それぞれ作家として独自の地位を確立されているように思うのですが、いわゆる社会や、属する業界からの「評価」「名声」というのは、どの程度意識されているのでしょうか?

藤原:あんまり気にしたことはないですね。目指しているものとかも特にないですし。そもそも、私のやっていることって、世間的な評価軸みたいなものからズレていると思うので。

—でも、最近は『JCI JAPAN TOYP2022』の日本青年会議所会頭特別賞を受賞されたりしていて、そのへんは、ある種の「評価」なのでは?

藤原:まあ、そうですね。でも、それで自分のつくるものが大きく変わったりはしませんしね。ただ、賞とかをもらったりするとお母さんが喜ぶので、それは嬉しいです。

私は、わざわざ無駄なものをつくって不思議なことばかりやっているので、賞をいただくと単純に「麻里菜は大丈夫なのね」と安心してもらえると言いますか(笑)。

でも、私は評価や名声よりも自分の生活のほうがずっと大切です。心穏やかに日々ものをつくり、発表し続けていられることが一番の幸せですね。

加賀美:ぼくも、基本的にはあまり意識していないのですが、一応ギャラリーに所属してもいるので、現代美術界での評価というのは無視できませんね。

さっき、創作はスピード感が大事という話をしましたが、一方で、現代美術アーティストというのは、1年とか10年スパンでものを考えるんです。ギャラリーも、その作家が美術史に残る存在になるまで、20年、30年も先まで見越して動いていますしね。

—現代美術の世界では、大きくベクトルの異なる2つの視点を持つことが求められるのですね。

加賀美:はい。だから、「明日にでも有名になりたい!」みたいな感じではないです。もちろん、突然ブレイクしちゃう人もいます。でも、それが一時的な流行りで終わってしまうケースは多いし、5年、10年後まで人気が続くとは限らないですからね。

—今回、20周年を迎えたCINRAにも共通しますが、お二人のお話からは「いかにして続けるか」という視点の重要性を感じます。

加賀美:結局のところ、どんな職業や仕事でも「続ける」ことでしか見えてこないものがあると思います。それが重要であると同時に、一番難しいのではないでしょうか。よく、若い人にも訊かれるんですよ。「加賀美さんみたいにアートで生活していくにはどうしたらいいですか?」って。

アートで成功なんて時間がかかるのが大前提だから、「とりあえず10年やってみたら?」ってアドバイスするんですけど、みんな目を丸くしちゃうんですよね。で、「え! 3か月……せめて半年くらいでなんとかなりませんか?」って(笑)。いやいや、ならないよ、そんなの。だいたい「食べていける」を目的にしたことなんてなかったですし。

「とりあえず10年」続けるというのは、そのくらいやっていれば、なんとなく人の目につくからなんですよね。で、人の目に留まれば、徐々に仕事がくるんじゃない? ってことで。「食べられるようになろう!」も「頑張ろう!」もなく、ただただ好きで続けていていたら、いつの間にか食べられるようになっていた、みたいなのがスタンダードだと思いますよ。

藤原:たしかに、私も最初は芸人とアルバイトを平行しながら「無駄づくり」をやっていて、続けていたらなんとなく仕事をいただくようになって、いつしかそれだけで食べれるようになったから会社にして……みたいな感じでした。

加賀美:ですよね。最近はSNSでバズって一夜にして有名に、みたいなことがあるから、みんなつい近道を考えてしまうんでしょうけど、インスタントに売れるということは、インスタントに消費されてしまう、ということと表裏一体だと思うんです。

イチローの名言に「遠回りが一番の近道」というのがありますが、まさに核心を突いていますよね。近道しようとすればするほど、本質から離れていってしまう気がします。時間はかかるけれど、淡々と好きなことを続けていくほうが間違いないですよ。

その結果、10年後にどうにかなっていたらラッキー、くらいに考えないと。実際、アートで成功するなんて9割くらいが運ですからね。でも、運だって、続けていなければ掴むことはできませんから。

—今日はお二人から、10年、20年先の未来を考えるうえで大事な視点をお話いただいたように思います。いまは、なかなか先行きが見えず、不安も多い世の中ですが、そうした時代を生きるうえで大切にすべき心の持ちようとは、どんなものだと思いますか?

藤原:やはり、「寛容性」ではないでしょうか。何事にも寛容になる力があったら、新たにやってみたいことだって見つかりやすくなるし、これまで気にも留めていなかったいろいろなものが輝いて見えてくるんじゃないかな、って。

たとえば、道端に落ちている石ころにだって「美」を見ることは可能です。それは人間の持つ大きな力であり、豊かさだなと思います。

加賀美:本当にそうですね。藤原さんの見解に通じますが、アートって「視点」なんですよ。普段は自分の目線上にあるところしか見えていないけれど、なにかのきっかけでちょっと目線が上がると、それだけでまったく違う世界が見えてくる。いわば、新たな世界への気づきと、そこから「自分で考える」きっかけをつくってくれるのがアートなんです。

だから、今回の対談の前提でもある「先行きが見えず、不安も多い世の中」という言葉も、そう聞くと「ああ、やっぱり暗い世の中なんだな」と思っちゃうけど、そもそもその考えをまず疑うべきだと思うんです。もちろん、現実問題としていろいろ不安はありますよ。でも、そのうえで「こういうふうに考えると、世の中がもっと面白く思えるかも?」という視点のほうが大事ではないでしょうか。

そうじゃないと、寛容性も生まれませんし、世の中だって良い方向に変わっていきませんからね。そして、藤原さんやぼくのような作家は、そうした社会を変える「視点」を提供するのが仕事でもある。だから、これからも頑張って「続けて」いかなきゃなと、今日は気持ちを新たにしました。