Text by 生駒奨
Text by 菊池良
Text by 坂本陽
いまからちょうど20年前、2003年に誕生したメディア「CINRA」。同じ年、喧騒に囲まれながら歴史に残る傑作を書き上げた小説家がいた。綿矢りさ。2003年8月に出版された『蹴りたい背中』(河出書房新社)は累計発行部数150万部以上を誇り、19歳11か月という最年少での『芥川龍之介賞』受賞記録をいまだに保持し続けている。
その2年前にはデビュー作『インストール』(河出書房新社)がベストセラーに。インターネット黎明期に「風俗チャット」を題材とした視点の新しさは瞬く間に注目を集め、作者である綿矢が高校生であったことも世間を賑わせた。2002年には名門・早稲田大学に進学。ゴシップ的に取り上げられることも多かったなかで書き上げ、金字塔を打ち立てた『蹴りたい背中』を、いまの綿矢はどう振り返るのだろうか。
本稿では綿矢本人にインタビューを敢行。聞き手は、著作『芥川賞ぜんぶ読む』(宝島社)でも知られる菊池良が務める。菊池は、綿矢の凄さについて「その時代時代の特徴的な出来事や文化を、『一時的なトレンド』としてではなく、もっと日常に寄り添ったかたちで掬い上げて描写する。そして、その特徴は20年前から最新作まで変わっていない」と指摘する。
2003年執筆当時、綿矢の目にはこの世界がどのように映っていたのか。そして、いまの社会をどう見ているのか──。稀代の作家とその作品を通じて20年前と現代を比較し、未来を生きるヒントを探る。
─2003年に『蹴りたい背中』を発表されてから今年でちょうど20年です。当時は作品外で話題にされることも多かったと思います。いまから振り返って当時の状況をどうとらえていますか?
綿矢:当時はまだ2作めの段階だったので、自分のキャリアと状況がちぐはぐな感じはしていました。いま振り返ると戸惑いが大きかったなと思います。
綿矢りさ(わたや りさ)
1984年、京都府生まれ。17歳のときに太宰治の作品に感銘を受け作家になることを決意。同年、『インストール』(河出書房新社)で第38回『文藝賞』を受賞しデビュー。2003年には『蹴りたい背中』(河出書房新社)を発表し、翌2004年に『芥川龍之介賞』を史上最年少で受賞した。ドラマ化された『夢を与える』(河出書房新社)、映画化された『勝手にふるえてろ』(文藝春秋)など映像化された作品も多い。2022年には短編集『嫌いなら呼ぶなよ』(河出書房新社)を刊行した
綿矢:自分としてはこの仕事をはじめたばかりで、あまり下積みもなくそうなってしまったので、「受賞してうれしい」よりも、「すごい勢いで消費されてしまったらどうしよう、私はずっと続けていきたいのに」って考えていました。
─『芥川賞』は受賞よりもまえに候補作の発表がありますね。選ばれたときはどんな心境でしたか?
綿矢:候補作になったとわかったときは、まだ受賞できると決まったわけではないので不安でした。まだぜんぜん喜んじゃいけないなっていう慎重な気持ちでしたね。
第130回『芥川龍之介賞』受賞作、『蹴りたい背中』の書影
─2003年は就職氷河期(※1)だと言われていました。世の中の空気をどう感じていましたか。
綿矢:まだ大学生だったので世の中の空気とかにはあまり敏感じゃなかったと思います。でも、いまになって思うとつらそうな人が多かったし、日本全体がそれを重く受け止めていたような気がします。
自分よりさきに就活していた先輩たちが本当に苦しそうにしていたことは、状況として一番覚えています。私自身は就職も考えなきゃなって思っていましたが、『芥川賞』受賞後に執筆していた3作めがあまり捗々しくなかったので、どう書くか迷っているうちに、就活時期が終わっちゃったっていう感じです。
─2003年は国内自殺者数が戦後最悪の3万4,227人を記録した年(*1)でもあり、重い空気が蔓延していたことは確かだと思います。そんななかで執筆した『蹴りたい背中』が、いまでもたくさんの読者に読まれていることをどう受け止めていますか?
綿矢:学校や会社のなかで友達や心を許せる人がいないという息苦しさは、月日が経ってもあまり変わらないと思います。この作品で書いた「狭いグループ内で孤立することへの恐怖」は、感じたことがある人には強く刺さるものだと思いますし、感じたことのない人にも、小説のなかで体験することで、そういう苦しみを感じる人たちのことをわかってほしいなって思います。
─『蹴りたい背中』が出たころは「スクールカースト」といった言葉はまだなかったと思いますが、そういった学校内の序列みたいなことは意識されていたのですか?
綿矢:そうですね。やっぱり自然発生的にそういうものは生まれてしまうので。だれかが偉そうで、だれかが肩身狭い、みたいなことは、私が小学生のときから自然にありました。わざわざ書こうとしなくても、みんなが体感で知っているようなことですよね。だから『蹴りたい背中』では、みんながなんとなく感じていることを文章にすることができたのかなって思います。
─20年前は、読者に対してどのようなアプローチをしようと考えていましたか?
綿矢:当時は、自分なりに「とっつきやすいもの」「わかりやすいもの」を書きたいと考えていました。文体がかしこまらないようにしていましたね。自分と同年代のひとが読んで肩が凝らないようにしようと。日常の細かい部分で共感してもらえるように書いていました。そのスタンスはいまも基本的には変わっていませんね。
─『蹴りたい背中』を読み返して、「いまだったらこう書くな」と思う部分はありますか。
綿矢:正直、いままで一度も読み返したことがないんです。ほかの作品も、ほとんど読み返すことはないですね。
でも、あえて言うならもっと笑いを交えるかなって思います。クラス全体のてんやわんやした場面とか、教室のクラスメイトたちの雰囲気やそれが伝わるエピソードを入れるかもしれないですね。
─デビュー作の『インストール』はインターネットを題材にしていました。この20年で情報環境はとても変わったと思います。綿矢さん自身はそういったものにどうつき合ってきましたか?
綿矢:私は20年前からパソコンで執筆しています。それはいまも変わりません。ただ、なにかを思いついたときは近くにパソコンがないことのほうが多いので、スマホにメモしています。それをコピペしてパソコンに移すみたいな感じ。なので、スマホで書く分量も多いです。
パソコンのまえに座るまえから、スマホのメモ帳に書きためている感じですね。
─執筆を始めたときから、パソコンを使っていたんですね。家庭にパソコンが普及し始めたのが90年代後半から2000年代なので、綿矢さんは「デジタルクリエイター」の第一世代かもしれません。
綿矢:そうですね。でもいまは、執筆中にはネットに接続しないようにしています。以前はふつうにネットに繋がったパソコンで執筆していたのですが、すぐネットを見ちゃって、仕事が捗らなくなるんですよね。なので、だいぶまえからオフラインで執筆するようになりましたね。
─デバイスごとの特徴が創作の内容にも影響しているのではと思います。パソコンで書くときと、スマホで書くときとでは文章は変わりますか?
綿矢:文章の長さが変わります。それに、密度も変わりますね。一文が短くなります。
それと、スマホだと気軽に文字が打てるので、喋り言葉にさらに近くなると思います。パソコンでかしこまって書くよりも、もっとカジュアルになりつつあるのかなって思います。
─2022年に出版された短編集『嫌いなら呼ぶなよ』は、文体の勢いが増していると感じました。そういった影響もあるのでしょうか。
綿矢:『嫌いなら呼ぶなよ』はパソコン文体というよりもスマホ文体かもしれません。人に喋りかけるような書き方をしました。
綿矢の最新作『嫌いなら呼ぶなよ』の書影。「眼帯のミニーマウス」「神田夕」「嫌いなら呼ぶなよ」「老は害で若も輩」の4作が収められている
綿矢:「ときすでにお寿司」といった最近生まれた既存の面白い言葉を入れたのも、そうした言葉がかなり自分にとっては身近なものになってきたと感じるから。ネットスラングじゃないと伝わらない気持ちみたいなものがあると思います。ほかの言葉にすると意味合いが変わってしまうので、そのまま使っています。
─『嫌いなら呼ぶなよ』に収録されている「眼帯のミニーマウス」では文章の切り替わりが絵文字になっていますね。
綿矢:はい、「ぴえん」の絵文字(🥺)を使いました。絵文字もまた文字のひとつで、そこに現代人が込めている思いっていうのは、使っている本人が思っている以上にたくさんあると思います。それを表現できるのが面白い。今後も使うかもしれません。
─文章で言うと、最近は「ChatGPT」などのAIの登場も話題です。綿矢さんはAIとのチャットを試したことはありますか?
綿矢:ちょっとだけ触りました。悩み相談とかするとすごく答えてくれるので、ハマったら依存しそうな感じはありました。話し相手になるし面白いツールだなって思いましたね。
文学者のあいだでも話題になっていますが、まだ創作に影響をあたえるといったようなことは実感していません。私個人としても、いまのところ仕事で使えるツールという認識は全然ありません。いずれAIを使った文章を判定できるソフトとかが開発されて、作品に使ったことがバレると恥ずかしいので……(笑)。
─綿矢さんの『私をくいとめて』(朝日新聞出版)は「A」という脳内の人物に延々と話しかけています。いまから読むと「A」はChatGPT的な存在にも思えます。
綿矢:『私をくいとめて』を書いたときはまだAlexaのようなアシスタントAIも一般的じゃなかったと思います。当時は「A」的な喋りかたをするものは、運転のナビとかぐらいしかなかったんじゃないかな。だから、「A」はAIをイメージして書いたわけではなかったと思います。
『私をくいとめて』書影
綿矢:「人生に寄り添う存在」というイメージで書いたので、結果的に口調が敬語になり、AI的な雰囲気が出たのかなと思います。自分のために親身になってアドバイスしてくれるクレバーな存在を、現代人は求めているのかもしれませんね。
─『嫌いなら呼ぶなよ』ではYouTuberなども題材にされています。ただ、綿矢さんの作品から共通して感じるのは、安易に「トレンドを取り入れよう」という意識ではなく「日常に溶け込んでいる新しい要素」を掬い上げる上手さです。それを実現するために、なにか意識していることはあるのでしょうか?
綿矢:あえてなにかをしているということはありません。言葉を使うために小説を書いているのではなく、小説を書いているうちに「この言葉を使いたいな」ってなるので。
「新しい言葉、流行っている言葉を見つけてやろう」みたいな気持ちでいると、逆に自分のなかに入ってこないので、すでに自分のなかで浸透しきっているものを使うようにしています。
だいたいの流行り言葉は、発生してまた消えていくと思うんですけど、あえてそれを後世の残る「本」のなかで使いたいなっていう気持ちはあります。「ぴえん」みたいな言葉は、たぶん消えていくと思うんですけど、愛しいような気持ちがありますね。楽しかったなみたいな、そういう愛着はあります。
─『蹴りたい背中』も含めて、綿矢さんの作品は「古着」や「レコード」のように、いつ読んでもその時代を感じながら新たな楽しみ方ができるように感じます。「消えていくであろう言葉をあえて使う」というのは、それを意識している表れでもあるのでしょうか?
綿矢:正直、特別意識はしていませんが……(笑)。ただ、私自身、昔々に書かれた小説やヴィンテージの洋服などはとても好きなので、そういう嗜好性が知らず知らずのうちに現れているのかもしれませんね。
─なるほど。先ほどお話しいただいたように、ネット文化も含めた「新たな日常」を作品に取り入れていらっしゃいますが、一方で綿矢さんご自身はSNSアカウントを持っていませんね。それはなぜなのでしょうか?
綿矢:私自身は、インターネットから距離を取りたいという意識があります。TwitterやInstagramで発信したり、リプライやコメントのやり取りを始めたりしてしまうと、完全に飲み込まれてしまいそうな気がして。
『インストール』や『蹴りたい背中』を書いたときは、インターネットにはすごくアングラな雰囲気がありました。すごくマニアックな人がやっているみたいな場所だったのですが、いまはだれもかれもやっていて、本当に開かれた場所になっています。でも、過激な意見に同調する人がたくさん出てきて、それが大多数の意見になるなど、昔とは違う怖さがあるなと思います。
─あらためて、「20年」というキーワードに戻らせてください。もしいま、綿矢さんが『蹴りたい背中』を書いた20年前の年齢(19歳)だったら、「小説家になる」という選択をしていると思いますか?
綿矢:小説は書いていると思います。この20年で「表現」「創作」の方法も増えたと思いますが、私の場合は現代でも小説を選ぶだろうと。
ただ新人賞に応募するよりもまえに、これだけ身近に発表するツールがあるので、自分のアカウントで発表していたんじゃないかと思います。
─この20年を振り返ると、一番変わったことはなんだと思いますか。
綿矢:日本社会で言うと、「ネガティブな状況に耐性がついた」ことかなと思います。20年前の日本は「経済成長できない」「子どもが生まれない」「国際的な影響力が落ちている」という状況が「特別」で、「なぜだなぜだ」と騒いでいた。いまでは、それが「普通」の状況になりました。
でも、それはよかったんじゃないかと思います。20年前ってすごく嘆きが多かったんですよね。いまは前向きというか、余計なものを羨ましがったり、失ったものばかり気にしたりしなくなった。社会全体が、けっこうメンタル的には強くなっているんじゃないですかね。
─逆に20年前と変わらないことってなんだと思いますか。
綿矢:本質的な人間関係ですね。20年前ぐらいからすでに孤独感とか、「ぼっち」や「ひきこもり」といった問題は起きていて、全員に当てはまるかというと違いますが、それがずっと続いているのかなって思います。
─最後の質問です。20年後はどこでなにをしていると思いますか。
綿矢:日本で小説を書いていると思います。
大学生のころは「ずっと小説を書けたらいいな」って思っていましたが、「たぶん無理だろうな」とも思っていました。それがなんとか続けられて、私の最新作を読みたいと言ってくれる人も、20年前の『蹴りたい背中』を読んでくれる人もいる。
先ほどAIの話も出ましたが、これからAIが書く小説のクオリティーが上がってくることは確かだと思います。でも、そうなればなるほど、「人が書いたもの」「綿矢りさが書いたもの」を読みたいと言ってくれる人はいるはず。だから私は、ずっと小説を書き続けていたいです。