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『どうする家康』回想シーン多すぎ問題 でも、大河ドラマだと思わないで視聴すると結構面白い!

2023年05月16日 15:50  キャリコネニュース

キャリコネニュース

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今年の大河ドラマ『どうする家康』が、先週日曜日の放送回で三方ヶ原の戦いに突入した。てっきり2、3週かけるんだとばかり思っていたけど、実質1話で完結。

まあ、三河一向一揆と違って完全なる負け戦なので、そこまで引っ張るのも難しいという判断だったのかもしれない。史実どおり、この戦いは徳川軍が浜松城を素通りした武田軍を追撃する形で動いたところを、当の武田は三方ヶ原に魚鱗の陣を敷いて迎え撃った。

映像表現でもここはしっかりと描かれていたし、武田信玄(演:阿部寛)の「かかれ!」の号令に虎の咆哮が被る演出も面白かった。この戦いで、徳川軍は多くの兵を失い、また将も多数討ち取られることになる。初期から登場していた面々の中からも数名がここで退場してしまうわけだが、そういった登場人物にも見せ場があったのは良かった。

一方で今回も気になったのが、回想が多いという点。視聴者が知らないドラマや過去の出来事が、思い出として挿入される演出が毎回のようにあるのだ。(文:松本ミゾレ)

時間の流れが特殊なドラマだと思えば違和感は薄まる……はず

回想も効果的に使えば、別にそこまで違和感をおぼえるものではない。過去の大河ドラマも、回想シーンは適時挿入してきた。しかしながら、それは大抵が過去に放送されたシーンの再利用が基本。1話から追いかけている人が「ああ、こういうシーンあったなあ」と振り返るためのもの、という使い方をされていた。

一方で『どうする家康』の場合、この回想シーンで初めて視聴者が知るドラマが展開されることが多い。今回の三方ヶ原の戦いでも「そんなにガンガン回想シーン入れるかぁ」と思ってしまった。そもそも大河ドラマはその名の通り、大河が流れて行くように1年間をかけて、ドラマを史実に沿って進行させていくもの。だからこそ主人公の生涯をしっかり、じっくり描けるものだと、少なくとも僕は考えている。そこが大河ドラマの魅力であるとも思っている。

そして基本的に河って海に向かって流れを向けるもので、逆流はしないものだ。でも本作は回想を入れる頻度が高いし、その回想も初見情報が多い。頻繁に河が逆に流れるのである。
これが前々から「なんだかなぁ」と思えていたんだけど、それでも話は面白い回もあるし、『逆流が多いから駄目!」とも言い切れないところがある。

そこで僕は最近になって、「ああ、この河はたまに逆に流れるんだ」と思うようにした。もっと言えば「これは大河ドラマとされているけど、実際は違う作品なんだ」と思うようにしている。

こう考えるだけで『今年の大河はあんまりおもしろくない」みたいなネガティブな自分の気持ちを霧散できるようになった。というか、ドラマ自体は徐々に面白くなっているとは思うのだ。主演の松潤の演技力には未だに納得できず「他の俳優陣はいいんだけどなぁ」とか思っちゃうけど。

なんだかんだ合戦シーンは頑張ってるけど……

ただ、それこそ合戦シーンだって、まだまだコロナが怖い時期に撮影していると考えれば十分健闘していると思う。迫力だってある。

そりゃあ昔の大河の方がスケールもあったし、実際に屋外ロケで大勢集めて、文字通りの大合戦を行っていたけど、あれは今の目で見ると「あ! 今の馬のコケ方やばくない?」と心配になる。『どうする家康』では馬もCGだったりするし、それもそこまで違和感もないし、現代風の合戦の描き方としてはかなり理に適ってるというのが個人的な見解。

だけど、やっぱり三方ヶ原はもうちょっと見たかったかなぁ。三河一向一揆の場合は3週ぐらいかけてたから、同じ家康三大危機なわけだし、同じぐらいの尺を使ってるんだと思ってたから、ちょっと驚いてしまった。面白いし、良くまとまってはいたんだけどね。

このバランスのいびつさに、前述の回想挿入がやけに多くないか? と思えてしまったところが大河ドラマとしてはどうなんだろうって思えるんだけど、大河じゃないんだよって思い込むことで、俄然「大河じゃないのにこのクオリティですか!」になるんで、ぜひみなさんもやってみてほしい。

ところで夏目広次である。先週放送回で家康の身代わりとして影武者として戦い、散った武将だ。今作では甲本雅裕が演じている。

古くからの歴史ファンにしてみると「広次? 吉信じゃなかったっけ」と混乱するところだが、どうも現在の最新の研究によると、夏目広次という名前が史料に確認できる実名であるそうだ。本作では何度も何度も家康が広次の名前を覚えられないシーンがあった。もうくどいほどに。

実はこれも、昔は夏目吉信という名前で知られていたこの武将が、最近では広次という名前だったということについて混乱する歴史ファンの代弁をしていたことが元ネタだったわけだ。で、何故家康は広次を吉信と呼ぶのか、ということについても例によって丁寧に回想シーンが挿入され、感動の事実が発覚した。史実にはない話だけど、収まりは良い。

実際にはあんなに時間を掛けてお別れしたわけではなく、突撃しようとした家康を、留守居だった広次が三方ヶ原まで出向き、兜を奪った後に馬を逆に走らせ、自分が家康の兜を被って影武者になったという感じだったんだよね、史料によると。

ただ、それをそのまま映像化しても忙しないから、今回はああいう演出にしたんだろう。史実にない話がやけに多いのも『どうする家康』の特徴ではあるので、僕はこのぐらいの改変は別に気にならなかった。

なにせこのドラマ、大河に似てて大河と同じ時間帯に放映されてるだけで、実際はちょっとだけ大河とは気風が異なる歴史ドラマなのだから(悪口ではありません)。