Text by 岩見旦
Text by 稲垣貴俊
近年ハリウッドでさまざまな作品・シリーズに導入され、存在感を高めている「マルチバース」。この概念は、パラレルワールドのように複数の宇宙が同時に存在しているという考え方を示す用語で、日本語では「多元宇宙」と訳される。このマルチバースが、フィクションのストーリーテリングにおいてどんな可能性を秘めているかは未知数だ。
マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)映画『アントマン&ワスプ:クアントマニア』(2023年)は『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019年)を経た新章の立ち上げに苦慮しているようだし、DC映画の来たる最新作『ザ・フラッシュ』もユニバースの転換期ゆえ先が読めない。
そんななかで『スパイダーマン』シリーズは、このコンセプトにいち早く挑戦し、鮮やかな成功を続けている。『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』(2021年)は驚くべき構成と演出をもって、『スパイダーマン:スパイダーバース』(2018年)は先鋭的なビジュアル表現とシンプルなストーリーによって、マルチバースを導入する必然性を獲得したのだ。
『スパイダーマン』シリーズとしては約1年半ぶりの最新作『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』は、その先でどんな風景を見せてくれるのか? 本稿では『スパイダーマン』シリーズを振り返るとともに、マルチバースが切り拓く物語の可能性を想像してみたい。
映画『スパイダーマン』シリーズには、ピーター・パーカーとマイルス・モラレスという2人の主人公がいる。2002年~2007年の初代シリーズ3部作、2012年~2014年の『アメイジング』シリーズ2部作、2017年~2021年のMCUシリーズ3部作に登場したのがピーター・パーカー。かたや、アニメ映画である『スパイダーマン:スパイダーバース』『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』の主人公がマイルス・モラレスである。
ピーター・パーカーという主人公は、これまでに3人の俳優が演じ、3人の監督によって演出されてきた。皮切りとなった初代シリーズ3部作を手がけたのは、『死霊のはらわた』シリーズで知られるホラー映画の巨匠サム・ライミ。主演にトビー・マグワイアを迎え、スリリングなアクションとユーモアに満ちた青春ドラマを描きつつ、時にはちょっぴり怖いという、のちのシリーズの礎とも言える作風を確立した。
続く『アメイジング』シリーズ2部作を監督したのは、恋愛映画『(500)日のサマー』(2009年)のマーク・ウェブ。『ソーシャル・ネットワーク』(2010年)で注目されたアンドリュー・ガーフィールドがピーターを演じ、ライミ版よりもリアルなトーンの、しかし最新のCG技術も投入した、みずみずしく切ない青春アクション映画となった。
そしてMCUシリーズでは、弱冠19歳(初登場時)のトム・ホランドが快活で軽やかなピーター像を体現。ライミと同じくホラー/スリラー出身のジョン・ワッツ監督は、ピーターの高校生活に焦点を絞ることでコミカルな作風を際立たせつつ、時折身も凍るような恐怖を描き出した。アイアンマン/トニー・スタークとの師弟関係と自立、最新のテクノロジーを使いこなすスパイダーマンなど、それまでの作品にはあまり見られなかった一面もポイントだ。
もっとも、これら3つのシリーズはそれぞれに独立しており、物語はつながっていない――そう思われていた。MCUシリーズの第3作『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』が公開されるまでは。
MCU映画『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019年)を経て、マルチバースをストーリーの核心に導入した『ノー・ウェイ・ホーム』は、トビー版、アンドリュー版に登場した悪役たちをトム演じるピーターと対決させるばかりか、過去2人のスパイダーマンを別の世界線から招き入れ、ファンが夢見てきたスパイダーマン同士の共演を実現。しかもそれは単なるファンサービスではなく2人のスパイダーマンの「その後」をひとつの物語に織り合わせることで、過去の映画すべてを『スパイダーマン』シリーズという大きな枠組みにまとめ直す試みだった。
もっとも、『スパイダーマン』シリーズがマルチバースのコンセプトを取り入れたのは『ノー・ウェイ・ホーム』が初めてではない。マイルス・モラレスが主人公の『スパイダーマン:スパイダーバース』こそが、マーベル史上はじめて、マルチバースを物語の根幹に据えた作品。悪役のキングピンによってマルチバースの扉が開かれ、さまざまな宇宙に存在する複数のスパイダーマンたちが出会うという筋立てだ。
過去の『スパイダーマン』シリーズとは異なる世界線で展開する『スパイダーバース』では、ブルックリンに住む高校生マイルス・モラレスが、別次元のスパイダーマンと共闘しながら、亡きピーター・パーカー(過去の映画に登場したピーターとは別人だ)の遺志を継ぎ、新たなスパイダーマンとして目覚めた。彼はトビー、アンドリュー、トムが演じたスパイダーマンの誰とも異なる、シリーズ4人目の「主人公」スパイダーマンなのである。
わざわざ「主人公」という言葉にこだわるのは、いまや『スパイダーマン』映画には複数のスパイダーマンが登場することが不思議ではないからだ。たとえば『スパイダーバース』の場合、スパイダーマン/ピーター・B・パーカー、スパイダーグウェン/グウェン・ステイシー、スパイダーマン・ノワール、スパイダー・ハム、ペニー・パーカーがマイルスの前に現れた。
『アクロス・ザ・スパイダーバース』では、さらに多くのスパイダーマンが登場することがわかっている。予告編に登場したスパイダーマン2099/ミゲル・オハラをはじめ、スパイダーウーマンやスパイダーパンク、スパイダーマン・インディア、スカーレット・スパイダーといった顔ぶれが参戦。さらに個性たっぷりのメンバーとともに、マイルスはマルチバースを横断(アクロス)するのだ。
この予告編には気になる情報がいくつも埋め込まれている。これまでの『スパイダーマン』シリーズにおいて、トビー&アンドリュー&トムの演じたピーター・パーカーは、それぞれ悲しい別れを経験してきた。『スパイダーバース』ではマイルスも叔父を失ったが、どうやら『アクロス・ザ・スパイダーバース』のスパイダーマンたちも例外ではないらしい。
ところが今回、マイルスは「愛する人を救うか、世界を救うか」という二者択一からの解放を目指す。ミゲルは「スパイダーマンの存在は、愛する人々の犠牲によって成り立っている」と主張するが、マイルスは「ぼくなら全員救える」と豪語し、スパイダーマンの運命に確固たる意志をもって抗おうとするのだ。そんな彼の前に、マルチバースのスパイダーマンたちが立ちはだかる――。
『ノー・ウェイ・ホーム』が『スパイダーマン』シリーズの歴史をまるごと扱い直したのと同じく、この『アクロス・ザ・スパイダーバース』も、マルチバースを活かしてスパイダーマンの歴史を見つめ、その常識を問い直す。もし本当にマイルスがスパイダーマンの運命を覆すとしたら、これはシリーズにとって革命的な事件となるはずだ。
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さらに気になるのは、本作に過去のスパイダーマンたちがどう関わるかということ。予告編はトビー&アンドリュー&トムの声から始まるが、本編に彼ら3人が登場するかはまだわからない。しかし、マルチバースによってシリーズがひとつに統合されたいま、『スパイダーマン』に実写/アニメーションという区別はもはや存在しないだろう。
たとえばミゲルは、予告編で「アース199999」の「ドクター・ストレンジとあいつ(little nerd)」とも発言しているが、この「アース199999」とはマーベル・スタジオがMCUの正史を指す際に一時期使用していた数字。したがって、ミゲルは『ノー・ウェイ・ホーム』のピーターとストレンジを知っているのかもしれない。
ただしMCUにおいては、『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』(2022年)で正史は「アース616」だとも語られており、現時点での正しいナンバリングは不明。巨大なマルチバースのどこかに、トム・ホランド演じるピーター・パーカーが存在することは確かなはずだが……?
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『アクロス・ザ・スパイダーバース』の脚本・製作総指揮を務めるのは、『スパイダーバース』に続いてフィル・ロード&クリス・ミラー。『21ジャンプストリート』『くもりときどきミートボール』『レゴ(R)ムービー』シリーズなどを手がけ、実写・アニメーションを問わず独創的な映画づくりを続けてきた2人が、ふたたびマルチバースの世界に挑む。
そもそも『スパイダーバース』は、コミックがそのまま動き出したかのような革新的アニメーション、さらにはユニバースごとにキャラクターのスタイルを変えるというビジュアル的アプローチでも観る者を驚愕させた。今回は劇中に登場する5つのユニバースそれぞれでアニメーションのスタイルを変化させるというから、さらに洗練されたマルチバースのありようを見せてくれるはずだ。
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ところでマルチバース映画といえば、A24製作『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(2022年)がアカデミー賞7部門に輝いたことが記憶に新しい。同作は「いまよりも良い人生がありえたのではないか、もっと違う自分があったのではないか」という、おそらく誰もが思い描いたことのある問いに、豊かな想像力をもって応答した映画だった。今後のマルチバース映画は、多かれ少なかれ、この作品を意識せずにはいられないだろう。
では、『アクロス・ザ・スパイダーバース』はどうか。現時点で予測できるのは、この映画が『エブリシング~』に近いテーマを擁している可能性だ。「自分に課せられた運命は変えられるはずだ=より良い人生はある」と信じるマイルスと、「不可能だったことがじつは可能だったことを認めたくない=より良い人生などなかった」と考えるスパイダーマンたちの対立として本作の物語をとらえるなら、本作もきっと多元宇宙に存在する「複数の生」を視野に収めているだろう。だとすれば本作は、その問いをいかに更新し、新たな回答を提示することができるのか?
ヒントとなりうるのは、すでに発表されている2024年公開の『スパイダーマン:ビヨンド・ザ・スパイダーバース(原題)』だ。マルチバースを横断(アクロス)する本作を経て、マイルスはマルチバースを超えていく(ビヨンド)。フィル&クリスの2人が、すでにマルチバースの向こう側を見ていることは明らかなのだ。