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「自分の世界が『絶対』じゃない」。大前粟生が『ぬいしゃべ』に込めた「本当のやさしさ」

2023年05月02日 12:00  CINRA.NET

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Text by 生駒奨
Text by 白鳥菜都

「やさしい人」ってどんな人だろう。他人に配慮できて、共感できて、行動できて……。でも、甘さや馴れ合いとは違って。「やさしさ」について考えれば考えるほど、自分自身が「大丈夫」じゃなくなっていく。

「わたしたちは全然大丈夫じゃない」。そんなコピーとともに4月に公開され、注目を集めている映画『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』(監督・金子由里奈)。この作品は、まさに「やさしさ」を問いなおす物語だ。

京都のとある大学で、「ぬいぐるみサークル」(以下、ぬいサー)に集うメンバーたちの様子を描く。ぬいサーのメンバーたちは、それぞれにつらさや悩みを抱えている。「誰かに話したいけれど、それによって聞いてくれた相手を傷つけるのも怖い」。そんな思いを抱え、ぬいぐるみに向かって喋りかける。

繊細でやさしいが故に、傷ついてしまう登場人物たちの姿に、どうしようもない苦しさを覚える。原作を書いたのは、小説家・大前粟生。『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい(以下、ぬいしゃべ)』(河出書房新社)のほかにも、『おもろい以外いらんねん』(河出書房新社)『きみだからさびしい』(文藝春秋)などの話題作を次々に発表してきた気鋭の作家だ。

『ぬいしゃべ』の主要登場人物である七森や麦戸は、映画でも原作でも「やさしすぎるんだよ」と評される。では、大前自身は「やさしさ」をどう定義し、「やさしすぎる」登場人物たちを描いたのか?

本稿では大前にインタビューを敢行。あらためて『ぬいしゃべ』執筆時を振り返り、同作で描こうとしていた「やさしさ」の正体や、作家としての歩みについて語ってもらった。

─映画の公開、おめでとうございます。ご自身の作品が映像化されるのは初めてかと思いますが、でき上がった作品を見てみて、素直にどう感じましたか?

大前:1番最初の試写会で見させてもらったのですが、シンプルに「良い映画だった、面白かった」と感じました。『ぬいしゃべ』は何かが解決して終わる物語ではないけれど、そういう展開の映画もあっていいなと。

大前粟生(おおまえ あお)

小説家。1992年、兵庫県生まれ。2016年に『彼女をバスタブに入れて燃やす』が「GRANTA JAPAN with 早稲田文学」の公募プロジェクトで最優秀作品として選出され、デビュー。著書に『回転草』『私と鰐と妹の部屋』『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』『おもろい以外いらんねん』『きみだからさびしい』『死んでいる私と、私みたいな人たちの声』などがある

大前:ぬいぐるみが持っているふわふわとした暖かい雰囲気と、登場人物それぞれが抱える傷や緊張感の両方があって、その対比にもどきどきしながら見ていました。

─金子監督とは、以前からお知り合いだったんですよね。

大前:そうです。金子さんが『眠る虫』(2020年)という監督作品を公開されたときに初めてお会いしました。共通の知り合いがいて、その方が金子さんにぼくの本を「たぶん、金子さん好きだと思うよ」と勧めてくださったようで。

ぼくも金子さんの作品に関心があったので、京都で開催された『眠る虫』の上映会に行って出会いました。

─脚本の段階でも、何かやりとりをされましたか?

大前:初稿の段階で一度見させてもらいました。でも、でき上がった作品は、初稿より原作に近いものになっていた印象で、紆余曲折あったのかなと思います。

この辺りの感覚はちょっと不思議な感じなんです。原作はぼくがつくったけれど、映画の制作自体にはほとんど関わっていないので、監督やスタッフさん、キャストさんが生み出したものだという意識があって。だから、原作者として何か口を出そうとかとはあまり思っていなくて、親戚の活躍を陰ながら応援しているような気分です(笑)。

─あらためて、『ぬいしゃべ』原作制作時のお話をうかがえればと思います。そもそも『ぬいしゃべ』はどんなところから着想を得て執筆した作品ですか?

大前:編集者さんから「女性差別に傷つく男の子の話を書いてほしい」という具体的な依頼があったんです。現代的なテーマなので、まだ正解がなくて、わかりやすすぎる世界をつくってしまうと多くのものを取りこぼしてしまうのではと感じました。

取材はオンラインで実施。大前は『ぬいしゃべ』が生み出された書斎から参加した

大前:だからこそ、正解がないということを踏まえて対話しようとするところを描こうと思ったんですよね。でも、そんななかで、人には話せないことも誰にでもあるなと思って。そういったパーソナルな部分の受け皿として「ぬいぐるみ」という存在を思いつきました。

─主人公の七森は、ホモソーシャルのなかで男友達の言葉に共感できなかったり、自身が男性であることによる加害性を自覚していたりと、まさに「女性差別に傷つく男の子」だと思います。このキャラクターの人物像はどのようにつくっていきましたか?

大前:『ぬいしゃべ』を執筆していたのは、ちょうど世の中でジェンダーの不均衡に由来する差別のニュースがすごく多かった時期なんですよね。東京医科大学が女子受験生の点数を一律減点し男子受験生を優遇していたことが発覚するなど、差別がどんどん明るみになってきていました。それに伴って、そんなニュースがあるっていうこと自体に当てられてしまう人、傷ついてしまう人も増えていくだろうなと思いました。

そういう人を代弁する登場人物を小説のなかに存在させておくことが、そのとき必要なことなのかなと思いながら、七森というキャラクターをつくっていきました。

小説『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』書影

─七森は繊細な部分を持つ一方で、作中初めての恋人としてつきあう白城という人物に対して雑に接してしまう部分もあり、少し自分勝手な部分も持ち合わせていますよね。

大前:七森は傷つきやすさや自責の念を抱えているけれど、決して「正しい人間」というわけではないんですよね。現代人が持つ「弱さ」だけを表現するような人物になってしまうとちょっと危ういなと思っていて。

人はいろいろな面を持っているし、やさしくあろうとすることで、人を傷つけてしまうこともある。そういったことを描きたくて、ちょっと「ダメ」な部分もあるキャラクターにしました。

─主人公の七森が、繊細な思いやりと大雑把な無神経さをあわせ持つ。その複雑さがリアルに感じました。複雑な人物というと、白城の人間性も印象的でした。ぬいサーに所属しながらもぬいぐるみとは喋らないし、ほかのメンバーと違って傷つきやすさはあまり見せないですよね。

大前:自分としては、「白城が主人公かも」くらいの気持ちで書いていました。七森や麦戸ちゃん、ぬいさーのメンバーだけでは、かなり閉鎖的な空間になってしまう。やさしくあろうとすることで、どんどん打たれ弱くなって、ゆくゆくは自分たちの身を滅ぼしてしまうことにもなりかねないと思うんですよね。

白城は、そんな七森や麦戸ちゃんたちを見て、なんとかしたいと思っているんじゃないかなと。だから、本当は1番やさしいのは白城なんだと思います。

─七森と白城の「落ち着くところばっかりにいたら打たれ弱くなるから」「……打たれ弱くて、いいじゃん。打たれ弱いの、悪いことじゃないのに。打たれ弱い人を打つ方が悪いんじゃん」というやりとりはとくに、2人の持つやさしさの違いが現れているなと感じました。

大前:七森が「正しい」ようなことを言ってるセリフなんですけど、フィクションのなかだとこういった直接的な異議申し立てって意外とされていないことが多いなと思って書いたシーンです。

もちろん、そういった直接的なセリフを書かないことで面白くなっている作品もたくさんあります。けれど『ぬいしゃべ』は面白さというよりは、いろんな角度からの意見のぶつかり合いを見せることを目指しました。だから、七森のようなセリフを言う人がいても全然いいんじゃないかなと。

─なるほど。白城も含めて、この作品にはさまざまな種類の「やさしさ」が出てくると感じました。あらためて、大前さんが思う「やさしさ」ってどんなものでしょうか。

大前:他人のために何かを引き受けることが、1つのやさしさなのかなと思います。でも、人のために何かをするということは、どんどんと自己犠牲にも近づいていってしまいかねない。やさしくすることはいいことだと思うけれど、誰か1人がしんどくなる前に、みんなでちょっとずつ負担し合うことができたら、それが1番やさしい世界かなと思います。

─作中でも「大丈夫?」という言葉がよく出てきていましたが、そんなふうに尋ねたり、「大丈夫じゃない」と打ち明けられるような環境があればやさしくいられる人が増えそうですね。

大前:そうですね。言葉を発しやすいような空気感や、人の話を聞きやすいような環境が一番大事なのかなと思います。

あと、七森のように1人で反省するのって、良いことでもある反面、自己満足的でもあると思います。悩むことっていくらでもできるじゃないですか。そこから一歩踏み出して、ちょっとでも誰かに話したり相談したりすることで変わっていくことってあると思います。

話しやすくするためには、まずは自分の世界が「絶対」ではないということを、みんなが自覚できるといいですよね。自分も他人も、いま置かれている環境だけがすべてではないし、今後変わる可能性も当然ある。自分に対しても他人に対しても、一貫性を求めすぎないほうがいいのかなと思います。

─原作版『ぬいしゃべ』の発表からは3年が経ち、今年で作家デビューから7年を迎えられました。さまざまな作品を書かれてきましたが、作品づくりにおいて変化を感じるところはありますか?

大前:デビューしたてのころは、思いついたアイディアを書き起こしまくるぞと思って、小説を書いていました。だから、どれだけ紙のうえで実験できるかがメインだったんです。

でも、ちょうど『ぬいしゃべ』くらいから、もっと社会の眼差しを意識した小説を書くようになりました。もちろん、そういった現代的なテーマでの依頼をいただくことが増えたのも大きく影響しているとは思います。

─現代社会と紐づいた作品を書くようになって感じる難しさや面白さはありますか。

大前:初期のころのようなイマジネーションを重視した作品は、割と自分1人でも書けちゃうんですよね。編集者さんもフィードバックしにくいだろうなとも思います(笑)。その一方で、最近増えてきた社会と強く関係する作品のほうが人と一緒につくっている感覚が強いですね。編集者さんや出版社の方の意見はもちろん、作中で題材にする人など、いろんな人の当事者性や立ち位置を探りながら書いているので。

あと、現代社会のことを書こうとすると、どうしてもSNSを気にしてしまうのは難しいところですね。SNSのなかでの価値観やネットスラングのような言葉を使いすぎると、小説としての賞味期限が短くなってしまう感覚があります。

自分の本が古本屋に並んだとして、10年後にたまたま手に取った人でも、面白く読めるように仕上げておきたいなという気持ちはあります。

─性差別や個人のアイデンティティーなど、少し重いテーマも多いかと思いますが、それらのテーマを扱うにあたって意識されていることはありますか。

大前:ある程度、幅広い層が読めるような作品づくりは意識しています。『ぬいしゃべ』なんて、結構しんどい話だと思うんですけど、そのぶん、読み心地くらいは軽くしようと思って、ひらがなを多めにしたりしています。

自分もそうなのですが、生きているなかですごく疲れてしまうような世界で、本を読むのって体力を使うと思います。それでも本を読んでくれるのだから、読んだ人がちょっとでも楽になれるようなものを書きたいなという気持ちがあります。

─これからの作品も楽しみです。最後に、次に取り上げてみたいテーマなどがあれば教えてください。

大前:これからも変わらず、いろいろな人にとって読みやすく、解釈に広がりを持たせられるような作品を書いていきたいなと思っています。その意味で、ミステリーテイストのものを書いてみたいなと思っていますね。

現実社会は目まぐるしく変化して、どんどんときな臭い、理解できない方向に進んでいる気がします。そうした世の中の変化に対応し、その謎を解くような作品を書いてみたいなと。ミステリーはいままで書いたことがないジャンルですが、「多くの人に届く作品」という軸のなかで挑戦してみたいです。