Text by 山元翔一
Text by 村尾泰郎
坂本龍一が発表した数々の音楽作品を紐解く連載「追悼・坂本龍一:わたしたちが聴いた音楽とその時代」(記事一覧はこちら)。第3回の書き手は、音楽と映画を中心に執筆を行なうライター、村尾泰郎。坂本龍一の音楽家人生を変えたであろう『戦場のメリークリスマス』をとりあげて、不思議な音の響きの奥にあるものに耳を澄ました。
坂本龍一が亡くなったとき、その知らせを伝えるテレビのニュース番組やワイドショーがYMO(Yellow Magic Orchestra)の“RYDEEN”を流したことが物議を醸し出した。ファンにとっては「高橋幸宏が書いた曲なのに」という怒り。そして、いまだにYMOの曲が紹介されることの歯がゆさもあったのだろう。
坂本の訃報を告げる番組は見ていないが、そういうときには『戦場のメリークリスマス』のメインテーマ“Merry Christmas, Mr. Lawrence”が流れるのだろうと思っていた。坂本龍一が作曲家として幅広く認知され、映画音楽の世界に入るきっかけになった運命の曲なのだから。
坂本龍一(さかもと りゅういち) / Photo by zakkubalan ©2022 Kab Inc.
1952年東京生まれ。1978年に『千のナイフ』でソロデビュー。同年、Yellow Magic Orchestra(YMO)を結成。散開後も多方面で活躍。2014年7月、中咽頭がんの罹患を発表したが、2015年、山田洋次監督作品『母と暮せば』とアレハンドロ・G・イニャリトゥ監督作品『レヴェナント:蘇えりし者』の音楽制作で復帰を果した。2017年春には8年ぶりとなるソロアルバム『async』を発表。2023年3月28日、逝去。同年1月17日、71歳の誕生日にリリースされたアルバム『12』が遺作となった。
『戦場のメリークリスマス』が公開されたのは1983年5月。映画の撮影に入った1982年ごろといえば、YMOとしての活動はほぼなく、高橋幸宏は『WHAT, ME WORRY? ボク、大丈夫!!』、細野晴臣は『フィルハーモニー』を発表。それぞれがソロワークに集中していた。そういう時期だからこそ、坂本は『戦場のメリークリスマス』に集中できたのだろう。なにしろ、坂本は作曲だけではなく、役者として映画に出演しなければならなかった。
監督の大島渚から出演依頼を受けた際に、坂本が「映画音楽もやらせてもらえるのなら」と条件を出したのはよく知られた話(※)。10代のころから大島の映画を観て刺激を受けていた坂本にとって、本職の音楽で大島作品に関わりたかったのだろう。
当時、中学生だった私は映画館に『戦場のメリークリスマス』を観に行った。YMOは友達にカセットテープに録音してもらったアルバムで聴いていたが、坂本のソロアルバムは聴いたことがなかった。ただ、『B-2 UNIT』(1980年)には大好きなXTCのアンディ・パートリッジが参加しているということを知っていて、「YMOでもっとも尖った人」という印象を抱いていた。
映画がはじまり、南の島の密林がスクリーンいっぱいに映し出されるなかで“Merry Christmas, Mr. Lawrence”が流れたときの印象は鮮烈だった。ジャングルにシンセの人工的な音が流れる違和感に戸惑いながら、「これは普通の戦争映画じゃない」ということが音楽から伝わってきた。そして、坂本龍一というのはこんな美しいメロディーを書く人なのか、と驚きつつ、その不思議な音の響きにも惹きつけられた。
最近、本作を観直す機会があったが、冒頭のシーンを観て思い浮かんだのがヴェルナー・ヘルツォーク監督の『アギーレ/神の怒り』(1972年)だった。映画の冒頭でアマゾンの険しい山を甲冑を着たスペインの兵士が下山してくる。そこで流れるのがドイツのプログレバンド、Popol Vuhが手がけたサントラのシンセサウンドだ。
このシーンでクラシックをベースにした西洋風の映画音楽を使うのか南米の民族音楽を使うのかで映画の印象は大きく変わる。しかし、文化的なルーツを感じさせないシンセサイザーの不思議な音色はどちらの側にも寄らない。西洋と東洋の価値観の衝突を描いた『戦場のメリークリスマス』でも、どちらの側でもない音色が必要だった。
坂本は『戦場のメリークリスマス』の曲想を練っているとき、頭のなかに弦の音色が浮かんできたという(※)。映画好きだった坂本にとって、映画音楽とオーケストラは切り離せないものだったのだ。
しかし、ストリングスを使うとサントラは古典的になってしまい、映画に西洋のニュアンスが強くなる。そこで坂本はシンセを使うことにした。
当時、映画音楽の世界でもシンセが活用されるようになっていて、1979年にジョルジオ・モロダーが『ミッドナイトエクスプレス』で、1982年にヴァンゲリスが『炎のランナー』で『アカデミー賞』作曲賞を受賞している。しかし、彼らのシンセサウンドと『戦場のメリークリスマス』を比べたとき、音色の豊かさに大きな違いがある。
“Merry Christmas, Mr. Lawrence”では、ワイングラスのサンプリング音を用いたピアノとガムランを融合したような音で主旋律を奏で、シンセを加工してストリングスのような音色をつくった。ストリングスの響きを再現するために、シンセでつくった音をスピーカーから出し、それをマイクで拾うなどさまざまな工夫を凝らしたという。坂本は作曲する際に同時に音もつくっていて、曲づくりと音づくりは切り離せない関係にあった(※)。
また、独学で音楽を身につけたモロダーやヴァンゲリスに対して、坂本は藝大で音楽理論を学び、オーケストラの作曲や弦のアレンジができた。アカデミックなバックグラウンドを映画音楽で活用することで、シンセサイザーにシンフォニックで豊かな響きをもたらしたのだ。
坂本はロケ地でも曲想を練ったそうだが、『戦場のメリークリスマス』の複雑な響きはさまざまな生命が息づくジャングルの濃密さを感じさせる(※)。そして、シンプルで覚えやすいメロディーには童謡のような懐かしさがある。坂本は西洋でも東洋でもない「どこでもないどこか」をコンセプトにサントラをつくったそうだが、その複雑でありながら澄んだサウンドから感じるのは、まるで聖域のような厳かさだ。そして、メロディーが繰り返されるごとに、気持ちが解放されていくような穏やかな高揚感がある。
映画のエンドロールで流れる“Merry Christmas, Mr. Lawrence”を聴いたとき、登場人物それぞれが抱えた悲しみやわだかまりを音楽が浄化してくれるように感じた。そして、戦場という極限状態のなかで不幸なかたちで終わってしまったヨノイとセリアズ、そして、ハラとロレンスの友情が音楽のなかでは成就されているようにも思えた。ハラ軍曹が英語でロレンスに向けて語りかける最後のセリフが、曲名になっているのも頷ける。
『戦場のメリークリスマス』で坂本は『英国アカデミー賞』作曲賞を受賞。映画音楽作曲家という、思ってもみなかった道を歩みはじめる(※)。その後、坂本の作曲家としてのアプローチは次第に変化して、メロディーを控えめにした音楽が流れていることを意識させない音響的な音楽、映画のなかの音と共存する音楽を目指すようになっていく。
2020年に坂本に取材した際、80年代のころはまだ映画音楽のことをわかっていなかった、と振り返っていた。たしかに『戦場のメリークリスマス』は、晩年の坂本の映画音楽と比べると作家性が、メロディーが強すぎるかもしれない。しかし、坂本の音楽に対する情熱と野心。そして、なにより映画への愛情が詰まっていて、まるで1stアルバムのようなみずみずしさを感じさせる。それがたまらなく魅力的なのだ。