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坂本龍一 追悼連載vol.2:『out of noise』は、「ノイズ」の外側に何を見出したのか

2023年04月27日 19:00  CINRA.NET

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Text by 山元翔一
Text by 宮谷行美

坂本龍一が発表した数々の音楽作品を紐解く連載「追悼・坂本龍一:わたしたちが聴いた音楽とその時代」(記事一覧はこちら)。第2回の書き手は、坂本龍一のコンプリートアートボックス『2020S』の制作過程を追った連載のオフィシャルライター、宮谷行美。『out of noise』をとりあげ、本作を「自由のためのバイブル」と語る筆者の視点から紐解く。

まず、坂本龍一の作品を愛するひとりとして、ここではリスペクトを込めて「教授」と呼ばせていただきたい。「永遠の一枚」をテーマに執筆するにあたって数多くある教授の作品を振り返ったところ、真っ先に思い浮かんだのが『out of noise』だった。

私がこの作品に出会ったときにはすでにリリースから10年が経過していた。音楽に詳しい友人の紹介で知り、タイトルに惹かれてすぐにCDを購入したことを覚えている。YMO散開後に生まれ、クラシックもテクノも通らず偏食に生きてきた私は当時、坂本龍一という音楽家への見識が浅く、このめぐりあいによって初めて教授の音楽と真正面から向き合うこととなった。

『out of noise』には起承転結のようなしきたりはなく、楽音と自然音の両方から自身が「美しい」ととらえたものたちが自由にコラージュされていく。規則正しいフォーマットではなく、生命が生み出す不規則なリズムと即興性に基準が置かれた脱構築的音楽を試みた作品だ。そしてこの試みは、非同期をテーマとした次作『async』をはじめ、その後の教授の音楽人生へとつながっていく。ゆえに『out of noise』は、教授が生涯かけて追い求めた「自然と共生する音楽」(※)の原点的作品といえるだろう。

坂本龍一(さかもと りゅういち) / Photo by zakkubalan ©2022 Kab Inc.

1952年東京生まれ。1978年に『千のナイフ』でソロデビュー。同年、Yellow Magic Orchestra(YMO)を結成。散開後も多方面で活躍。2014年7月、中咽頭がんの罹患を発表したが、2015年、山田洋次監督作品『母と暮せば』とアレハンドロ・G・イニャリトゥ監督作品『レヴェナント:蘇えりし者』の音楽制作で復帰を果した。2017年春には8年ぶりとなるソロアルバム『async』を発表。2023年3月28日、逝去。同年1月17日、71歳の誕生日にリリースされたアルバム『12』が遺作となった。

よく「ゼロからイチを生み出す」といわれるが、多くのものはすでにこの世に存在していて、あらかたフォーマット化されている。ならば何をもって「ゼロ」といえるのか。その問いに対するひとつのアンサーが『out of noise』にあるような気がした。

“disko”“ice”“glacier”からなる北極圏三部作では、島に住む犬の鳴き声や何千年も前から存在する氷と水の音が用いられている。人の手が加えられていない自然の産物と人の手が介在できない生命の証をそのまま切り取り、それらに寄り添うかたちでギターという人工音を共存させたのが前者2作だ(※)。

そして“glacier”では、氷の洞窟のなかでベルを鳴らすという自然音と人工音のコラボレーションを収録。氷の下に脈々と流れるピュアな水の音を基盤として、冷たい空気を含む澄んだベルの反響音や機械的な発振、多彩なストリングスの音色、女性の語りとさまざまな音を重ね、自然ありきの音楽を生みだしてみせた。

変化する自然のなかで、二度と同じ環境を手に入れることはできない。そこに「ゼロ」があるのだと、そう教授が提示しているようだった。

「out of noise」という言葉を「ノイズの外側へ」と解釈すると、ここでのノイズとは、音の乱れを指すのではなく、論理的思考によってつくられた枠組みや規則正しさのようなものを指すのではないか。かつてサティがクラシック音楽の伝統を覆して「無調」を試みたように、ジョン・ケージが“4分33秒”でコントロールできないあらゆる音こそ音楽の一部になると提示したように。

坂本龍一は「自然と共生する音楽」で、ノイズの外側にある自由を見出した。そしてその原点となる『out of noise』は後世に残り、数多の可能性とともに、多くの人々の心をくすぐり続けるのだと思う。

こうした教授の思考や挑戦は、幼少期からピアノに触れ、さまざまな音や音楽の歴史を分析、熟考し尽くしたからこそたどり着いた境地だろう。しかしその境地とは、深淵を進むようでいて、その実、自分の内側に秘められたものへ目を向けるということなのかもしれない。

私たちが無意識に点と点を結ぶことで形づけてきたものたち、その一つひとつの線を解いてみれば、さまざまな「原点」が見えてくるはずだ。そこで体感的にとらえた美しさや好奇心、高揚感に従い、己のフィルターを通して研ぎ澄ませていくことが、未知なる発想やオリジナリティーの確立へとつながるのだと。『out of noise』を聴くたび、そんな教授からのメッセージを受け取って奮い立たされる。

私がアートボックスプロジェクト『2020S』の制作を通して知ったことなど、教授のほんの一部に過ぎない。それでも、常日頃からアンテナを張ってディグし、自らが携わるものには、素材ひとつ、文章ひとつまできちんと見定めるというこだわりの強さを目の当たりにすることができ、ものづくりへの真摯な姿勢に感嘆した。

そして教授はピュアでみずみずしい人なのだとも思った。己の感性に従っていいものをいいと言い、悪いものを悪いと言う。それらが上手くいくのは、長年のキャリアと数多の経験から培ったセンスと判断力があってこそなのは言うまでもない。しかし、陶器と陶器が触れる音を「澄んでいてきれいな音がするんですよね」と嬉しそうな表情で言う教授は、どこまでもまっすぐで、まるで少年のように輝いて見えた。そんな教授が何より素敵だった。

きっと北極圏で出会った自然の音たちにも、鍵盤には並ばない未知の音色と50音では言い表せない感情が詰まっていたのだろう。

理論的な思考や様式美を超えたところに、すべてを凌駕する美がある。それを教えてくれた『out of noise』は、私にとってかけがえのない作品であり、自由のためのバイブルでもある。この魅力を後世に伝えるため、自分にできることを考えていきたいと思う。

この作品と邂逅してすぐに手にしたフルアートワーク盤には、作品解説や制作風景とともに教授が12のキーワードに応えるテキストが掲載されている。そこで「peaceful of mind(安らぎ)」について、「いろいろあるけど、やはり真のやすらぎとは死なんだろうね」と教授は答えていた。その真理にたどり着くことはできたのだろうか。ぜひいつか、その答えを聞かせてください。

May the silence be with you──教授よ、永遠に。