トップへ

劇場と日常の交差点はどこにある? 梅田哲也『入船23』、イ・ランともコラボしたナイトクルージング

2023年04月24日 18:00  CINRA.NET

CINRA.NET

写真
Text by 後藤美波
Text by 中島良平

日常と非日常が交差するナイトクルージング『入船』が4年ぶり、6度目の開催を迎えた。

アーティストの梅田哲也が大阪の川や海を舞台に開催してきた『入船』。参加者は船に乗って夜のクルーズを楽しみ、効果音、ナレーション・民話・インタビューなどの音声ガイドを手がかりに、さまざまな出来事の断片を追いながら、都市の「裏側」を体験する。今回は、楽曲・音声のゲストとして韓国のアーティスト、イ・ランが参加。ツアーと音響の構成を梅田が手がけた。

場所に介入しながら、日常と非日常を交差させ、見る者を能動的に巻き込む作品を発表してきた梅田が、コロナ禍を経て開催した『入船』は、どんな体験を観客にもたらしたのか? 3月16日~20日の5日間限定で行なわれた『入船23』の模様を、梅田へのインタビューとともにレポートする。

梅田哲也(うめだ てつや)

建物の構造や周囲の環境から着想を得たインスタレーションを制作し、美術館や博物館、オルタナティブな空間や屋外において、その場でしか成立し得ない現象としての時間を演出する。パフォーマンスでは、普段行き慣れない場所へ観客を招待するツアー作品や、劇場の機能にフォーカスした舞台作品、中心点を持たない合唱のプロジェクトなどを国内外で発表。近年の個展・公演には『梅田哲也 イン 別府「O滞」』(別府、2020-2021年)、『うたの起源』(福岡市美術館、2019-2020年)、『リバーウォーク』(京都中央信用金庫 旧厚生センター、2022年)、『9月0才』(高槻現代劇場、2022年)などがある。

出航時間は18時半。場所は、大阪・中之島のローズポート船着場。アートや音楽、舞台などのジャンルの枠組みにとらわれることなく、自在に表現を続けるアーティストの梅田哲也の企画で、船に乗り夜の大阪の水路を巡るツアーパフォーマンス『入船(ニューふね)23』が開催された。中之島の北を流れる堂島川から東横堀川を南下し、市内の水路をぐるりと巡り、中之島へと戻ってくる90分間のクルージングだ。

「……さらにしばらく進みますと、西向きに曲がります。そこから先は、道頓堀川。大阪ミナミの道頓堀の繁華街を抜けて、さらに西へと進み……」

いざ出航となり、スピーカーから流れてくるのは、レトロなトーンで録音された女性ツアーガイドの声。効果音、ナレーション、民話、インタビューなどの音声を聴きながら大阪の暗い水路を巡る90分、どのような体験へと誘ってくれるのか、出航前から気分は高まる。

2023年3月16日~20日に行なわれた『入船23』の様子。5日間のあいだに1日2回、計10回出航し、各回25名(船員と梅田を含めて28名)が乗船した

今回が4年ぶり6回目の開催だという『入船」の企画は、どのように生まれたのだろうか。そのきっかけは2014年に遡る。当時、船で行なわれたイベントに参加した梅田はクルーズ船の船長と仲良くなり、話を聞いているうちに、水上を行き来する船の自由度に魅せられた。翌年、大阪市内で作品を発表する機会があり、公演として船のツアーパフォーマンスを考案する。

2016年に開催した『7つの船』では、航路の途中で数々のパフォーマンスや展示に遭遇していくようなクルージングを行ない、雨宮庸介やさわひらきなどが公演に参加。

船に揺られ、水の音を聞き、水路を巡りながらパフォーマンスのなかに入り込んだような感覚を観客に抱かせる。

梅田は手応えを感じながらも、回を重ねるうちに「船上では視覚に訴えるパフォーマンスを実施する必然性がないのではないか」と考えるようになった。

梅田哲也:「これまでの公演では、淀川のデルタから出航したり、工業地帯を抜けて領海域へと向かうような、景色がダイナミックに変化していく展開が多かった。ですが今回は、航路をできるだけシンプルにすることを念頭に置いて企画しました。

狙いとしては、ひとりも登場しない群像劇を演じるようなイメージです。観客の一人ひとりがもともともっている感覚や記憶が、目の前の風景とダイレクトにつながってしまうようなチャンネルを掘り当てるようなことで、自分はその開閉スイッチを押す役割です。当たり前に知っている知識を、体験を通じて実感することの積み重ねで、普段から見えている景色や、なんでもない出来事が、特別に感じ取れるようになる」

『入船』は、パフォーマンスよりもロケーションそのものを楽しめるような、「場ありき」のプランへとシフトしていった。その考えを聞くと、別の機会に体験した梅田作品とスルスルと結びついていくのを感じた。

梅田哲也『O階』

コロナ禍で開催された『さいたま国際芸術祭2020』に梅田が出品した作品、『O階』。建て替えのために役目を終えた旧大宮区役所の地下1階を全面的に使った、回遊型のインスタレーションだ。

地下にあった食堂や書庫、印刷室、ロッカー室などの用途が意図的に読み替えられ、区役所として使用されていた頃の気配を残しながらも、明らかな異世界を現出していた。

建物内を歩くにつれて違和感とワクワクの結びついたような感覚が鑑賞者のなかに生まれ、それはじわじわと強まっていく。旧区役所の「当たり前」があっさり塗り替えられ、ここでどういう人が働き、建物がどう使われ、どんな役割を果たしていたか、という固定観念が軽く振り払われる。旧区役所で起きる場所性の転回と、鑑賞者の心理的な展開がシンクロして静かな興奮が生まれるのではないだろうか。

それは2021年に梅田が別府で滞在制作し、現在も再び作品の一部が公開されている『O滞(ぜろたい)』も同様だ。

梅田哲也『O滞』

梅田は本作の制作にあたり、別府各所の歴史や地形などをリサーチし、選んだいくつかの場所に関係づく音声を作成。それは効果音かもしれないし、誰かがテキストを読んだものかもしれないし、さまざまだ。鑑賞者は受付で地図とラジオを受け取り、地図にマーキングされた場所へ向かうと音が流れてくる。その場所のことを考え、景色を見ながら音声を聞いていると、悲現実的で不思議な感覚が湧き上がってくる。

特定の場所や状況から着想し、その場所でしか成り立たない、その場所固有の「当たり前」に絶妙なズレを加え、さりげなく固定観念をつついてくる。それが見る人を引き込む梅田の表現だといえよう。

梅田哲也:「今回の『入船23』は、できるだけ何もつくらないで作品ができないかと考えました。

クルージングが静かに始まって、景色を見ながら90分間回って帰ってきたら、同じ場所が別の景色に見えた、みたいな。何もつくらずにその感覚を与えられれば、それが理想的なんですけど、手数を減らしながら空気感を持続させるのは簡単ではないですね」

東横堀川から右折し、道頓堀川に入る。少し進み日本橋をくぐると、両岸に並ぶ飲食店や橋の上から大勢の人が船に手を振ってくる。乗船客もみんな手を振るように、知らない人同士が手を振り合うというコミュニケーションが生まれるのも、市街地の船旅ならではの体験だといえるだろう。

ドンキホーテの看板や観覧車、グリコのサインなどを水面から見上げる光景も興味深いものがあるが、そこから照明が落ち、これといったものが何もないような暗闇に包まれた川の景色を進んでいくと、どのような人たちがこのあたりに暮らし、昼にどのような光景が展開しているのか想像が広がってくる。

そして、梅田が今回の『入船23』のためにコラボレーションを依頼した韓国のシンガーソングライターで文筆家、映像やコミックを手がけるアーティストでもあるイ・ランの楽曲や、「たくさんの人と一緒に音を出すと、すごく気分がよくなります」「いま私はひとりでいるけど、寂しくないです…どこかにいる人を想像しながら、寂しくはないです」と、乗船客と接続するようなモノローグが流れてくるのも後半だ。イ・ランとのコミュニケーションを通して、今回のようなスケールで都市を巡る順路に行き着いたのだという。コラボレーションの背景を梅田は次のように話す。

梅田哲也:「もともと今回は、海外のゲストと制作したい構想がありました。『海を隔てて一緒にいる』ということをやりたかった。イ・ランさんが語った言葉にならうと『私はあなたが見ている景色を想像するしかないけれど、水はつねにお互いと一緒にある』ようなことです。

派手な見せ場はなく、夜で景色もあまり見えないけど、周囲の地形や構造物が人の営みを想像させるような場所を自分は面白いと思っています。そういう景色が広がる後半部分で、イ・ランさんの世界観に近づいていきたいと考えました。それを彼女に説明したら、すぐに曲を送ってきてくれて。その日にあった出来事を淡々と語るモノローグで構成しようと、やりとりはスムーズに進みました」

『入船23』2日目の午前中にインタビュー場所として指定されたのは、自身が手がけた照明やテーブルなどが置かれた知人の事務所。梅田の自宅からもほど近いこの場所から、お気に入りの風景へと案内してくれた。そこは、なんてことのない川の景色だ。

梅田哲也:「街の裏側の川というか、水路として機能しているわけでも生活排水が流れているわけでもなくて、どんどん埋め立てられている川なんですけど、昔、こういう川を人間が手で掘ってつくったと考えるとすごいことですよね。これだけの水量が海から街へと流れてきたわけですから。それが役割を失ってなお存在しているということに愛おしさを感じます。

よくある町の川の景色かもしれないけど、その背景には人の手がたくさん関わってつくられた過去があったり、役割を失くして船が通らなくなったら今度は渡り鳥が来るようになって、目を凝らすと大きな魚が寝ているのが見えてきたり。ぼくはそういうことに興奮するんです。『入船』のような作品は、体験した人にそういうことを肌で感じ取ってもらうきっかけになればという思いはあります」

なんてことのない景色だが、目の焦点の合わせ方によってその場面の解像度が変わってくる。飛び立つ水鳥に照明を当てると、そこに大人数の目線が集まり、モノローグで話されるなんてことのない話も、繰り返しスピーカーから流れてくるとみんなが集中して耳を傾ける特別な話になってくる。『入船23』では、スピーカーから流れる音声のほか、hyslomの加藤至と、元維新派の坂井遥香がアルミボートで登場する場面はあるが、ことさらパフォーマンスを強調した演出になっているわけではない。

梅田哲也:「なんでもないことを舞台の上でするのと、なんでもない場所でパフォーマンスをするのでは、どういう差があるんだろう、みたいなところ。劇場と日常の交差点はどこにあるのだろう、と。

たとえば劇場だと、僕は入場した瞬間にスイッチが入ります。客が着席してざわざわしている感じとか、芝居が始まる前の開演のアナウンスとか、そういうところでチューニングされわけです。経験からそうなるかというと、それだけでもなくて、劇場に初めて来た人でもスイッチが入る場所の力があると思うんです。なんでもないと思われてしまうような空間に、スイッチが入るような場の力を生み出せないか? という思いが、自分が表現する動機なのかもしれません」

演出されたパフォーマンスらしいパフォーマンスを行なうわけでもなく、空間と時間を提供して、そこに参加した人の内側に何が生まれるかによって成立する作品。それが『入船』であり、梅田哲也の表現のひとつのかたちだと言えるだろう。そのアウトプットのあり方は多様であり、発表される場も限定されることがない。作家自身が場所のなかに身を置くことでその場から何かを受け取り、筋書きを思い描き、作品にする。その感知力こそが、梅田哲也を表現に導いているに違いない。淡々と話す梅田の姿から、そんなことが伝わってきた。