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又吉直樹がじっくりと語る、「書く」「読む」「お笑い」の原体験。新著『月と散文』から紐解く

2023年04月21日 17:00  CINRA.NET

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Text by 島貫泰介
Text by 玉村敬太
Text by 栄藤徹平

数年にわたり続いたパンデミック時代のなか、又吉直樹の新しい試みとして始まった「月と散文」は、オンラインコミュニティの形式で毎週文章を発表する場だ。そこで書かれたテキストをまとめ、加筆修正を加えた一冊『月と散文』が先日刊行された。

大きく2部で構成された同書には、又吉直樹という人物がどのように形成され、お笑いや文筆、そしてその先にある世界や生き方にどう向き合ってきたかが、さまざまなスタイルの文章で結晶化されているようだ。

しばしば又吉の活動は「お笑い」と「文筆」を区別して理解されるが、この本を読めばその2つの距離の近さと、相補的な関係がわかるだろう。そこには、言葉によって、笑いによって、あるいはサッカーによって救われたひとりの人間がいる。

刊行に前後して、本人にインタビューする機会を得た。本の内容をなぞるように、又吉直樹の発する言葉に耳を傾けた。

─オフィシャルコミュニティ「月と散文」を立ち上げようと思ったきっかけはなんでしょうか?

又吉:ぼくが芸人になったのは19歳ですけど、文章を初めて雑誌みたいなところで書き始めたのが20歳で、芸歴と文筆歴がだいたい一緒なんです。だからというわけじゃないですけど、2つはぼくのなかではよく似ている。人からはお笑いと文筆は別物って分けて語られることが多いんですけど、トークで喋ったことがどこかのタイミングでエッセイになったり、エッセイで書いたことがどこかでトークになったりコントになったり、漫才になったりするのが自然なこととしてあったんです。

それで、「月と散文」を始めたきっかけですが、この数年間のコロナ禍で毎月自分でやっていた「実験の夜」というライブができなくなったんですよ。無観客の状態ですし、相方以外の芸人とコントをやる場合はマスク着用か3メートル距離をあけなあかんっていう……そういう条件下でコントは難しい。試しに舞台の上下に座って読むっていうスタイルで無理矢理やったりもしたんですけど、「はたしてこれは意味があるのか」となり……。

であるならば、ぼくの場合はもっと効果的な伝え方に文章があると思ったんですね。それでライブをちょうど100回目で締めて、その代わりに「月と散文」を始めた。だからこれは、文章で表現する自分のライブみたいな感覚もあるんです。

又吉 直樹(またよし なおき)

1980年大阪府寝屋川市生まれ。芸人。99年に上京し吉本興業の養成所に入り、2000年デビュー。03年に綾部祐二と「ピース」を結成。現在、執筆活動に加え、テレビやラジオ出演、YouTubeチャンネル『渦』での動画配信など多岐にわたって活躍中。またオフィシャルコミュニティ「月と散文」では書き下ろしの作品を週3回配信している。著書に、小説作品として『火花』『劇場』『人間』が、エッセイ集として『第2図書係補佐』『東京百景』がある。

─タイトルが印象的ですが、出版された本に収録されている文章にも月をテーマにしたものや、月が印象深く登場するエピソードが多数ありますよね。それを読むと、又吉さんの郷愁のようなものを感じます。

又吉:子どもの頃からずっと見てたからでしょうね。夜、ひとりでサッカーの練習を公園でしていて、休憩するときはずっと星を眺めていましたから。ぼく、わりと星座に詳しいんですよ。

月は日によってかたちも色も大きさも違うし、季節によっても変わる。雨が降って見えなかったりするのも、毎日変化するものという印象を強くさせます。「月」って名前でみんなが知っているっていう存在の在り方も好きで。月は、世界中のどこでも、万人が平等に眺めることができるじゃないですか。自分もコロナ禍で人と会えず、仕事も制限されるなかで、ベランダでひとりビールを飲んだりしていて月が見えると嬉しかったりもして。

そういうふうに相変わらずずっとあるものとしての月、そして書いてばっかりいた文章=散文を2つ並べてみたんです。

─読み応えがありました。ライブの代替でもあったとおっしゃっていたように、又吉さんの笑いにも通じる構造的な実験が際立つ作品もあって、特に第2部にあたる「二日月」を楽しく読みました。通読して感じるのですが、「恥ずかしさ」みたいなものが又吉さんのなかにテーマとしてある気がしました。

又吉:恥ずかしさは……ずっと感じているものですね。たまに、人見知りの人間がモデルをできるわけがないとか、恥ずかしがり屋がタレントになれるわけがないとか、そういうことをおっしゃる方がいるじゃないですか。タレントの側も、「タレントになるようなやつはみんな自己主張が強い」と少し自嘲的に言ったりもしますが、ぼくはちょっと違う考え方で。恥ずかしいから出てる人もいるんじゃないかと思うんです。

─それ、なんとなくわかります。

又吉:だから、世間での恥ずかしさについて語るポイントがぼくには浅く感じるんですよ。例えば何かの大会の開会式があったとして、「恥ずかしがり屋が選手宣誓できるわけない」って誰かが言うとするじゃないですか。でも、選手宣誓してる人の恥ずかしさとは別に、その大会の試合に出られなかった人の恥ずかしさってものがあって、その2つを同じ「恥ずかしさ」で比べるのは難しいじゃないですか。

人間としての行為の何が恥ずかしくて何が恥ずかしくないかって、誰も決められない。だから浅い恥ずかしさの理解は暴論やなって思うんです。ぼくの場合は、わりと何しても恥ずかしい人間ですし。

─その感じが文章にも溢れてました(笑)。

又吉:ただ、恥ずかしいから何もしないってなっちゃうのはなかなか生きづらいので、「恥ずかしいな」と思いながらも「いろんなことはとりあえずやってみよう」っていう。だからぼくは恥ずかしさについて書くこともあるし、語りたいことを語るうえで邪魔になるから恥ずかしさをいったん忘れてみたりもします。

─お笑いに文章にサッカーと、又吉さんには多才な印象を持っていましたが、『月と散文』を読むと、さまざまな偶然に導かれるようにそれらと出会ったのだなと感じます。

又吉:「たまたま」は多いですね。もともと小学校1年生のときは野球を習いたかったんですよ。友だちがやり始めて、じゃあ自分もと。でも野球の道具が高かったり、両親共働きだったので、日曜に試合のために車を出したりするのができなくて諦めたんです。その後、3年生になってからサッカーを始めたんですけど、それは小学校の先生がコーチをしていて、月謝が安かったからなんです。だから自分の思いより、経済的な理由によるものが大きいですね。

─文章やお笑いはどうでしょう?

又吉:時系列がちょっとバラバラですけど、小学校2年生くらいのとき、通っていた学童保育で「赤ずきんちゃん」の劇をやるってなって。演劇って、みんな標準語で喋るじゃないですか。でもそこは大阪で、そのことにすごい違和感があったんです。それで、先生にも誰にも頼まれてないのに、全部関西弁に書き換えたんです。

その台本で上演することになったら、見に来た大人たちがすっごい笑ってくれて。ウケを狙ってたはずじゃないのに、それはすごく気持ちよかったんですね。「自分が書いたものに反応してくれてる!」って。

─子ども時代の嬉しい経験は鮮烈に残りますよね。

又吉:自分で何かを書いて人が笑う、とくに大人が笑うって気持ちいい。それでまったく同じ構造のものを今度はもうちょっと大きい舞台として、文化祭でも自分のクラスでやったんです。今度は「さるかに合戦」を関西弁に書き直して。それもうまくいって、こういうことやっていきたいなと思ったときに、自分のいちばん近くにあったのが吉本新喜劇でした。

子どもの頃のぼくのスターが間寛平師匠で。めちゃくちゃ面白くて、子どものぼくがいちばん近くで触れ合うことのできる狂気、みたいな。狂気的な笑いの方なんです、寛平師匠は。そういうので、お笑いに興味を持ち始めたんです。

─台本として文章を書くことと、お笑いがほぼ同じ場所からスタートしたってことなんですね。

又吉:「お笑いのネタ」ってことでいえば、さらに遡って、父親の誕生日に2人の姉が披露した漫才かな。6歳で字が書けなかったので、ぼくが口頭で言ったネタをねえちゃんが書き起こして、ビールを飲んでる父の前で発表してました。父はぜんぜん笑ってくれませんでしたけど(笑)。

─だいぶ個性の強いお父さんなんですよね。そのあたりは本でもたっぷり書かれていて面白かったです。

又吉:ありがとうございます。

─コロナ禍の巣篭もり期間から生まれたのが「月と散文」で、週に3本更新していくというスピードはライブ感がありますよね。ご自身が書いたものを単行本として読み返してみて、どんな印象を持ちますか?

又吉:2000文字くらいのもあれば4000文字以上になっちゃうときもあったんですけど、毎週の日課として書き続けることの「取り返しのつかなさ」みたいなライブ感はそのとおりですね。

わりと感情的なものをそのまま出してもいるし、逆に取り繕いすぎて出ちゃった場合もあって。バランス悪いかなって思うときもあるんですけど、そういう文章のなかで書かれた一文に自分の本音が出ちゃっていたりするのは、けっこうポジティブな意味があると思うんです。上手に書こうとしたり、逆にちゃんとやろうとしすぎて失敗したりしたけれど、それがなければこの言葉は生まれてこなかったんや、みたいな。

─エッセイ集では『東京百景』がありますし、小説だと『火花』『劇場』『人間』があります。これまでの本と『月と散文』の違いはなんでしょうか? 又吉さん自身は「エッセイと小説のあいだ」と考えてらっしゃるとか。

又吉:エッセイを書く気持ちがあんまりなかったんですよね。自分のなかでのエッセイのイメージに、90年代とか2000年代の、例えばいろんなお店が発行してるフリーペーパーに載っていたような「ボケすぎ文体」があるんです。「この間○○しちゃって、○○でした」みたいな感じで、冒頭から2行に1個ボケが入ってくるみたいなの。読みづらいし、何を面白いと思って書いてるのかまったくわからんようなものが多かった。1つの文章で、ボケは1個でいいんちゃうか、っていうのが20歳のときのぼくの考えで。

一方エッセイといっても、さくらももこさんとか向田邦子さんは大好きで。お2人の書いたものの影響ではないにせよ、ボケを多投するんじゃなくて、一撃で仕留めるのが文章の醍醐味だと思っています。一撃で仕留めるための、そのリスクを背負うという本気度が違うというか。そして、太宰治とか志賀直哉のいわゆる私小説といわれるもののほうが、お笑いの、人を笑わすための文章としては適してる文体だなとは思ってますね。

─又吉さん、太宰お好きですよね。やっぱり「恥ずかしさ」で共感があるのかも。

又吉:たしかに。ともあれ『月と散文』では、今までやってきたことを全部出し切りたいみたいな気持ちがあったかもしれないです。

エッセイとはこういうものだっていう意識がないのは、もっと自由なものだと思ってるからなんですよね。タイトルに入れた「散文」には小説も含まれるわけで、そのあいだを行ったり来たりして書いていると、いろんなやり方が発見できる。それはコントを作るときも同じで、「これ、こないだと同じフォーマットやな」と感じたら、ちょっと崩したり全然違う方法でつくっていって。その集積が『月と散文』なんです。

─この本には又吉さんの人生の時間が積み重なっているように感じます。読んでいると「ああ、又吉さんは文章を書くことで自分を救ってきたんだ。生きることを補ってきたんだ」という印象を持ちました。

又吉:文章は、1回立ち止まれるんですよね。

3つ上と4つ上の姉が、とてもお喋りなんですよ。そのくらい年齢が離れていると、だいぶ力の差があるじゃないですか。姉2人が親に一生懸命今日あったことを話していて、ぼくだって話したいんですけど、負けてしまって話せない。ぼく、最初の一言目が出てきにくい子どもだったんです。

自分も何か喋りたいけど喋れないままで、ねえちゃんたちは喋り続けてもう先に行ってしまっている。でも、喋れなかった「とき」に自分は囚われたままで、言おうと思って言えなかったことに悶々として……。

─自分だけ取り残されているみたいな。

又吉:そうですね。下手をしたら、寝るときまで喋れなかった時間に取り残されて、ずっとそのことを考えて、次の日にようやく完成したりしてました。

会話のために、表層的なバランスにうまく乗る能力がぼくにはなかったけれど、そのぶん同じことをずっと考え続ける力は身についたと思っています。

それが報われた瞬間があって。ねえちゃんたちにはずっと口喧嘩で負けてたんですよ。だからひとりでいる時間に、頭のなかでずっと口げんかをシミュレーションしてたんです。「ここでこう言ったらこう。こう言ってきたらこう返せればいいんじゃないか」と。それで2年生くらいのときにいよいよ姉との実戦がやってきたときには、もう何が来ても全部返せるようになってました。

─強い!

又吉:その習慣はさらに中学まで続いてですね。夜、いつも7キロ走ってたんですけど、走ってるときにその日学校であったことを頭から全部振り返りながら「あのときこうやってたら、自分はこう言って、こうなるだろう」って……要はその夜にもう一度、別の1日を頭のなかでつくってたんですよ。

学校生活って、登場人物も一緒やしだいたい同じシチュエーションが起こるから、自分が考えた通りの状況がいつか来るんです。そのタイミングで自分がシミュレーションしたことを言うと、クラスメイトから「即興でそんなこと言えるのスゴイ」みたいな賞賛を受ける(笑)。そういう自主練をずっとしてたから、頭のなかで書くことは常にある状態なんですよね。

─文章って、ひとりの時間を豊かにしてくれますよね。「立ち止まれる」ってことも含めて。それは実空間にもいつかポジティブなものとして表れてきますから。

又吉:書いてるうちに段々と自分が何考えてたかが本当にわかったりして。それを繰り返していると、なんとなく楽になれるところもあるかもしれない。

─「書く」に対して「読む」経験の場合はどうでしょう?

又吉:小説とかを読んでいて救われるのは、自分以外にもこんな細かいこと、人からしたらどうでもいいようなことを延々と考えている人がいて、それが書かれているからですね。それによって「自分みたいな人間がいてもいいんだ」って思えます。

しかも、それがある程度名の知れた作家とか何十年も読まれてきた作家だったりすると、一定数の集団として、こういう人間がいたんだなとわかって、それが救いになる。面映ゆいですけど、そういう気づきを与えてくれた小説のように、自分の書くものが誰かにとってそうであってほしいと思ったりもします。

─読書離れといわれて久しいですが、又吉さんが若い人に伝えられる、文章との出会い方、楽しみ方があれば聞いてみたいです。

又吉:うーん、なんだろうな。でも書店に行って……住んでる場所にもよるから近くに書店がなかったらしょうがないんですけど、図書館でも学校の本棚でもいいので、タイトルでも装丁の雰囲気でも、何か気になった本の1ページ目をまず読んでみて、「この文章ならいけるか」と自分で決めた1冊を読んでほしいです。

そのときに「この本を誰よりもいちばん楽しんでやるぞ!」って思ってみるといいですよ。批評みたいに「どんなもんやろ?」って本を品定めする視点じゃなくて、この作品の潜在能力を全部引き出してやろう、自分がいちばん楽しんでやろう、という気持ちで接すると、やっぱり面白くなるものなんですよ。それはドラマでも映画でも同じですね。

ぼくがすごい好きな作品を「あれ面白くなかったよ」って言う人と喋ったとするじゃないですか。ぼくは「ほんまに見てたのかなこの人」とか思うんですよ。「なんでそんな意地悪な見方するんやろう?」とか思ってしまう。これは読書や作品に接するときに限らずで、例えば、「あの子とこないだデート行ったけど、全然おもろなかったわ」って言ってる男がいたら最低やと思いますよね。「お前が面白くしろ!」と思うじゃないですか。

─コミュニケーションの心地よさは相互性ですからね。あと、もてなすってことは楽しいことだと思います。

又吉:人間に対してはそうなのに、本とか創作物に関してはあんまりそういうふうにならないのが悲しい。芸人のなかでよく語られる話で、芸人はみんななんでも笑っちゃう「ゲラ」だといわれますけど、芸人って想像力を持って面白いことを考える人間だから、人が何かやってるの見ても笑っちゃうんですよね。それは同業者だから笑うとか、仲間意識で笑ってるというよりは、知らない芸人がやっててもなんか面白く感じやすいところがあると思うんです。

文学には批評があって然るべきでしょうけど、その面白く感じる心に蓋をしないほうが楽しめる。まずは楽しむ、共に楽しむのが大事だと思います。