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綾野剛×柄本佑×さとうほなみが共演。松浦寿輝『花腐し』を荒井晴彦監督が映画化

2023年04月17日 13:00  CINRA.NET

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Text by CINRA編集部

映画『花腐し』が今年初冬に公開される。

同作は、松浦寿輝の『芥川龍之介賞』受賞作『花腐し』を、『火口のふたり』などの荒井晴彦監督が映画化するもの。廃れていくピンク映画業界で生きる映画監督・栩谷と脚本家志望だった伊関、2人が愛した祥子がしがみついてきた映画への夢が崩れ始めるなか、それぞれの人生が交錯していくというあらすじだ。

栩谷役に綾野剛、伊関役に柄本佑、祥子役にさとうほなみがキャスティング。今回の発表とあわせてティザービジュアル、場面写真3点、コメントが到着した。

『花腐し』 ©2023「花腐し」製作委員会

『花腐し』 ©2023「花腐し」製作委員会

【綾野剛のコメント】
初めて映画を観た時の事を思い出した。なんだか銀幕の中はひどく残酷で、こちらがそれを安全圏から覗いているとわかりながらも淡々と物語は進んでいく。その当時は、感情を掴み取ることも、感情を移入することもなく、ただただ傍観していた。
しかし、観終わってみれば、独特な達成感というか、やり切った感が身体をほとばしり、それまで経験したことのない感情が湧き立ったものでした。
現在、世の中には沢山の作品が生まれ、沢山の感情をシェアする環境が備り、毎日が選択の連続を生きる中で、この映画は何者なのだろうと考える。
私にとって花腐しは"映画そのもの"でした。産まれる前から映像作品に携わってこられた映画人に魅せられ支えられ、ただただ映画の額面にようやく触れられた想いでした。
本作を皆様の映画鑑賞アルバムの1ページに添えて頂けたら幸いです。

【柄本佑のコメント】
去年の何月でしたか、荒井監督から電話があり「佑にホンを送ったんだけど読んだ?田辺が返事がないんだよなって言っててさぁ、、、」と連絡をいただきました。そんな前置きがありホンを読んだ僕は「おっほっほっ、おもしレェー。」と呟きました。「火口のふたり」に続き荒井監督に呼んでいただいた喜びに加えて、とにかくホンが滅法面白い!!
いち映画ファンとしてやらなくてはいけない仕事でした。

【さとうほなみのコメント】
脚本を頂いたとき、ピンク映画業界に纏わるお話であったりそこを取り巻く人々の関係性であったり、荒井監督が実際に見てきた景色がぎっしり詰まっているんだろうなと感じました。
ですが、映像化の想像があまり出来なかった中でもすでにこの作品に強く惹かれておりました。
祥子という人物の日常を生きているのは、とてもつらくとても幸せでした。
是非ご覧いただきたいと、心より思います。

【荒井晴彦監督のコメント】
廣木隆一と竹中直人が「花腐し」をやりたがっていると聞いていた。2004年の湯布院映画祭で『ラマン』で来ていた廣木に、『サヨナラCOLOR』で来ていた竹中が、『花腐し』撮りたいんですよ、でも廣木さんが撮るなら、役者で出してくださいよ、と言っていた。帰って読んでみた。難しいな、あの二人、どんな映画にするつもりだったんだろうと思った。「花腐し」は廣木でも竹中でも映画化されなかった。
昔の師匠足立正生にちゃんとした映画を撮らせたかった。足立さんなら「花腐し」をシュールな『雨月物語』にできるかもしれない。原作者の松浦寿輝さんは、映画大学の同僚土田環の東大大学院の指導教授だった。2013年5月、土田に頼んで松浦さんと足立さんの対面をセッティングしてもらう。しかし、足立さんの書いてきたプロットは原作の要約で、こりゃダメだと思った。余計なお世話だった。
やはり何年も撮れていない斎藤久志でいこうと思った。その年の10月、中野太が初稿を書いた。斎藤は、中野の『新宿乱れ街』だねと言った。しかし、金が集まらなかった。
『火口のふたり』の公開が終わって、体力があるうちにまた撮りたいなと思った。『この国の空』の時のようなストレスが無かったのだ。「花腐し」を撮ろうと思った。榎望プロデューサーから紹介されたばかりの佐藤現プロデューサーにホンを送った。2019年10月だ。佐藤さんはやりましょうと言ってくれた。『火口のふたり』はキネ旬ベストワンになったが、コロナでパーティもできなかった。濃厚接触シーンが多い『花腐し』がクランクインできたのは2022年の10月2日だった。『火口のふたり』は安藤尋に撮らせるつもりだった。『花腐し』も自分で撮るつもりで書いたホンじゃない。2匹目のドジョウがいてくれるといいけれど。

【松浦寿輝のコメント】
黒々としたトンネル

小説「花腐し」が、荒井晴彦の手と眼と感性によって、原作をはるかに越えた荒々しいリリシズムが漲る映画「花腐し」へと転生する。ただただ、唖然とするほかはない。降りしきる雨のなか、廃屋めいたアパートへ帰ってきた男二人が、玄関前の路上でへたりこむシーンのデスペレートな徒労感に、やるせない共感の吐息を洩らしつつ、時代も国も個人も、これから黒々とした終焉のトンネルへ入ってゆくのだと密かに思う。