Text by 羽佐田瑶子
Text by 後藤美波
Text by 鈴木渉
過去の自分を省みて、あのときは気づけなかった、誰かを傷つけてしまった記憶に胸を痛める経験が誰しもあるはず。大前粟生原作の映画『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』(以下、『ぬいしゃべ』)に出てくる、ぬいぐるみサークル(ぬいサー)のメンバーたちは「自分のつらさを人に話すことで、話を聞いてくれる人を傷つけてしまうかもしれない」という思いから、ぬいぐるみを話し相手にする。
自分の言葉で相手を傷つけてしまうのが怖い、だけど、話さないと相手のことも自分のこともわからない。七森(細田佳央太)や麦戸(駒井蓮)といった、どうしようもない自分の加害性に人一倍自覚的な登場人物たちが鏡となって、自分自身にも語りかけられるような作品だ。
あの言動は誰かを傷つけているのではないか? 人の痛みに敏感な人だけが苦しむ社会は理不尽ではないか? 今回は本作で商業映画デビューとなった金子由里奈監督と、自身の劇団・贅沢貧乏や、脚本を手がけたドラマ『作りたい女と食べたい女』『17.3 about a sex』などの作品で現代社会の様相を映し出してきた山田由梨が対談。『ぬいしゃべ』が扱う「やさしさ」や、互いが現場で心がけているコミュニケーション、「話すこと」の難しさや可能性について話をしてもらった。
左から:山田由梨、金子由里奈
山田由梨(やまだ ゆり)
作家・演出家・俳優。2012年に劇団「贅沢貧乏」を旗揚げ、以降全作品の劇作・演出を務める。『フィクション・シティー』(2017年)、『ミクスチュア』(2019年)で岸田國士戯曲賞最終候補にノミネート。2020・2021年度セゾン文化財団セゾンフェローI。近年はテレビドラマの脚本や小説の執筆なども手がけ、「日本版セックス・エデュケーション」と評されたAbemaTV オリジナルドラマ『17.3 about a sex』や現代の東京を生き抜く29歳独身女性たちを描いた『30までにとうるさくて』、NHK総合 夜ドラ『作りたい女と食べたい女』の脚本を担当。
金子由里奈(かねこ ゆりな)
1995年、東京生まれ。立命館大学映像学部卒。立命館大学映画部に所属し、これまで 多くのMVや映画を制作。チェンマイのヤンキーというユニットで音楽活動も行なっている。監督作『食べる虫』(2016)が『第40回ぴあフィルムフェスティバル』一次通過作品となる。山戸結希監督プロデュース『21世紀の女の子』(2018)公募枠に選出され、伊藤沙莉主演の短編作品『projection』を監督する。同年、自主映画『散歩する植物』(2019)が『第41回ぴあフィルムフェスティバル』のアワード作品に入選し、『香港フレッシュ・ウェーブ短編映画祭』でも上映される。長編最新作『眠る虫』は『MOOSIC LAB 2019』にて見事グランプリに輝いた。
─おふたりの出会いのきっかけは?
金子:まだ、2回目なんです。本作のプロデューサーの髭野(純)さんとのつながりで『ぬいしゃべ』の試写会に山田さんが来てくださって、そのあと一緒にごはんに行きました。
山田:素晴らしい映画だったので、伝えたいことがたくさんあって。一度じっくりお話してみたいと思って、ごはんに行きました。楽しかったですね。
─山田さんから、映画の感想を伺えますか?
山田:感想をまとめるのが難しいんですけど、とにかくやさしい映画だなと思いました。そのやさしさの種類がバラバラにたくさんあって、どれもどこまでも柔らかくて、寄り添ってくれるような……いままでにあまり感じたことのない種類のやさしさを受け取った映画でした。
─寄り添ってくれる、という感覚はよくわかります。まるでぬいぐるみのように、そこにいてくれる。ときに胸を刺すような厳しい一面もあるんだけれど、突き放される感じはありませんでした。
山田:社会のスピードだったりどうしようもなさだったり、疲弊している現代の私たちに、必要なやさしさなんじゃないかと思いました。こういう種類のやさしさを求めている人は、きっとたくさんいるだろうなって。映画でも描かれますけど、自分が話すことで誰かを傷つけてしまうのではないかという感覚って、いまだからこそ話したいテーマな気がします。
金子:ありがとうございます。
山田:あと、ぬいぐるみが題材なのも金子さんにすごくマッチしていたんじゃないかと思いました。『眠る虫』の幽霊もそうですが、金子さんの作品は人間以外のものにも目配せをしながら撮っている。人間至上主義じゃない感じがいいなあと思って。
金子:そうなんですよね、人間以外の存在に惹かれます。私にもパートナーのような、大事なぬいぐるみがいるんです。ずっと一緒にいて、私のことを見てくれているなって感じる絶対的な存在なんですよね。
─『ぬいしゃべ』が表現するやさしさの種類というのは、具体的にどういう場面を連想しますか?
山田:そうですね……「ハラスメントになってしまうから、なんにも言えなくなっちゃう」みたいなことって、よく言われるじゃないですか。
金子:私の周りにも言っている人がいます。
山田:それは、いままで気にせず発言していたことを、もう少し相手のことを慮って、考えてから言ってほしいという話だと思うんです。なので、「ハラスメントになってしまうから、なんにも言えなくなっちゃう」と無意識でも発言できてしまう、そのことに私は傷つくし暴力性がはらんでいると感じます。
ただ、それとは少し種類が違うけど、自分が何かを話すことで相手に負荷をかけ与えてしまうんじゃないかと考えて、何かを話せなくなってしまうということは、SNSなどによって個々人の「生」が昔よりもずっと見えやすくなっているいまだからこそ出てくるような、繊細さや悩みなんじゃないかって思うんです。
相手の状況やメンタルの状態によって、話を聞きたくないこともあるかもしれない。そうやって、人それぞれ違うこと、いろんな困難を抱えて生きていることが、より可視化されてきた。それを前提にしたうえで会話をするのはとても難しい、だけどやらなきゃいけない。この映画で扱っているのはそういう種類のやさしさについてですよね。
左から:『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』で駒井蓮が演じる麦戸、細⽥佳央太が演じる七森、新⾕ゆづみが演じる白城 ©映画「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」
金子:その話で思うのが、いまはこれまで当たり前とされてきた規範を、解体しているときなんだと思います。解体を進めなきゃいけないから、一回壊して、やり直している過渡期にある。
「何も言えなくなっちゃうよね」と踏みとどまること自体は、すごく大事な時間だと思っています。考えなしに発言できていたことを一度考えよう、というのは真っ当な問いだと思いますし、その繊細さをめんどくさがるんじゃなくて、「どういう言い方、行動ならいいのか」を今一度振り返ることは必要だと思うので。
山田:そうですね。急速にいろいろな変化が起こっていて、ハラスメントの問題や既存のジェンダーロールの捉え直しなど、多方面で価値観がものすごく揺らいでいる。だから、社会が戸惑っていますよね。その混乱のなかで、コミュニケーションにおいて相手がどういう考えを持っているのか計りかねることがあって、そういう揺らぎや混乱も扱っている映画だなと思いました。
山田:金子さんには試写のあとに伝えたんですけど、今回の映画は「強い状態の人間」がほぼ出てこなくて、全員が繊細だったり、触られたら痛い部分をむき出しにしたままだったりする。それは出演者もリラックスしていないと表現できないと思うので、みんなが余裕を持ってコミュニケーションをとれる現場だったんじゃないかなと思いました。
金子:私自身が、痛い部分をむき出しにしたままだったんですよね。自分の加害性を自覚して、いろんなことに怯えていました。ちょうど撮影していたのが映画業界のハラスメントの問題が話題になった時期で、監督として決定権を持って進めていくことが持ちうる加害性を突きつけられていました。過去の自分に立ち返って「どうしよう、めちゃくちゃ人を殺してきたな、今回も殺していくのか……」と、つらいけれど、そう思ってしまいました。
今回の撮影でもスタッフや俳優陣だけでなく、鑑賞者も含め誰かを傷つけるかもしれない。でも私が決定しないと撮影が進まない。『ぬいしゃべ』の七森や麦戸ちゃんのように葛藤していたんです。でも私がそんな状態だったからこそスタッフもキャストもぬいサーのようにコミュニケーションを慎重にとってくれて。全員やさしかったです。
『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』©映画「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」
山田:いい環境だったんだろうな、というのはスクリーンから伝わってきました。ちょっとでも緊張を走らせる要因があると、そんなことできないじゃないですか。
金子:そうですね。私自身、一方的なコミュニケーションというより、キャストやスタッフといろいろな意見を交わしながら、お互いが納得する着地点を見つけたいと思っていました。
なので「これにしようかな」「そうだね、やってみてまた考えよう」と、そっとキャッチボールがずっと続いている感じでした。テキパキと決定が下されていく場面がほとんどなくて、ゆるやかにボールを置いていくような。それはスタッフさんやキャストさんに救われた部分で、心根がやさしい人たちしかいなかったからできたことだな、と思います。
─山田さんが脚本で携わられていたNHK総合 夜ドラ『作りたい女と食べたい女』(以下、『つくたべ』)も素晴らしい作品で、いい現場だったのではないかと想像します。
山田:私は撮影現場に行けなかったので雰囲気はわからないのですが、原作の配慮に満ちた姿勢に賛同して、大切につくっていきたいという人たちが集まっていたと思います。相手を大事にすることが前提にある人たちでしたね。なので、コンセンサスを取りやすかったですし、ストレスなく参加させてもらいました。
─『つくたべ』は女性同士の恋愛を描いたドラマで、世の中が求める「女らしさ」に彼女たちがモヤモヤするなど、ジェンダー規範にもとづく偏見や差別についても描かれます。ドラマに関するインタビューで、事前にスタッフ・キャスト間でジェンダー講習会が行なわれたと拝見しました。
山田:私の知識不足で誤ったことを書いてはいけないと思い、ジェンダー・セクシュアリティーに関する考証者として合田文さんに入ってもらい、撮影前に勉強会を行なったりもしました。
─映画業界の労働問題のこともあり、最近では現場に入る前に「労働時間」「ハラスメントがあった際の相談窓口」など労働規定が知らされるケースもあると聞きます。ご自身の劇団でも、そうしたことはされていますか?
山田:稽古を始める前に「稽古場での過ごし方」という感染症対策や稽古施設の使い方のガイドラインのようなものを配布しているのですが、そのなかで一番最初にハラスメントについて触れ、なにかあった場合の相談窓口を共有するようにしています。ただ、ルールをつくったからといってすべて解決できるかと言われたら、そうではない。安全を保証している気になってはいけないな、というのはすごく思っています。
─ルールをつくっただけで、実現できるかどうかはまた別問題。
山田:そうですね。主宰する側はもちろんですが、参加する側の意識も大事で、「言うだけ、決めるだけではダメだ」というのは思います。
どれだけフラットな態度のつもりでいても、意見しづらい人はいるはず。ルールや規約をつくったらOKではないので、演出家という立場にいる自分自身の権力性を自覚しながら、キャストやスタッフと丁寧にコミュニケーションをとることをこれまで以上に意識しなければいけないなと思っています。
金子:私も『ぬいしゃべ』の撮影時、いざ撮影が始まるといろんな文脈を持った他者とのやりとりの連続なこともあり、ルールをつくるだけでは難しい部分もあるなと感じました。
もちろん、ルールづくりや姿勢を表明することはやったほうが安心に繋がるし、必要だと思います。ただ、それだけでは取りこぼしてしまうこともあるので、希望を言えば第三者機関に入ってもらうなどして、客観的かつ具体的な解決をしてもらいたい。でも、そうするには予算が必要になってくるんですよね。
山田:やっぱり、お金は大事ですよね。労働環境を改善するには必要なものだと思います。
─予算がないと、健全な現場がつくれないということでしょうか?
山田:撮影現場の場合は、なるべく人件費を抑えるために、短い期間しか契約できない。そうすると朝から晩まで撮影というカツカツのスケジュールになって、相手を気遣う余裕はなくなり、絶対にどこかで歪みが生まれてしまうと思うんです。
それをたとえば、3日で撮っていたものを1週間にできたら余裕が生まれて、精神的にも身体的にもヘルシーな現場になると思います。どこかで金銭的に無理をしているから起きてしまうことって結構多いので、すごく難しいけれど根本的にはそういう問題もあるんじゃないかって思うんですよね。
金子:主語が大きくなってしまうのですが、そのためには国がもっと文化の推進や保全に力を入れてくれたらいいのになと思います。根本の根本というか、大元の基盤が関わってくれないと一時的な改善のみで、抜本的な解決につながらない気がします。
─映画の現場の労働環境についてステートメントを出していた「action4cinema」など、日本映画の持続可能性のために働きかけている動きもあります。こうしたものが実現することを願うのと同時に、何かできることはないのか、一緒に考え続けたいです。
─「加害性」という話に戻ると、映画を見ながら自分の加害性に何度も気づかされました。一方で、暮らしのなかでは気づかず傷つけてしまっていることがいくらでもある。可能な範囲で、おふたりが自分自身の加害性に気づいたきっかけや、それを省みた経験などがあればお話しいただけますか?
金子:そうですね……たくさんあるので1つのエピソードだけ取り上げるのが難しいのですが、いま思い出したのは、対人間ではないんですけど『眠る虫』の公開記念に、映画部のみんなが大きな植物をくれたんですね。ひとり暮らしの6畳の部屋に置いたら、半分くらい埋まってしまうような大きなもので。
どうにか一緒に暮らそうと思ったんですけど、葉っぱが刺さったり、部屋が狭くなってストレスになったり、引っ越しのときに運搬費にけっこうな金額を請求されたりして。それで「もう……ヤダ!」となって、植物を捨ててしまったんです。それはよく思い出します。
山田:それは……しょうがなくない?(笑) 植物に悪いと思うんですか? それともくれた人たち?
金子:どちらかと言えば、植物に。もっと何かできたんじゃないかなと思います、公園に埋めるとか。
山田:それはダメだと思いますけど(笑)、もっとのびのびできる場所に置けたかもしれないですもんね。
プロデューサー髭野:余談なんですけど、劇中で麦戸ちゃんが「ひまわりの種を隣の家に植えたら生えてきた」というエピソードがあって、あれはじつは金子さんのお父さんが実際にされたことらしいですね。
金子:お父さんは変わった人で(笑)。歩道や人の家の庭にひまわりの種を投げて、それが支柱がつけられて育てられてたって嬉しそうに話してくるんですけど、人の家に何してんのっていう。でもやってあげたい気持ちと加害性って紙一重なのかなとも思います。
山田:その話は、この映画を表している気がします。相手にとって迷惑かもしれないけれど、もしかしたら嬉しい可能性もある。相手や自分が傷つくかもと怖がってしまうと、何も動けなくなってしまうところをぬいサーの人たちはぬいぐるみにしゃべることで、人は傷つけないようにする。
でも、この映画の伝えたいメッセージは、それでも人と話してみよう。人と関わるのは悪いことだけじゃないよっていうことですよね。
ひまわりの種を迷惑に思う人もいれば、咲いて喜びが生まれるかもしれない。そこに何かしらの関係が生まれている、っていうことが、映画の大事なテーマですよね。関わるのが怖いからやめるんじゃなくて、それでも会って話そうよっていうのが着地点なのが、『ぬいしゃべ』の素敵なところだなと思います。
─七森が家に引きこもってしまったとき、心配した麦戸ちゃんが家を訪れるシーンを思い出しました。「どうしたの?」という質問に「いろいろあったんだ」と会話を終わらせようとする七森に対して、麦戸ちゃんが「いろいろあった、その話を私は聞きたい」と関わろうとする、このシーンはとても印象的です。
金子:心のなかは言葉であふれているけれど、言わないというのも選択ですよね。白城(新谷ゆづみ演じるぬいサーのメンバー)がぬいサーに所属しながらぬいぐるみとしゃべらないのも、「引き受ける」というアクションだと思っているので、一つの行動としてあってもいいと思うんです。
でも、やっぱり話すことで生まれる気づきってあると思うんですよね。人を傷つける可能性もあるけど、それでもしゃべらないとなあって。私自身、出来上がった映画を見て、あらためて立ち返ったりもしました。
山田:あと、しゃべらないと自分のなかでなかったことにできちゃいますよね。
金子:それもたしかにそうですね。
─個人的な経験として、上司がワンマンな職場でどんな暴力的な発言も指示通りに動くことに慣れてしまって、ハラスメントが起きていることを自覚できていなかったとあとから気づいたことがあります。当時は気づいていなくて何も言えませんでした。
山田:わかります。私たちは年齢的にもジェンダー的にもハラスメントを受ける立場にもなりやすいと思うのですが、これだけ気をつけているのに、自分が被害側に立ったときに気づけなくて、時間が経ってから「あれは問題だったんだ」とふと思ったことはあります。
そういうときは、周りが疑問を投げかけられるといいですよね。周囲が「あなたはおかしいことをされているよ」とひと言言ってくれれば、すごく心強い。私も周りにとってそういう存在でありたいです。居合わせたときに見て見ぬ振りをしなかったり、違和感があるのに流したりしない。自分の立場でできることをしたいな、と思います。
金子:映画の現場ならルールを設定しつつ、思うことがあったらその時点で周りが声をかけられる環境づくりをしたいし、第三者の関わりはとても大事ですよね。
山田:加害被害だけじゃなくて、その横にいる人の存在や意識はすごく大事で、その意味で全員当事者だと思います。
金子:「声をあげる」っていうことが最近よく言われますけど、その空気の読めなさみたいなものはすごく大切だなと思います。もちろんそれをできる余裕があるときに限ってでよいと思うのですが、疑問に思うことがあれば横槍を入れたい。その言葉を飲み込まないことが抵抗だと思うので。
私もこのあいだ、深夜にタクシーに乗車したら、運転手さんがタメ語で「なんでこんな夜遅いの?」とかいろいろ高圧的に言ってきて、相当疲弊したんです。女性だとよくあることだと思うんですけど、すごく嫌だったので早めに降ろしてもらって、そのタクシー会社に電話して「こういうことがあった」って伝えました。
山田:えらい!
金子:小さなことですけど、そういう一つ一つを対応していかないと改善されないと思うんです。その日は元気があったからできたのですが。
山田:アクションできるときと、できないときがありますよね。自分の状態が最優先だから、気持ちの余裕があるときにやればいいなと思います。あまりに問題が多すぎて、いろんなことにコミットしようとすると疲れちゃうじゃないですか。アクションに参加できないことを引け目に感じるのではなくて、自分のいいときにやれることをやる。それがいいと思います。
─個人が声をあげることで社会が変わっていく。その個人の味方として、作品の力は大きいと思っています。おふたりが作品をつくるうえで、社会と作品の接点をどう考えていらっしゃいますか?
山田:私はずっと演劇をやってきましたが、ここ最近テレビドラマをやるようになり、その影響力の大きさを実感しています。例えば、ティーン向けの性教育をテーマにしたドラマをつくったとき、アセクシャルのキャラクターを描いたのですが、それを見た当事者の方が「初めて自分がドラマに出ていた」「自分だけじゃないんだ」とSNSなどに書き込んでくれていて。多様な生き方を作品のなかで描くことで、個人と作品のあいだで対話が生まれるんだなと実感しました。作品を見て「自分だけじゃないんだ」と孤独がやわらいだ経験は私にもありますし。
影響が大きいということには怖さもあり気を引き締めなきゃいけないとも思うんですけど、できる限り勉強をして、孤独な個人に寄り添える作品をつくっていきたいという思いはあります。
金子:私も今回の作品は、異性愛規範の作品があふれているなかで、「私はそこにいない」と思っている人に向けて撮りたいという想いが原点にありました。七森は周囲のように恋愛を楽しめないと感じている人物ですが、アロマンティック・アセクシャルという言葉は原作では出てこないんです。七森はまだその言葉と出会っていない。「恋愛がわからない」というモヤモヤの等身大を描くことで、恋愛がわからない人も全然いていいし、そこに乗れない人もいてよくない? ということを映画で提示したかった。
『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』©映画「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」
金子:私は人生をかけて「ゆっくり革命」をしていきたいんです。最近友達に子どもが生まれたんですが、その子が大人になったときにまだ夜道に怯えている世界って嫌だし、ちょっとはマシになっていてほしいじゃないですか。時間はかかると思いますが、加害性を持っている自分自身のこともそうだし、世の中も「ゆっくり革命」していきたいという思いで映画をつくっています。
だからこの映画を観て「じゃあ、この言葉は誰かを傷つけるのかな……?」「自分の弱さってなんだろう」とか、作品と対話をしながら、映画の呼びかけに応答してもらえたら嬉しいです。そうして、ちょっとずつでもいい方向に向くように、ゆっくり時間をかけて社会が変わっていったらいいなと思います。