Text by 麦倉正樹
Text by 服部桃子
Text by 北原千恵美
誰かにとって「不快」なものは、すべて「排除」すべきである――多様性やコンプライアンスの課題が露呈し、さまざまな議論が巻き起こっている現在において、あらためて「不快」の内実が問われている。それははたして、「正しくない」だけのものなのだろうか。そもそも「快」と「不快」は、そしてその正しさは、はっきりと白黒つけられるものなのか。東京・丸の内で開催中(2023年3月24日から4月23日まで)の『世の中を良くする不快のデザイン展』は、そんな「快 / 不快」の在り方に一石を投じる、ユニークな展示会だ。
そこで紹介されているのは、「不快」を効果的に用いながら、結果的に「世の中を良くするデザイン」になっている、さまざまな事例である。それを心理効果の面で読み解きながら、われわれの身の回りにある「快 / 不快」の在り方に、新たな視座をもたらせるこの企画。その発想の源には、現代社会に対するどんな思いがあったのだろうか。そして、今回の展示会で、来場者にどんなことを伝えたいのだろうか。今回の展示を企画したクリエーティブディレクター・中沢俊(電通クリエーティブX)と、監修を担当した千葉大学名誉教授・日比野治雄(株式会社BB STONEデザイン心理学研究所 技術顧問)に話を聞いた。
―「不快のデザイン」というのは、なかなか珍しいアプローチのように思いますが、そもそもなぜ「不快」に着目しようと思ったのでしょう?
中沢:ぼくが普段やっているデザインの仕事はもちろん、商品とかサービスをつくるときって、基本的にはわかりやすくしたりとか、使いやすくしたりとか、見た目を美しくしたりとか、「快」の手法を使うことが一般的です。
ただ、まわりを見渡してみると、結果としては世の中を良くしているんだけど、手法として「不快」をうまく利用しながらやっているものが、結構あることに気づいて。そういった事例を並べながら、なおかつそれを心理学でひもといたら面白いんじゃないかと思ったんです。
それで、ぼくらのチームでいろいろな事例を集めつつ、その学術的な裏づけを、以前から本などを読んで知っていた「デザイン心理学」の権威である日比野先生にお願いしたという感じです。
クリエーティブディレクターの中沢俊。本展示の企画立案を務めた
『世の中を良くする不快のデザイン展』会場の様子
日比野:「快」と「不快」の問題は、私自身、長年興味を持っていたことなので、こういう企画の展示をやっていただけるのは、非常に面白いと思って。それで今回、協力させていただきました。
千葉大学名誉教授 日比野治雄。本展示の監修を務めた
―「デザイン心理学」というのは、あまり馴染みのない領域ですが、どのような学問なのでしょう?
日比野:要は、心理学的な側面からデザインを考えるという学問です。私自身の最初の取り組みは、「視覚的ストレス」の問題――1997年に、いわゆる「ポケモンショック」(※テレビアニメの表現で、一部視聴者が光過敏性発作などを起こした事件)というのがありましたよね。あのような、視覚的な刺激が人間にもたらす予期せぬストレスについて研究していたのですが、そこからだんだんと、視認性の高い商品表示やパッケージデザインにも興味を持つようになって。
美しいデザインや、わかりやすいデザインというのはありますけど、その「良さ」を数値化して、こっちのデザインのほうが絶対にわかりやすいみたいなことは、なかなか言えないですよね。でも、心理学、特に実験心理学の手法を使うことによって数値化できて、デザインのいろいろな側面を定量的に評価できるんじゃないか、と考えたのです。
―デザインの分野は、わりと主観的な判断が多くて、なかなか客観的に判断しにくいところがありますよね。
日比野:そうなんです。過去の事例を引き合いに出して検討したり……あと、大御所のデザイナーの方がつくると、それが良いものみたいな感じになることも(笑)。
中沢:わかります(笑)。「センス」というひと言で片づけられたりとかして。あと、先ほどの「不快」に着目した話に、もうひとつつけ加えさせていただくと……以前から、ぼくのなかで腑に落ちないところがあって。
いま、なんとなく「不快」なものを排除していくような世の中の流れがあるじゃないですか。「不快」なものをすべて排除した先に「快い社会」があるんだって、多くの人が漠然と思っているようなところがあるというか。それに対して、ちょっとした疑問があったんですよね。
―なるほど。
中沢:そのきっかけになったのが、身近なところで言うと、公園の禁止看板の問題で。もともと公園というのは、みんなが自由に使える憩いの場として設けられたものじゃないですか。
なのに、いろいろな苦情に対応していくというか、いろんな人の「不快」を、その公園から排除していくうちに、禁止看板ばかりが増えて、やれることが少なくなっている。それでどうなったかというと、誰にとっても、ちょっと使いづらい場所になっているような気がしていて。
―たしかに、そういった事例は結構あるように思います。
中沢:「不快」を排除していった先に「快い社会」が待っているという前提が「正しい」としたら、公園から「不快」を排除していった先には誰にとっても「快い空間」が生まれるはずなのに、必ずしもそうはなっていないわけですよね。だったら、その「前提」について、もう少し考えてみたほうがいいんじゃないかと思って。それで、「不快」をテーマとした展示をやってみようと思ったところもあるんですよね。
あと、これはリリースにも書いたのですが、いまの世の中って、「多様性」「コンプライアンス」が強く推し進められていて、それによって「みんなが不快と思うもの」が社会から排除されていっているように思うんです。一見正しく見えるけれど、それが過度になりすぎていることや、その先に待ち受ける未来像に疑問があって。
さっきの公園の問題もそうなんですけど、「不快」はいらないとか役に立たないとかっていう思い込みが先行するがゆえに、ある種の息苦しさ、生きづらさにつながっているところがあるのかなっていう。
―今回の展示で紹介されているように、「不快」が世の中の役に立っている事例もあるわけで。
中沢:そうなんです。だから今回の展示も、わかりやすい「緊急地震速報チャイム音」や「都市ガスの付臭」みたいなものから始まって、多くの人は意識してないけれど、「不快」をうまく取り入れているような事例……さらには、「不快」が持つ、さまざまな可能性みたいなものを紹介するような流れになっていて。そういう事例って、じつは結構あるんですよね。それを今回の展示で、多くの方々に知ってもらえたらいいなと。
―日比野さんは、いかがですか?
日比野:私はいつも、大学の授業とか講演などでは、必ず言うようにしているのですが……人間というのは、本当に非合理で複雑なものなんですよね。合理性だけでは、絶対に割り切れないものがある。それは、デザインを考える際の前提でもあって。
たとえば、高齢者向けの製品だと、ボタンが大きくて、色使いが派手なものがいいと思いがちじゃないですか。でも、あれは使う人にとっては、全然カッコ良くないというか、使いたくないデザインなんですよね。できれば見た目が良いものを使いたいというのは、何歳になっても変わらないですから。
そういう人間の非合理性を理解したうえで、デザインを考えなくてはならない。それは、「快」と「不快」の感じ方やとらえ方についても、同じだと思うんですよね。
―ここからは少し、具体的な展示の内容について見ていきたいのですが……まずは、「不快で危険を伝える」というテーマで、先ほど挙げられた「緊急地震速報チャイム音」をはじめ、「都市ガスの腐臭」「苦いおもちゃ」「イメージハンプ」「踏切の複合的な不快設計」などの事例が紹介されています。
中沢:そもそものところで言うと、「不快」の刺激は、「快」の刺激よりも伝達スピードが速いんですね。「不快」の刺激は、命の危険に直結する可能性が高いから。その一方で、「快」の刺激は、そこまで一刻を争うようなことはなく、時間をかけて伝達されることが多い。それをうまく利用している身近な事例を、ここではいくつか紹介させていただきました。
誤飲を防ぐため、舐めると苦味を感じるゲームソフトの例なども展示
―そのあと、「不快と快で学習する(オペラント条件づけ)」「不快で健康を守る」などの事例が続きます。「不快で害を遠ざける」事例として、「モスキート音」が紹介されています。これは「使い方」という面で、少し注意が必要な事例ですよね。
中沢:そうですね。モスキート音というのは、蚊の羽音のような不快な音をいうのですが、その利用に関してというか、人が人に対して使用する際には、やはりいろいろ議論があるわけで。
ただ、モスキート音に関しては、その対象が人間ではなく、動物などに利用しているところもあるので、一応取り上げつつ、その問題点についてもちゃんと触れるようにしたんです。やはり、まずは知ってもらうこと、知ったうえで考えてもらうことが大事だと思ったので。
紙オムツの倍濡れた感覚を与えるトレーニングパンツ。「不快さ」で学習を促す一例
モスキート音の展示と解説
―そして、次に紹介されているのが「曖昧さで多様性をつくる」。これは、どういった事例なのでしょう?
中沢:このあたりから少し毛色が変わってくるんですけど、先ほど言ったように、一般的にデザインというのは、使い方がわかりやすいものが良いとされているじゃないですか。特に公共性が高いものは、誰もが迷わずに使えるほうが「正しい」とされている。
ただ、ここで紹介しているのは、使い方を曖昧にすることによって、多様性のある空間をつくるという事例で。市役所のロビーに、テーブルなのか椅子なのかわからないものが大量に置かれていて、それを自由に組み合わせて使うことができるんです。
―この会場にも同様のものが置いてありますけど、たしかにテーブルなのか椅子なのか、ちょっと迷うところがありますよね(笑)。
中沢:そうですよね(笑)。おそらく、「これはテーブルですか? 椅子ですか?」って聞かれると思うんですけど、自由に使ってもらって大丈夫。
その心理効果として、「パレイドリア効果」というものがあって……月の模様がウサギに見えたり、木の模様が人の顔に見えたり、はっきりしないものを、自分が知っているものに置き換えるというか、自分の都合の良いように解釈する現象です。そういう変換能力とか想像力を、うまく活用した事例なんですよね。
椅子かテーブルか、使い方が定義されていないプロダクト
―そのあとに、「面倒で価値を高める」事例や、「エナジードリンクにおける心理効果」、スマートフォンによるアプリなどを例に「夢中を生み出す代表的な仕掛け」などが紹介されていますが、こうして見ていくと、私たちのまわりには「快」と「不快」が複雑に入り混じっていることがわかります。
中沢:そうなんです。なので、最初のほうは、公共性の高いものや、われわれの生活に役立つものを紹介しつつ、だんだんと人間が持つ「認知バイアス」を利用した事例みたいなものも紹介しています。
一つひとつの展示がどうというよりも、その全体を通じて、「不快」が自分たちの生活に強くひもづいていることを感じてもらえたらと思っています。
やや高めの価格設定と、奇抜な色味で「効果がありそう」と思わせるエナジードリンクの例
無限スクロールなど、つい夢中になってしまうスマホの仕掛けなども解説
―日比野さんは、この展示をひととおりご覧になられて、どんな感想を持ちましたか?
日比野:本当に多岐にわたる領域で「快 / 不快」が使われているということをあらためて感じますよね。もちろん、その多くは経験則的につくられたもの……実験的なことをやって決めたわけではないのかもしれませんが、つくり手がよく考えた結果の産物であることがわかります。
特に後半の部分――本来は、わかりやすかったり、簡単に扱えたりしたほうがいいんだけど、わかりやす過ぎても、簡単過ぎてもダメとか、エナジードリンクの事例のように、本当は美味しいほうがいいはずなのに、妙な味がしたほうがその効果を強く感じることができるとか(笑)。そこもやっぱり人間の非合理性を感じますね。
―ところで最初、中沢さんのお話にあったように、近年「不快を排除するのは正しい」という漠然としたムードみたいなものが、世の中的にあるように思うのですが、日比野さんはそれについてどう思われますか?
日比野:そうですね……そういうムードのようなものは、私も感じていて。「不快」と同じように「無駄」も、いまの世の中では、どんどん排除する方向にいっていますよね。そういうものを受け入れる、心理的な余裕みたいなものがなくなっているというか。
ただ私は、「無駄」は非常に重要なものだと思うんですよね。あれもこれも無駄だからといって、それらのものを全部排除すると、かえって無駄が多くなるようなことってあるじゃないですか。ある程度、無駄があったほうが、物事が円滑に進むこともある。それは、デザインの領域でも同じで、少し無駄があったほうが面白いとか、そういうところが絶対あると思うんです。
何度も言いますけど、人間は非合理的なところがあるので、今回の展示でも紹介されているように、無駄なものや不快なものがちょっとあったほうが、むしろ楽しめるようなところがあるんですよね。
中沢:一見するとわかりやすい合理性や生産性みたいなものを突き詰めていくと、やはり「不快を排除するのが正しい」という風潮になっていくのかなって思いますよね。
ただ、今回の展示で紹介しているように、人間の心理の部分では、「面倒をかける」とか「ひと手間かける」とか、そういうことがないと、そのモノやコトに価値や愛着を感じられなかったりもするわけで。やはり人間、そういう合理性や生産性みたいなものだけでは、とらえられないところがあると思います。
―デザインの分野に関しては、特にそうかもしれないですよね。
中沢:そう。あと、これは最初に言った「多様性」の話とも関連するのですが……ぼくは、世の中に「多様性」という言葉が、まだちゃんと認識されていないようなところがあるんじゃないかと思っていて。議論や考察が不足していて、社会に明確な共通認識が醸成されていない。
何が正しくて何が正しくないのか、はっきりしていないし、「正しくないもの」の受け入れ方にも明確な正解がないですよね。だから個々人がそれぞれの「快 / 不快」を基準に行動していて、「自分にとって不快なものは排除していい」という流れになっているように感じるんです。でも、「多様性」というのは本来、ある種の「寛容性」と結びついているはずなんですよね。
ー必ずしも「快=正しい」「不快=正しくない」という単純な話ではなく、それらのものは複雑に入り混じっていると。
日比野:この展示をひととおり見ていただければ、人間というのは、やっぱり複雑なものなんだなっていうのが、きっと理解できるんじゃないかと思います。
中沢:そうですね。だから、今回の展示というのは、日比野さんがおっしゃっていた「人間の非合理性」みたいなものに価値を見出すことにチャレンジした展示になっているのかもしれないです。それまで排除することしか答えがなかった「不快」に対して必要性を感じてもらうことで、新たな視点をもって世の中を見られる。それを持ち帰ってもらえたらいいなって思います。