Text by 辰巳JUNK
Text by 後藤美波
2022年、アメリカの流行ワードのひとつは「ネポベイビー(nepo baby)」だった。コリンズ英語辞典にも登録されたこの言葉は「縁故主義の赤ちゃん(nepotism baby)」の略称。有名な親を持つゆえに有利なキャリアスタートを切れる二世セレブの特権を皮肉るものだ。該当者を馬鹿にする風潮が加熱したこともあって、ハリウッドスターを両親に持つベテラン俳優、ジェイミー・リー・カーティスが「人を傷つける目的の言葉はよくない」と訴えるなど、議論を呼んだ。
映画やドラマ界でも似通ったブームが巻き起こった。「イート・ザ・リッチ(金持ちを喰らえ)」と呼ばれる、階級格差を風刺するダークコメディージャンルがヒットしていったのだ。もともと、格差をシニカルに描く物語自体は、2010年代後半より国際的ブームになっていった。日米でヒットした2019年作『パラサイト 半地下の家族』と『ジョーカー』がいい例だろう。ただし、これらとの違いは、富裕層の人々の愚かな行動や苦しむ様を徹底的に馬鹿にするようなスタンスだ。
影響が大きいとされるのが、2018年より放映開始されたテレビドラマ『メディア王 ~華麗なる一族~(原題:Succession)』。この巨大企業一族の継承劇は、シリアスなダークコメディーで、真偽不明なナポレオンの性器を50万ドルで購入したりするナンセンスな超富裕層の価値観を描いて反響を呼んだ。
そして2021年、ハワイの高級ホテルの客に振り回されていく接客業者を描くコメディードラマ『ホワイト・ロータス / 諸事情だらけのリゾートホテル』が「イート・ザ・リッチ」のひな形を完成させた。いわば、金持ちと庶民を交差させて世の階級格差を風刺する『パラサイト』型の群像劇と言える。
2022年、映画界にも「イート・ザ・リッチ」ジャンルの波が押し寄せた。例をあげながら、3つの特徴を説明しよう。
第一に、定番の舞台は超富裕層の狭い白人中心コミュニティー。スーパーリッチなキャラクターは社会的地位に見合う実力を持たずに富の継承や搾取、不正を重ねる愚者が多く、物語のなかで痛い目に遭う。
たとえば、IT長者が豪邸に友人を招くミステリー『ナイブズ・アウト: グラス・オニオン』(2022年)では、他者からアイデアを盗んで財を増やしていくリッチコミュニティーの縁故主義が描かれている。
第二に、正義のヒーローの不在。高級レストランを舞台にしたサスペンス『ザ・メニュー』(2022年)のように、一般視聴者が感情移入しやすい庶民寄りの主人公が配置されることも多いが、おおむね身勝手な金持ちに巻き込まれた被害者的立場に過ぎず、改革を起こすヒーローではない。
また、無人島で富裕層と接客、清掃業者の立場が変動する欧州4か国合作映画『逆転のトライアングル』(2022年)が示すように、作中で資本主義や格差といった社会問題について語る人間は、己の加害性に無自覚な富裕層サイドに偏る。搾取される庶民の場合、政治信念を掲げる余裕すらない状態だったりするが、その代わり「地に足のついた本当の実力の持ち主」として描かれたりもする。この傾向は、リッチな若者たちが豪邸で疑心暗鬼に陥るA24製作のスラッシャー映画『BODIES BODIES BODIES/ボディーズ・ボディーズ・ボディーズ』(2022年)でも垣間見られる。
最後に、もっとも重要なのは、作中で馬鹿にされつづける金持ちの特権が揺るがずに終わることだ。性差別をテーマにしたホラー『フレッシュ』(2022年)のように、犠牲者側が逆襲する局所的カタルシスはあったとしても、邪悪な富裕層が牛耳る社会構造そのものは不動たる皮肉、それによる階級格差の強調こそ「イート・ザ・リッチ」の芯なのである。
「食べるものがなくなった民衆は、金持ちを喰らうだろう」 - ジャン・ジャック・ルソー「イート・ザ・リッチ」作品はなぜこんなにも連続してつくられているのか。その背景は、ブームの源流にあたる『パラサイト』のポン・ジュノ監督による「2017年ごろから世界中で階級格差を描いた作品が自然と増えていった」証言がポイントだろう(*1)。
グローバル経済化と所得格差が進んだ2010年代、先進諸国では富の不平等の問題が注目されていった。アメリカのキーワードは「所得上位1%」だ。2016年、世界の資産ランク上位1%の富が、残り99%の人々の資産合算を超えたと報告されている(*2)。これを背景に民主社会主義の人気が上がりはじめ、2020年大統領民主党予備選挙の左派候補エリザベス・ウォーレンとバーニー・サンダースの支持層のあいだで、フランス革命に影響を与えた哲学者ルソーの名言を引いたスローガン「イート・ザ・リッチ」が普及していった。
1970年代から2000年代にかけての中産階級の縮小、および2010年代における高所得層と低、中所得層の富の格差拡大(*3)は、テレビドラマの潮流に反映されている。近年、激減したとされるジャンルは『ジ・オフィス』(2005~2013年)などの平和で安定した中流の人々を描くシチュエーションコメディーだ。現在「安心して笑える」シットコムとして人気を博している『アボット エレメンタリー』(2021年~)の場合、舞台となる公立小学校の財政危機を軸とするシビアさを持ち合わせている。逆に、一時的な増加が見られたのは『メイドの手帖』(2021年)などの厳しい困窮を描く作品である。
「テレビドラマが超富裕層と極貧層ばかりになった」(*4)。2021年の『TIME』誌 の記事が訴えるように、上流階級モノの人気は変容を重ねながら持続している。テレビ評論家キャロライン・フラムケーいわく、アメリカの大衆文化における「お金持ち」描写は2つに大別できる。1つは、ゴージャスな世界観の追体験を売りにする現実逃避ファンタジー。もう1つは「病的な魅惑」に満ちたものだ(*5)。前者の人気作は、裕福な女性を追うリアリティーショー『リアル・ハウスワイフ』だが、時勢にあわせて「金持ちの苦難」展開を増やし、後者に寄っていったとされる。
病的な魅惑に満ちた近年のエンタメ界での「イート・ザ・リッチ」作品の流行は、新型コロナウイルスパンデミック危機とも結びつけられる。人々の活動が制限され失業率も急上昇した2020年から22年にかけて、所得上位1%層は、残る99%が獲得した資産の約1.7倍を儲けたと報告されている(*6)。同時期に世界一の資産家となっていたイーロン・マスクの「お騒がせ」言動が目立ったこともあり、多くの人々が富の不平等に直面し超富裕層への反感を高めた。
よって、金持ちをコケにしながら不変の格差構造を突きつけるダークコメディーとは、ある種の諦念も表している。大作家マーク・トウェインいわく「人類が持つ唯一の武器は笑うこと」。つまり、ジャンルの根底に流れるのは、格差の頂点に君臨する者を嘲笑うくらいしかできないというシニシズムだ。
『ホワイト・ロータス / 諸事情だらけのリゾートホテル シーズン2』U-NEXTにて見放題で独占配信中 © 2022 Home Box Office, Inc. All rights reserved. HBO® and all related programs are the property of Home Box Office, Inc.
興味深いのは、社会主義活動家や文化批評家のあいだで「イート・ザ・リッチ」批判も多いことだ。活動家からすれば、これらのヒット作は「反資本主義の商業化」である。『ホワイト・ロータス』『ナイブズ・アウト: グラス・オニオン』などのジャンル代表作をマーケティング面から見るなら、白人中心の高給スター俳優が集められたアンサンブルであり、スーパーリッチなライフスタイルを再現する美術面にもコストがかけられている。じつのところ、前述の追体験式の現実逃避ファンタジー需要をしっかり満たしているのだ。
作品によってコンセプトは異なるが、受容の面では、観客が己を善と規定しながら滑稽に苦しむ富裕層を嘲笑ってストレス発散しつつ「お金があっても不幸なのだ」と安心できる即物的な刺激も強い。批評家マックス・チャーは、疑問も呈している。「これらの映画が上位1%の人々に報いを与える瞬間、観客の願望充足以外の何になり得るのだろうか? 快感を与えてくれることはたしかだが、鋭い風刺とは、人々のファンタジーを満たすのではなく、幻想そのものに穴をあけるものだ」(*7)。
『メディア王~華麗なる一族~ シーズン4』 U-NEXTにて見放題で独占配信中© 2023 Home Box Office, Inc. All rights reserved. HBO® and all related programs are the property of Home Box Office, Inc
一番の皮肉は、このトレンドがやがて終焉すると予想される際に用いられている根拠かもしれない。カリフォルニア大学のジョナサン・カンツなどの専門家は、景気が好転すればエンターテインメントの超富裕層批判が減ると示唆している(*3)。「イート・ザ・リッチ」が突きつける所得格差そのものはすぐに変わらないだろうが、今日ハイコストな娯楽とされる中規模劇場映画ビジネスの場合、マジョリティー消費者層の暮らしや気分が明るくなれば風向きは変わるだろう。
そして「イート・ザ・リッチ」流行の失速は、すでに始まっているかもしれない。ジャンルの基盤となった『ホワイト・ロータス』は、イタリアに舞台を移したシーズン2で視聴者に希望を与えるような楽観的な作風へややシフトした。『メディア王』も2023年春のシーズン4での終幕が発表されている。同作開始以降、5年ものあいだシニカルなダークコメディーが流行したため、まったく別の類の作風が求められていくかもしれない。
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同じ特権叩きトレンドだった「ネポベイビー」にしても、イメージの転換が見られた。冒頭で紹介したジェイミー・リー・カーティスが、『全米映画俳優組合賞』で助演女優賞を受賞し、壇上で「私はネポベイビーだとわかっています」と認める演説を行なったのだ。ただし、ハイライトはその前段だった。
「俳優の両親を持つ私は、俳優と結婚しました。私は、俳優を愛しています。演技を、この仕事を愛しています。クルー、キャストの一部であり、彼らと一緒にやれることを愛しています。俳優とは、なんて美しき職業なのでしょう!」
喝采に包まれたこのスピーチでは、縁故主義を皮肉る「ネポベイビー」概念が、家族と職のつながりを讃える美談へと置き換わっている。同ワードを批判した際「やさしさを大事にしよう」と啓蒙したカーティスらしい価値観だ。もしかしたら、冷笑的なダークコメディーが希望あふれる性善説にとってかわられた文化的瞬間として刻まれることになるかもしれない。