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『水星の魔女』は“ちいかわみたいなガンダム”!?ーー可愛らしさと不穏さを湛えながら第2シーズン開幕へ

2023年04月08日 13:41  リアルサウンド

リアルサウンド

『機動戦士ガンダム 水星の魔女』Season2 予告PV(https://youtube.owacon.moe/watch?v=-V91gYXr7_Q)サムネイルより

※本稿はアニメ『機動戦士ガンダム 水星の魔女』第1期のネタバレを含みます。


 昨年放送され、大ヒットした『機動戦士ガンダム 水星の魔女』。この作品の特徴は、一言で言えば「ちいかわみたいなガンダム」だという点である。


(参考:【写真】これは欲しい! 『水星の魔女』アスティカシア高等専門学園の制服をイメージした小物たち


 『水星の魔女』は、ガンダムシリーズとしては異例づくめの作品である。主人公も女性だし、舞台は学校だし、学園内でのモビルスーツ同士の戦闘は人が死ぬやつではなく機体のツノが破壊されたら終わりの「決闘」だし、オープニングテーマはYOASOBIである。戦争とか人類の革新とかが主題だったこれまでの作品とは、ずいぶんノリが違う。


 学校が舞台なので、主要キャラクターは学生ばっかりだ。それらのキャラクターが、割と全員キュートである。主人公スレッタはド田舎育ちながらガンダムの力と操縦の腕で健気に学園生活をサバイブするし、もう一人の主人公であるミオリネもツンケンしつつスレッタの良き理解者となり、頭脳と度胸を武器に自分の生き方を切り開いていく。ボンボンのジョックスというポジションから転落しまくるグエルも、喧嘩っ早さと髪型が強烈だったチュチュパイセンも、どのキャラクターも男女問わず魅力的でキュートである。


 そんなキュートなキャラクターが、リーサルな戦闘ではない「決闘」を戦いながらワチャワチャと学園生活を過ごす様子は、学生時代が遠くなった人間にとってはずいぶん眩しいものだった。スレッタが決闘で勝ちまくるのかなと思いきや、途中からスタートアップものになったりと、ストーリー自体も起伏があって続きが気になる。キャラ同士の絡みに想像の余地があるから二次創作も大いに捗り、ネットにはファンアートが溢れた。「かわいいキャラクターの行動と、それらキャラクター同士の絡みを見る」というのは、『水星の魔女』の大きな面白さだったと思う。


 一方で、その裏には常に不穏さが漂っているのも『水星の魔女』の特徴だろう。『Happy birthday to you』の曲に合わせてモビルスーツが爆発四散したプロローグに始まり、プロスペラの思惑や「エリクト=スレッタ」だとすると計算が合わないプロローグからの時間経過、エアリアルの武装や機構についての謎、強化人士4号の処分、「フォルドの夜明け」とニカ姉の関係など、作品の根幹に関わる部分に不穏さが漂い続けている。さらに不穏さに関して言えば、現状最新話である12話でピークを迎えている。


 「かわいいキャラクターたちの奮闘や日常を眺める」という楽しさと、「作品世界内に漂う強烈な不穏さ」への恐怖感。この相反する2要素を組み合わせた、ハイブリッドな魅力で視聴者のハートをがっちり掴んだのが、『水星の魔女』の勝因だろう。そしてキャラの可愛さと全体に漂う不穏さを組み合わせて大ヒットした作品と言えば、『ちいかわ』もまた同じカテゴリーのタイトルと言える。かわいいちいかわたちの日常や奮闘を眺めながら、時折見せるナガノ先生の"癖"や胡乱な設定に戦慄する。このギャップの連打が『ちいかわ』の大ヒットの要因の一つだったのは、疑いようのない事実だと思う。


 思えば『水星の魔女』も、SNSで大いに話題になった作品である。「ダブスタクソ親父」「株式会社ガンダム」のような、ついTwitterで言及したくなるようなパワーワードが詰め込まれていたことも要因だろうし、ファンアートを描いたり妄想をぶちまけたくなるような魅力のあるキャラクターが揃っていることもその理由だろう。放送時間帯には毎週Twitterのトレンド上位を関連ワードが占めたのは、いかに『水星の魔女』が対SNS戦略を練り上げた作品だったかを物語っている。


 一方で、『ちいかわ』もまたSNSなしには発展しなかった作品だ。単にナガノ先生の「こういう姿になって暮らしたい」という思いを描いただけだったはずのちいかわは、投稿を重ねるごとに設定や作品世界に広がりを持ち始め、ついには現在の日本を代表するキャラクターのひとつまで上り詰めた。『水星の魔女』も『ちいかわ』も、同じ土壌に植えられ、同じ肥料によって育ったタイトルなのである。


 このふたつの作品を見て思うに、SNS時代で大ヒットするための方程式のひとつは「キュートで強度があるキャラ×不穏で広がりのある作品世界」の組み合わせなのだろう。この2作品に共通点が生まれたのはある種の収斂進化の結果であり、ナガノ先生も『水星の魔女』のスタッフも別ルートから同じ地点にたどり着いた。その意味で、『水星の魔女』は「ちいかわみたいなガンダム」と言えると思うのだ。


 不穏さという点について言えば、第二シーズンはすでにかなり不安である。この作品もまたガンダムシリーズの一作であり、そうである以上「戦争」という要素からは逃れようがないのではないか。すでにプロローグではリーサルな戦闘が描かれているし、宇宙居住者と地球居住者の対立の激化は作品の背景設定として何度も言及されている。


 第一シーズンでは、そういったリーサルな戦闘はアスティカシア学園とは切り離されていた。生徒同士のモビルスーツ戦は「決闘」という形でルールが明文化されており、「これは実戦ではありませんよ」「キャラクターは決闘では死にませんよ」というジェスチャーが効いていたからこそ、学園の生徒たちが容赦無く実戦に巻き込まれる第一シーズン終盤の展開が強烈に効いたわけである。


 さらに気になるのは、第四話「みえない地雷」で描写されていたアスティカシア学園のモビルスーツ操縦訓練の内容である。「センサー類を使わず可視情報のみでモビルスーツを操縦し、後方からの指示で地雷を避けながらコースを完走する」「メカニックと連携して、高速で兵装を変更する」といった訓練内容は、専門学校の操縦過程としてはギョッとするほど実戦的だ。


 内容的にはどう見ても戦闘訓練だし、宇宙での戦闘ではなく地上戦を想定している点も気になるところ。地雷が埋められるような土地といえば、現状わかっている限り作品内には地球くらいしかないわけで、地球での戦闘を想定した訓練を宇宙に住むティーンエイジャーたちにやらせていることになる。4話はチュチュ先輩のパンチに全てを持っていかれた感があったが、学園のカリキュラム自体がそもそも強烈に不穏なのだ。


 というわけで、「ガンダムである以上リーサルな戦闘が描かれる可能性が高い」という点に加え、「地球居住者と宇宙居住者の対立」「怪しすぎるプロスペラの挙動」「ヒロインの倫理観がどうやらかなりおかしい」などなど、不穏ポイントはすでに揃いすぎるほど揃っている。第二シーズンは、これらの要素が活きた内容になるのは間違いないだろう。前代未聞の「ちいかわみたいなガンダム」が一体どこにたどり着くのか。毎週気が抜けない日々が、また始まる。


(しげる)