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『サマータイムレンダ』人気再熱の理由 「ループとドッペルゲンガー」で描き出す、人間の二面性

2023年04月06日 07:11  リアルサウンド

リアルサウンド

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 田中靖規のマンガ『サマータイムレンダ』が今になってSNSで話題を集めているようだ。再注目のきっかけはTVアニメのようだが、同作のアニメ放送は昨年の4月から。約1年後に突如話題にのぼったのは、ディズニープラス独占配信の枷が外れて、各サイトで観られるようになったからのようだ。


 独占配信の是非については、そのサービスが予算を出してくれないと成立しない企画も世の中にはあるわけで、一概に良いとも悪いとも言えないが、個人的には、放送当初に独占配信であっても今回のように時間差で解放されるのであれば、ビジネスと利用のしやすさのバランスは悪くないのではないかと思う。


 とにかく、すでに原作の連載も終了し、アニメ放送も過去のものにもかかわらず話題になるということは、本作にはそれだけの魅力があるということが改めて証明されたということだろう。


 確かに本作は、構成も巧みでキャラクターや世界観も魅力的、古典的なミステリーやホラーの要素に現代的なゲーム的感性をミックスさせた完成度の高い作劇を見せてくれる。正直、読んでいてすごく惹き込まれる。改めてその魅力が再発見されて嬉しい限りだが、そんな本作の魅力をより広く知ってもらうべく、解説してみたい。


ミステリーとしての巧みな作劇


 『サマータイムレンダ』は、和歌山の架空の島、日都ヶ島での「3日間」の出来事を描いた作品だ。主人公の網代慎平は、幼馴染の小舟潮の訃報を聞き、2年振りに故郷の島へと戻ってくる。潮は海難事故で亡くなったと聞かされていた慎平だったが、潮の遺体には「吉川線(被害者が抵抗してついた首に見られるひっかき傷の跡)」があり他殺の疑いもあると知る。「潮が殺されたとしたら、誰がどうやって?」と考えるのも束の間、今度は潮の妹、澪の瓜二つな存在が現れ、澪も慎平も殺されてしまう。この島では、ドッペルゲンガーのような存在「影」が暗躍しており、人知れず巨大な陰謀が進行している。その陰謀に巻き込まれていく慎平が、タイムループの力を駆使して島の謎に迫っていくという内容だ。


 本作は次から次へと読みたくなる仕掛けにあふれており、ミステリーとしての構成が秀逸だ。


 『何がなんでもミステリー作家になりたい!』の著者、鈴木輝一郎は、ミステリーはすべてのエンタテインメント小説の基本だという。なぜなら、ミステリーを構成する諸要素は、他の全てのジャンルにも必要とされるものだからだ。


ミステリーに必要な要素とは鈴木氏によると以下の3つだという。


1:作品全体を通す謎がある


2:次のページをめくりたくなる細かい謎がある


3:全ての謎が必ず解決する (『何がなんでもミステリー作家になりたい!』P17、河出書房新社)


 『サマータイムレンダ』はこの基本がしっかりしている。「島で起きている怪奇現象は何なのか」という作品全体を通す謎があり、その真相にたどり着くために、「潮の死の真相」や「2人の澪」、南方ひづるの正体や小早川家の問題など、細かい謎がちりばめられている。もちろん、普通の高校生である慎平がなぜループ機能を持っているというのも謎の一つだ。


 「だれがやったのか」「どうやってやったのか」「何が起きているのか」という、ミステリー用語でいう「フーダニット」「ハウダニット」「ホワットダニット」がしっかりと抑えている。第一話で、潮の遺体に吉川線(こういう専門用語を出すあたりもミステリーとしての雰囲気を高めている)があることを知った慎平は、誰が、海でどうやって潮を殺したのかを考えるようになる。澪が2人いるという状況は、「一体何が起きているのか(ホワットダニット)」と読者に強烈に印象づけるし、何度もタイムループしながら戦い、謎を解いていく物語展開によって、「いつそれが起きたのか(when done it?)」と「どこで起きたのか(where done it?)も重視されていく。そして、それらの謎を解決していく中で、そもそも真犯人の動機はどこにあるのか、という大きな謎「ホワイダニット」が立ち上がってくる。


 しかも、その真犯人は古典的なミステリーの定石通りに第一話ですでに登場している。舞台設定が孤島であるのも巧みな点で、逃げ場のないということが強調されるし、古いしきたりや伝承が残っていても不思議はないという世界観の説得力もある。


 加えて、本作はジャンプ作品らしいバトル要素にも手抜かりがない。知恵で戦う主人公に強いヒロイン、そして、イベントをこなすごとに仲間が増えていくのもジャンプ作品らしい要素と言えるだろうか。ミステリーとしての巧みな作劇とバトルの活劇がバランスよく展開していくのも本作がエンタメ作品として優れているポイントだ。


ループとドッペルゲンガーの組み合わせが生んだもの


 本作の発想の原点を、田中氏は「ループものとドッペルゲンガーをくっつけたら面白いのでは」(読売新聞 2021年4/14記事 https://www.yomiuri.co.jp/culture/20210412-OYT1T50138)という思いつきだったとインタビューで語っている。


 この2つの要素が本作を特徴づけていることは間違いない。ループものもドッペルゲンガーも、それ単体ではすでに数多くの作品で使われているものだが、その組み合わせによるケミストリーが本作を特徴づけることとなった。


  ループもの特徴は、ビデオゲーム的なリセット感覚をもたらすという点にある。タイムループ能力を持つ主人公は、一度体験した記憶を持ったままに過去へと戻ることができる。作中にもリセットなどのゲームを連想させる用語は多数出てくることから、このゲーム的感覚は明らかに意識されている。ミステリーにおいては、超常的な能力を主人公に与えるのは良くないとされているが、本作の場合は、読者に与える情報は主人公が体験したものにほとんど限定されることで、謎解きゲームを主人公と一緒に、何度もリセットを繰り返しながら挑んでいるような読書体験を与えることに成功している。


 このゲーム的感覚を象徴しているのが、主人公の「俯瞰」だ。まるで、幽体離脱のように意識を飛ばして、高いところから状況を見渡すというシチュエーションが度々描かれるが、この主人公の俯瞰して物事を見つめるという特徴は、ゲームプレイヤーとしての読者の視点と重なる。実際に何度も繰り返して読み直しながら考察していくことで、本作はより面白くなる作品だ。


 もう1つのドッペルゲンガーについては、本人を殺そうとするという良くある展開に用いつつ、ミステリーの定番「双子のトリック」的にも機能している。そして、後述するが、人間の二面性や「コピーにも人間性は宿るのか」という実存的な問いを発生させる要素としても重宝しており、「ループとドッペルゲンガー」の組み合わせの妙を巧みに物語に落とし込んでいる。


本物とコピーは違うと言えるのか


 本作は、人間の2面性を強調する要素が豊富だ。前述した主人公の「俯瞰」も離人症的だし、ドッペルゲンガーは言わずもがなだ。他にも南方ひづると竜之介の姉弟が一つの肉体に宿っていること、秘密を抱えた菱形医院の院長など、表の顔と裏の顔を持つキャラクターも人間の2面性を示していると言えるだろう。


 「影」の潮を目の前にした慎平は、自分を影だと忘れているその存在を前に、本物の潮と区別がつかなくなる。「完璧なコピーは本物と何が違うのか」という問いが作中で投げかけられるのだが、それは「人間とは何なのか」という深遠な問いにつながる。あるいは、人間はいかにして、目の前にいる存在を人間として認識するのか、という認識論にもなるだろう。愛する人が死んだ時、影でもいいから蘇ってほしいと願うことはある。その影は本人か、個々人がどうその存在を認識するのかという問いは、AIやロボットに人格を感じるか、という問いにも発展させられるだろう。そういう意味では、現代社会を生きる我々にとっても重要な問題だ。


 「ループとドッペルゲンガー」の組み合わせは、そんな人間の2面性や実存的な問いをも生み出す効果を発揮した。思いつき自体はとてもシンプルに感じられるが、そのシンプルな組み合わせを深遠な問いにまで深めたさせた作者の作劇力の高さに脱帽だ。


文=杉本穂高